イエス布教活動の地 ガリラヤ Galilee |
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ガリラヤ南部の端は緑が濃いが、北の方は岩肌の山がが続いている。ガリラヤ湖は砂漠に取り囲まれているが、海抜-200mの湖畔は緑が多く過ごしやすい気候のようだ。2000年前の気候はどうだったのだろうか。 |
ガリラヤ湖畔 [地図] ガリラヤ湖はヨルダン渓谷の北端にある淡水湖。周囲53キロメートル、南北に21キロメートル、東西に13キロメートルの大きさ。最大深度は43mとそれほど深くはない。海抜マイナス213mで、湖としては死海につぐ海抜の低さだが、純粋な淡水湖である。ローマ帝国統治時代に用いられた呼び名ティベリアスに由来して「ティベリアス湖」とも呼ばれる。イエス・キリストゆかりの布教活動の場所として有名。 |
結婚披露宴の1風景。幹線道路を、新郎を担ぎ上げて新婦の家に向かうのだそうだが、私たちの乗ったバスは30分はこの騒ぎの後に続いた。たまには、こんな派手な披露宴もあるそうだが、これが一般的というわけではないようだ。 |
ベツレヘムで生まれたイエスは、ユダヤの統治者で猜疑心の強いへロデ王の迫害を逃れ、主のお告げによりエジプトへ逃げた。やがてヘロデ王が死ぬとさらにお告げによりイスラエルに戻った。ヘロデ王の子アケラオが王位を継ぐと、また怖ろしくなって、ガリラヤ地方のナザレに行って住んだ。聖書でははっきりとは書いてないが、イエスはナザレで幼児から青年になるまでを過ごしたようだ。 旅の行きの飛行機の中では、聖書を読んでいた。若いときに興味から読んだことがある程度だが、読んでみると面白い。若いときにはわからなかったことが、それなりに理解できるような気がする。だが、聖書は睡眠薬かもしれない。素人には、同じような内容の福音書を4種類読むのは骨が折れる。マタイとヨハネを拾い読みする。睡眠。 |
「婚礼教会」 |
フランチェスコ修道会の婚礼教会
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「カナの婚礼
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ナザレ名物?ザクロ生ジュース ザクロ生ジュースを初めて飲んだ。おいしかった。だが、ゲリ気味になってしまった。純生ではなく水が混じっていたのではないか。教会のトイレに駆け込んだ。ひ弱な自分に嫌気がさした。まぁ、そんなこともある。 |
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イエスの故郷ナザレの「受胎告知教会」 立派できれいな教会。このあたりにマリアの家があったのだという。ダ・ビンチの「受胎告知」の印象的な絵が有名。大工ヨセフの妻で処女(?)のマリアが、大天使ガブリエルから、受胎を告知される。 |
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レオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」。 フィレンツのウフィティ美術館蔵。 2007年に東京国立博物館で展示された。この「受胎告知」は息をのむすばらしさだった。 |
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聖書の中の「受胎告知」は、ルカ伝に詳しいが、つくり物っぽい苦しさが何かおかしいので、右にそのくだりを引いた。
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「イエス誕生のお告げ
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絵はモザイクにより出来ている。金箔のタイルが効いて神々しくすばらしい出来栄え。 |
受胎告知教会は、これを記念して326年コンスタンチヌス大帝の母ヘレナの頼みにより、マリアの家の跡とされる場所に築かれた。受胎告知教会には世界各国のイエス・キリストを抱いたマリヤの肖像画が置かれている。教会への寄付の金額により教会建物内展示と外の回廊展示にわかれるという話だが、詳細は不明。
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山上の垂訓教会の丘の全景。 カリラヤ湖畔のこのあたりが垂訓の場として妥当ということか。 このあたりは緑の多い地域だが、現地ガイドさんの話では、イスラエルでは自然に生えている木は1本もなく、すべて植林されたものだという。実際95%は植樹されたものだという。そういえば、あたりの山には木が一本の生えておらず、ところどころに草が生えているだけだった。2000年前、イエス布教活動の時代に、このあたりの風景はどうだったのだろうか。これほど緑があったわけではなく、岩肌が露出したもっと荒涼とした風景ではなかったか。 |
山上の垂訓教会 イエスの教えの中で重要な部分を占める山上の垂訓は、この教会の建つ山=丘でなされたとされる。この教会はその山(丘)の上に1930年に建てられた。 大勢の群衆がイエスの後について、近くの山に上った。イエスは弟子や群衆に向かって口を開いた。 |
山上の垂訓教会。あたりには讃美歌を詠う集団や勉強会のような雰囲気のグループがいくつもあった。 |
この教えの後に、イエスはさらに続けて、あなた達は「地の塩」であり、「世の光」であるという。 「あなた達は昔の人がモーセから、"姦淫してはならない"と命じられたことを聞いたであろう。しかしわたしはあなた達に言う。情欲をもって人妻を見る者は皆、見ただけですでに心の中でその女を姦淫したのである。 |
