バルセロナ・アンドラ
カタルーニャ・ボイ谷
ザビエル城・パンプローナ
サンセバスチャン・ゲルニカ
アルタミラ・アルゴス
カストロヘリス村 サンチアゴデコンポステーラ

1. バルセロナのサクラダファミリア



どちらが正面かよくわからないが、横の池からみたサクラダ・ファミリア

 20年ぶりのサクラダファミリアだが、外観は以前とは比べ物にならずほとんど完成しているように見えた。
 ガイドさんの話では、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定だとのこと。

 1882年に着工、意見の対立から翌年に設計者のビリャールは辞任、その後を引き継いで2代目建築家に就任したのが当時は無名であったアントニ・ガウディである。ガウディは設計を変更したものの既存の計画を踏襲した。

 贖罪教会なので、資金調達は信者の喜捨に頼ってきた。資金不足により工事が遅々として進まない状況であったが、1990年代以降に拝観料収入が増えて資金状況が好転した。
 ガウディは、1926年に亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだ。サクラダファミリアの完成はガウディの悲願だった。

だいぶ完成に近づいてきた。
右側の塔が前後8本の塔の間にさらに10本の巨大な塔が建つことになる。


この日も、サクラダ・ファミリアの周りは世界中からの観光客で込み合っていた。
 

かつては完成まで300年はかかると予想されていた工事だが、スペインの経済成長や拝観料収入などに支えられて進捗は加速している。さらには21世紀に入ってから導入されたIT技術を駆使し、ソフトウェアによる3D構造解析技術と3Dプリンターによるシミュレーション検証、CNC加工機による成果が著しい。

 今回は残念ながらサクラダ・ファミリアの内部に入ることはできなかった。当日の入場券の購入は数時間待ちが常識で、予約は2か月前にWeb予約を入れる必要がある。
 ガウディのこの不思議な教会は、最新の建築技術・工法とすばらしい宗教的美的センスにより構成されているもので、内部も一見の価値があることは間違いない。死ぬ前にもう一度この建物の内部に入ることができるのかしら。 


これは正門か裏門か。古典的な聖書物語の「生誕のファサード」と現代センスの「受難のファサード」。
  

ガウディの死後の1936年に始まったスペイン内戦により、ガウディが残した設計図や模型、ガウディの構想に基づき弟子たちが作成した資料のほとんどが散逸してしまった。これによりガウディの構想を完全に実現することが不可能となり、サグラダ・ファミリアの建造を続けるべきかという議論があったが、職人による口伝えや、外観の大まかなデッサンなど残されたわずかな資料を元に、その時代の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で現在も建設が行われている。 北ファサード、イエスの誕生を表す東ファサード、イエスの受難を表す西ファサードや内陣、身廊などはほぼ完成したがイエスの栄光を表すメインファサード、18本建てられる内の10本の塔が未完成である。これらの塔の12本が12使徒、4本が福音記者、1本が聖母マリア、1本がイエス・キリストを象徴するものとされている。 (Wikipediaより)

 完成時には18本の塔ができるとのことだが、現在は8本しか建っていない、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの聖書筆者の4人の塔の他、6本の塔が建つことになっている。ほんとに大丈夫なのかしら。


非常に興味深いサクラダ・ファミリアの2026年の完成が楽しみ。これからどう変わっていくのやら。

 


 サクラダファミリア寺院の構成は、過去・現在・未来を表現するとのことだが、過去のゴシック風の造りに対し、現在・未来はかなりモダンな造りになるようだ。
メインの塔となる最も高いイエスの塔がもうすぐ完成する。
バルセロナはガウディのおかげで100年は観光資源に事欠かないだろう。

ガウディ亡き後、弟子たちがこしらえた数々の資料もスペイン内戦で焼失してしまった。
100年前にガウディが実現しようとしてできなかったことを、未来の技術者、表現者たちに託した。後をついだ弟子たちは、現在の建築技術者たちは、ガウディの話していた言葉や彼がが実現したかったことを推測して、ガウディの思いや夢の実現に近づくことが自分たちの仕事だと考えている。現代の建築技術と工法と美術表現を結集して、ガウディの夢が2026年、あと数年で実現しようとしている。

