アグラのタージ・マハールとお城 [地図]
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正面から見たタージ・マハール。イスラム建築らしく東西南北どちらから見ても同じデザインのシンメトリーになっている。 クリックで拡大。 |
タージ・マハール Taj
Mahal デリーからバスで5時間走って、200Km離れたアグラについた。アグラは1565年〜ムガル朝第3代皇帝アクバルにより築かれ、以降ムガル朝の首都となっていた。 |
タージ・マハルの左手にあるモスク。 |
晩年の彼はタージ・マハルを眺めては涙を流して毎日を過ごしたと伝えられている。対岸には現在も整地された基底部が残っており、タージ・マハルの裏から渡船で行く事ができるという。 |
白い大理石に、草花のシンメトリーな幾何学模様で装飾された玄関。インド土着の臭いはなく、イスラム的洗練さがうかがわれる。外枠にはコーランの教えが刻まれている。 |
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インドのイスラム建築は、インド風味が加味されることが多いが、このタージマハルは純粋イスラム建築で、イスラム建築の粋といえるものかも知れない。草花のレリーフがシンプルで上品で美しい。 |
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右の角から見たタージマハル。対称形の造形が美しい。 |
正面から見て右手から見たタージマハル。どちらが正面かわからない。 4つのミナレットも美しい。ミナレットの上に乗っている建築は、インドの伝統的な建築の影響を受けているという。 |
怪しいインド人お勧めのカメラスポット。 |
上は、裏側、 ヤムナ川側からみたもの。別の角度から見たタージマハルも素晴らしい。裏を歩いていたら、一人のインド人が手招きする。美しく撮れるカメラスポットはこちらだという。左の写真は、そのインド人が指示した場所から撮ったタージマハル。なるほどいいアングルだ。さらに先にもいい場所があるという。なるほど確かに、彼が発見したタージマハルはよかった。さらにもっといい場所があるというのだが、100ルピーを渡して早々に逃げた。 |
世界から観光客を集めるインド観光の目玉だけあって、警備や管理は厳重。排気ガスや酸性雨が大理石を溶解させる恐れがあるということで、道路から入り口までは電気自動車のバスや三輪車が往復している。 |
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ヤムナ川の対岸から見たタージ・マハル。 対岸からの白いタージマハルも、シィルエットがきれいで、なかなかいいものだ。 一匹の犬が川べりに座って、じっとタージマハルを見ていた。その正しい姿勢に心打たれた。 |
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赤いアグラ城 1565年〜ムガル朝第3代皇帝アクバルによりアグラ城が築かれた。その後、ムガルの皇帝たちにより増改築が繰り返された。 赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」(ラール・キラー)の名がある。 |
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同じアグラにありながら、優雅で白いタージマハルと無骨な赤いアグラ城との対比が際立つ。アグラ城の外見の無骨さは、内部はイスラムとインド建築の融合でそれなりに洗練され、見たこともないエキゾチックないかにも異文化といった雰囲気をかもし出している。 |
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二重の堀が城の周りを囲んでいたが、現在は外堀が埋められ内堀だけになっている。敵の侵入を防ぐため、堀には水が張られ、ワニや毒蛇がうじゃうじゃ飼われていたという。 |
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宮殿内部の、ヤムナ川に面した風通しのよい明るい部屋。白い大理石の薄い部分から外の光が入り込むといった趣向。 造りはシンプルだが、細部までイスラム風のレリーフで覆われ、高級感がある。 |
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シャー・ジャハーンの幽閉部屋から望むタージマハル。 |
タージマハルを建てたシャー・ジャハーンは、息子のアウラングゼーブ帝によってアグラ城に幽閉されてしまった。その部屋は、明るく開放的な見晴らしのよい部屋だった。部屋からは、タージマハルを遠望することができ、シャー・ジャハーンはいつでも愛妃の眠るタージマハルを見ることができた。 |
宮殿内の優れた建築物。王妃のために建てられたもので、ヒンドゥー様式にのっとって贅の限りをつくして建てられた。緑の芝生と赤い建物のコントラストが美しい。 |
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中庭の全景。 |
ファテープル・シクリ ファテープル・シクリは、アグリから40Kmあまり離れた場所にある皇帝アクバルの別邸。 共有の公的な部屋はほとんど壁のない開放的な造りになっている。部屋も廊下も柱だけ。 |
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上の写真は、王が戦勝記念に建てた門。なんともユニークなインド的な門。 庭に面したあづまや風の建物。インドの少女たちがポーズをとってくれた。 |
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photo by miura 2013.3 |