ヘブライ語だろうか美しい譜面。イエス垂訓の讃美歌のようだった。 |
それで、もし右の目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。体の一部が無くなっても、全身が地獄に投げ込まれない方が得であるから。もしまた右の手があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。手足が一本無くなっても、全身が地獄へ行かない方が得であるから。」 「あなた達は昔の人がモーセから、"目には目、歯には歯"と命じられたことを聞いたであろう。しかし私はあなた達に言う、悪人には手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。裁判所に訴えて下着を取ろうとする者には、上着をもとらせてやれ。だれかが無理に一ミリオン行かせようとするなら、いっしょに二ミリオン行ってやれ。求めるものには与えよ、借りようとする者を断るな。」 |
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「見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。」 「断食をしている時には、偽善者のように陰気な顔をしてはならない。」 「あなた達は衣魚(しみ)や虫が食い、また泥棒が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、衣魚も虫も食わない、また泥棒が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。」 「人を裁くな、自分が神に裁かれないためである。」 「求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。」 「何事によらず自分にしてもらいたいと思うことを、あなたたちもそのように人にしなさい。これが律法と預言者と(聖書)の精神である。」 「狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。命にいたる門はなんど狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!」 「偽善者に用心せよ、やさしい羊の皮をかぶって来るが、内側は強盗の狼である。」 |
イエスが彼らに言われる、「今獲った魚をすこし持ってきなさい。」シモン・ペトロが舟の上に上がって陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。こんなに大漁であったが、網は裂けなかった。
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ペテロ首位権の教会 ガリラヤ湖畔の静かな森のはずれにあるこじんまりとした教会。小さいがなかなか趣きがある。 「もう夜も明けたころに、イエスがどこからともなく岸に出てこられた。それでも、弟子たちはイエスだとは気づかなかった。イエスが彼らに言われる、「子どもたち、何も肴はあるまい。」「ありません」と彼らが答えた。イエスが言われた、「舟の右側に網を打って御覧、獲物があるから。」網を打つと、はたして獲れた魚が多く、もはや網を引き上げることができなかった。 |
パンと魚の奇跡の教会の床のモザイク(イミテーション)。このモザイクの意匠がきれいなので、いろいろなお土産に使われている。 |
パンと魚の奇跡の教会 この教会を訪れた時には閉館していて中には入れなかった。教会の代わりに、5つのパンと2匹の魚のモチーフのモザイクの床で我慢することにする。 |
遺跡の上の舟型の建物。遺跡は、ユダヤ教の教会ともいえるシナコーグ(会堂)。 |
イエスの宣教の地「カペナウム」 イエスは、洗礼者ヨハネが牢に入れられたと聞くと、カペナウムに行って住んだと聖書にはある。 |
また、そこから進んでいって、他の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父のゼベダイと一緒に舟の中で網を繕ってているのを見て、お呼びになった。彼らはすぐ舟と父とを残して、イエスに従った。」 (マタイ福音書) 「人間をとる漁師」というのは表現が生々しい。イエスの弟子獲得や布教活動には、神の子にしては救済保証や脅かしや厳しい悪口など生々しい現実的な対応が際立っている。
上のシナコーグはめずらしい8角形をしており、ペテロの家があった場所に建てられた会堂だといわれている。
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イエスの時代のガリレア湖で使われていた舟。(上はその模型)渇水期にガリレア湖畔で発見された。 |
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「ガリラヤのモナリザ」 ツィッポリ国立公園 この地方は、モザイクが盛んでどの遺跡にもよくうつくしいモザイクが発見されている。 |
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ヨルダン川 ヨルダン川はイスラエルの北端のヘルモン山(標高2,814メートル)などから流れ出てガリレア湖に流れ込み、さらにガリレア湖から流れ出て死海にそそいでいる。死海から先には出口はない。延長425km。 |
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photo by miura 2012.3 |