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12.アストルガの司教館


アストルガの司教館

 このあたりの大司教区の司教館として、アントニオ・ガウディが設計した。1889年から1913年にかけて建築された。
 ガウディの友人の紹介で当時の司教より設計の依頼を受け、それを引き受けることになった。しかし建設途中で、司教は完成を見ることなく死去してしまう。その後、設計についてのガウディと議会との意見不一致から、ガウディは辞任してしまう。建築は中断したが、その後、後継者により完成した。ガウディに設計を依頼した人は完成をまたず、あるいは完成直後、数日をすごしただけで死んでしまう人が多いようだ。支払い金額の請求書をみて寿命が縮んでしまうのかしら。

司教館の入り口

 現在は、スペインの重要文化財に指定され、宗教美術博物館として使用されている。
 内部は、高価そうな建材を惜しげもなく使用し、やわらかな曲線を多用した豪華なつくりになっている。ガウディの設計は優美な曲線を多用し、部屋の内部も同様でどの部屋も居心地がよさそうな凝り方をしている。使われている建材も吟味されている。どう見ても建築費が高くつきそう。あまりに豪華すぎて、後の司教は誰もこの建物を使用することを躊躇したという。さもありなんと納得。


司教館の全景

 

司教館全景と下は、教会と司教館と街を囲む城壁。

司教館は、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に捧げられた宗教美術博物館となっている。

 


鉄の十字架、中世の頃から巡礼者が願いをこめて石を積み上げたという。今は小高い丘のようになっている。いろいろなストーリーがある。

鉄の十字架の横の礼拝・休憩所

イラゴ峠の鉄の十字架


 イエス・キリストが住んで、処刑された聖地エルサレムへの巡礼は、他の信者より神の恵みが多く与えられると考えられていた。だが、エルサレムは遠く、費用もかかる上、極めて危険である。ローマとサンティアゴ・デ・コンポステーラはエレサレムほど遠くはなかった。
 ローマには聖ペトラの墓があり巡礼も多かったが、10世紀頃にはイスラムの侵入により巡礼路が妨害されるようになった。

 ここで出てくるのが、漁師だったあのヤコブ、後の12使途のひとり聖ヤコブである。9世紀、ヤコブの遺体とされるものが、遥か遠くスペインの、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で”奇跡的に発見された”とされる。
 その頃のスペイン地域は、イベリア半島においてのレコンキスタの最中であり、キリスト教徒側が苦戦していたある戦いで、白馬にまたがった聖ヤコブが、なぜか出てきてイスラム教徒側を圧倒し、その戦いに勝利したとされる。そのため聖ヤコブは、イスラム勢力と闘っていたキリスト教勢力を守護する、またはキリスト教徒勢力がイベリア半島を制圧する行動のシンボルとして熱狂的に崇められることになる。 「ムーア人殺し」(イスラム教徒殺し)の聖ヤコブといったかなりきわどい表現で呼ばれることもあったようだ。
 「聖ヤコブの霊廟に詣でれば、すべての罪が許され、天国の門が開かれる」と信じられ、中世から巡礼者が後を絶たない。
 このためスペインの守護聖人とされる聖ヤコブはスペイン語で「サンティアゴ(Santiago)」となる)。


ポンフェラーダのテンプル騎士団の城

テンプル騎士団の城 


 661年に建国されたイスラーム国家のウマイヤ朝は、積極的な拡張政策によって急速に勢力を拡大していた。8世紀初頭までに北アフリカの西端まで版図を広げていたウマイヤ朝は、710年、ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に上陸した。
 レコンキスタ(スペイン語: Reconquista)は、718年から1492年までに行われた、複数のキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動の総称である。
ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服とそれに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落によるナスル朝滅亡で終わる。

 


中世のお城の雰囲気そのまんまですばらしい。
 聖ヤコブの墓が発見されたため、サンティアゴ・デ・コンポステーラは、イベリア半島のみならず、西方カトリック世界における代表的な巡礼地となり、三大巡礼地のひとつに数えられるに至っている。
 巡礼路は整備され、巡礼を世話することを目的とする修道院が配置されている。いまも同地は巡礼の聖地として信仰を集めている。巡礼路の中核をなすものは、隣国フランスに発し、ピレネー山脈を越える巡礼路である。
 ホタテ貝はヤコブのシンボルで、フランス語ではホタテ貝を「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques、コキーユ・サンジャック)と呼ぶ。 カトリック教会における記念日は7月25日。
「聖ヤコブの霊廟に詣でれば、すべての罪が許され、天国の門が開かれる」と信じられ、中世から巡礼者が後を絶たない。

日本語の看板も

こんな味のある巡礼宿もある。


巡礼宿の心地よさそうな中庭

サンタ・マリア教会。この辺りで最も古い教会だといわれる。質素で素朴なたたずまいに心和む。

セブレイロ峠




この地域の昔からの茅葺きの家。石の家なのに、日本の藁葺きの家みたいで、なにか不自然な感じがする。

セブレイロ峠の塔

 サンティアゴ・デ・コンポステーラは中世を通じて多くの巡礼者を集めた。「巡礼は、自発的で無償の行為である。巡礼によって、人は慣れ親しんだ場所、習慣、親しい人びとを捨てて、宗教心を抱きながら、自ら選んだ、あるいは命じられた聖域までいく」(古い巡礼案内書)

