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アジャンタ石窟寺院  Ajanta Caves [地図]



アジャンタ石窟寺院の全景。 写真の左下にワゴーラー川がながれているはずだが、2月の乾季には川は干しあがる。下の駐車場からシャトルバスで10分ほどで入り口に到着し、そこから歩いて10分ほどで石窟群の入り口にたどり着く。

アジャンタ石窟寺院

 インドのマハラーシュートラ州北部、ワゴーラー川のを囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことをいう。ヒンドゥー教が絶大な力をもつインドで仏教遺跡はめずらしい。

 石窟は、前期と後期に分けられ、前期はB.C.1世紀からA.D.2世紀に築かれている。上座部仏教または南伝仏教、小乗仏教とも呼ばれる期である。最初は僧侶たちの生活、修行の場であったため装飾が少なく、小型で簡素な造りであったようだ。
 後期の5世紀後半から6世紀頃には、奥壁中央に仏殿が設けられ、本尊として説法印を結んだ仏陀座像が脇侍菩薩を従えて安置され、仏殿としての性格が強くなる。つまり寄進者は、聖なる存在としての仏陀に永久に残る住居である窟院をささげることに功徳を見いだすという目的で石窟を築いたと考えられる。 (Wikyupediaより)


川に沿った崖にそって道が続いている。かってはこのような回廊の道ではなく、各石窟院ごとに川から上る階段道がついていたという。


 アジャンターは6世紀半ばくらいまでに築かれていたが、その後、一部開窟途中のまま放棄される状態になった。 (Wikyupediaより)
 ここを離れた石工たちは、60kmほど離れたエローラ石窟寺院の建築に向かったようだ。どういう理由があったのか、不思議なこともあるものだ。


アジャンタ洞窟21の入り口。石の仏像のレリーフが見下ろしている。

 アジャンター石窟寺院は、1815年、ハイダラーバード藩王国の藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたとき発見したもの。彼は巨大な虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となったという。のちの第10石窟に自分の名前を刻んだ。その跡はよく判読できないが現在でも残っている。遺跡に傷つける悪い奴である。名前は柱の2.5mくらいの高さのところにあり、石の柱に刻むのは容易ではない。発見された時には1.5mの堆積物があったためだという。
 石工たちは、7世紀にはここを引き払いエローラの石窟寺院建築にとりかかった。何が原因でアジャンタを捨てることになったかは不明。イスラムの侵入や政治の変化などが原因としてあげられているが、実際にははっきりしていないようだ。アジャンタは放棄され、その後はジャングルに埋もれていたため、奇跡的に破壊から免れて現在に至っている。仏教遺跡は、打ち捨てられて忘れられ、ジャングルに埋もれて、おかげで後世に無傷に近い形で発見される、そういうこともあるようだ。


アジャンタ10窟。B.C.1世紀頃の仏教寺院のホールか。ストゥーパといわれる仏陀の墓を模した塔が置かれている。

 B.C.1世紀からA.D.2世紀に築かれてた上座部仏教期の寺院 。ホールの規模は小さく柱の装飾はシンプルで、奥にはストゥーバだけが置かれている。紀元前の仏教は、まだ仏像を安置して拝むという文化は産まれていない。なるほど、仏教の初期段階ではまだ、仏像のようなものは造られていなかったのだ。


アジャンタ洞窟1の本尊・仏陀像。 仏陀の本名はゴータマ・シッダッタ。 釈迦は釈迦如来とも呼ばれる。釈迦は「アショーカ族」を意味し、「如来」は「ありのままに来る者」「真理のままに歩む者」という意味。仏陀は、サンスクリットで「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味がある。私はなんとなく、仏教という言葉からは仏陀という表現のほうが馴染みがあるように思うが、釈迦やお釈迦さまという表現もいいものだ。両方の呼び名をほとんど無原則に使っている。

