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ペリト・モレノ氷河
フィッツ・ロイ
.トーレス・デル・パイネ
マゼラン海峡
ビーグル水道
世界の果て

エル・チャルテンとフィッツ・ロイ(Fitz Roy)



振り返るとペリト・モレノ氷河を囲む山々。

カラファテからエル・チャルテンへ地図]

  ペリト・モレーノ氷河を後にカラファテに向かう。氷河の方向を振り向くと左の写真のような風景が広がっていた。パタゴニアは不思議な場所だ。地理や気候がパタゴニア的なものを際立たせているようだ。太平洋からの湿気を含んだ偏西風がアンデス山脈にぶつかって雪を降らし、雪は積み重なって氷原を形成する。氷原から太平洋のフィヨルドと大西洋側の大地に氷河が流れ出す。大西洋側は乾燥した偏西風が強風となって吹きわたり、「風の大地」といわれる特殊な気候を生み出す。パタゴニアでは一日のうちにすべての気候を体験できるという。晴れ、曇り、雨、みぞれ、あられ、雪、なんでもあり。したがって、天気予報はないのだという。


アルヘンティーノ湖から見たアンデスの山々。

 西の雨が多い山沿いの場所には草木が茂り、南極ブナの森が形成される。一方、東の大西洋側の平原には冷たく乾いた風が吹き荒れ、農作物は育たない。そんな平原がゆるやかな起伏でどこまでも続いている。この平原で農作物が育てられたらと思う。だが、この気候や風景がパタゴニアなのだ。

 青い山、不穏な雲行き、エメラルドの湖。何もない、羊くらいしか育てられない不毛の大地。この風景がなぜか心を揺する。いつまで見ていても見飽きない。私の心が何かを語りたがっている。ツアー旅行なので、そのままにしてしまう。パタゴニアはこの世の果て、そう思わせる風景も魅力的である。そういうパタゴニア的なものが好きな人には気に入ってもらえるのではないか。


アルヘンティーノ湖のエメラルド色の湖面。

 アルヘンティーノ湖の水の色は、こんなエメラルド色。南パタゴニア氷原にある多くの氷河から溶けた水とビエドマ湖から流れてくるラ・レオナ川からの水からなっている。基本的に氷河が溶けた水の色はこんな色に見えるようだ。空の青を映しているのと、氷水の青色を反射し他の色を吸収する性質のためらしい。このエメラルド色は荒涼としたパタゴニア平原の異郷感によく似合っている。
 アルゼンチン最大の湖でその表面積は1,466 km2。琵琶湖の2倍以上の広さで、平均深度は150m、最も深い場所では500mある。
 カラファテから国道40号線を北上して3時間、目的地のエル・チャルテンを前にフィッツ・ロイの山が姿を現す。パタゴニアの荒野から見るフィッツ・ロイは、とうとうこんなところまで来てしまったという感慨を深くさせる。


カラファテからエル・チャルテンに向かう。ステップ気候の荒野の向こうにフィッツ・ロイの山々が見える。クリックで拡大。
写真の手前に囲いが続いている。パタゴニアの土地はほとんどすべてなんらかの所有が宣言され、囲いが設けられているのが目につく。せっかくの自然に私的所有が主張されているようで興ざめ。

エル・チャルテンの町の向こうにフィッツ・ロイが見える。蒼白日晴れ、ここはたしかにフィッツ・ロイ。

フィッツ・ロイ 地図]

 エル・チャルテンの町が前方に見える。その向こうにはフィッツ・ロイの山容が姿を現す。この風景を見た人は誰もその偉容で威容な異様の前で驚愕する。こんなすごい景色は見たことない。ペリト・モレーノ氷河は美しく見事だったが、フィッツ・ロイは予想を超えている。
 フィッツ・ロイはいつも雲をまとっている。先住民は煙の山=火山だと思っていた。19世紀の後半から20世紀にかけてパタゴニアは大開拓の時代に入る。ヨーロッパの各地から移民が海を渡ってやってきた。船はプンタ・アレーナスに着き、その近場から牧場の開拓が始まる。力のあるものは便のよい場所に自分の土地を所有し羊を中心にした牧場経営を始めた。成功したものはブエノスアイレスに住み貴族のような生活をするものもいたという。


