ベナレス=ワーラーナシー
の沐浴 [地図]
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日の出を待って沐浴しようとする人々でいっぱいのダシャーシュワメード・ガート。(クリックで拡大) 道端には、日の出を待つ沐浴者たちがうずくまっていた。 日の出を待つ間、男たちの怪しそうな車座。クスリをやっているのだそうだ。 インドでは酒やタバコをやらない代わりなのか、怪しそうな葉っぱが出回っているそうだ。 |
ベナレス=ワーラーナシー
の沐浴
何の都合か、ムンバイのチャトラパティ・シヴァージー空港を発ってベナレスのラル・バハドール・シャストリ空港に着いた。 バスを降りてガートまで歩くことになった。暗闇の中で、「足元に気を付けてください。牛の糞が落ちています」「迷子になったら助けられません」と叫ぶガイドの声が聞こえる。進まない車、きわどく走るオートリクシャ、屋台と物売りと人々の喧噪。街中に散らばるゴミ、生ゴミとほこりの臭い。数千年の人々の営みがそのまま堆積したような、混沌と坩堝の街中を黙々と小走りに歩く。日本人観光客を見る地元の人の好奇の眼、ここぞとばかり言い寄ってくる物売り、手を差し出してねだる乞食、観光客はそれにじっと耐えて歩き続ける。ベナレスのガンジスの沐浴場への道は、期待した通りだった。ああこれがインドだ。このためにインド・ベナレスに来たのだ。 ダシャーシュワメード・ガートは、オレンジ色の照明が辺りを照らし、日の出を待ち望む沐浴者と観光客ですでにごったがえしている。東の空がかすかに白けてきた。沐浴はヒンドゥー教の罪を流し功徳を増すと信じられている宗教行事である。整然と静かに行われるものと思っていたが、異様な喧噪のなかで、それは始まろうとしていた。だれもがそれが始まるのを待っていた。 |
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早朝5時半の真っ暗闇の中をバスで出発し、ダシャーシュワメード・ガートに向かう。 だが私にはわからない。この汚れた川で沐浴することの意味が。ガンジス川はヒンドゥー教の聖地である。信者は信仰によりこの川で沐浴するために遠くから巡礼してくる。信者は沐浴する。信仰とは何か。 |
沐浴の人もだいぶ増えてきた。 |
観光客は、沐浴者ではない。沐浴風景を見るためにガンジス川にボートを浮かべる。 沐浴の人々はそんな観光客を余所に、思い思いに沐浴の準備と祈りを始める。 |
ダシャーシュワメード・ガートを囲むように、王侯貴族の別邸が立ち並ぶ。(クリックで拡大) |
ヒンズー教の教えに輪廻転生がある。人々は生まれ変わるたびに生に伴う苦しみに耐えねばならないとされる。しかし、ベナレス=ワーラーナシーのガンジス河近くで死んだ者は、輪廻から解脱できると考えられている。人々は解脱を願いガンジスに沐浴する。 |
解脱して断ち切れバラモンアーリアのくびき |
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ガンジス川の水で歯を磨くおとうさん。ガンジス川は沐浴だけでなく、洗濯もすれば、遺体も流せば、トイレから炊事・飲料水まで、なんでもあり。ただ、ゴミが流れて、薄濁っているのは、聖なる河なのに残念。 |
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人焼く煙が立ち込めるマニカルニカー・ガート (火葬場)。 |
マニカルニカー・ガート (火葬場) |
火葬場に併設されている障害者用養老施設か。 |
火葬場が運営しているという宿舎のような建物。老人ホームのようなものかも知れない。年老いた肢体不自由者や病人が最後の日々をここで過ごすのだという。死ねばすぐ側の火葬場で荼毘にふされ、ガンジスに流してもらえる。そうすれば輪廻から解脱して永遠のやすらぎを得ることができる。 |
心やさしき異様な白い人々も祈りの時間だった。 灰を体に塗っているようだ。彼らはここで寝泊まりし、修行しているようだが、食事はやはりお布施によるのだろうか。 |
左の写真の白い人々は、一切の生き物の殺生を禁じるヒンドゥー教のある宗派の人だそうだ。体に一糸まとわず、白い灰を体に塗り、ガンジスの朝日に向かって座禅を組み、瞑想し、朝日を身動きせずににらみつけ、タバコのようなものを吸い、仲間内でダベリ、フルチン姿のまま立って祈りをささげ、食べ物のお布施に応え、果物のようなものを手で食べ、その異様な心優しさでたたずみ、そんな一団がガートの一角に陣取っていた。 |
