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世界遺産 「ベローナ市」 2000年 文化遺産  ベローナの地図



シニョーリ広場より


シニョーリ広場よりジュリエッタの家に向かう通り。

シニョーリ広場

 ガリア・ヨーロッパと古代ローマを結ぶアルプス越え交通の要衝とした発達した街。 歴史の波の波に翻弄されながらも生き残ってきた街。
 建物は広場を囲むようにたっており、門の上のレリーフはベネチィアの紋章。羽の生えたライオンが聖書を持っている図柄で、サン・マルコの象徴。公共的な建物にはほとんどこのサン・マルコの象徴の紋章がついている。日本の家紋のようなものか。

 とにかく街並みが古い。中世の街そのまんまという感じ。14世紀ころの、よくこんな古い建物がよく残ったものだ。いまだ現役で使用されている。市民の並々ならぬ思いのたまものだろう。それにしても西洋の石の文化と日本の木の文化の違いを感じさせられる。石の建造物は1000年でも2000年でもほとんど風化せずに残る。この建造物の永続性の感性は、ものの考え方にも影響を与えないではいないだろう。すなわち歴史は継続するものであり、文化や伝統は親から子へ、子から孫へと受け継がれていくものである。

 街並みや門のアーチなどにイスラム文化の影響が感じられる。色の違う2種類の石を上下に交互に積み重ねていくセンスは、水平的で落ち着く。

 


ロミオとジュリエットの舞台。これがその窓だというが、どうも信じがたい感じ。窓の下は、観光客で埋まっている。

ジュリエッタの家 

 本物ではないかも?
 ロミオとジュリエットの舞台(生まれるきっかけになった話が事実としてあったとか。シェークスピスの劇作のもとになった街)
 14世紀初め、教皇派(ロミオ・モンテッキ家)と皇帝派(ジュリエッタ・カプレーティ家)の争いに翻弄された純愛の話し。
 ジュリエッタ・カプレーティ家の建物(どこまで本物かは不明)は、ヨーロッパ中からの観光客ですごい人気。とにかく人でごったがえしていた。
ジュリエッタとの逢い引きの小さなテラスがある。

 統一国家の再興を目指す皇帝フェデリーコによるイタリア統一。封建的分散と自治都市による教皇側の意図との衝突。その狭間でヴェローナも翻弄された。






エルベ広場

 シニョーリ広場のすぐ横にある広場で、ローマ時代にはフォロ・ロマーナと呼ばれて、市民が政治集会や裁判を行った。
 広場の周りの建物は14世紀頃のものだが、もちろん現役で使用されている。広場全体が中世的な雰囲気を発散していて、人の衣装を中世のものに変えれば、街はそのまんま中世になる。中世の街そのまんまの雰囲気は、日本人には、たまらなくしびれる。
 広場の中心には、罪人のさらし台や噴水があるが、白い天幕の屋台がところ狭しとびっしりと埋めている。観光客用の土産物屋や簡単な食べ物屋さんが多い。人の数も多い。世界から観光客が押し寄せているっといった感じ。
 日本の都市には、街の人がちょっと集まったり、お茶でも飲みながらぶらっとできるような広場がほとんどない。ミニ公園のようなものはあるが、広場ではない。駅前のロータリーは広場だろうか。文化の違いを感じざろうえない。

円形闘技場アレーナ(ローマ時代)
紀元1世紀の建築。円形劇場としてほぼ完全な形で残っている。
長さ152m、幅128m、高さ30m 22,000人収容。 野外オペラが有名で、現役で市民に愛好されている。


ベローナの円形劇場。ほぼ完全な形で残っているという。
 
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photo by miura 2005.11