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ヴィアナ・ド・カステロとギマランイス guimaranense



サンタ・ルチア山の頂上にある教会 サンタルチア大聖堂。聖ルチアとイエスの聖心に捧げられ、1904年に建設が開始され、1959年に完成しました新しい教会。

ポルトガル・ギマランイスのMap

ギマランイスはポルトガル北部にある都市で、ポルトの北約70キロメートルに位置する。ポルトガル北部を流れるリマ川の河口にある。
ポルトガル北西部の小都市ながら、ポルトガル発祥の地といわれ、ポルトガル王国初代国王アフォンソ1世(アフォンソ・エンリケス)が当地で誕生している。2001年、ギマランイスの旧市街が世界遺産に登録された。

ヴィアナ・ド・カステロの街の眺望がよい。右手の河口には大西洋が見渡せる。

 


サンタ・ルチア像

サンタ・ルチア像と説明があった。

キリスト教が公認されていない時代、自らの夫から告発されてつかまり、激しい拷問の末に命を落としたといわれる。拷問として、ルチアは両目をえぐり出された。奇跡が起き、ルチアは目がなくともものを見ることができた。絵画や像では、彼女はしばしば黄金の皿の上に自分の眼球を載せた姿で描かれる。聖ルチアの名で知られるキリスト教の殉教者。(Wikipediaより)



ギマランイスの歴史地区とは、ギマランイスの中心地区である旧市街のことで、ヴァイキングの襲撃から町と施設を護るべく、28mの高さの塔を持つギマランイス城と共に、2001年にユネスコ世界文化遺産に登録された。

ヴィアナ・ド・カステロの旧市庁舎
古い教会
古く渋い市街の面影を残している。


ボン・ジェズス・ド・モンテ聖域 。2019年世界遺産。
ブラガは「祈りの町」とも呼ばれる。80を超える教会があり宗教都市といわれる。

下から「巡礼の地」の階段を上がることもできるが大変。

ギマランイスは、ポルトガル北部のブラガにあるエスピーニョ山に広がる巡礼のための聖堂群からなる世界遺産である。古都ブラガ郊外にある「Santuario do Bom Jesus(ボン・ジェズス・ド・モンテ聖域)」は、エスピーニョ山山頂にあるボン・ジェスス教会を中心とした聖域で、カトリックの巡礼地。これらの聖堂郡は、18世紀に宗教改革に対抗するために築かれた。(Wikipedia)



山頂までは古風な水力ケーブルカーが楽ちん。観光には水力ケーブルカー。水力とはどういう原理なのか不明だが、おもりの水を入れたり抜いたりしてケーブルカーを上げ下ろしするらしい。


キリストの受難を伝える像。イエスがローマ兵に囲まれている受難の場面。


ギマランイス城

西洋の城、特に中世の城塞は石を積み上げて造られていて、腐骨一辺倒。ここで生活するのは大変だろう。普段は別の館で生活していたのかもしれない。
日本の城は城壁は石積みだが、建物は木造である。いくらか住みやすいが多くは別の館で生活していた。東西ともに同じか。近世の城は東西ともに見せるための城になってきた。


初代国王アフォンソ・エンリケスが誕生したギマランイス城。岩山の上に築かれている。住み心地は悪そう。

大きな岩盤の上に建てられたギマランイス城。城内も大きな岩かごろごろしている。

 

ブラガンサ公爵の館の壁にあるマリア様のアズレージョ。相当に情緒的に美化されているが確かに美しい。ポルトガルは、あっちこっちの寺院で美しい聖母マリア像を見かける。磔の悲壮な十字架より、聖母マリア信仰の傾向が強いように思う。



ポルトガルの北にあるサンチャコデコンポステーラ。そこへの巡礼路を示すホタテ貝のマーク。


ポサーダ モステリオ デ ギマランイス

ポサーダ モステリオ デ ギマランイスに宿泊。
右の建物は現役の教会で、ポサーダは左側の建物。
ポルトガル独自の宿泊施設で、王宮や古城、修道院、貴族の館などを改修したり、景勝地に地方特有の建築様式を生かして建てられたもの。ポルトガル全体で30軒以上あるという。スペインの国営のパラドールに似ている。スペイン全土に約93カ所にある。