ベナレスの街中。こんな混雑・喧噪の中を観光バスはつき進む。 |
オートリクシャ インドでは、オートリクシャと呼ばれる三輪車が人々の足になっている。スピードは出ないが小回り効く。「リクシャ」は「ジンリキシャ」=人力車の「人」が「オート」になったものだという。日本の人力車が東南アジアに持ち込まれ、それが定着して今日に至っている。移動距離が分かるメーターがついていて運賃の交渉もできるらしい。ヒンディー語ができないと無理か。 |
人のように街中を歩く牛たち。インドではブタは見えない。ブタはインドでは食べられるはずだがイスラム教の影響か、ほとんど食べられていないようだ。代わりにラム肉が出る。鶏肉は好んで食べられている。 |
街中の動物たちとゴミ ベナレスの街中には牛が多い。どこにでも牛が、あたかも自分が人とでも思っているかのように、無表情に歩いている。牛はインドでは完全に市民権を得て、人と同じような顔をして歩いている。牛は日本ではこんな表情をしていただろうか。さすが、牛を神に近いものとして神聖視するヒンドゥー教の国である。牛は、シヴァ神の乗り物でもある。自然のなかで働いている牛をみるのはいいが、街中をさまよっている牛たちは、幸せなのだろうか。 |
人はゴミを街中に捨て、牛が食べる。紙はヤギが食べる。食べ残ったビニールやプラスチックが風に舞う。 |
インドの街中に住んでいる動物たちは、牛をはじめ水牛、馬、ラクダ、ヤギ、ヒツジ、イノブタ?、犬、リスなどがいる。牛はヒンドゥー教の教えで食べない。だが、牛乳やヨーグルト、チーズなどは好んで飲まれ食べられている。ネコは見ない。いないわけではないが、ネコは家の中や裏庭でひっそりと生活しているようだ。ホテルの庭でネコを見た。声をかけたが、素知らぬふりをして行ってしまった。 ネコはインドの風土では住みにくいようだ。 |
どうして街中にゴミが落ちているのだろう。日本から見ると奇異な感じがする。インド人は街中に平気でゴミを捨てるようだ。それを牛や羊やヤギや犬が、食べられるものは何でも食べる。するとビニールやプラスチックのゴミだけが残る。残ったゴミを回収・焼却でもすればよいのだが、役所も個人もその気はあまりないようだ。自然のリサイクルに委ねているようだが限度がある。ベナレスの街でゴミ回収車を1台だけ見た。 |
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人のような顔をして牛の家族が静かに歩く。飼い主がいて、朝の散歩なのだろうか。 動物たちは一般に幸せそうな顔をしている。だが、人の顔はやや暗く険しい。 |
牛の糞はあっちこっちに落ちているが、人糞はどうなのだろう。畑があれば野菜たちのためにそこでするのだそうだが、畑がない場合はどうなのだろう。 |
ムールガンダ・クティー寺院 の正面。仏塔をイメージした寺院のようだが、仏教とどうも結びつかないユニークな寺院。仏伝をもとに、釈迦の生涯の絵による解説という仕立てになっている。 |
ムールガンダ・クティー寺院 1931年にスリランカに本部があるマハーボテディ会によって建てられた比較的新しい仏教寺院。寺院の中には金色の釈迦御本尊と、日本人画家、野生司香雪(のうすこうせつ)氏の手による仏陀の生涯を描いたフレスコの壁画がある。5年の歳月をかけたという。「大菩提協會ヨリ日本政府ヲ通ジテ依嘱セラレ」たもの。また、寺院の入り口には、1932年に日本から贈られた梵鐘がある。 |
仏陀し生まれるとずぐに「天上天下唯我独尊」といったという。 |
仏陀はサンスクリット語で「目覚めた人」や「悟りを開いた人」一般をさすことばだが、釈迦一人を仏陀という場合が多い。仏陀は紀元前5世紀頃、アショーカ族王・スッドーダナの男子として現在のネパールのルンビニで誕生した。カピラヴァストゥという国の王子であった。本名「ゴータマ・シッダッタ」。 |
村娘スジャータの乳粥(牛乳で作ったかゆ)の布施の図 。村娘スジャータはコーヒーフレッシュ「スジャータ」の由来。 |
<出家> |
釈迦の心を乱そうと悪魔たちが妨害に現れる。 |
<悟り> |
釈迦の涅槃図 |
