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世界遺産 「サン・ジミニャーノの歴史地区」1990年

サンジミアーノの地図



城壁の入り口の上にある塔で、サン・ジョバンニの門。侵入者を防ぐために塔の下の穴から石や熱湯を落としたという。


初期の頃の街に入る門。
 中世イタリアの街は多くは城壁に囲まれ、街中の通りも、家の入り口を閉じてしまうと城壁のようになって侵入者を防いだ。争いの悲しい歴史を伝えるたたずまいだが、石の文化に対する憧れのようなものもあって、美しい。防御の城壁のようなものを美しいというのは何かおかしいかな。

塔の町 サンジミニャーノ

 13〜14世紀、サンシミニャーノは教皇派と皇帝派の血なまぐさい争いの場だった。こんな小さな田舎町でも中央の政争のミニチュア版が繰り返されていた。この街の象徴のような塔は、対外防衛的な意味もあったが、街の貴族たちの富と権力の象徴として競って建てられたという。
 キリスト教の教皇と現世の権力者皇帝との争いの他、新興の商人階級の自治都市も台頭してきた。地方の封建領主が皇帝権を楯に都市を攻めれば、都市は教皇を後ろ盾とし自治を宣言し、お互いに同盟して領主と争った。
 サンシミニャーノの抗争がどのような経過をたどったかはわからないが、内部的な権力争いが盛んだったようだ。
 最盛期には70の塔があったが、現在は14しか残っていない。典型的な城壁都市で、街の周りは厚い城壁が囲まれている。

初期の城壁と門と塔

 初期の頃の街に入る門とその横に立つ塔。
 この門と建物の雰囲気がすばらしい。それにしてもこの塔は何のためにあるのだろうか。外敵の進入に耐えるためのものなのか、内部抗争に対する備えなのか。


街中はあっちこっちにこんな街角があった。美しいので何枚も写真をとってしまった。

サン・ジョバンニの門をくぐると石畳の通り

 門が破られても細い通りを少人数でしか進入できない。石の家は入り口の厚く頑丈な扉を締めてしまうと城壁となる。
 通りと建物は中世のままだが、土産物屋や酒屋が並んでいる。ワイン通の人がここの白ワインはスッキリとしてうまいというので、荷物になってしまうにもかかわらずついつい買ってしまった

 街の中央には広場があり、井戸があった。テラスでカプチーノをすれば、時間が進んだり後戻りしたりして、不思議な気分になる。東洋人にとって石の文化は異文化だ。中世の時間が今どうしてここにあるのか分からなくなる。すべてを水に流して忘れてしまう文化に対して、石の文化は継承される文化なのではないか。濃密な文化の蓄積の中で、現在とどう折り合いをつけているのか。
 城塞のあった丘に登れば、トスカーナの風景を一望することができる。やわらかな起伏の丘に街が点在していて、美しい。

 
塔の街、サンシミニャーノからの風景。美しいトスカーナの起伏が続いていた。

新しい現在の街と古い中世の街が共存

 トスカーナの柔らかい曲線の丘に新しい街と古い町が並んでいた。風景はどこを見ても美しい。
 バスの車窓からみた風景は楽しいが、トスカーナでは街や民家が山の上にある。1軒屋が山の上に立っているだけでなく、かなり大きな街でも中腹より上に位置している。
 ローマ時代より続いた異民族の侵入、都市や領主同士の争い、盗賊、教皇派と皇帝派の争い、他国からの侵入。丘のの上に城壁を巡らさなければ生活の場を確保できなかった悲しい歴史を伝えいてるのか。
 日本にも戦国時代はあったが、町や村単位でここまでの防御施設は見たことがない。ヨーロッパの中世はそれほど厳しかったのか。

 
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photo by miura 2005.11