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ヴィアナ・ド・カステロとギマランイス guimaranense |
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ギマランイスはポルトガル北部にある都市で、ポルトの北約70キロメートルに位置する。ポルトガル北部を流れるリマ川の河口にある。 ヴィアナ・ド・カステロの街の眺望がよい。右手の河口には大西洋が見渡せる。
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サンタ・ルチア像 |
サンタ・ルチア像と説明があった。
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ギマランイスの歴史地区とは、ギマランイスの中心地区である旧市街のことで、ヴァイキングの襲撃から町と施設を護るべく、28mの高さの塔を持つギマランイス城と共に、2001年にユネスコ世界文化遺産に登録された。 |
ヴィアナ・ド・カステロの旧市庁舎 |
古い教会 | 古く渋い市街の面影を残している。 |
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ギマランイスは、ポルトガル北部のブラガにあるエスピーニョ山に広がる巡礼のための聖堂群からなる世界遺産である。古都ブラガ郊外にある「Santuario do Bom Jesus(ボン・ジェズス・ド・モンテ聖域)」は、エスピーニョ山山頂にあるボン・ジェスス教会を中心とした聖域で、カトリックの巡礼地。これらの聖堂郡は、18世紀に宗教改革に対抗するために築かれた。(Wikipedia)
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キリストの受難を伝える像。イエスがローマ兵に囲まれている受難の場面。 |
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西洋の城、特に中世の城塞は石を積み上げて造られていて、腐骨一辺倒。ここで生活するのは大変だろう。普段は別の館で生活していたのかもしれない。 |
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ブラガンサ公爵の館の壁にあるマリア様のアズレージョ。相当に情緒的に美化されているが確かに美しい。ポルトガルは、あっちこっちの寺院で美しい聖母マリア像を見かける。磔の悲壮な十字架より、聖母マリア信仰の傾向が強いように思う。
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ポサーダ モステリオ デ ギマランイス |
ポサーダ モステリオ デ ギマランイスに宿泊。 広い裏庭があり、プールや遊具などもある。日本から持ってきたらしい椿の木が数本植えられていた。 |
ポサーダ中庭の噴水。中庭はイスラム風の噴水がよく似合う。 |
イルカの出水口がかわいい。 |
ボルト Porto |
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ボルト Portoはポルトガル北部の港湾都市。首都リスボンに次ぐポルトガル第二の都市で屈指の観光都市。ポルト都市圏では、人口は約160万人を数える。 ポルトガル・ポルトのMap |
ドウロ川に架かるアーチ型の橋、ドン・ルイス1世橋 |
ドン・ルイス1世橋は歩行者と電車道が同居していて、歩行者のすぐ横を電車が走り抜けていく。 |
ドウロ川の南岸(ガイアにあるワインの倉庫街)とワイン樽を運ぶ舟を模した観光船 |
18世紀から19世紀にかけて、ポルト港から特産ワインがイングランドに盛んに輸出され、英語でポートワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれて有名になった。 大西洋に流入するドウロ川には、当時のワイン樽を運ぶ舟を模した観光船が行き交いしている。 |
街の広場には様々なオブジェが設置されている。 |
ドウロ川を行き交う観光船と 古くて味のある街並み。 |
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サン・ベント駅は世界で最も美しい駅の一つといわれる。構内は美しいタイルのアズレージョにより装飾されている。人々の生活や祭りの様子や輸送や戦争などポルトガルの歴史がテーマ。 構内のタイル画アズレージョ |
レロ書店
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棚に囲まれた空間の中央にあるユニークな形状の赤い階段は、「天国への階段」。 観光の来店者が多いため入店料金をとられ、ほとんど予約が必要となっている。 ハリーポッターの作者J.K.ローリングは1991〜1993年まで、ポルトに住んで英語教師をしていた。ポルト滞在時にシリーズ1作目『ハリーポッターと賢者の石』の執筆を行ったと言われている。 |
フランシスコ・ザビエル要塞。ポルト湾に入ってくる船の監視する要塞か。でもなぜザビエルの名前がついているのか。 |
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古い街中はいろいろな記念碑やオブジェや壁画があって興味が尽きない。 |
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ここでも路面電車に人気があった。 |
街中の通りにこんなオブジェが、と思って写真を撮ったのだが、その時、目がギョロッと動いた。どうも謝礼を払う必要があったようだ。失礼しました。どうりで通行人はみんな無視して歩いていた。 |
サン・フランシスコ教会 |
サン・フランシスコ教会には、長崎で処刑された26聖人を祀る祭壇がある。 |
夜のアルマス礼拝堂 |
外壁のアズレージョで有名。赤の信号機たの対比が面白い。 |
ポルトガルの民族歌謡ファド、郷愁や愛の苦しみや喜びなどを主なテーマにした歌。言葉はわからないが、ガイドさんの話しでは愛と別れの歌のようだ。 |
哀愁を帯びた民謡を切々と歌う。日本の演歌とはちと違うが、心に響く歌だった。ポルトカル旅行の旅情満点でよかった。 |
photo by miura 2024.04 |