ところが梵天(ブラフマー)が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。3度の勧請の末、自らの悟りへの確信を求めるためにも、ともに苦行をしていた5人の仲間に説こうと座を立った。釈迦は自らの覚りを人々に説いて伝道して廻った。それから45年間に及ぶ仏陀の説教の旅が始まる。 |
本堂の本尊の釈迦像。金色に輝く釈迦像は、神々しく美しいが、顔つきがいまひとつ私のイメージには合わなかった。宗教であるから、私の趣味は問題ではないだろう。 日本は仏教国なのか。私は仏教徒なのか。仏陀の教えは尊いものだと思うが、信仰とかいうものとは違うと思う。だが、あなたの宗教はと問われれば、「ブッディスト」と答えたい。「ブッディスト」であることに誇りを持ちたいと思う。 日本の大乗仏教はどの程度、釈迦=仏陀の教えであり仏教なのか。私は、日本の仏教には抵抗があるが、釈迦=仏陀の教えは真摯に聞いてみたいと思う。 |
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現在はインド政府によって整理され遺跡公園になっている。 異様な格好のストゥーパ、日本では仏塔や仏舎利塔ということになる。原始仏教の信仰対象であったストゥーパは、その原始性を保持したまま現代によみがえっていた。 サーンチーのストゥーパは、釈迦の土盛りのようなお墓のイメージそのままだが、サールナートのストゥーパは、土盛りが上に伸びて塔のようになった感じがする。土盛りと仏塔との中間に位置するのだろうか。 |
サールナートのダメク・ストゥーパ 仏陀は35歳にしてブッダガヤの地で悟りをひらいた。その後、サールナートで初めて伝道布教を行ったという。仏陀が初めて説法を行った地の近くに左のストゥーパ(仏舎利・仏塔)がある。仏教全盛時代の遺跡で、
ストゥーパの近くには多くの仏教寺院の遺跡があった。 |
ストゥーパの側で。積み上げられた石には文様があった。 |
高さ33m。6世紀に建てられたストゥーパ=仏塔で、13世紀以降半分以上が地中に埋まっていた。そのため、イスラムからの破壊をまぬがれたのだという。 |
木の幹にペンキが塗られている。人や車の衝突防止のためだそうだ。何か悲しいものが。 そんな木の下で瞑想する人がいた。 |
インドの寺院や遺跡や路地裏で、このような僧侶とおぼしき人たちの座禅や瞑想の姿をみることができる。 |
ガンジスの川面に向かい物思いにふける老人。インドの動物たちも人間の瞑想の見てか、静かにじっとたたずんでいた。 |
人々は思い思いに座禅し瞑想する。どうやらインド人はこのような瞑想が好きなようだ。さすが仏教発祥の国。だが、ヨガのような格好をしている人は見かけなかった。日本では、座禅は禅宗のものでヨガはヨガ教室のものか。 |
サールナートの菩提樹の下で5人の比丘(びく)と集まった鹿に初めて説法をした。 写真は説法を聴く5人の比丘の人形。 |
サールナートは、釈迦が悟りをひらいた後,初めて説法(初転法輪)を行った場所といわれる。サンスクリットのムリガダーバ。現在のサールナート(「鹿の王」)にあたる。転法輪とは、釈迦の教えを車輪を回転させるように広めていくイメージ。 |
サールナートの菩提樹の周りは巡礼路になっている。 |
ところが天からブラフマー(梵天)が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。「あなたがお悟りになったその道は、世の中の苦しんでいる多くの人を救うことになります。是非、その道を皆に教えてください」と。 釈迦はいいます。「私が悟ったのはあくまでも自分自身の苦しみを除くための道であり、それで他人様を皆救えるわけではありません。」すると梵天はいう。「確かにあなたの言うとおりでしょう。しかし、少なくともあなたの教えに共鳴する人には役に立ちます。」(「ゴータマは、いかにしてブッダとなったか」佐々木閑著 NHK出版新書より) |
ここは世界の仏教徒の仏蹟巡礼者が多い。 |
梵天の3度の勧請の末、釈迦は自らの悟りを人々に語る決心をする。そして、かってともに苦行をしていた5人の仲間=比丘(びく)に説こうと座を立った。釈迦は彼らの住むヴァーラーナシー=ベナレスのサールナートまで、自らの悟りの正しさを十二因縁の形で確認しながら歩んだ。 |
仏陀の言葉?を記した碑。 |
「正八道」とは、 |
photo by miura 2013.3 |