 アジャンタ洞窟第1窟、入り口に近い最初の洞窟である。仏像がありアジャンタ後期の作と思われる。
 周りの壁画には、 仏陀の生涯の説話的な場面を描いたものが多い。また、1窟や2窟には、美しく魅力的な多くの女性が精巧に描かれている。完成した美人画としても十分に評価される印象的な絵で、王侯貴族の妃や娘たちをモデルにしているのではないかという。なんらかの説話の場面と思われるが、説話の意味の理解がない私にはいかんせん鑑賞眼がない。
 壁画はフレスコ画だという。 石の壁面を平らにするため、泥と牛糞に動物の毛を混ぜて1〜1.5インチ厚に塗り付け、それを乾燥させて仕上げに石灰などを滑らかに塗ったという。壁画は精巧で華麗だが、仏陀像はいたって質素だった。
 いつの時代か、これら石窟の精巧で優雅で魅力的な壁画が、往時を再現して公開されないものか。半分朽ちた現状の保存も大切だが、往時の完全再現としての壁画が描かれても価値は高いと思う。それを是非見てみたい。PCグラフィックの技術を使えば、十分可能の思われるのだが。


アジャンタ洞窟1の有名な蓮華手菩薩。(クリックで拡大)
最高傑作といわれる蓮華手菩薩

 あの有名な蓮華手菩薩(蓮華を持つ菩薩像)は、本尊の仏陀に向かって左側の壁に描かれている。右手に蓮華の黄色の花を持った菩薩だという。なんという可憐な仏さんであることか。アジャンタ壁画の最高傑作といわれる。
  半眼で静かにうつむいている。法隆寺金堂に描かれている菩薩像のルーツとも言われている。右手に蓮華を持ち、体をS字状にくねらせていて、インド固有の三曲法で表現されている。なるほど素晴らしいが、残念ながら石窟の中には外の光がほとんど入ってこないし、照明もない。眼が暗さに慣れると、かろうじてそれとわかる程度。1500年前の壁画が、だいぶ痛んだ部分もあるが、よくここまで残ったものだと思う。

 中央の仏陀像の左手にあり、右手の金剛手菩薩とともに仏陀を守護している。 金剛手菩薩も素晴らしい出来なようだが、ホールの中が暗くて、うまく撮れていない。


アジャンタ洞窟19の中庭と入り口。仏像のレリーフ群と明り取りの窓が印象的。

 ガイドさんが解説時に壁画にライトを当てる。見学者も自分のライトでかってに光を当てる。人がいない時でないと写真がきれいに撮れない。左の写真は自然光でかろうじて撮った。当時、光のない時代にどうやって明かりをとって、描いたのだろうか。水を張ったとか鏡を使ったとか、石油ランプを使ったとかいろいろ考えられるが真相は不明だという。

 インド・アジャンタ石窟は、仏教の故郷でもあり、なんとなく懐かしいような、近しいような気分がする。インドで生まれた仏教はどういう形で人々に受け入れられ、どういういきさつでチベットや中国を経由して、日本に伝わったのか。その過程でどういう変遷があったのか、大変興味がある。時間が許せばもっとゆっくりと納得のゆくまで眺めていたいが、集合時間があるので急いで回ることにする。


石窟から外を見た景色。現在は通路が横に伸びているが、当時は下の川から、それぞれの寺院に道が続いていた。

 僧侶か修行者たちの部屋。2人分の石のベットがある。窓がなく昼間、かろうじて明かりが入る程度の暗さ、ほとんど真っ暗。それでも眼が闇に慣れると見えるようになるのだろうか。


アジャンタ洞窟26のホール。ストゥーパとその前の仏像。後期はやはり、豪華・華麗な造りになってきている。明り取りの窓から光が射して薄明るい。

アジャンタ洞窟21の入り口。見つかれた観光客。大きな半円の窓と石仏像のレリーフが見下ろしている。
 26窟は、アジャンタ最後期に造られた華麗で豪華な石窟で、ストゥーパと仏陀像を備えている。このようなホールのような造りを持つ石窟は、入り口の上部に明り取りの半円状の窓を備えている。

