1.モロッコの旅 |
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モロッコの首都ラバトにある「ハッサンの塔」。世界最大のミナレットを目指していたが地震で半分になってしまったという。 |
北アフリカに行ってみたいと思っていた。本当は、地中海に面した中東へ行ってみたいといいたいのだが、そこは戦火が絶えない。とてもノーテンキな旅行などしている場所ではない。 |
フェスの旧市街地の入口ブージェルード門。フェズの旧市街は世界一の迷宮都市と言われる。「迷宮都市」、なんと魅力的で甘美なひびき。 |
モロッコでも「アラブの春」は起きた。若者達数千人が、国王権限の縮小を盛りこんだ新憲法の制定を要求するデモを起こした。当初ムハンマド6世はデモに譲歩しない姿勢を明らかにしたが、最終的には国王権限を縮小し議会権限を拡大することに合意した。モロッコでは王政批判はタブーだが、強大な王政を制限しつつ王政を維持した民主化が緩やかに進んでいきそうだ。 先史時代、モロッコのあたりにはベルベル人という民族が住んでいた。 |
旧市街地でよく見かけるケーキ屋さん。ギュッとした。店頭の展示用ケーキに虫か飛び回り、ケーキに群がっていた。聞くとハエではなくハチの一種で、ハチも群がるほど蜂蜜たっぷり、おいしいケーキということの証明になっているのだという。なるほどモロッコはケーキの宣伝でも飛んでいる。 |
紀元前146年の第三次ポエニ戦争でカルタゴが敗れると、モロッコはローマの支配下にはいることになる。ローマ帝国が衰退すると、429年にゲルマン系のヴァンダル人がジブラルタル海峡を渡ってアフリカに入ってきた。モロッコは再び東ローマ帝国の下に置かれた。 |
アル・ジャディーダの海岸。ポルトガルの城塞、フランスの保護下の街としてヨーロッパ人の避暑地として有名。 |
7世紀にアラビア半島でイスラーム教が成立すると、710年にアラブ人はモロッコを拠点にジブラルタルを越えてイベリア半島の西ゴート王国を滅ぼし、アル=アンダルスのイスラーム化を進めた。 |
現在のモロッコは、ムハンマド6世の立憲王政。人口3,300万人。 西サハラ(サハラ・アラブ民主共和国)の領有権の問題。モロッコが実効支配しているが、世界の国はそれを認めていない。日本も認めていない。解決は容易ではない。 |
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2.ラバト |
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人口 100 万人を超えるモロッコの首都である。ローマ帝国は紀元40年に現在のモロッコにあたるこの地域をマウレタニア・ティンギタナ属州として帝国内に組み込み、シェラをローマ人の定住地に変えた。250年まではローマの植民市の状態が続き、その後この地を放棄した。 |
ムハンマド5世廟の外観 ムハンマド5世廟の内部 |
ムハンマド5世廟
内部は、廟にしては絢爛豪華。国王の力の大きさなのだろうが、お金の使い過ぎでは。王の施設は国内にたくさんあり、警察や軍隊などの多数が警護していて目立つ。税金をこんなところに使っていてよいものか。 |
ムハンマド5世廟の天井 |
廟の内部も美しい。定時になるとコーランを詠む人が出てきて、荘厳な雰囲気の中でコーランが流れる。運よく、コーランの読経をきくことができた。何をいっているのかさっぱりわからない。面白くて5分ほど録音したが、まだまだ続きそうなので途中で打ち切った。 |
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ハッサンの塔 |
ハッサンの塔の前の噴水が美しい。モザイクのデザインがすばらしい噴水。観光用に作られたものか。 塔を写真で観たりすると小さく感じられるが、側によるとその巨大さがわかる。88mの予定が40mになってしまったということだが、虚飾を排した素朴な宗教的な威厳が迫ってくる。 |
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photo by miura 2017.10 |