エル・チャルテンの宿から、裏山越しにフィッツ・ロイが見える。正面の宿に泊まったのだが、ほとんど完全に山小屋だった。

 先住民は虐殺され駆逐され、多くは西欧人が持ち込んだハシカなどの病気で命を落とした。パタゴニア開拓史には彼ら先住民の姿はない。
  牧場をしきる牧童をアルゼンチンではガウチョと呼び、チリではバケリートと呼ぶ。 開拓の中心は彼らが担っていた。
 ビエドマ湖の北のフィッツロイ山麓にも開拓して牧場を開くものたちがいた。南緯49度のエル・チャルテンは彼らによって開かれた。しかし現代は、エル・チャルテンはフィッツ・ロイ登山やトレッキングの拠点として発展している。フィッツ・ロイとは、ダーウィンを乗せたビーグル号の船長ロバート・フィッツロイからつけられたもの。ビーグル号はイギリス海軍の調査船で、パタゴニアとティエラ・デル・フエゴ諸島の水路調査を行った。


デシエルト湖に向かう途中の北側から見たフィッツ・ロイ。

ウエメル湖・ウエメル氷河へトレッキング 地図]

 エル・チャルテン到着後、北部に位置する「デシエルト湖」を訪れ、「ウエメル湖」、「ウエメル氷河」を望む「展望台」までトレッキングとなった。(歩行時間往復約1.5時間、歩行距離約5km、高低差200m)
 バスで砂利道を2時間近く走り、途中のティッツ・ロイ・アドベンチャーキャンプで昼食。デシエルト湖を散策。砂利の道はデシエルト湖で途切れ、後は舟に乗るか歩いて進むしかない。この湖の向こうはチリ領になる。そして南パタゴニア氷原の北限近くになる。チリ側にも多数の湖が広がり、近くに町があるわけではない。


前方にウエメル氷河が見えてきた。


 ハイギグを始めてから1時間、南極ブナの森を抜けると、左の写真のような山を割って流れ出た氷河=ウエメル氷河が見えてきた。後ろのクリストン(2,050m)とベスピニアニ(2,146m)の山並みから出ている氷河である。


箱庭のように美しいウエメル湖。

 氷河はウエメル湖に流れ落ちている。かっては氷河は湖のあたりまで伸びていたのだろうが、今は後方にだいぶ引いてしまった。ウエメル湖はこじんまりとしたエメラルドグリーンの美しい湖である。フィッツ・ロイ山塊から流れ出るほとんどの氷河はこのような氷河湖を伴っている。
  ウエメル湖を見下ろす展望台でおやつをほおばりながら休憩。この箱庭のような自然の造形美を堪能した。日本人は庭や池が好きなので、この風景は日本人好みか。周りの南極ブナはやや背が低いがこの景色によくマッチしている。


やせ細ったウエメル氷河。 自然の荒々しさが感じられる。

 北側から見るフィッツ・ロイは2つの頂しか見えない。ちょっと寂しい感じ。
 南半球の北側は北半球の南側のようなものでいくらか日当たりがよく、氷河はやせ細ってしまうようだ。


正面はフィッツ・ロイ、右下の明かりはエル・チャルテンの町。

フィッツ・ロイの朝焼け

 翌日の早朝5時、エル・チャルテンの町外れの小高い丘=コンドル展望台に登って日の出を待つ。まだ朝日は顔をださない。フィッツ・ロイに朝日が当たり朝焼けする姿はこの世のものとは思われず美しいという。
 さっきまで雲がフィッツ・ロイ覆っていて朝焼けは無理かなと思っていたら、風が出てきて雲が動き出した。


フィッツ・ロイに朝日が当たり始めた。頂上付近にはまだ雲がかかっている。刻々と変化していくフィッツ・ロイ。クリックで拡大。

 フィッツ・ロイに朝日が当たり始めた。この世のものとは思われない美しさ。茫然と見とれては何枚もシャッターを切ってしまった。この風景を見るためにパタゴニアまでやってきた。


頂上付近の雲は最後までとれなかったが、この写真が最上のもの。 クリックで拡大。

カプリ湖トレッキング 地図]

 青く澄んだ湖越しに名峰フィッツ・ロイを望める絶好の展望ポイント=「カプリ湖キャンプ場」へのトレッキング。(歩行時間往復約4時間、歩行距離約10km、高低差330m)

 町外れまで歩いてそこからトレッキング開始。スタート地点には、フィッツ・ロイに鹿のディスプレイが付いているかわいい門があり、トレッキング・スタートの気分を盛り立てる。晴天、気持ちのよい丘を登る。

