5.カスバ街道 |
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サハラ砂漠がモロッコのアトラス山脈にぶつかるあたりの、東西を結ぶ交易ルートをカスバ街道という。古代から交易ルートだった。ラクダの隊商が行き交い、その街道の川沿いには古くから集落が発達し、その多くは城塞の街・カスバとなっている。盗賊まがいの隊商も多かったのだろう。 |
地下には水路があり、写真のような井戸からくみ上げる。 |
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地か水路の上の井戸がかなたまで続いていた。何なのだろう。 |
川では多くの女性や子供たちが洗濯をしていた。モロッコの川では普通に見られる風景。砂漠地帯では水の確保は容易ではない。 |
カスバ街道の神髄。こんな城塞の街があっちにこっちにと続いている。土のレンガで固めた城塞に今も人が住んでいるかどうかは分からない。新しい家は、ほとんどが白色に塗られているのですぐわかる。 |
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川沿いの典型的なカスバ。 |
ベルベル人の素朴な家。あまりに原始的で面白いので写真にとった。人が出入りしていたから使われていることはまちがいないが、住居というより仮の休憩場かもしれない。 |
右の写真の赤い車は、ホテル自動車。自動車で寝泊まりしながら観光するのだという。必要な食材は、地元のスーパーで調達する。ドイツから来た車で、乗客はドイツ人。やはりドイツ人は旅行好き、物好きが多いようだ。ドイツ人はイギリス人と並んで旅行が好きで、世界どこへ行ってもドイツ人とイギリス人がいるというのは世界旅行通には定評らしい。日本人も世界旅行が好きな民族だが、彼らにはまったくかなわないという。日本はアジアのはずれ。地理的なハンデが大きい。
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初めて見たホテルになっている自動車 |
タジン鍋のふたをとったところ。味付けは馴染めないが、悪くはない。 |
タジン鍋の独特のふた |
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トドラ渓谷 アカバ街道からアドラス山脈のほうに入ったところにはいくつかの渓谷がある。トドラ渓谷はその中でも最大の渓谷。 |
ベルベル人は戦闘に強いという話は多い。フランス人部隊はベルベル人に襲われると一目散に逃げだしたという。彼らが勇敢で戦闘に強いのを知っていた。プランス人は、ベルベルたちが制圧をした後の戦勝の宴が好きで、みんながベロベロに酔ってしまうことも知っていた。フランス人は、ベルベル人がベロベロに酔ったところで帰ってきて、難なく奪回するのだという。なにか面白いような哀しいような。 |
ベルベル人の女性の写真。女性は美人が多いらしい。 ベルベル人は自立意識が強く、戦闘でも強く、古来、反乱を繰り返してきたという。 「ファンタジア」というらしい模擬騎馬戦の写真の写真。やはりこちらの砂漠の民はこういう生き方が好きなのだろう。 |
左の岸にレストランがあったが、深夜、大岩が落ちてきて半壊した。レストランはしばらく開店していたが、客が入らないので閉店しているらしい。 |
住民の住居。土レンガを積み重ねて作られている。夏は涼しく、冬は保温性があり、それなりに快適だという。 この素朴な異郷感がたまらない。 |
アイト・ベン・ハッドゥ で見た立派な城塞住居・カスバ。イスラムとは異なるベルベル人素朴な意匠が独特の雰囲気を出している。のこのカスバもやがては右の写真のように朽ち果て自然に戻っていくのだろう。 |
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photo by miura 2017.10 |