 

ゴゾの丘


 サンチャゴの5kmほど手前にゴゾの丘がある。丘はうねっておりそれぞれの丘にはサンチャゴデコンポステーラにちなんだオブジェが設置されている。巡礼の目的地サンチャゴを目前にした「歓喜の丘」とも言われている。
 

 

到着した夕方のサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂

サンティアゴ


 スペインの西北端にある。2012年の人口は95,671人。
 旧市街は1985年にUNESCO世界遺産に登録されており、また、エルサレム、ローマ・バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつでもあり、世界遺産に登録されているサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の終着地でもある。

 聖ヤコブの遺骸が祭られているため、古くからローマ、エルサレムと並んでカトリック教会で最も人気のある巡礼地であり世界中から巡礼者が絶えない。巡礼の街道では巡礼者は、その証明に帆立貝の殻を荷物にぶら下げる。途中、巡礼宿や教会などが宿泊を提供してくれる。


サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂、曇りがちの朝

ここがサンティアゴ・デ・コンポステーラ、目的の地。人々の歓喜の姿を見ているのは楽しい。

 キリスト教徒にとって巡礼は義務ではない。「聖ヤコブの霊廟に詣でれば、すべての罪が許され、天国の門が開かれる」とされる。
 イスラム教徒の巡礼は、最大の聖地メッカに巡礼することは、信者としての義務である。

 現代のサンティアゴ・デ・コンポステーラは、必ずしも信心からではない。単なる観光旅行や自分探しや体力試しやいろいろな理由がある。私はといえばバス観光旅行、こういうのが多いのかもしれない。
 サンティアゴ・デ・コンポステーラ踏破の証明書が発行されるらしい。徒歩の場合は100km以上、自転車の場合は200km以上を移動した証明が必要になる。バス旅行800kmは問題外ということ。


外見は渋いが内部は5つ星のパラドール(ホテル)

 スペイン全国で2つ5つ星パラドールのひとつ、パラドール・デ・サンティアゴ。大聖堂の左手の建物。もともとは15世紀末に王立病院として建設された。巡礼の途中で病気になったりケガをしたり、大聖堂を前に倒れた人々、さらにサンティアゴに住む貧しい人々や病人、孤児たちも受け入れの対象としていた。
パラドールの中庭

 パラドール・デ・サンティアゴ デ コンポステーラの中庭。パラドール内部には4つの中庭がある。ホテル内の施設はどれも歴史の重みを感じさせる立派なもので、4つほどあるレストランや喫茶室はどれもおいしくすばらしい。

 ゼベダイの子のヤコブは新約聖書に登場するイエスの使徒の一人で、使徒ヨハネの兄弟である。アルファイの子ヤコブと区別して「大ヤコブ」とも言われる。
 『マルコによる福音書』1:19-20によるとヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共にガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエスに呼ばれ、そのまま父と雇い人を残してヨハネと共に弟子になった。彼ら二人は「ボアネルゲス」(雷の子ら)とよばれていたようである(→ゼベダイの子)。ヤコブはエルサレム教会においても一貫して中心的な立場を占めていたが、『使徒行伝』12:2によるとユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、エルサレムで殉教したという。44年頃のことと推定される。

 

 
聖ヤコブの像。巡礼者はこの像の後ろから抱きつく。
 イエスは、「ガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、二人の兄弟、ペトロと言われたシモンとその兄弟のアンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。「さあ、ついて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と言われると、彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。
 また、そこから進んでいって、他の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、父のゼベダイと一緒に舟の中で網を繕ってているのを見て、お呼びになった。彼らはすぐ舟と父とを残して、イエスに従った。」 (マタイ福音書) 
 イエスはヤコブたちに、「人間をとる漁師にしてあげよう」と面白いことを言って、ヤコブたちを釣って弟子にした、とされる。

アラメダ公園からみた大聖堂

 9世紀、ヤコブの遺体とされるものが、遥か遠くスペインの、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で”奇跡的に発見された”とされる。

 アラメダ公園から見た大聖堂は絵になる。あいにくの雨、サンチャゴは雨の日が多いという。

 北スペイン、サンティアゴ・デ・コンポステーラの旅もここが終点。

 

   日本語の掲示板があった。
「世界遺産の参詣道」を紹介している。熊野古道と奈良の道?の写真があった。四国八十八か所巡礼の道は残念ながら世界遺産になっていないため、ここでは扱われていないようだ。

 四国霊場88か所巡礼、1,200km。
 順打ち・逆打ち、納経、札所、 同行二人、一期一会、歩き続け、祈り続ける、 心のよりどころ、癒し、供養、自分探し、自己挑戦、結願を目指す気持ちは変わりない。

 熊野古道は入口のあたりを散歩した。四国八十八か所はいつか歩いてみたい。
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