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2.シャウエン 青の街



メディナ(旧市街)の路地の雰囲気。青でもなぜか違和感はない。
 シャウエン 青の街 ChaouenのMap

 シャウエン世界遺産、「青の街」として有名である。 シャウエンは、モロッコの北西にある都市で北部リフ山脈の麓、海抜610mにある。
 15世紀に、モロッコ北部のポルトガルの侵略と戦うための要塞として設立された。この地域の部族とともに、多くのイベリア半島のレコンキスタにより移ってきた人々とユダヤ人が、ここに定住した。
 1920年にスペインは、この地をスペイン領モロッコとして占領した。1956年のモロッコ独立により、モロッコの都市となった。
 シャウエンは、タンジェとスペインの飛地であるセウタに近いため人気の観光地である。この都市の名前は、町から見える2つの山の頂きがヤギの2つの「つの」のように見えることから来ている。

 この日はあいにく小雨混じりの曇り空。それでも街はご機嫌に迎えてくれた。


旧市街は山からの斜面につくられている。

 シャウエンの一角の旧市街地は青く色付けられた家や建物が多い。
 なぜ旧市街地に青い家が多いのか。青はユダヤ人にとって神聖な色だからといった理由やラベンダの花の青色からきているとかといった話があるが、本当のところはよくわかっていないらしい。
  20世紀に入ってから、なぜか旧市街地で壁を青く塗る家が多くなったという。それを外国の観光客がフェイスブックで紹介したことから、観光地としての評判が高まり、モロッコ屈指の観光地になったという。

 


 渋く味のあるアイン門をくぐってメディナ(旧市街地)に入る。入ってすぐにお土産の露店が続いている様がすざましい。

 新市街からアイン門をくぐってメディナ(旧市街地)に入る。
 路地は迷路のように入り組んでいる。メインの通路の両脇に半分露店の小さなお店がびっしりと並んでいる。そこを地元の人といろいろな国からの観光客でごったがえしている。アラビア語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・日本語などいろいろな国の言葉が入り乱れ、お店の売り込みと定価のない価格交渉と観光客の歓声とが入り混じった喧噪の中を黙々と歩いていく。アラビア語の看板や案内は残念ながら全く分からない。見るもの聞くものが、すべて珍しく面白い。街の色は徐々に青色を増していく。時々小雨が混じる曇天の中、これがモロッコのメディナかと噛み締めながら逍遥する。


 中にはこんな濃い趣味のよくない青もあった。 気持ちはわかるが。こんなところに住んでいて大丈夫なのだろうかと思う。

 青といってもいろいろな青がある。空の青や純粋な青、薄い青など、青色が好きな人にはたまらない。おおむね壁の下の方が濃い青、上になるにつれて青は薄くなっていき、その上はおおむね白色になっている。街を上から眺めると白色で、路地は青色に霞んでいるように見える。その色の変化や配色のバランスがよくできている。



さすがに朽ちていく青色の家も目立つが、かえってよい味を出している。屋根がほとんど崩れているが、なぜか印象に残る廃屋。つい何枚も写真を撮ってしまった。

 猫と犬。猫はどこの街角にもいて、人々から餌をもらいかわいがられているようだ。
 それに比べ、犬は虐待ではないが、あまり歓迎されていないようだ。どの犬も身の不遇を嘆いているような顔をしている。
 イスラムは、コーランにある記述の関係でお酒とブタ肉は禁止されている。同様に犬も不浄なものとされている。ムハンマドの趣味的なもののようにも思うのだが、イスラムの戒律となっているのだから仕方ない。ネコはかわいがられるが、犬はよい扱いはされていない。ナツメヤシの実は、ムハンマドも好きだったようでよく食べられている。国産では需要を賄えずに輸入もされているという。
 仏教でも肉食や飲酒は古来あまりすすめられてはいない。しかし、宗派により差はあるのだろうが、現代は肉食、お酒なんでもOKといった状態なのではないか。キリスト教も食べ物には緩い。

 モロッコの家の扉は一般にリッパなものが多いが、なんか雰囲気のある扉も多い。


川沿いの洗濯場のある風景。憩いの場でもあり社交場でもあるようだ。

 街はずれのオイサー門からいったん外にでる。
 すぐ後ろの山から流れ出た清流?があり、 女性たちの洗濯場がある。旧市街地の見晴らしがよいとのことだが、それほどでもなかった。
辺りにはハイカラで居心地のよさそうなCaffee屋がある。残念、楽しんでいる時間がない。 再び青の街へ引き返した。


サボテンの実。ある時期には食べられる。


 マクゼン広場からみたカスバ(砦)の塔。ポルトガルの侵略と戦うための要塞として設立ということだが、小さい砦で軍事的な脅威になるようなものとは思えない。

 マクゼン広場まで来て自由時間となる。広場に面してカスバ(砦)がある。有料だが、入ってみた。入るとすぐ中庭だが狭い。中庭を挟んで右手に塔、左手の建物は博物館。砦であるにしても小さく狭い。

 マクゼン広場を歩いていくロバ。あわれ深かったのでカメラを向ける。前を歩いているお爺さんとロバの恰好や雰囲気が同じだった。こういう風景によく出会うような気がする。既視感と懐かしい感じがいとおしい。