2. カタルーニャ美術館



ムンジュイックの丘からみたスペイン広場
 

 1934年、ムンジュイックの丘の上にある国立宮殿(パラウ・ナシウナル、1929年のバルセロナ博覧会の政府館)内に旧カタルーニャ美術館(Museu d'Art de Catalunya)がある。
 ロマネスク美術・ゴシック美術・近代美術についてはカタルーニャの美術を中心に展示している。

 


カタルーニャ美術館

カタルーニャ美術館

 

 ロマネスク美術にはカタルーニャ地方およびアンドラ公国のロマネスク教会にあった壁画群を移設したものがある。
 アンドラ公国のロマネスク教会にある壁画や彫刻の本物の現物をこの美術館で展示・管理し、教会には元のコピーがおかれている。

 

 

ロマネスク建築は、中世西ヨーロッパの建築様式でおおよそ1000年から1200年頃までのゴシック建築以前の建築を指す。ロマネスク建築の建築物は大陸全体で見られ、帝政ローマ建築以来初めての汎ヨーロッパ建築様式とも言える。(Wikipediaより)

 ロマネスク教会の内部に架かっていた絵画。9人の使徒の恰好がほとんど同じで動きが少ない。11世紀頃、スペイン・ロマネスク教会の初期の頃ではないか。 

 初期の聖書物語のフレスコ画は、マンガのような筆致が多くシンプルで分かりやすい。それだけ、何度見ても飽きない親しみのようなものを感じる。

 
Baidaqui de Tost
イエス・キリストのフレスコ画。ロマネスク教会時代のもので、生前または復活後のイエスか。イエスはしっかりと正面を見据えていて、威厳があり分かりやすい。この時代のイエスは親しみやすく、明るく描かれていて、好もしい。

12使徒に囲まれたマンガ顔のイエス。
 

ちょっとさえない表情のイエス

Apse of Sant Climent de Taull, a Catalan fresco by the Master of Taull
サン・クリメント教会の巨大な壁画をカタルーニャ美術館に移したもの。キリストを描いたフレスコ画。

 

 
 
マリアも個性的。祈るように両手を結び、頭を少し左にかたげ、寂しそうな表情をしいる。イエス・キリスト同様、聖母マリアにも親しみを感じる。
 

スペインからの独立に揺れるカタルーニャ州
 カタルーニャ州は、国内最大の経済規模をもち、独自の言語や文化を持つことなどからスペインからの独立を目指す動きが強い。1936年に勃発したスペイン内戦時、共和政府側についたカタルーニャ州は、反乱軍のフランコに敗れ、多くの共和国支持者が投獄・処刑された。フランコ独裁時代には独自の言語や文化も禁止された。

 

 

2017年、スペインからの独立の是非を問う住民投票を強行。2019年10月に最高裁判所はカタルーニャ州の当時の州政府の幹部ら9人に対して最長で禁錮13年の判決を言い渡した。カタルーニャ州では、これに反発する独立派が再び勢いづいて、判決への抗議の動きが広がっている。

 日本時間の10月17日に、州では抗議のゼネスト状態で、空港や主要道路では封鎖騒ぎが起きた。
そのため、アンドラからスペインに向かう途中のトンネルが封鎖され、やむなくバスはフランス経由でカタルーニャ州にあるアランの谷に向かうことになった。


3.アンドラ公国



左は役所、白い奇妙な膝を抱えているような人のオブジェは何?
 

