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ヴィアドロローサ(悲しみの道) Via Dolorosa



ローマ総督ピトラ邸のあった場所。

ヴィアドロローサ [地図]

 エルサレム旧市街北東にあるエッケホモ教会から聖墳墓教会とを結ぶ曲がりくねった小道は、ヴィアドロローサ(悲しみの道)と呼ばれている。
 聖書によれば、イエスはピトラ邸のあったアントニアの要塞(左写真のミナレットの場所)で死刑判決を受け、十字架を担いで処刑の場のゴルゴダの丘まで歩いたということであり、そうと信じられているルートがヴィアドロローサである。この道に沿ってイエスにまつわる出来事を記念した14のステージが設けられている。
 聖書に記載のない場面もあるが、以下に展開を追ってみる。場面の側の建物には場面番号の表示がついていた。どうしてその場所と特定できたのだろうというような疑問は、ここでは野暮というものか。


十字架を背負わせれるイエスの絵。

イエス死刑判決をうける (第1場)

 「一夜明けると、大祭司連、国の長老たち全最高法院は満場一致でイエスの死刑を決議した。それから彼を縛り、引いていって総督ピラトに渡した。・・・
総督はイエスに問うた、「お前がユダヤ人の王か。お前はその廉(かど)で訴えられているが。」イエスは言われた、「そう言われるならご意見にまかせる。」・・・
 ピトラは言った、「イエスは、いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく「十字架にかけるのだ」と叫び続けた。ピトラは自分のすることがなんの甲斐もないばかりか、かえって騒動がおこりそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血を流すことに責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」・・・
ピラトは、イエスの方は鞭打ったのち、十字架につけるため兵卒に引き渡した。 」(マタイ福音書)
 


通りは味のある色合いの花崗岩のブロックで囲まれている。

 上の写真は教会関係者だろうか、特製の十字架を担いで歩くグループが目に着く。観光客用に十字架を貸し出しているところもあるようだ。

イエス十字架を背負う(第2場)

 兵卒たちは、イエスの着物を剥(は)いで、自分たちの緋(ひ)の外套(がいとう)をきせ、茨(いばら)の冠(かんむり)を編んで頭にかぶらせ、右手に葦(あし)の棒をもたせて王に仕立てて、「ユダヤ人の王、万歳!」と言ってなぶった。
 その後、外套を脱がせてもとの着物を着せ、十字架につけるために引いていった。

 フランシスコ会の教会のあたりで、イエスは鞭打たれ、十字架を背負わされたとされる。

イエス、倒れる(第3場)

 鞭打たれたイエスには、体力が残っていなかった。やがてイエスは十字架の下に倒れ伏した。

 聖書には直接の記述はないが、ここで倒れ伏したのだろうと信じられている。 あたりには、ポーランド・カトリック教会がたてられている。


イエスを見つめる母マリアのレリーフ。

母マリア、イエスを見る(第4場)


 アルメニア・カトリック教会。母マリアが群衆に混じってイエスを見まもった。これも聖書の記述はないが、そうであったろうと信じられている。


フランシスコ会の礼拝堂の近く。

クレネ人シモン、イエスの十字架を担ぐ(第5場)

 「兵卒らがイエスを刑場に引いていく時、シモンというクレネ人が野良から来て通りかかったので、つかまえてイエスの十字架を背負わせ、イエスの後から担いでゆかせた。イエスにはもう負う力がなかったのである。」(ルカ福音書)

 聖書には、イエスが十字架を背負って歩く様子の具体的な記述がないのに、クレネ人シモンがイエスに代わって十字架を担がされたと記述されている。これは何を意味するのだろうか。罪人イエスに代わって十字架を担ぐということは、それほどイエスの体力がなくなっていたという事実をいいたかっただけなのだろうか。


聖ベロニカ教会。 ベロニカが住んでいた家と信じられている

ベロニカ、イエスの顔を拭う(第6場)

 聖ベロニカ教会。ここはおそらくベロニカの家のあったであろう場所で、ベロニカはイエスの顔をベールで拭った。

 これは聖書には直接の記述はないが、ベロニカのベールの伝説が残っているようだ。聖書に記述もないのに不思議な話である。


建物には場面番号の表示板が掛っている。

イエス、倒れる 2度目(第7場)


 イエスが倒れる時にこの壁に手をついた?