アジャンタ洞窟26のこれもまた有名な仏陀涅槃像(クリックで拡大)
仏陀涅槃像は意外に狭い場所に安置されていた。仏陀は安らかなよい顔をしている。出来栄えはうっとり見とれるほどすばらしい。仏教徒は手を合わせないではおれない。
なぜか、この涅槃像だけは、ほどよい照明が当てられていて、写真もきれいに撮れた。

 上の壁画は、17窟シンハラ物語の絵。裕福な商人の息子であるシンハラは父の忠告を聞かずに出航するが船が難破し、遭難してしまう。ようやくスリランカの浜辺にたどりつくものの、鬼女たちに襲われる。天を飛ぶことのできる白馬に助けられ、帰国を果たすことができた。シンハラは心を入れ替えて魔物たちを退治する、という話。

アジャンタ洞窟26の仏陀涅槃像。(クリックで拡大)

柱が邪魔で正面からの全体涅槃像がとれない。 左右に分割した。

この涅槃像に魅せられて、何枚も写真を撮ってしまった。(クリックで拡大)

 アジャンタ石窟寺院の仏陀像は、なんとなく暗く渋い。この仏陀は体調が悪くて横になっているのだが、見る角度により顔が微妙に変わり、失礼ながら味わい深いよい顔をしている。

 仏陀は80歳で入滅したと言われている。 仏陀は死に瀕するような大病にかかった。鍛冶工チュンダの出したキノコ料理にあたったからである。いったんは持ち直したが、やがて入滅の地クシナガラ(クシナーラー)に向かった。
  仏陀は二本の沙羅の木が並んだ間に、頭を北に向け、右脇を下につけ、右足に左足を重ねて伏した。
 その時、沙羅双樹が時ならず花を咲かせ、満開となり、修行完成者仏陀を供養するために、体に降りかかり、散り注いだ。


 仏陀の感動的な最期のことばは、「さあ、修行者たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく、修行を完成なさい』」だったという 。(「ブッダ最後の旅」大パリニッバーナ経 中村元訳 岩波文庫 より)
 仏陀の感動的な言葉である。過ぎ去るものの中で、怠らず修行を完成させよ。そうすれば輪廻の苦しみを断ち切ることができるという。


アジャンタ洞窟19の入り口。仏像のレリーフ群が圧巻。

  また、仏陀が旅に病んでいた時に次のようにアーナンダに話をしている。「今でも、また私の死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、他のものをよりどころとしない」で修行を完成せよといっている。(「ブッダ最後の旅」大パリニッバーナ経 中村元訳 岩波文庫 より)
 仏陀は、修行者は自らと法をたよりとせよといっている。

仏陀の教えを煩悩凡夫に。


天井の壁画。草花を図案化した極彩色の絵が天井を埋め尽くしている。


 石窟見学のインドのご婦人たち。インドの女性は大人も子供も色とりどりのサリーがよく似合う。
  仏道修行者は、お金がないので拾ったぼろ布を縫い合わせて衣とする。袈裟(けさ)である。洗濯をして清潔にするが、ぼろ布であることには違いない。だから泥で汚れたようなカーキ色をしている。それが仏道者の証しであり矜持である。


アジャンタ石窟へ向かう途中にあるガジョマルの木。


 アジャンタ石窟は山(台地)の中腹にあり、入り口かに石窟までイスに乗せて運んでくれるサービスがある。王様になったような気分か。
  ガジョマルの木の下で休んでいると、物売りが変な日本語でしつこく言い寄ってくる。とうとう根負けして、日本語の案内本を買った。5US$に値切った。この本自体は真面目なものだが、訳された日本語がかなり変だった。ほとんど意味が伝わってこない。機械翻訳そのままのようだ。

   
photo by miura 2013.3
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