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リオデジャネイロとブエノスアイレス  



リオテセシセャネイロの代表的な岩山ポン・デ・アスーカルからの市街の全景。 ケーブルカーを乗り継いで登る。この眺めは必見。
コルコバードの丘のキリスト像
コルコバードの丘のキリスト像。明るく開放的で、陰湿さはない。
こういう場所では、誰もがノー天気に楽しめる。

リオデジャネイロ

 2011年2月、日本から南米行きの直行便はない。成田からアトランタまで12時間30分、7時間もアトランタで時間をつぶして、さらにリオデジャネイロまで9時間45分、地球の裏側まで12時間で行けると思っていたら、正味22時間延べ29時間もかかった。

 左の写真は、お決まりのコルコバードの丘のキリスト像。両手を広げた立ち姿がとてもよいが、その真似をする人が絶えない。市内から登山電車で30分ほどで丘の上に立つことができる。丘の上に大きなキリスト像が立っている、ただそれだけのこと。そのシンプルさがいいのだという。
 左下の写真は、像の足元から展望台を見降ろしたもの。ノー天気な世界中の観光客が記念撮影にいそしんでいた。


リオデジャネイロの街をバックに記念撮影。筆者も中央に映っている。

 観光客をしり目に、交通量の多い道中でものを売っていた少女。彼女は生活をかけて仕事をしているのだ。ブラジルの人種構成は、白人54%、ムラート(白人と黒人との混血)39%、黒人6%。彼女のはムラートだろうか。そのたくましさにブラジルの可能性を感じた。


コパカバーナ海岸。あちらの娘さんたちは出るところがボンボンと出ているピチピチギャルといった感じ。おばさんはほとんどの人は太った焼きナスビだとか。

 リオといえば、ボサノヴァの曲で有名なイパネマ海岸とコパカバーナ海岸。なるほどいい海岸だ。 都市のすぐ傍に海岸があるというのは、いいことだ。仕事帰りにひと泳ぎという人も多いという。それがリオ流というものか。


カーニバル会場の様子。 近年、日本のカーニバルチームや個人が参加してよい成績を残したのだとか。お祭りには国境はない。

 もうひとつ。リオと言えばカーニバル。カーニバル会場のすぐ横で衣裳の貸出と着せ替えサービスをやっている。筆者もあやうく着せ替えられそうになった。お酒なしのお祭りはいまひとつ乗り切れないが、素面でのっている人もいた。


大統領府の向かいにある通りと大聖堂(右)。建物の立派さは経済破綻を感じさせない。広大ない土地と資源、国際経済と国際社会を泳ぐマネジメントをマスターすれば、経済成長も間違いなしか。

ブエノスアイレス

 アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。97%が白人というだけあって、街のたたずまいはヨーロッパ風で、南米に来たのに何か変な感じ。それぞれの国が建国の歴史をしょっている。

 古くから港があった地域のカミニート。船のペンキ塗りの仕事が家にまで及んだ街だという。


カミニートの中心的な街角。

 カミニートの街並み。南米の雰囲気プンプンで庶民的な観光地。何があるという訳ではないが、手作り感覚のかっての原宿といった感じ。こんな街角てビールをひっかけてボーと眺めているのも楽しい。


大統領府の向かいにある植民地時代のコロニア風政庁。 かってはもっと広い敷地の大きなたてものだったが、道路やビルに削られてしまったのだという。


 カミニートの多くのレストランの前では、タンゴの実演をやっている。しばらくみていたが、思わず見とれるほどの見事さ。本場のタンゴはいい。男女の足の絡みは間違いなくひとつの芸術。さすがタンゴの母国だけのことはある。だが、この踊りは素人では真似できない。


小劇場でのタンゴ。街中のタンゴとはまた一味違って、本場のタンゴをかぶりつきで満喫できる。足の上げ方やからめ方がマニアックですばらしい。
ビールを飲みながら見ていた。本場のタンゴはやはりいいものだ。

 一歩街に入るとチェ・ゲバラの写真やイラストが顔を出していた。アルゼンチンは彼の母国。医者にして革命家、ゲリラ活動の指導者、彼はいつの時代でも青年たちのヒーローなのだろう。

   
photo by miura 2011.2 mail:お問い合わせ
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