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4.フェズ 迷宮都市メディナ



フェズの南の要塞跡からの旧市街全景。写真左が高い丘、右が低く川下になる。

フェズ 迷宮都市メディナ FesのMap

 紀元前40年ごろにはフェズから北西に50km離れた場所に建てられたローマ都市のヴォルビリスが繁栄していた。同時期のフェズには公衆浴場が存在していたと伝えられるのみ。
 8〜13世紀のイドリース朝、マリーン朝などのモロッコに存在した過去のイスラム王朝の多くはフェズを首都に定めていた。首都が他の都市に移された時であっても、フェズはモロッコ人にとって特別な都市であり続けている。
 最古の都市として約1000年の歴史を残す旧市街(メディナ)は、世界一複雑な迷路と言われている。

 迷宮都市フェズ旧市街地はみているだけでも、なにか胸騒ぐものがあり、みていて飽きない。


フェズの南の要塞跡からの眺望が面白くて何度もシャッタを切った。

 フェズの旧市街では105種類の手工業が営まれていると言われる。手工業に携わる職人たちは階級制に基づく同業者組合を結成し、それぞれの組合で伝統的な規則が敷かれている。職人たちが有する伝統的な技術の継承が奨励されており、伝統工芸の中でも皮なめしが特に名高い。
フェズには木綿、羊毛を扱う繊維業、精油、石鹸、なめし皮の工場が置かれている。旧市街にはなめし皮、染色、陶工などの工房、それらの手工芸品を販売する商店が路地に密集している。(Wikipediaより)

 そういうことで、旧市街地の中心に分け行くことになる。

 タンネリ(タヌリ)と呼ばれる川染めの工場。見ている場所は皮製品の販売所になっている。
 物欲しげな顔をしていたのだろうか、あっという間に羊の革のジャケットを買わされてしまった。革のジャケットが一番いい位置に飾ってあって、私を呼んでいた。試着した、気に入った、買ってしまった。怒られた。フェスのよい思い出になったと納得して愛用している。

 旧市街東のフェズ川下流の急斜面にはタンネリ(タヌリ)と呼ばれる川染めの工場が置かれ、モロッコ内で最大の規模を誇る。皮なめしの工房は汚水を排出するためフェズ川下流に設置されており、悪臭と染料による汚染の対策として、搬入・搬出は大通りから外れた通路で行われる。
 また、フェズブルーという名前の陶器が多く生産され、モスクの屋根瓦や食器として使われている。

染色作業者の横に、なぜか観光客とおぼしき人が。
染色の作業は相当な重労働のように見えた。


左側は皮のなめし壺、右側とその奥は染色の坪

 入口でミントの葉を受け取る。鼻につめて匂い消しとして使うのだそうだ。この日は風向のせいかほとんど匂いはなかった。

 手前では生々しい皮なめしが行われていた。

 町は革製品、絹のショール、赤色の帽子の取引の中心地でもあり、帽子は町の名前にちなんで「フェズ」と呼ばれている。


ブージェルード門の上が表、下が裏。青色と緑色のタイル張り。

ブージェルード門

 メディナ・旧市街地への入り口の門。8つあるうちのひとつ。メディナはどこも独特の趣がある。基本的には地元住民の生活市場なのだが、入り組んだ狭い路地にいろいろなお店やモスクや神学校や一般住宅が密集している。

 住民のおじいさんが観光客のカメラの前を迷惑そうに歩いていく。
 街の中は狭いので乗り物は馬やロバに手押し荷車。時々バイクを見かけるがなぜか自転車はほとんど走っていない。


羊の頭を飾っている肉屋さん。


 街はずれのタイル工房にて。中庭に飾ってあるタイル製品。飾りやテーブルとして使うのが一般的なようだ。

 フェズは古来、教育熱心な街だといわれる。多くの政治家や官僚や学者を輩出しているという。
 ダイドさんの話では、モロッコの識字率は36%だという。えっそんなに低いのといった感じだが、小学校への就学率は95%、高校就学率は53%、高校を卒業する生徒は15%でその大半は大学に進むという。就学率はそれほど低くはないが、途中退学者が多いのだという。義務教育ではなく権利教育という事情や多言語や女性教育の不平等などがあるという。インターネットで調べてみてもよくわからないが、近年は急速に改善され80%以上の識字率になっているようだ。モロッコでは高校までの教育費は無償だという。

 おいしそうなドーナッツ。ガイドさんの話では、おいしかったが、その後激しい下痢になったという。

 タイル工房で色付けの加工をしている女性。イヤホンで音楽を聴きながら仕事をしている。


メディナの中にある神学校


 モロッコは立憲君主制をとっており元首はムハンマド6世で、街中で見上げると写真が飾ってあったりする。色眼鏡を掛けている姿は東アジアのK国のK氏みたい。権力者は似たような恰好になるのか。


街のあっちこっちにあるCaffee

 大人の男や老人たちは、街のカフェーで昼間っからお茶をしている。ミント・ティーに砂糖を入れて飲むのが定番だという。どこの街に行っても、カフェーにたむろする男たちのすがたがあった。なんだが、うらやましいような侘しいような気分。女性たちは、畑仕事をし、家事、育児をしていて忙しそうにしているのだという。
 木陰で語り合う青年たちの姿がよく見られた。親しそうに、熱心にそして物憂げに語らっている姿が印象的だった。この国の青年たちは何を語らっているのだろうか。


