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8.エウナテの聖堂



麦畑の中にぽつんと立つエウナテのサンタ・マリア礼拝堂

エウナテ聖堂(サンタ・マリア礼拝堂)

 パンプローナを出てサンセバスチャンに向かう途中にエウナテの聖堂=サンタ・マリタ礼拝堂がある。巡礼路の畑の向こうに聖堂と付帯施設だけがポツンと建っていて、付近に民家は見えない。写真は、八角形の聖堂の全景。
 エウナテの聖墳墓教会は巡礼中に亡くなった人々を葬るための教会。テンプル騎士団が管理していたのではという説もある。ここでも巡礼者の保護や警護の任にあたっていたのだろうか。
 外側をアーチに支えられた石塀に囲まれ、中の建物は珍しい八角形である。サンテイアゴ巡礼道における最も美しいロマネスク教会堂の一つと言われる。
 
 テンプル騎士団は、中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会で、正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち」。

 十字軍活動以降、いくつかの騎士修道会(構成員たちが武器を持って戦闘にも従事するタイプの修道会)が誕生したが、テンプル騎士団はその中でももっとも有名。ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立された。
 上級騎士たちは決して降伏しないことを誓い、戦死こそが天国の保障であると考えていたとされる。このような戦士としての士気の高さ、熱心に行われた鍛錬と十分な装備などがあいまって中世最強の騎士団と呼ばれるほどになった。
 だが、十字軍で頑張り過ぎた人たちの末路は哀しい結末になることが多い。1300年代初頭にフランス王フィリップ4世の策略によって壊滅状態となり、1312年の教皇庁による異端裁判で正式に解体された。


ドームの屋根の下の梁にいろいろな顔の彫刻。どうして変顔の像が彫られているのだろう。とても不思議な気分。天国と地獄、天使と悪魔、聖と俗、善良と邪悪などの対称が矛盾をはらみながら同居している。それが人間の両面、本性の属性であるかのように。
ドームの天井


 教会内の敷石。スペインでは、平べったい石を縦に揃えて敷石にしているのをよく見かける。この石の配列の仕方が面白く美しい。

 ほとんどの柱や屋根の装飾に人面や聖人の彫刻・レリーフがある。何故かいろいろな顔がある。変な顔も多い。どうして変顔が多いのだろう。そういうものを聖堂に飾るというのは、どういう意味があるのだろう。
 ドームの天井には8本の支柱が結束されていて、シンプルで美しい。


巡礼路に架かる「王妃の橋」。これは町の名前にもなっている。

 

王妃の橋


 村を流れるアルガ川に架かるアーチ橋(左の写真)が美しい。11世紀の創建といわれ、当時の6つのアーチをそのままに残しているロマネスクの橋である。橋の真ん中で左右から伸びてきた一直線の橋がぶつかったような形をしている。
 プエンテ・ラ・レイナ=「王妃の橋」とよばれているが、ナバーラ王国の王妃が巡礼者の安全を祈願して架けられたと伝えられている。橋の名前と町の名前が同じというのも変。

橋の幅は結構広くゆったりと歩ける。

 橋の全景。橋げたのアーチの半円が川面に映りきれいに円形になって見える。この橋の美しさの秘密かもしれない。
 右の写真の影の一つが私のはず。

 

橋のたもとの遊歩道から

 橋を渡ると、いかにも中世巡礼路といった街並みが続き、その町はずれに教会がある。
聖ヤコブの像  

 聖ヤコブの像の拡大。ヤコブがこんな顔をしていたかどうかは不明だが、レコンキスタの戦う聖人にしては、面白い顔をしている。左右には聖ヤコブの象徴のホタテが。
巡礼順路のペイント

 町はずれに巡礼者向けの宿。ホタテの貝殻マークがついているのでそれとすぐわかる。巡礼宿に予約という習慣はなく、早いもの勝ちらしい。
 宿泊費は5ユーロから、数十ユーロまでと格安。安くなるほど共同ベット、共同トイレ・バスとなる。若く、元気がよく、お金がなければ、当然格安コースとなる。老人、足弱は予算に応じてそれなりの宿泊先となる。

 

 

オンダリビア


 サン・セバスチャンから車で30〜40分ほどの、フランスとの国境近くにある中世の城塞の街がある。
 旧市街のある丘を登ると海辺の景色見渡せる広場に出る。左の写真のように大きな石壁の前のコンクリートの広場。こんなに何もない広場というのも珍しい。

 フランスとの国境の街なのでフランスからの数々の攻撃があり、15世紀の終わりから16世紀の初め頃に城壁が作られ、その後改築されながら18世紀まで、住民は城壁の中で暮らしていた。

 右の建物は古城の外見を残し、内部はホテル、パラドールになっている。反対側は海に面した現代的なホテルのつくりになっている。

 カルロス5世の古城を改装して現在はパラドールになっている。入り口といっても写真の通り何もないそっけないもの。しかし、中世の城塞であってみれば、これが正しい姿なのだろう。