広い裏庭があり、プールや遊具などもある。日本から持ってきたらしい椿の木が数本植えられていた。


ポサーダ中庭の噴水。中庭はイスラム風の噴水がよく似合う。

イルカの出水口がかわいい。

ボルト Porto



ポルトの創設は5世紀より以前にさかのぼり、ローマ帝国時代からの港町ポルトゥス・カレ(ラテン語でPortus Cale、「カレの港」の意)に起源をもつ。だが、ローマ以前のケルト文化の名残であるシタデルも市外の中心にも残存している。
ポルトを含む一帯は、イスラーム勢力に占領されたこともあったが、12世紀フランス王の一族であるアンリ・ド・ブルゴーニュがレコンキスタでこの地を奪回した。(Wikipediaより)

ボルト Portoはポルトガル北部の港湾都市。首都リスボンに次ぐポルトガル第二の都市で屈指の観光都市。ポルト都市圏では、人口は約160万人を数える。
ここに成立した王国が、ポルトガル王国となった。ポルトガルの名はこれに由来する。

ポルトガル・ポルトのMap


街中ではこんなリクシャ?が走り回っている。リスボンでは4輪のリクシャが多い。


ドウロ川に架かるアーチ型の橋、ドン・ルイス1世橋

ドン・ルイス1世橋は歩行者と電車道が同居していて、歩行者のすぐ横を電車が走り抜けていく。

ドウロ川の南岸(ガイアにあるワインの倉庫街)とワイン樽を運ぶ舟を模した観光船

18世紀から19世紀にかけて、ポルト港から特産ワインがイングランドに盛んに輸出され、英語でポートワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれて有名になった。
大西洋に流入するドウロ川には、当時のワイン樽を運ぶ舟を模した観光船が行き交いしている。

街の広場には様々なオブジェが設置されている。

ドウロ川を行き交う観光船と 古くて味のある街並み。


サン・ベント駅の構内
駅は世界で最も美しい駅の一つといわれているが、残念ながら外観は工事中で見えなかった。


サン・ベント駅は世界で最も美しい駅の一つといわれる。構内は美しいタイルのアズレージョにより装飾されている。人々の生活や祭りの様子や輸送や戦争などポルトガルの歴史がテーマ。

構内のタイル画アズレージョ

レロ書店


世界的に有名な「レロ書店」 。本屋らしからぬ豪華絢爛な内装。そして、その雰囲気がハリーポッターの小説の中で登場する本屋のイメージ・世界観のもとになっているのでは、ということでハリポタファンに人気らしい。
またポルトは、「魔女の宅急便」の舞台ともいわれている。


棚に囲まれた空間の中央にあるユニークな形状の赤い階段は、「天国への階段」。

観光の来店者が多いため入店料金をとられ、ほとんど予約が必要となっている。
ハリーポッターの作者J.K.ローリングは1991〜1993年まで、ポルトに住んで英語教師をしていた。ポルト滞在時にシリーズ1作目『ハリーポッターと賢者の石』の執筆を行ったと言われている。

フランシスコ・ザビエル要塞。ポルト湾に入ってくる船の監視する要塞か。でもなぜザビエルの名前がついているのか。


要塞への入口の跳ね橋
跳ね橋を巻き上げるのは原始的な人力か。


古い街中はいろいろな記念碑やオブジェや壁画があって興味が尽きない。

ここでも路面電車に人気があった。

街中の通りにこんなオブジェが、と思って写真を撮ったのだが、その時、目がギョロッと動いた。どうも謝礼を払う必要があったようだ。失礼しました。どうりで通行人はみんな無視して歩いていた。

サン・フランシスコ教会

サン・フランシスコ教会には、長崎で処刑された26聖人を祀る祭壇がある。
なぜかこんなきれいなマリア像?。動物ヒツジを抱いている?


夜のアルマス礼拝堂

外壁のアズレージョで有名。赤の信号機たの対比が面白い。

ポルトガルの民族歌謡ファド、郷愁や愛の苦しみや喜びなどを主なテーマにした歌。言葉はわからないが、ガイドさんの話しでは愛と別れの歌のようだ。

哀愁を帯びた民謡を切々と歌う。日本の演歌とはちと違うが、心に響く歌だった。ポルトカル旅行の旅情満点でよかった。
   
photo by miura 2024.04
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