アルガンオイルの共同組合について説明している。

 ガイドさんの話では、オーストラリアから持ってこられたユーカリの木は、このモロッコでもよく馴染んで街並みに緑を提供しているという。だが、地下に深く根を下ろし水分を吸収する力が強いため、他の植物は育たず、砂漠化をいっそう進める作用もあって問題になっているのだそうだ。

 アルガンオイルの説明をする係りの人。女性の自立を促す協同組合により生産と販売が運営されているのだという。
  エッサウィラの近くにあるシジ・ヤシンやアガディールが産地。アルガンの木の実を絞って精製する。化粧用と食用がある。
 アルガンの木の実はヤギが好んで食べるという。そのためアルガンの木にヤギが登って実を食べることもあるのだという。


アルガンの木の実をつぶしてアルガンオイルを抽出する女性たち。


 左が化粧用アルガンエイル。右のビンはアルガンオイル入りの蜂蜜。蜂蜜はトロミが強く味が濃くおいしい。

 

5.ヴォルビリス ローの遺跡



古代ローマ遺跡の遠景

ヴォルビリス ローの遺跡 VolubilisのMap

 モロッコにある古代ローマ遺跡。フェズとラバトの間で、メクネスの街に近い。北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態の遺跡のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されている。


遺跡の入口のアーチ。なぜか美しい。


街の中心にある集会場?議会?市場?

 ヴォルビリスはローマ帝国の勢力範囲の西限に位置する重要な都市だった。都市が建造されたのは、西暦40年頃のことだが、この町は紀元前3世紀来のカルタゴの施設群の上に築かれたと推測されている。
 この地は肥沃で、小麦やオリーブオイルなどを多く産出した。それはローマへと出荷され、この町に富と繁栄をもたらした。217年にはアントニヌス勅令を発してくれたカラカラ帝への感謝を捧げた「カラカラ帝の凱旋門」が建造された。

 


カラカラ帝の凱旋門
カラカラ帝の凱旋門

 西暦3世紀末にはローマ帝国はモロッコの大半から撤退したものの、他のローマ都市と異なり、ヴォルビリスは放棄されなかった。6世紀にはキリスト教徒の集落が、7世紀にはイスラムが席巻した。


街のメインストリート。先にはカラカラ帝の凱旋門。

 遺跡の入り口にある喫茶店。バスの出発まで時間があったのでビールをいっぱいいただいた。

7.メクネス・イフラン


メクネス

 城壁に囲まれた都市で、1675年から1728年までアラウィー朝の首都が置かれた。北部には、聖地ムーレイ・イドリスや古代ローマ遺跡で世界遺産に登録されているヴォルビリスの古代遺跡がある。
 立派な城壁が囲みイスラム風の立派な門がいくつかある。

メクネス MeknesのMap

 


城壁内の市場と広場


道沿いにあるライオンの像

イフラン IfraneのMap

イフラン

 モロッコのスイスと言われる。フランス風の避暑地になっている。サクランボ祭りなどでも有名。
 ここでバス休憩。喫茶店でミント茶とケーキをいただく。なるほど、ケーキはフランス調か。


川沿いのオアシスとナツメヤシの林。

アトラス山脈を越えてエルフールへ

 アトラス山脈の岩山を縫って流れる川の両岸にナツメヤシの林が広がり、土レンガの人家が点在している。
 後ろの岩山には1本の木もない。夏の昼間の気温は40度で雨はほとんど降らない。川沿いにナツメヤシの木が植えられメインの産物となっている。小さな畑は自給も難しそうだ。

  ナツメヤシの実を販売しているパーキングにバスは止まった。地元でとれたナツメヤシを販売している。試食した。おいしかった。お土産に1パック買った。


休憩中のバス

 ベルベル人の青年がこの地方の民族衣装でカメラに納まってくれた。もちろん有料、5DH。

 子供たちが草で編んだラクダを2DHで売っていた。1つ買った。すると周りの少年たちが自分のも買ってと草のラクダを突き出す。残念ながら大きな声を出してしまった。見かねたバスの同乗の女性が飴ちゃんを配ってくれた。こういう状況はこころがいたい。

 川は思いのほか水量があった。この川は海まで流れ着くことができるのだろうか。多くの川は砂漠の中に消えていくのだという。


川沿いの典型的な城塞住宅カスバ。カスバはなぜか絵になる。

カスバ

 川沿いにあるカスバと言われる城塞住居。多くは地域の支配者の住居だが、周りに造られた街を城壁でかこった場所をカスバということもある。
 1階は、壁だけで窓はない。入口は立派な門がある。窓は2階以上に位置にあるが数が少なく小さい。防御的な意味もあるが、暑さ寒さをしのぐのにはこのほうが快適らしい。
 カスバの建造は大分昔のようだが、現在も人が住んでいるかどうかは不明。外観からは快適な住まいのようには見えない。

 

 ナツメヤシの林とカスバの街。サハラ砂漠がアトラス山脈にぶつかる地帯に多くみられる景観。後ろの赤い岩山とナツメヤシの森と間の土の街。ほとんど現代社会のものとは思われない。ここは紀元前の古代都市か、猿の惑星か。ほとんどこの世のものとは思われない。デープモロッコはナツメヤシ畑と土レンガの城塞の街カスバにつきるのではないか。
  街の中はどうなっているのか。人々はどうやって生活しているのか。生活インフラはどうなっているのか。興味はつきない。

 

   
photo by miura 2017.5
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