 30分くらい歩くと展望台に出る。ブエルタス川が眼下に広がり、遠くにはチリの山々が見える。川の右側にはエル・チャルテンやフィッツ・ロイを開いた開拓者の農園がある。こんな開放的な風景を右に見ながら、ゆるやかな丘を登っていく。
 今登っている右手のコンドル山にはコンドルの巣がある。運がよければコンドルが舞う姿をみることができるという。残念ながら、ワシしか見えなかった。

 


展望台からのフィッツ・ロイ 。 山の名前の看板と風景が対応している。

 フィッツ・ロイミラドール展望台より。あまりの素晴らしさにただただ見とれるだけ。この世のものとは思われない、三途の川の向こうのフィッツ・ロイ。このトレッキングコースのハイライトである。


展望台からのフィッツ・ロイ 。 クリックで拡大。

 中央の山がフィッツ・ロイ(3,405m)、左がポインセノット(3,002m)、右がメルーモス(2,574m)。この世にこんな姿をした山があったのか。フィッツ・ロイの姿は神々しささえおぼえる。この気分は何なのか。そうか、これはあの法隆寺の本尊、釈迦三尊像ではないか。主峰は釈迦如来であるにちがいない。ついつい手を合わせてしまった。

 パタゴニアまで来て、こんな山々をみることができるとは、地球の裏側まで来た甲斐があったというもの。フィッツ・ロイは想像以上の感動を与えてくれた。風景を見てこんな気分になったのははじめてである。
 先住民も、このフィッツ・ロイを神々の住む聖なる山として敬っていたという。


聖なる山フィッツ・ロイ。クリックで拡大。

 カプリ湖畔でフィッツ・ロイを見ながらレストランが用意した昼食をとる。 至福の昼食であった。


左のCの字の雪をかぶった山がソロ山。その右側にトーレ氷河がある。その左には奇峰セロ・トーレがあるはずなのだが。

トーレ湖とトーレ氷河トレッキング 地図]

 「トーレ湖」までのトレッキング。フィッツロイ等のアンデスの山々を眺めながらのトレッキング。天候が良ければ「トーレ湖」と「トーレ氷河」の背後に峻険なるセロ・トーレ(3,128m)が望めるとのこと。(歩行距離往復約7時間、約20km、高低差約200m)
 エル・チャルテンの町のすぐ横の裏山からトレッキングがスタートした。今日は往復20kmの長丁場、気合を入れて出発する。カプリ湖コースに比べると眺望はいまいちだが、南極ブナの林の中のトレッキングは天候にも恵まれて気持ちよかった。


山間部に入ると南極ブナの森が続く。パタゴニアの森の多くに南極ブナが茂っている。ブナに似ているが別の科だという。

 槍のようなセロ・トーレは上の写真のように雲の中。看板の絵だけで我慢するしかないようだ。かわりに左にCの字のソロ山(2,121m)が見える。セロ・トーレはフィッツ・ロイに続く奇鋒なのに、残念。
 芭蕉もいっている。
 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき


こころに残る一枚の写真となった。 クリックで拡大。

 トーレ湖に到着。このルートは風の通り道でとりわけ強風が吹くそうだが、案にたがわず、氷河を渡った冷たい風のため昼食どころが休憩もままならない。岩陰に潜り込もうとしたが先客の外人で満杯。仕方なく昼食はトーレ湖の手前にある南極ブナに囲まれたキャンプ場でとった。

この場面はたしか、見覚えがあるような気がして、

「あおじろ日破れ あおじろ日破れ
あおじろ日破れに おれのかげ
・・・
なみはあをざめ 支流はそそぎ
たしかにここは 修羅のなぎさ」
(宮沢賢治「イギリス海岸の歌」)

 前方にはトーレ氷河とトーレ湖、後ろの山の右手には奇峰セロ・トーレがあるはずなのだが、相変わらず雲の中。こういうこともある。手前に流れてきた氷と氷河とセロ・トーレの組み合わせは最高の絵になるばすだったのだが。それでもこの写真は私の好きな一枚になった。 
 強く冷たい風の中、早々に逃げ帰るしかなかったが、トーレ湖が心に焼き付き、思い出深いトレッキングとなった。

 帰りすがら、エル・チャルテンの街中で、強風の中で飲んだ生ビールが心にしみて、おいしかった。

 

photo by miura 2014.2
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