通称アンドラは、ヨーロッパ西部のピレネー山脈中に位置する立憲君主制国家。バルセロナから自動車で約3時間のところにある。
フランスとスペインに挟まれたミニ国家であり、フランス大統領とスペインのウルヘル司教の2名による共同公を元首としている。

 ポエニ戦争(紀元前264年のローマ軍によるシチリア島上陸から、紀元前146年のカルタゴ滅亡まで3度にわたる戦争)でカルタゴ軍がローマに攻め上るためにピレネー山脈を越えたさい、アンドラの谷に先住民が居住しており、彼らを「アンドシンス」と呼んだ事が記されている。これが文献上に見える最古のアンドラ。(Wikipediaより)


政府庁舎の屋上の広場。向こうの高台と橋で結ばれている。


 1794年、フランスとスペインとの間のピレネー戦争のさい、フランスはアンドラを併合しようとした。この時アンドラの代表がフランス軍の司令官のもとにおもむき、侵攻を断念するよう説得している。1806年、フランス皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトとの間で両国関係は修復され、再びフランスの元首が共同大公につくことになった。
スペイン内戦の時にはフランス軍が駐屯し、第二次世界大戦の時にはスペイン軍が駐留している。


政府庁舎の裏にあるロマネスク風教会。
 


 種類の郵便ポストが並んで立っていた。1つはフランスの郵便局で、もう1つはスペインの郵便局のポスト。郵便を出すときはどちらに投函してもよいのだという。

 

 イエス・キリストを前に抱えたマリアの像があった。スペインでは、小さなイエスを正面や横に抱えたマリア像がよく見られる。ロマネスク様式時代のイエスやマリア像は、なんかマンガチック。妙な親近感と敬虔な信仰の深さが感じられる。

 磔刑に処されたのちに十字架から降ろされたイエス・キリストと、その亡骸を腕に抱く聖母マリアの宗教画や彫刻は「聖母子像」と言われる。

4. アランの谷の村


 

ピレーネ山脈の中央にあるアルティエスという小さな村。小さな村だが、村のあちこちに買い物かごに花籠を入れた自転車のオブジェが置いてあった。ついついうれしくなって写真を1枚。  村全体に、伝統的な建築デザインの統一感があり、シックで素朴でとても感じの良い村だった。

 この村に限らずどの村や町にいっても、統一感のあるモダン伝統的建築が多かった。山の中なので、貸別荘、夏は避暑やトレッキング、冬はスキー・スケートなど観光事業に力をいれていることがわかる。民主的て合理的なな再生計画と人々の理解と合意がないとできないことだろう。

 村のレストラン。このレストランはヤモリを売りにしているようで、壁にイモリのオブジェがくっついている。

 全体としてどこも伝統的なたたずまいで、シックに落ち着いた感じでとてもいい。こんな村ならひと夏をゆっくりと過ごしてもいいと思う。

 


村の中は、新しいモダンな別荘のような伝統建築だけではない。伝統家屋そのままの家々も当然残っている。窓にトウモロコシをぶら下げて乾燥させているのもこの地方の伝統的なスタイルなのだろう。それがまたアクセントとバランス感を出していて違和感はない。

 

 

落ち着いた街並みに突然、原色の家が出現した。落ち着いた街並みにそぐわない。こういう色使いの家は、実験の失敗か、アンチ統一派の家か。

下の写真は、伯爵の別荘を改築したパラドール。

 

アルティエスの「ガスパール・デ・ポルトラ伯爵のパラドール」に宿泊。
パラドール(スペイン語: Parador)は、スペイン、プエルトリコなどスペイン語圏にある比較的高級なホテル・チェーンを指す。
スペインでは古城などを改装したり、景勝地に新しく建てた半官半民の宿泊施設網で、1928年に始まり、2007年時点で91か所ある。

 アルティエスの町はピレネー山脈に囲まれたアラン渓谷の山懐にある。落ち着いたよいホテルだった。

   

5. アイギストルテス国立公園


   

 ピレネー山脈の中央の南に位置するアイギス・トルテス国立公園。氷河によって削られたU字形の谷、水と森と岩の織り成す自然美が堪能できる。多くのトレッキング・ハイキングのコースの出発拠点ともなっていて、受付の周りはにぎわっている。

標高1800mの地点にある小さな村エスポーの村。ここからジープに乗り換えて、目的の湖に向かう。

 


ラテラ湖、2000mを越える標高がある。見ている前で雲に隠れて山容が変わっていく。
2つの湖の間は手軽なトレッキングコースになっていて、多くの人が楽しんでいた。



サン・マウリシ湖。堤防が人工的でやや残念。
   
photo by miura 2019.11 mail:お問い合わせ
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