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イエス布教活動の地 ガリラヤ Galilee



ガリラヤ南部の端は緑が濃いが、北の方は岩肌の山がが続いている。ガリラヤ湖は砂漠に取り囲まれているが、海抜-200mの湖畔は緑が多く過ごしやすい気候のようだ。2000年前の気候はどうだったのだろうか。

ガリラヤ湖畔  [地図]

 ガリラヤ湖はヨルダン渓谷の北端にある淡水湖。周囲53キロメートル、南北に21キロメートル、東西に13キロメートルの大きさ。最大深度は43mとそれほど深くはない。海抜マイナス213mで、湖としては死海につぐ海抜の低さだが、純粋な淡水湖である。ローマ帝国統治時代に用いられた呼び名ティベリアスに由来して「ティベリアス湖」とも呼ばれる。イエス・キリストゆかりの布教活動の場所として有名。
 私の標高計測時計では-135mを示している。この時計の標高はあまり正確ではない。+-150程度の誤差は普段からあるのであまり当てにならない。
 ガリラヤ湖の水は地下水とヨルダン川によって得られている。ガリラヤ湖はアフリカとアラビアのプレートの境界であるヨルダン大峡谷帯という谷の中にある。アラビアのプレートは北に動き、アフリカプレートは南に動き、ガリラヤ、死海、紅海へと続く大きな谷間を形成している。このような地質学的特質から湖一帯は長い間、地震と火山活動の影響を受けてきた。


結婚披露宴の1風景。幹線道路を、新郎を担ぎ上げて新婦の家に向かうのだそうだが、私たちの乗ったバスは30分はこの騒ぎの後に続いた。たまには、こんな派手な披露宴もあるそうだが、これが一般的というわけではないようだ。

 ベツレヘムで生まれたイエスは、ユダヤの統治者で猜疑心の強いへロデ王の迫害を逃れ、主のお告げによりエジプトへ逃げた。やがてヘロデ王が死ぬとさらにお告げによりイスラエルに戻った。ヘロデ王の子アケラオが王位を継ぐと、また怖ろしくなって、ガリラヤ地方のナザレに行って住んだ。聖書でははっきりとは書いてないが、イエスはナザレで幼児から青年になるまでを過ごしたようだ。
「「彼はナザレ人と言われる」と、預言者たちをもって言われた言葉が成就するためであった。」(マタイ福音書)

 旅の行きの飛行機の中では、聖書を読んでいた。若いときに興味から読んだことがある程度だが、読んでみると面白い。若いときにはわからなかったことが、それなりに理解できるような気がする。だが、聖書は睡眠薬かもしれない。素人には、同じような内容の福音書を4種類読むのは骨が折れる。マタイとヨハネを拾い読みする。睡眠。


「婚礼教会」

フランチェスコ修道会の婚礼教会


 婚礼教会の前で、十字架について説明。「十」字に4つの「+」が入っている。これは磔にされたイエスの刺し傷だともいわれている。このような形は「エルサレムクロス」といわれている。
 カナの町はイエスが初めて奇跡を行った場所といわれている。カナの婚礼教会は、これを記念して建てられたもの。カナは現在、アラブ人の街となっている。狭い路地を挟んで、二つの婚礼教会がある。フランチェスコ修道会によるものとギリシア正教会によるもの。


婚礼教会のなかでは、ミサが行われていた。観光客の出入りも撮影も自由。こういう雰囲気はとても心地よい。
聖書の中の「婚礼教会」とは関係なしに、粛々とミサが続いていた。

「カナの婚礼
それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも婚礼に招かれた。すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」イエスが言われる、「女の方、"放っておいてください"わたしの栄光をしめす時は、まだ来ておりません。」母は召し使いたちに言う、「"なんでもこの方の言われるとおりにしてください。"」そこに、ユダヤ人の清めの儀式のために、水瓶が六つ置いてあった。いずれも二、三メトレタ(80から120リットル)入りのものであった。イエスは召使たちに言われる、「水瓶に水をいっぱい入れよ。」口まで入れると、彼らに言われる、「さあ汲んで、宴会長に持って行きなさい。」彼らが持っていくと、宴会長は酒になった水をなめてみて、---彼はその訳をしらなかったが、水を汲んだ召し使いたちは知っていた。---宴会長花婿を呼んで言う、「だれでも初めに良い酒を出し、酔いがまわったころに悪いのを出すのに、あなたは、よくもいままで良い酒を取って置かれました。」イエスは、この最初の徴(しるし)をガリラヤのカナで行って、神の子たるその栄光をお現わしになった。」(ヨハネ福音書・岩波文庫)

 

 

