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8.エルフード・メルズーガ・アイト・ベン・ハッドゥ



途中で日没に。砂漠に沈む夕日が遠くの宿を浮かび上がらせていた。
観光の仕事を終えて家に帰るラクダたち。

エルフード

 エルフードは、フランス軍の駐屯地として造られた街。現在はサハラ砂漠観光の拠点となている。ここでバスから四駆に乗り換えて砂漠の宿へ向かう。

夕闇の中で見えてきた今晩の宿。 砂漠の中の怪しげな雰囲気満点のホテル。

エルフード ErfoudのMap


ホテルの裏庭。砂漠に直結している。色々な国の人たちが砂漠の雰囲気を楽しんでいた。

メルズーガ

 メルズーガは、モロッコの東部、サハラ砂漠北西部にある。エルフードの南東約50Km、アルジェリアとの国境に近い。レルグシェビと呼ばれる大砂丘に隣接するため、観光客が多い。メルズーガにはそういった観光客を泊めるためのホテルともキャンプともつかない宿泊所が、砂漠のあっちこっちに点在している。
 ホテルの裏手は砂漠に直結している。時間があれば砂漠の散策でもなんでもして砂漠を堪能してくださいといった趣向になっている。

メルズーガ MerzougaのMap


ホテルの裏庭から見た砂漠。熱くも寒くもなく、気持ちの良い砂漠の夕暮れが楽しめた。

 モロッコ中央部のアトラス山脈から南東の砂漠の方に流れ出た川は、いつしかサハラの砂漠に飲み込まれて消えていくのだという。

カスバの門をかたどったレストランにて昼食。


砂漠で見る朝日。

 夜、見上げれば満天の星。天の川も怖いほどよく見える。見慣れたオリオン座を探したが見つからない。離れの部屋に戻る途中、見上げるとちょうど真上にオリオン座のベルトの三ツ星が見つかった。冬の東京でよく見ていたオリオンのまんまだった。なぜか安心した。
 メルズーガみつけてうれしい夜更けのオリオン


砂漠の朝。太陽は向こうの砂山の上にある。

 満天の星は変わらない。天の川をとんと見たことのない日本人が多くなっている。ラクダ使いのベルベル人には天の川はどう見えているのだろうか。観光客はきれいといって喜ぶが、彼らにとっては夜の旅の最重要な道しるべとなっていたはず。

 朝5時、ラクダに乗って日の出を見に行った。
  地の果てのサハラで見つめた明けの明星

 10月の砂漠の明け方は、防寒具を着ていたがやや寒い。空気は乾燥して澄んでいる。昇る朝日を静かにたのしみたかったが、感動して騒いでいる人もいる。やや離れたところで一人楽しむのがよいようだ。


朝日の照らされて隣の砂丘に映った影。不思議な気分。

  朝5時に出発。朝日を見ての帰り道。みなさん満足してラクダに揺られている。でもラクダの旅人ではなく単なる物好きな観光客といったところ。いたしかたない。


朝日の中でみた幻想的な砂丘。遠くに宿泊した宿が見える。

 こんな砂漠の中のテントホテルもある。テントの住み心地は悪くなさそうに見える。砂漠が地かに感じられて面白いかも。こんなテントに連泊して砂漠を楽しみつくすといった趣向も悪くない。

集落のはずれによく見られたサッカー場


 砂漠の中の街を抜けると、すぐ砂漠が広がり、少年たちのサッカー場がよく見られた。ゴールのポールを設け、整地しただけの簡単なサッカー場だが、子供たちは元気よく走り回っていた。


 

9.アイト・ベン・ハッドゥの集落 要塞都市



アイト・ベン・ハッドゥ
の全景。対岸の見晴らしの良い高台から。

アイト・ベン・ハッドゥの集落 要塞都市 Ait Ben HaddouのMap

 ワルザザード近郊には、要塞化した村(街?)という意味のカスバが点在し、最も保存が良いアイト・ベン・ハッドゥは1987年に世界遺産に登録されている。映画のロケ地としても有名なこの村は、砂漠の民ベルベル人の住居がそのまま残されている。

 アトラス山脈の麓にあり、ワルザザートとマラケシュを結ぶ街道にある。映画『ソドムとゴモラ』『アラビアのロレンス』『グラディエーター』のロケ地としても有名な場所で、年間を通して多くの観光客が訪れている。
  現在も居住している住人が5家族ほど残っているが、ほとんどの住民は便利な対岸の住居に移住している。


