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エルヴァス城



星形の先頭が写真の左端まで伸びている。ちょっとわかりにくいかな。
隣国スペインのカスティーリャ王国との争いが繰り返された17世紀ごろ、国境近くに位置するエルヴァスはポルトガル王国の防衛において重要なポジションにあり、隣国スペインへの守りの城である。

右写真は城の周りの丘の上にある複雑な星形城塞。戦さで大砲が使われるようになると中世の薄い城壁ではすぐ打ち破られてしまうため、以降城壁は低く幅広い造りになる。現在では、このような城壁が造られることはなく、そのためかノスタルジックなものを感じてしまう。

 


町の周りにある小高い丘の上には大小さまざまな要塞が築かれている。隣国スペイン領も見渡すことができる。星形・多角形の近代的な城塞。

ポルトガル・エルヴァスのMap


イスラム統治時代に築かれたエルヴァス城

アモレイラの水道橋、全長およそ7kmありイベリア半島最長。水は大切なものだとは言え、このような大掛かりで立派なな水道橋を作る必要があったのだろうか。権力と資力の大きさの誇示のようにも見える。

エルヴァスの歴史地区の広場。中央の塔には罪人が見せしめのため吊るされたという。こんな中世的な遺物が残っている。

エヴォラ Evora



2000年も前に建てられた神殿 ディアナ神殿
中世時代から時代をさらに遡った1世紀のローマ帝国時代の遺跡。別名ローマ神殿とも呼ばれるこの遺跡は、現在は14本の柱とその土台部分が現存している。
エヴォラ歴史地区は1986年に登録されたポルトガルの世界遺産(文化遺産)。
16世紀の天正遣欧使節団の4人の少年たちは、日本を出発して2年半もの歳月をかけてポルトガルに到着、その後イタリアのローマまでの旅路の間にこのエヴォラの地も訪れた。

 



ディアナ公園にある日本人彫刻家の「海上の満月」。運搬途中で石が割れたがそのまま設置。通称「恋人たちの像」 という意味深な像となっている。

ポルトガル・エヴォラのMap


エヴォラ歴史地区のメイン広場「ジラルド広場」 とサン・アンタン教会

特徴的な噴水があるジラルド広場

エヴォラ大聖堂
ローマ帝国による征服後には城壁や神殿が建てられ、その後のイスラームの支配を経て、12世紀のレコンキスタ(国土回復運動)により、この地はポルトガル国王アフォンソ1世の統治下になった。
何世紀にも渡る建築物が今現在も保存されているエヴォラ歴史地区。城壁に囲まれた旧市街一帯が、「エヴォラ歴史地区」として1986年に世界遺産に認定をされた。

エヴォラ大聖堂内


美しい聖母像ということだが。


教会の地価の霊骨堂

リスボン Lisbon



ジェロニモス修道院

ポルトガルの首都リスボンのベレン地区にある修道院であり、世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」の構成資産のひとつである。マヌエル様式の最高傑作ともいわれ、大航海時代の富をつぎ込んで建築された。(Wikipediaより)

ポルトガル・リスボンのMap

ジェロニモス修道院

ジェロニモス修道院は、ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓および、エンリケ航海王子の偉業を称え、1502年にマヌエル1世によって着工され、1511年に回廊など大部分が完成した。最終的な完成には300年ほどかかっている。ポルトガルの黄金期を象徴する世界遺産となっている。
その建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われた。

1581年に天正遣欧少年使節団がジェロニモス修道院を訪れている。

スペインもそうだが、アメリカ大陸やアジア・アフリカから収奪した富を産業や農業の振興に回さず、教会と軍事につぎ込んで消費してしまた。でも、豪華な教会は現在では、それなりの観光資産として何某か観光産業に貢献している。


ジェロニモス修道院の中庭と回廊

大天使ミカエル。ドラゴンの上に乗っている。ミカエルは欧米ではそれぞれマイケル(英語)、ミシェル(フランス語)、ミゲル(スペイン語)に変換される。

回廊とは、修道士たちが祈りや瞑想をしながら歩く場所のことで、中庭を囲むおよそ55m四方の回廊。薄いベージュ色と中庭の緑の芝生の対比が美しい空間。

マヌエル様式の象徴、大航海時代の帆船の装飾。他にロープや天球儀、サンゴ、海藻などがある。


米国の大統領候補に似ていると評判のレリーフ

ヴァスコ・ダ・ガマの墓
喜望峰を回ってイント航路を開拓し、ポルトガルに莫大に富をもたらした功績か。アジア、アフリカからみれば野蛮な侵略者だが、ポルトガルでは英雄の扱い。

 


