カジュラホ [地図]
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東寺院群。ヒンドゥー教の寺院。 |
カジュラホ 東西寺院群の外壁の彫刻 |
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インド人には人気があるガネーシャの像。シヴァ神の息子なので、このシヴァ神を祭るヒンドゥー寺院にも当然祭られている。 |
左の写真の像はインド人に最も人気があるガネーシャ。ちょっと見には間抜けっぽいが人気者。太鼓腹の人間の身体に 片方の牙の折れた、象の頭をもった神で、4本の腕をもつ。障害を取り去り、また財産をもたらすと言われ、商業の神・学問の神とされる。 |
壁一面にミトゥナ像のレリーフ埋めつくされていて圧巻。この情熱はどこから出てくるものなのか。(クリックで拡大) |
とんでもミトゥナ像 ミトゥナ像といわれる男女交合像で埋め尽くされた壁面。唖然、茫然の体で見上げる。とにかくすごいの一言。 |
階層により、同じ意匠が形を変えて繰り返されているのがわかる。 |
男女結合像と宗教と。これがどうも私の内で結びつかない。昔から振興宗教などへの誹謗として、いかがわしい宗教ということで「淫祠邪教」(いんしじゃきょう)という言葉がある。まさに淫祠邪教とはカジュラホのミトゥナ寺院のためにあるようなものでは、と思ったりもした。しかし、それが地方王国レベルで組織的に行われていたとしたらどういうことになるのだろうか。支配者が変わり権力が代わっても、この寺院群は大して破壊されもせず生き延びてきた。どうしてなのだろう。おそらく、それがインドなのだろう。あらためてインド宗教の懐の広さ奥深さに驚嘆せざるをえない。この寺院が日本にあったらどういうことになっていたことか。 |
こういう格好のミトゥナ像が壁面を埋めている。 |
アクロバットな格好のミトゥナ像もある。どこをどうすればとこんな結合が可能になるのか。相当高度で芸術的な技能が必要だろう。初心者には奨められない。 上の写真は像が興味深そうにバック結合を見ていた。 |
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寺院の中には、さらに大きな女神像が。 |
寺院の内部にも、同様だがかなり大きめ女神たちが立ち並んでいる。美人で評判のシヴァ神の妻、パールヴァティーだろうか。 |
茫然として見上げる人
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ヒンドゥー寺院の中庭にはブーゲンビリアが群れをなして咲いていた。ミトゥナ像に覆われた寺院と紫の花のコラボはなぜかよく似合ってた。 |
東のジャイナ教寺院。 |
東のジャイナ教寺院。男女が楽しそうに立っていたり、戯れたりしているが、西のヒンドゥー教寺院のような、目立ったミトゥナ像はない。このくらいなら、心騒ぐことなく安心して視ていられる。ジャイナ教は性愛を禁止し、仏教は邪淫を禁止している。 |
戦う殺戮の処女神ドゥルガー。なんか好きになってしまった。 戦争と殺戮が好きな美神だが、武器とともに華を持つ。 鼻ピアスが気に入って、ドゥルガーの壁掛けを買ってしまった。 家ではひんしゆくをものともせず、飾ってある。 |
インド・ヒンドゥー教の女神たち |
ガネーシヤ、インドで人気が高い。シヴァ神の子供で象の頭を持つ神、鼠に乗る。富と繁栄、智恵と学問を司る。 ガネーシャには次のような由来がある。 シヴァ神の妻、パールヴァティーが身体を洗って、その身体の汚れを集めて人形を作り命を吹き込んで自分の子供を生んだ。パールヴァティーの命令で、ガネーシャが浴室の見張りをしていた。そこにシヴァが帰ってきた。ガネーシャはそれを父、あるいは偉大な神シヴァとは知らず、入室を拒んだ。シヴァは激怒したがガネーシャはなかなか手ごわい。そこで仲間をさそってガネーシュをやっつけ、その首を切り落として遠くへ投げ捨ててしまった。 パールヴァティーに会い、それが自分の子供だと知ったシヴァは、投げ捨てたガネーシャの頭を探しに西に向かって旅に出かけるが、見つけることができなかった。そこで旅の最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの頭として取り付け復活させた。これが、ガネーシャが象の頭を持っている所以とされる。 インドでは、シヴァ神の乗り物の牛と同様に、象も神聖なものとして大事にされている。 |