 対岸のアイト・ベン・ハッドゥにかかる橋。
 2年前に愛想のない鉄骨の橋が渡された。橋は10mくらいの高さがあり集落の土塀の上に繋がっている。集落の人の利便性を考えてのことといわれているが、世界遺産の集落にこんな不愛想な橋ができるというのは信じられない、とガイドの人が言っていた。
 橋は多くの観光客が行きかい立派に役割を果たしているようにも見えるが、アイト・ベン・ハッドゥの集落の醍醐味は、川を渡って見上げた時の土塀の高さとカスバの威容にある。橋を渡ってしまってはせっかくの世界遺産も興趣半減というものかもしれない。ツワーによっては四駆で川を渡り下から門をくぐって集落の入るのもある。

村の中のカスバ的な住居。 下から見上げるとなかなか迫力がある。


アイト・ベン・ハッドゥの村の中心付近に2〜3件のお土産屋さんがある。ここからの眺めがよかった。

 アイト・ベン・ハッドゥは、古代より隊商交易の中継地として栄えた。この地にはカスバと呼ばれる邸宅が数多く建築され、中でも特に有力であったハドゥ一族が築いたのがアイット・ベン・ハドゥの集落。孤立した集落であるために、盗賊などの掠奪から身を守る必要があり、城塞に似た造りになっている。
 敵の侵入を防ぐため、集落への入口はひとつしかなく、通路は入り組んでおり、1階は窓がなく換気口の穴のみ。また、外壁には銃眼が施されている。集落の最上階には篭城に備えて食料庫がある。

 隊商交易の中継地といっても、この辺りはサハラ砂漠がアトラス山脈にぶつかる乾燥地帯であり、交易のメインルートではない。隊商や旅人といってもいつ盗賊に変貌するかわからない、交易のかたわら盗賊をし、盗賊をしながら交易もするといった、危ない地域だったのではないか。カスバといった城塞づくりの住居は、そんな歴史を思わせる。


 アイト・ベン・ハッドゥの中は迷路のような上がり下がりの道と、どれも似たような家が続いている。


 お店の前でベルベル人の民族衣装をつけたお兄さんを撮影。有料。

 家の中に案内してもらってミント茶をごちそうになった。土レンガのラセン階段を登って3以上の階だった。部屋に入るには履物を脱ぐ。床には絨毯がひかれ、外見とは異なり壁は白く塗られている。部屋の天井は桟が渡されかやぶき風に加工されていた。居心地は夏も冬でもよさそう。


青空に映える土色の塔が素朴で美しい。

 アイト・ベン・ハッドゥの集落では、現在は数家族しか住んでいない。川を挟んだオアシスにあるが交易路は対岸にあり、生活するのには川を渡らなければならず、不便である。そのため集落の多くの家族は対岸の便利な街に移り住んでしまったという。それでも古代遺跡のようなアイト・ベン・ハッドゥが昔の面影そのままに現代に残っていて、アジアのはずれの観光客を楽しませてくれるのはうれしい。
 ナツメヤシの畑は少ししかない、農作物を育てるような畑は川沿いにわずかに見られるだけ。辺りは荒涼とした石の砂漠。人々はどうやって生計を立てていたのか。交易ルートの旅人の世話をしていたのか。


 暑さ除けのため窓が少なく小さい。それでは家が暗くならないかと思うのだが。イスラムのお決まりのようなもので、家には中庭があり噴水ではないが井戸がある。各部屋は中庭に向けて大きく開いていて、明り取りの機能ももたしている。しかし、緑がない。

 村の中には車は入れない。狭く凸凹なのでリアカーも無理。荷物の上げ下ろしはもっぱら馬かロバの仕事となる。思いっきり荷物を積まされたロバが上がってきた。いささかつかれているようだ。


部屋の内部のカヤぶきの天井

アイト・ベン・ハッドゥの集落を抜けて小山を登っていくと、頂上に建物が見えてくる。なんの変哲もない四角い小屋。ここは穀物倉庫として使われていたようだ。

 アイト・ベン・ハッドゥの集落がある山の頂に、建物がぽつんと建っている。穀物倉庫として使われていたという。集落が襲われた際に最後の砦として閉じこもるための兵糧庫にもなった。兵糧庫の周りは壁で囲われている。


倉庫を囲む壁は薄く、大きな穴が開いていた。

 アイト・ベン・ハッドゥは内部を見ると、ほとんど泥壁しか見えない。やはり外部から見てイメージを膨らませたり、夢をみるように楽しむものであるようだ。
 やや名残惜しく アイト・ベン・ハッドゥを後にした。

 気になった話。モロッコでは2階部分が造りかけのような家が目立つ。家族が増えたらやお金ができたら2階部分を造る予定ということだが、建設途中の家には課税されないだめが本音だとか。何が本当かはわからない。

 


 

photo by miura 2017.5
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