ナザレ名物?ザクロ生ジュース

 ザクロ生ジュースを初めて飲んだ。おいしかった。だが、ゲリ気味になってしまった。純生ではなく水が混じっていたのではないか。教会のトイレに駆け込んだ。ひ弱な自分に嫌気がさした。まぁ、そんなこともある。

イエスの故郷ナザレの「受胎告知教会」

 立派できれいな教会。このあたりにマリアの家があったのだという。ダ・ビンチの「受胎告知」の印象的な絵が有名。大工ヨセフの妻で処女(?)のマリアが、大天使ガブリエルから、受胎を告知される。
 受胎告知(じゅたいこくち)は新約聖書に書かれているエピソードの1つ。一般に、マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってイエスを身ごもることを告げ、またマリアがそれを受け入れるという劇的な出来事である。不思議な話ではあるが、何か絵的な・劇場的な楽しさやおかしさがある。マリアの信仰は、キリスト教文化圏の芸術の中でよく取り上げられるテーマである。それが事実であったと思う人はいないが、そういうものとして受け入れられている。


レオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」。 フィレンツのウフィティ美術館蔵。
2007年に東京国立博物館で展示された。この「受胎告知」は息をのむすばらしさだった。

 聖書の中の「受胎告知」は、ルカ伝に詳しいが、つくり物っぽい苦しさが何かおかしいので、右にそのくだりを引いた。


教会に入ってすぐ左手に日本からのマリア・イエスの母子像がある。

「イエス誕生のお告げ
エリサベツが身ごもってから六か月目に同じ天使ガブリエルが、神からガリラヤのナザレという町の一人の乙女に遣わされた。この乙女はダビデ王家の出であるヨセフという人と婚約の間柄で、名をマリアといった。天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとごいっしょだ!」マリアはこの言葉にびっくりして、いったいこの挨拶は何事であろうと考えまどうた。天使がいった。「マリアよ、恐れることはない。神からお恵みをいただいたのだから。見よ、あなたは子をさずかり、男の子が生まれる。その名をイエスとつけよ。その子は大いなる者となり、いと高きお方の子と呼ばれる。神なる主は先祖"ダビデの王位を"彼に与え、彼は"永遠に"ヤコブの家の"王となり、"その国は果てしなく続くであろう。」マリアが天使に言った、「まだ夫を知らぬわたしに、どうしてそんなことがありましょうか。」天使が答えた、「精霊があなたの上に臨み、いと高きお方の力があなたをおおいかくすであろう。それゆえ、あなたから生まれるものは"聖"であり、神の子と呼ばれる。・・・神には何一つ出来ないことはないのだから。」マリアは言った、「かしこまりました。わたしは主の召使、お言葉のとおりに成りますように。」天使はマリアを離れ去った。」(ルカ福音書・岩波文庫)

 


絵はモザイクにより出来ている。金箔のタイルが効いて神々しくすばらしい出来栄え。
 

受胎告知教会は、これを記念して326年コンスタンチヌス大帝の母ヘレナの頼みにより、マリアの家の跡とされる場所に築かれた。受胎告知教会には世界各国のイエス・キリストを抱いたマリヤの肖像画が置かれている。教会への寄付の金額により教会建物内展示と外の回廊展示にわかれるという話だが、詳細は不明。
 日本のものは建物内の入り口近くにある。マリヤは着物を着て、イエス・キリストはふっくらとした和風っぽい子供に描かれている。なにか日本の殿様の奥方とその子といった感じ。奥方はマリア様としてもいい感じだか、イエスと思われる子供の顔はいかがなものか。イエスの顔はだれも見ていないのだから、金太郎のようなのも有りか。どの国の絵もお国柄が出ていて楽しめる。

 


山上の垂訓教会の丘の全景。 カリラヤ湖畔のこのあたりが垂訓の場として妥当ということか。
このあたりは緑の多い地域だが、現地ガイドさんの話では、イスラエルでは自然に生えている木は1本もなく、すべて植林されたものだという。実際95%は植樹されたものだという。そういえば、あたりの山には木が一本の生えておらず、ところどころに草が生えているだけだった。2000年前、イエス布教活動の時代に、このあたりの風景はどうだったのだろうか。これほど緑があったわけではなく、岩肌が露出したもっと荒涼とした風景ではなかったか。