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シヴァリンガ ヒンドゥー教の3最高神の一人シヴァは、、世界の寿命が尽きた時に世界を破壊して次の世界創造に備える役目をしているという。 破壊と再生の神と言われる。そのシヴァはこの世ではいろいろな形をとなって現れる。 |
祠の中を覗いてみたら。 |
ヒンドゥー教のシヴァの寺院では、その像ではなくシヴァリンガが神体として安置されており、それが礼拝の対象になっている。シヴァリンガは、リンガとヨーニの2つの部分からなっている。受け皿状の円形または方形のテーブルになっているのがヨーニで、ヨーニの中心部にリンガと呼ばれる先の丸い円柱が立っている。 ヨーニは女性器の象徴で、リンガは男性器の象徴であり、性交した状態を示す。性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。これは、シヴァ神が女性と性交をして現われたのがこの世界で、それが我々の住んでいる世界という意味になっている。(Wikipediaより) ヒンドゥー教の祠はあっちこっちにあり、写真のような形状のリンガが安置されている。シヴァリンガがシヴァの象徴として礼拝の対象となっている現実は、私にはよく理解できない。ヒンドゥー教の世界理解は精神性においてよりも、現実実利的・身体妄想的であるのかも知れない。女性には世界を子宮で感じるということがあるというが、やはりよくわからない。 |
道はオートリクシャとバイクと人と牛のもの。 |
インドの車・バイク事情 |
オートリクシャはこんなかわいい形をしている。 |
オートリクシャはインド文化圏や東南アジアでの利用が多い。走行距離を表示する機械がついているが、料金は基本的に交渉で決まるようだ。やたら小回りが利くがエンジン排気量が小さくスピードは出ない。 サトウキビを満載したトラックをよく見かけた。 |
恐ろしく荒い運転で事故が起きないはずがない。あっちこっちで大破し放置された車を見かけた。 インド人は、交通渋滞や対向車にもめげず一生懸命に真剣に運転している。車間は何cmだったのだろう。運動・反射神経全開で神業的にトリッキーなハンドルさばきの運転は、インド人の国民性が疑われるのではないか。考え直したほうがよいと思うのだが。 |
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バイクの3人乗りは当たり前 インド人はバイクが好きなようだ。スズキやホンダなどが進出している。純粋な日本製は高価なため少ない。国産バイクがほとんど。100〜250ccくらいの排気量が中心だが、日本のバイクに比べると性能は相当落ちるようだ。日本のバイクが、性能が良すぎるのか。 バイクは庶民の足だがほとんどが2〜3人乗りで運転している。規制があるのかどうかわからないが、ヘルメットもなしに平気で3人乗りをしている。インドの交通事情を考えると恐ろしい。 |
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いつまでもボールペンをくれといって離れない少年。 |
外でタバコを吸っていると、自転車でやってきた青年がボールペンをくれという。学校に通っていて、勉強したいのだという。それと靴の底を見せて穴が開いていてこれもなんとかしたいのだという。
残念ながらボールペンは自分が使う分一本しか持っていない。ボールペン代として100ルピーを渡した。 |
頭に荷物を載せて運ぶポーターたち。 |
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食べ物を求めて駅舎に入り、レール上を徘徊するインドの牛たち。 別に珍しくもない風景のようだ。 |
客車で食事をした人はゴミを車窓から捨てる。線路には牛たちが待っていてそのゴミをあさっていた。 |
photo by miura 2013.3 |