 シャウエンの山の中腹のホテルで朝5時半頃に眼が覚めてしまった。すると遠くでコーランの第一声、6時ころがピークで5〜6か所からコーランが聞こえてくる。5分くらい不思議な気分でぼーとして聞き入っていた。仏教の読経のようにも思う。ここは紛れもなくイスラムの国、青の街。

3.ティトゥアン 白壁の街



スペイン風の街並みから白の街へ

ティトゥアン 白壁の街 TetouanのMap

ティトゥアン 白壁の街 TetouanのMap

 モロッコ北部にある町。モロッコの地中海側にあり、北に40kmほどのところには地中海と大西洋を分かつジブラルタル海峡がある。タンジールからは東へ60km、ジブラルタル海峡に面したスペインの飛び地セウタからは南へ40km。
 1400年頃にはカスティーリャ王国により海賊行為への反撃として破壊された。15世紀末にはレコンキスタで(特に1492年のグラナダ陥落で)イベリア半島を追われた難民が押し寄せてテトゥアンを再建した。彼らはまず城壁を築き、その内部を家々で埋めた。
 旧市街地の横、丘の砦跡の下にスペイン・アンダルシア風の白い街が広がっている。




あいにくの雨だが、晴れていればまばゆい白壁の家々が光って見えるはずなのだが。

 スペインではテトゥアンは海賊(バルバリア海賊)で悪名高く、モロッコ・スペイン戦争中の1860年2月4日にはアイルランド王族の末裔であるスペインの将軍レオポルド・オドンネルがテトゥアンの戦いで勝利して町を占領した。彼は1862年5月2日の撤退までの間に町をヨーロッパ風に改造している。この改造は地元から憎まれ、結局市民によって改造の痕跡は全て破壊され、町はほぼ元の状態に戻った。オドンネルは後にスペイン首相となり、初代テトゥアン公爵を名乗った。(Wkipediaより)

 1429年、グラナダ陥落により逃れてきたイスラム教徒やユダヤ教徒たちが入植した町であるため、スベイン・アンダルシアの白壁の街のような、白い壁の家が多い。
 特にメディーナと呼ばれる旧市街地は低層の白い家々が立ち並び職人らが多く住み、この部分が世界遺産となっている。

 木の実屋さんがジュースを飲まないかと声をかけていた。私は現地の水にはとんと弱い。

 主な宗教はイスラム教だが、キリスト教徒の少数派もいる。また、メラーと呼ばれるユダヤ人地区も残る。これはヨーロッパでいうゲットーに似たもので、町から隔てられ、夜には門を閉ざされていた。
 スペイン風のきれいな街並みが続き、町の通りは広々としている。家の多くはイスラム時代のイベリア半島からレコンキスタで追われた貴族の末裔が住み、大理石の噴水やオレンジの木などを植えた中庭がある。家々の天井の彫刻や壁画も、グラナダのアルハンブラ宮殿に残る装飾に似た特徴を見せており、床や柱はタイルによるモザイクでおおわれている。


王宮の前の広場

メディナを囲む城壁。レンガ積みが朽ちていい味を出している。

 1997年に「テトゥアン旧市街」(テトゥアンのメディーナ)がユネスコの世界遺産として登録された。
 王宮のすぐ裏と右側にメディナ(旧市街地)が広がる。王宮じたいがメディナの中にある。



 モロッコはどこへ行ってもパンがおいしい。本当はまあまあいける程度。フランスの管理下にあった時代に駐留フランス人がおいしいパンの作り方を伝えたといわれる。
  メディナのあっちこっちにパン屋さんがあり、上の写真のように丸い大きなパンが積み上げられている。

 メディナ・旧市街地を取り囲む城壁。ここの城壁の高さは低いが、城壁は、石積みなのかレンガ積みなのか、なんとも言えないよい色と味をだしていた。


砂漠なのか荒れ地なのか草地なのかわからないような土地が続く。

 シャウエンからティトゥアンへは2時間のバス移動、ティトゥアンからフェズへは5時間のバス移動となる。山道をバスの最後尾で揺られるのはきついかと思い酔い止めの薬を1錠飲んだ。この薬が良く利いた。1日中車酔いのような気分で、もうろうふらふらしていた。飲まなければよかった。
 山脈が近づくにつれ一面の麦畑が広がる。とくどきオリーブ畑が現れる。多くは左の写真のような砂漠なのか荒れ地なのか草地なのかわからないような土地が続く。羊飼いと羊たちが歩いている。
  農耕の90%は人工的な灌漑により維持されていて収穫は天候に左右されることも多いという。そのためかモロッコは農作物輸入国になっている。小麦やとうもろこしは輸入にたよっている。


手入れの行き届いたオリーブ畑

 延々と続く麦畑を見るとこの国は砂漠のイメージがあるが農業国としての将来もあかるいのではないかと思える。
 モロッコの就労人口の約4割が農業に従事 しており、主な農産物は、小麦・大麦等の穀類、てんさい、ばれいしょ、トマト、オリーブ等(農林水産省より)。
 日本はモロッコからなぜか海産物のタコを輸入している。モロッコとタコがどうしても結びつかない。

 


丘の向こうにダム湖が見える。

 辺りは石ころの砂漠で人家のようなものは見えない。あるかなしか草を求めて羊たちがいる。かたわらで老人が長い影を落として座り込んでいる。辺りは石ころ、人家は見えない。

   
photo by miura 2017.10
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