山上の垂訓教会

 イエスの教えの中で重要な部分を占める山上の垂訓は、この教会の建つ山=丘でなされたとされる。この教会はその山(丘)の上に1930年に建てられた。

 大勢の群衆がイエスの後について、近くの山に上った。イエスは弟子や群衆に向かって口を開いた。
  以下、「マタイ福音書」(岩波文庫)より。
「ああ幸いだ、神に寄りすがる"貧しい人たち、"天の国はその人たちのものとなるのだから。
ああ幸いだ、"悲しんでいる人たち、"かの日に"慰めていただく"のはその人たちだから。
ああ幸いだ、"踏みつけられてじっと我慢している人たち、""約束の地なる御国を相続する"のはその人たちだから。
ああ幸いだ、神の義に飢え渇いている人たち、かの日に満足させられるのはその人たちだから。
ああ幸いだ、憐れみ深い人たち、かの日に憐れんでいただくのはその人たちだから。
ああ幸いだ、平和を作る人たち、神の子にしていただくのはその人たちだから。
ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。小躍りして喜びなさい。褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」


山上の垂訓教会。あたりには讃美歌を詠う集団や勉強会のような雰囲気のグループがいくつもあった。

 この教えの後に、イエスはさらに続けて、あなた達は「地の塩」であり、「世の光」であるという。

 さらに次のように続いている。
 「あなた達は昔の人がモーセから、"人を殺してはならない、"殺した者は裁判所で罰せられる、と命じられたことを聞いたであろう。しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、ただそれだけの理由で、天国の裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿という者は、最高法院で罰せられる。畜生という者は、火の地獄で罰せられる。」

 「あなた達は昔の人がモーセから、"姦淫してはならない"と命じられたことを聞いたであろう。しかしわたしはあなた達に言う。情欲をもって人妻を見る者は皆、見ただけですでに心の中でその女を姦淫したのである。


ヘブライ語だろうか美しい譜面。イエス垂訓の讃美歌のようだった。

それで、もし右の目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。体の一部が無くなっても、全身が地獄に投げ込まれない方が得であるから。もしまた右の手があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。手足が一本無くなっても、全身が地獄へ行かない方が得であるから。」

 「あなた達は昔の人がモーセから、"目には目、歯には歯"と命じられたことを聞いたであろう。しかし私はあなた達に言う、悪人には手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。裁判所に訴えて下着を取ろうとする者には、上着をもとらせてやれ。だれかが無理に一ミリオン行かせようとするなら、いっしょに二ミリオン行ってやれ。求めるものには与えよ、借りようとする者を断るな。」

 「敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。」


教会の中。中央に祭壇があり、それを周りから取り囲むような珍しいつくる。清潔な雰囲気。天上の窓には、イエスの「幸いかな」の8つの言葉がヘブライ語で書かれているようだった。

ここでのイエスの言葉の多くは、現代社会でも生きているし、私にも納得できる。だが、「右の頬を打ったら、左をも向けよ」や「情欲をもって人妻を見る者は皆、心の中でその女を姦淫した」、「右の目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ」などの極端な禁欲、マゾヒズムはいかがなものか。初期キリスト教がおかれた厳しい迫害の現実がそうさせたのか。特に、ユダヤの聖職者や学者に対して、「ああ禍(わざわい)だ、君たち聖書学者とバリサイ人、この偽善者!」と口をきわめて、悪口の限りを尽してののしっている。イエスは敵とするものに対しては、親、兄弟を含め容赦しない立場をとった。

 「見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。」
 
 「断食をしている時には、偽善者のように陰気な顔をしてはならない。」
 
 「あなた達は衣魚(しみ)や虫が食い、また泥棒が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、衣魚も虫も食わない、また泥棒が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。」
 
 「人を裁くな、自分が神に裁かれないためである。」
 
 「求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。」
 
 「何事によらず自分にしてもらいたいと思うことを、あなたたちもそのように人にしなさい。これが律法と預言者と(聖書)の精神である。」
 
 「狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。命にいたる門はなんど狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!」
 
 「偽善者に用心せよ、やさしい羊の皮をかぶって来るが、内側は強盗の狼である。」

イエスが彼らに言われる、「今獲った魚をすこし持ってきなさい。」シモン・ペトロが舟の上に上がって陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。こんなに大漁であったが、網は裂けなかった。
イエスが彼らに言われる、「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子のうちだれ一人、「あなたはどなたですか」と敢えて問尋ねる者はいなかった。主だと気付いたが、なんとなく変だったからである。イエスは来て、パンを手に取って彼らに渡された。魚も同じようにされた。イエスが死人の中から復活されたのち、弟子たちに自分を現わされたのは、これですでに三度目である。」 (ヨハネ福音書)
 一度目は、マグダラのマリアだった。

 

ペテロ首位権の教会

 ガリラヤ湖畔の静かな森のはずれにあるこじんまりとした教会。小さいがなかなか趣きがある。
 聖ペトロ首位権教会には「メンザ・クリスティ」=「キリストの食卓」と呼ばれる岩がある。復活後のイエスがペトロたち弟子に食事を与えたとされる岩だそうだ。