 イエスは、十字架の重みでまた倒れた。二度目である。


ギリシャ正教の修道院の壁にはめ込まれたラテン十字架。

イエス、エルサレムの娘たちを慰める(第8場)


 ラテン十字架。これが何を意味するのかは不明。
 「民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群れが、あとに続いた。イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。」」(ルカ福音書)


コプト教会の入り口付近。

イエス倒れる 3度目(第9場)

 十字架の重みに押し潰され、イエスが三度目に倒れたであろうといわれる場所。

 担いできた十字架はここで降ろす。

 正面に見えるのは聖墳墓コプト教会とその入り口。
 このあたりの丘がゴルゴダの丘ということになるが、ゴルゴダとはしゃれこうべという意味。墓地があった場所だとも初め人間のアダムの頭蓋骨が埋葬された場所だとも言われる。
 肌色の石積みの塀や建物がエルサレムの色として似合っていた美しい。

 以下、10場以降は聖墳墓教会の中にある。

イエス、服を脱がされる(第10場)

 「人々は苦痛をやわらげるために、苦(にが)よもぎを混ぜた葡萄酒を飲ませようとしたが、なめただけで、飲もうとされなかった。兵卒らはイエスを十字架につけると、籤(くじ)を引いて、その着物を自分たちで分けたのち、そこに座って見張りをしていた。」(マタイ福音書)

 これが聖墳墓教会の中庭かに見た複雑な外観。内部は一層複雑で、複数の教会が入り乱れていて、どういう経路で出て来れたのかよくわからない。
 どこの国のガイドさんも大きな声でそれぞれの言語で熱心に説明していた。 こういう場面ではどうしても熱が入ってしまうようだ。ここがエルサレムのクライマックスか。



聖墳墓教会の中庭より。聖墳墓教会は複数の教会の寄合所帯になっていて、複雑な構造になっている。


教会のある入り口の前で門番をしているらしい牧師さん。厳しい禁欲生活のなかでやつれ疲れている様子で、場所にマッチして絵になる。

 聖墳墓コプト教会。聖墳墓教会の中ではもっともまとまっている外観。 いつの頃からの建物だろうか。聖墳墓教会として、その歴史をすべて見てきたといったアナーキーな雰囲気と威厳を醸していた。

イエス、十字架に釘つけに(第11場)

イエス、息を引き取る(第12場)

 「イエスは大声を出して、「エリ エリ レマ サバクタニ!」と叫ばれた。これは「わたしの神様、わたしの神様、わたしをお見捨てになりましたか!」である。・・・
イエスはふただび何か大声で叫ばれると共に、息が切れた。 」(マルコ福音書)

イエス、十字架から降ろされる(第13場)

 「夕方になると、アリマタヤ生まれの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子であった。この人がピラトの所に行って、イエスの体の下げ渡しを乞うた。そこでピラトはそれを渡すように命じた。」(マルコ福音書)

左は、イエスが十字架から降ろされた石。
ここでイエスの体に油が塗られ、 清らかな亜麻布(あまぬの)で包まれた。


絵は、イエスが十字架から降ろされる様子の絵。


聖墳墓教会の中に飾られている、イエス埋葬の様子の絵。

聖墳墓教会の中にあるイエスの墓

イエス、墓に葬られる(第14場)

 「ヨセフは体を受け取り、清らかな亜麻布(あまぬの)で包み、岩の掘らせた自分の新しい墓にそれを納め、墓の入り口に大きな石をころがしておいて、立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残って、墓の方を向いて座っていた。」(マルコ福音書)

 聖墳墓教会の中にあるイエスの墓。

 紀元614年に、ペルシャ軍によりこれらの建物は破壊されたが、その後再建された。1009年にカリフ・ハキムによりもう一度破壊されたが、再び部分的に変換され、十字軍のエルサレム征服後、再建された。


 イエスの墓の周りは、各国のガイドの声と人々の感嘆の声で異様な雰囲気。とても物静かな仏教徒が近づけるような場所ではない。
 イエスの墓に入るためには、この参列者の後に続かなければならない。諦める。
   
photo by miura 2012.3
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