ベレンの塔

世界遺産ベレンの塔

大航海時代には、リスボンとその周辺を守ることが必要から造られた。国王の威信の象徴として、その装飾はマヌエルの象徴性を示している。建物を取り囲むカラブルは、エレガントな結び目、天球儀、キリスト軍事勲章の十字架、そして自然主義的な要素で仕上げられている。周囲に大砲が置かれていた砲郭を備えた要塞になっていた。( ユネスコ国内委員会)


喜望峰 1488 CABO DA BO AESPERANCE とある。5世紀ポルトガルの航海者バルトロメウ・ディアスにより発見された。バァスコダ・ガマは1502年にインド航路を開拓した。

日本の位置に1541年の表記が。1541年にポルトガル船が豊後国(現在の大分県)に漂着したそうだ。つまり日本は1541年に「ポルトガルに発見された」。1543年にはポルトガル商人が種子島に漂着し、鉄砲の伝来。

世界遺産には登録はされていないが「発見のモニュメント(Padrao dos Descobrimentos)」が名所。1960年に、エンリケ航海王子の没後500年記念として建てられた。

発見のモニュメント

テージョ川岸にある大航海時代を記念した記念碑
記念碑は52メートルの高さのコンクリート製で、キャラベル船の船首の曲線に似せてある。建築家コッティネッリ・テルモと彫刻家レオポルド・デ・アルメイダが、ポルトガルで開催された1940年の国際博覧会(Exposicao do Mundo Portugues)の象徴として制作したものである。独裁者アントニオ・サラザール時代の典型的な、過去のポルトガル栄光の時代へのロマン思想を表しているとみられている。
最初に作られた記念碑はもろい素材で制作されたため、エンリケ航海王子没後500年の記念行事として1960年にコンクリートで再度制作された。彼は記念碑にある像の一つとなり、川を見つめている。エンリケの後方に、その他の同時代の探検家、芸術家・科学者・地図制作者・宣教師らの像が並ぶ。約30名のポルトガル人の像がある。(Wikipediaより)


先頭の人物はエンリケ航海王子。手に帆船を持っている。
記念碑東側 私が知っている人 左から3番目:ヴァスコ・ダ・ガマ (インド航路発見者)
6番目:フェルディナンド・マゼラン(初めて世界一周を成し遂げた)
右から2番目:フランシスコ・ザビエル (日本へ1549年にキリスト教を伝道した宣教師)

記念碑西側 すみません、私が知っているひとはいない。

ケーブルカーのグロリア線

下りの台車を上げていてそれを隠すためか裾が長くなっている。

サンジェスタのエレベータ。丘の上の街に行くのにきつい坂道を登らずエレベータの乗るという手もある。
多分に観光用で乗車賃も高く、地元の人は使わないようだ。

ケーブルカーの沿線にの壁には楽しいイラストが。ポルトガルは全般的に、素朴でおおらかで、アートに対する受容幅が広い。

狭い街中の坂道やカーブを走る路面電車


ケーブルカーのビッカ線。待っていたらようやく動き出した。これも観光用に動かしている感じ。運行時間表もないようだ。

リスボンでは路面電車はトラムと呼ぶようだ。28トラムは絶大な人気で座るためには1時間以上待たなければならない。乗る停留所と時間帯を考慮したほうがよい。

電車は通す。
車は通さない。管理する人がいる。

リスボンの名物ジャカランダの花。

路面電車の線路上は車がガンガン走り、 路面電車が警笛を鳴らしても容易には動かない。

トラムとスレスレに車が走っていく。衣服がヨレヨレな浮浪者と思しき人がトラムにしがみついていたりする。

シントラの街

シントラはポルトガルの首都リスボンから西へ約30km。ポルトガル王家の夏の避暑地として愛された、風光明媚な山間の町です。その歴史は7〜8世紀、イベリア半島に侵入したイスラム教徒のムーア人が城を建設したことに始まり、ムーア人からリスボンを奪回した初代ポルトガル王アルフォンソ1世により1147年、ポルトガル王国に併合され今に至っている。
日本の天正遣欧少年使節団も招かれたといわれる。

ポルトガル・シントラのMap


ロカ岬と灯台

ポルトガル・ロカ岬のMap

ロカ岬
ユーラシア大陸最西端の岬、西には大西洋が広がり、その遥か先にはポルトガル領のアゾレス諸島がある。

ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra se acaba e o mar comeca)」を刻んだ石碑が立っている。また、有料だがユーラシア大陸最西端到達証明書をもらった。

ユーラシア大陸の最南西端に位置するのは沢木耕太郎氏の『深夜特急』第三便で有名なサグレス。旅情たっぷりでこの岬も捨てがたい。


「ここに地終わり海始まる(Onde a terra se acaba e o mar comeca)」 記念碑

ロカ岬の灯台の下の海岸線
   
photo by miura 2024.04
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