  「もう夜も明けたころに、イエスがどこからともなく岸に出てこられた。それでも、弟子たちはイエスだとは気づかなかった。イエスが彼らに言われる、「子どもたち、何も肴はあるまい。」「ありません」と彼らが答えた。イエスが言われた、「舟の右側に網を打って御覧、獲物があるから。」網を打つと、はたして獲れた魚が多く、もはや網を引き上げることができなかった。
するとイエスの愛しておられた弟子が気づいて、ペトロに、「主だ」と言う。「主だ」と聞くと、シモン・ペトロは裸同然だったので、上着をひっかけて湖に飛び込んだ。
ほかの弟子たちは魚のはいっている網を引っぱりながら舟で来た。陸から遠くなく二百ペキュン(100m)ばかりしか離れていなかった。
彼らが陸に上がって見ると、炭火がおこしてあって、上に魚が一匹のっており、またパンがあった。
(←左に続く)


パンと魚の奇跡の教会の床のモザイク(イミテーション)。このモザイクの意匠がきれいなので、いろいろなお土産に使われている。

パンと魚の奇跡の教会

 この教会を訪れた時には閉館していて中には入れなかった。教会の代わりに、5つのパンと2匹の魚のモチーフのモザイクの床で我慢することにする。
 イエスはここで、5つのパンと2匹の魚で5000人を満腹にしたという。
 イエスの言動を今に伝える福音書は、その成立年代順にマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4つがある。イエスが起こした多くの奇跡のなかでも、この「パンと魚の奇跡」だけが4つの福音書すべてに書かれているという。有名な奇跡の話のひとつである。
 この教会はそれを記念して建てられたベネディクト派の修道院。

 こういう人々に喜びを与える奇跡の話は、4つの福音書にふんだんに盛り込まれている。イエスが神の子であることの証明のための話なのか。それにしてもなぜこんなにたくさんの奇跡物語が必要だったのだろうか。悟りや成仏に興味をもつ仏教徒にはこのような奇跡物語は違和感がある。


跡の上の舟型の建物。遺跡は、ユダヤ教の教会ともいえるシナコーグ(会堂)。

イエスの宣教の地「カペナウム」

 イエスは、洗礼者ヨハネが牢に入れられたと聞くと、カペナウムに行って住んだと聖書にはある。
 カペナウムはローマ時代、主要街道の側にあって、ユダヤ人の町として繁栄していた。

 イエスは「悔い改めよ!天の国は近づいた」と言って教えを説き始めた。 
 漁師のペトロに「人間をとる漁師にしよう」と言う。
 イエスは、「ガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、二人の兄弟、ペトロと言われたシモンとその兄弟のアンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。「さあ、ついて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と言われると、彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。
 

また、そこから進んでいって、他の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父のゼベダイと一緒に舟の中で網を繕ってているのを見て、お呼びになった。彼らはすぐ舟と父とを残して、イエスに従った。」 (マタイ福音書) 

 「人間をとる漁師」というのは表現が生々しい。イエスの弟子獲得や布教活動には、神の子にしては救済保証や脅かしや厳しい悪口など生々しい現実的な対応が際立っている。

 上のシナコーグはめずらしい8角形をしており、ペテロの家があった場所に建てられた会堂だといわれている。

 


 イエスの時代のガリレア湖で使われていた舟。(上はその模型)渇水期にガリレア湖畔で発見された。

「ガリラヤのモナリザ」 ツィッポリ国立公園

 この地方は、モザイクが盛んでどの遺跡にもよくうつくしいモザイクが発見されている。
  ツィッポリ国立公園にある貴族の住居の寝室と思われる部屋の床から、「ガリラヤのモナリザ」といわれるモザイク画が発掘された。
 ローマ時代(3・4世紀頃か)のものと思われ、めずらしく写実的で生々しい。「ガリラヤのモナリザ」はこれが古代のモザイクかと思われるほどすばらしい出来栄え。寝室の床にこのようなモザイクを貼れるほどの富みと高い文化性をもっていたことに驚かされる。
 写真はやや扁平になっているが、あの有名なモナリザより歳若く初々しく、魅力的なモナリザである。

ヨルダン川

 ヨルダン川はイスラエルの北端のヘルモン山(標高2,814メートル)などから流れ出てガリレア湖に流れ込み、さらにガリレア湖から流れ出て死海にそそいでいる。死海から先には出口はない。延長425km。
 川の名前は有名だが、実際は左の写真に見られる程度。写真はガリレア湖から流れ出たヨルダン川。
 イエスはこの川のほとりで、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた。
 ガリレア湖を出たヨルダン川は、イスラエルとヨルダンの国境になっている。古代よりヨルダン川は農業に必要な豊富な水を提供ししてきたため、農業とともに早くから文明も発達していた。

   
photo by miura 2012.3
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