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マゼラン海峡
ビーグル水道
世界の果て

ウシュアイア(Ushuaia)とビーグル水道 (Beagle Channel)



ホテルから見た三角形のオリビア山。ウシャアイアの目印になっている。

世界の果てのウシュアイア [地図]

 フエゴ島に渡るのが9時間遅れたため、最南端のウシュアイアの町に到着したのは夜中の2時過ぎだつた。左の写真は翌朝のホテル前から見た三角形のオリビア山(1,331m)。その手前にウシュアイアの町がビーグル水道に沿って広がっている。南緯55度に位置するが、北緯55度はサハリンの北端になる。人口は約65,000人。
  ウシュアイアの気候は、年間を通して冷涼で、夏でも最高気温は15度、平均気温は10度に達しない。 緯度の割には寒さはそれほど厳しくなく、7月の真冬でも最低気温は零下4度、平均気温は0度。 気温の年間格差が小さく、降水量が多い。 樹木の多く生育していて、寒帯というより海洋性気候に近い。
 


街中からみたオリビア山

 ウシュアイアは先住民の言葉で「西に向いた湾」という意味。20世紀に入って市は凶悪犯を収容する刑務所の周りに発展していた。囚人の脱走を困難なものにするため、かつてイギリスがオーストラリアを流刑地にしたのにならい、アルゼンチン政府は首都ブエノスアイレスから遠く離れた、このフエゴ島という孤島に流刑地を造った。
 ここの刑務所を脱走し川に飛び込んで逃げようとするものもいたが、翌朝川から凍った状態で発見されたという。
 囚人たちは、山から木を切り出し、街を造った。切出した木を運搬するための鉄道も引いた。その鉄道は観光鉄道として最後の7kmを「世界の果て」号を走らせている。

 


街角から停泊中の大型客船が見える。

観光列車「世界の果て号」
観光鉄道で雰囲気はあるが、列車からの展望はほとんど期待できない。


何か場違いな感じのする超豪華大型船。


 岸壁近くに座礁船がそのまま停泊している。
 世界一周の大型客船や南極ツアー専門の豪華船(写真手前)が停泊していた。湾内には、南極ツアー専門の他の船がツアー中に氷に閉じ込められ、ツアーを中止して逃げ帰ってきたという船が停泊していた。


エンセナーダ湾クルーズの船に乗りウシュアイアを後にする。

ビーグル海峡を望む「エンセナーダ湾」クルーズ


オリビア山がひときは目立つ。


 湾の入り口に小さな島がありペンギンかと思ったらよく似ているが、ウミウという鳥だという。ペンギンにそっくりだが、海の上を助走してかろうじて飛び上がっていた。アザラシもウミウといっしょに岩の上で休んでいた。

 ビーグル水道は、1830年、英国フィッツ・ロイ船長率いるビーグル号とアドベンチャ3号が発見した。スペインが支配しているマゼラン海峡を避けて独自のルートを探っていた時だった。
 1914年、パナマ運河が完成すると、マゼラン海峡とプンタ・アレーナスとともにビーグル海峡とフシュアイアも歴史の舞台から降りるこになった。
 左の灯台は1919年、アルゼンチン軍によって、ウシュアイア湾への出入りのために建てられた。ウシュアイアのシンボルともなっている。
 この灯台は、世界の最果て、最南端の灯台ではないそうだが、観光で容易に行ける場所としては最南端の雰囲気を十分にかもしている。

 

刑務所博物館

 ウシュアイアの街は刑務所の囚人たちにより造られた。その中心になった刑務所が、現代では博物館になっており、刑務所での生活の様子とともにパタゴニアやウシュアイアの歴史や先住民の生活を伝えている。

 刑務所は中央の管理棟を中心に、放射状に個室や二人部屋などの監獄が配置されている。現在は、刑務所は半分は博物館、あと半分は海軍の施設として使われている。
 


先住民の写真。極地に近い寒冷地なのに裸同然で暮らしていたようだ。獣の毛皮を羽織っている写真もある。


 海で魚や貝を採っていた。
 博物館の内部は、左の写真のような各部屋ごとに展示室となっている。航海に使われた歴史的な船の模型や海難事故や遭難の場所などの記録が大変興味深い。


リフトに乗って氷河のふもとまで。

マルティアル氷河トレッキング

 ウシュアイアの背後に連なるマルティアル山脈にリフトで登り、そこから徒歩で「マルティアル氷河」までいくトレッキング。(歩行時間往復約2時間、歩行距離3.2km、高低差約310m)天候に恵まれれば、ウシュアイアの町並みやビーグル水道、チリ側の山々などの絶景が望める。
 スキーリフトで標高500mの終点まで上る。氷河からの風が強く寒い。


夏なのに冬山登山の様相に。 アイゼンを持っていないので、氷河までいけるかどうか。

 リフトを降りて30分。夏だというのに雪の山を登る。ここ数日で降った雪が残っていた。歩きにくいが冬山登山が体験できて楽しい。


 氷河を目前に、積雪のため進行を断念。ここからのウシュアイアの街とビーグル水道の眺望を楽しんで下山する。


ここがパンアメリカンハイウェイの終点だという。

パンアメリカンハイウェイの終点

  1940〜50年代にアメリカの大規模支援により、南北アメリカを1本線で結ぶパンアメリカンハイウェイが造られた。ウシュアイアでは国道3号線となっている。その終点がここウシュアイアの「ラパタイア湾」、ということらしい。とにかく世界の果てに行き着きたいという旅行者やドライバーやライダーたちはここを目指すのだという。
「ブエノスアイレスから3,079Km、アラスカまで17,848Km」とある。
 この地はかって、先住民ヤマナ族が暮らしていた。土地に凹みがありそこに小屋を掛けていた。貝塚なども発見されている。
 

 世界の果ての郵便局。桟橋の手前に赤いポストがある。そこに投函してもいいし管理人がいれば手渡ししてもいい。世界の果て郵便局の消印が入るそうだが、投函しもいつ日本に着くかは不明だという。試に投函したら3週間くらいで着いた。
 この郵便局は「世界の果て」ではない。南極にも郵便局ならあるという。

photo by miura 2014.2
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