 
 パラドールの入口だが、看板が1枚ぶら下がっているだけ。気に入った。泊まりたい。こういう中世城塞のパラドールに泊まるのは、やはり中世王族の雰囲気を楽しむためだろうか。

 かつての城壁の跡。旧市街地は城壁に囲まれており、このような城門をくぐらなければ中に入れない。
 この城門は観光客に人気らしくやたら込んでいた。
 日本には、幸せなことか、このような石の城壁で囲った城塞都市というのはない。そのためかこのような城壁を見ると、その歴史への感動のようなものを覚える。

 スペイン・フランスはともにEUに属し、通貨は共通で、国境もあってないに等しい。スペインの物価がいくらか安いらしく、フランスからの買い出しの人、逆にフランスの文化に触れるスペインからの交通も盛んだという。

 

9.サンセバスチャン




ビスケー湾の展望台モンテ・イゲルドより

 バスク州北部にあり、北側がビスケー湾に面している。バスク地方の有名な観光地で、サンセバスチャンは「ビスケー湾の真珠」と称される。欧米の人たちにとっても美しい砂浜のリゾート地として有名な街でもあり、豪華別荘が中心街のすぐ横に並んでいる。
 海岸沿いの一等地にはマリア・クリスティーナなどスペインの王侯貴族が別荘として使用したミラマール宮殿がある。
 サンセバスチャンにはたくさんのミシュランの星付きレストランがある。星付きレストランと多数のバルが、それぞれ自慢の一品を掲げて、店を開いている。


正面に教会があるBARとお土産屋さんのメインストリート

 BARはバーではなく、スペインではバル。お酒だけでなく一口サイズの一皿料理がおいしく、誰でも気軽に楽むことができる。BARごとに看板メニューがある。イベリコブタやローストビーフやステーキをメインにする店もあれば、魚介類やリゾットをメインにするお店もある。なかにはチーズケーキをメインとする有名なお店もある。いっぱいひっかけながら1・2品を賞味したら次の店へというのが、ただしいBARの楽しみ方だという。
 もともと料理のおいしい土地柄だったが、観光の目玉、街おこしの起爆剤として、街全体で新しい食文化を生み出そうと努力した成果だという。

夜になるほど大賑わいのバル  
それぞれのバルには得意の一品がある。
チーズケーキのLaViña
英語で注文したら日本語で応えてくれた。
 

 スペインにはかの有名なシエスタがある。お昼休みのことだが、お店はお昼が終わると4時5時ころまで休憩となり、5時をすぎないと開かない。あくせく働くだけが人生ではない。スペイン人は人生の楽しみ方をよく知っている。GDP優先、合理性と効率性の追求だけの日本とは大違いだ。スペインを旅していると、文化や歴史の深さもさることながら、人々の生活の豊かさのようなものが感じられる。古いカトリックの国なのだが、寛容で自由な雰囲気があり、歴史を感じる大人の人生の楽しみ方をしっている国なのだなと思う。

 

近くの漁港に面したレストランで魚料理のお昼。ワインは飲み放題。  


目の前に漁港

 

ゲルニカ駅
こんな地方町をどうして爆撃したのか。

多彩なごみ収集箱

ゲルニカ


 ゲルニカはバスクの文化的伝統の中心地であり、自由と独立の象徴的な町だった。
 スペイン内戦の最中の1937年4月26日、スペイン北部・バスク州の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。史上初めての都市無差別空爆とも言われる。この爆撃は焼夷弾が本格的に使用された世界初の空襲であり、「史上初の都市無差別爆撃」や「史上初の無差別空爆」とされる。

ピカソの絵で有名なゲルニカ。爆撃の様子は町のあっちこっちで展示されている。

街角にあった爆撃被害の歴史を伝えるボード。  

 滞在中のパリでこの無差別爆撃の報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として急遽ゲルニカを主題にこの作品に取り組み、6月4日には完成させた。
 スペイン内戦はフランコ将軍の勝利により終結。この絵はロンドンなどを巡回したのちにヨーロッパの戦火を避け、1939年、米国に渡りニューヨーク近代美術館に預けられる。第二次世界大戦後もフランコ将軍の政権下にあったスペイン政府はこの絵の返還を求めるが、『スペインに自由が戻るまでこの絵を戻すことはない』とピカソは拒否した。

 


パブロ・ピカソが、スペイン内戦中の1937年に制作した空爆を受けた町ゲルニカを主題に描いた絵画。モノクロで描かれている縦3.5m、横7.8mの大作で、現在マドリードのソフィア王妃芸術センターに展示されている。

 ピカソは1973年にこの世を去る。フランコ将軍も1975年に没し、政体の代わったスペインとニューヨーク近代美術館との間にこの絵の返還交渉が再び始まる。1981年になってようやくスペインに返還され、現在はマドリードのソフィア王妃芸術センターに展示されている。 (Wikipediaより)


ゲルニカのタイル絵

photo by miura 2019.10 mail:お問い合わせ

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