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6.カタルーニャ ボイ谷のロマネスク教会群


 


 道からちょっと外れた谷側にひっそりとたたずむロマネスク教会

ボイ村のサン・ホアン教会

 ピレネー山脈の中央付近に、ボイ谷のボイ村がある。その村のはずれにサン・アホン教会がある。


教会の横の丘の上には羊飼いの像があり、楽しませてくれる。


渋いドームの天井はむき出しの木組み。
左右の祭壇の出っ張り。素朴な石積みと屋根と飾りがなんとなくかわいい。

 

 


窓には以前、何らかの飾りが施されていた跡だろうか。

 壁には、イエス・キリストを石打つ人々の絵柄が描いてある。ここにあるのはコピーで、本物はカタルーニャ美術館に展示されている。

 


教会のレイアウト。シンプルそのもの。
壁には、羊を連れたイエスか。生前か復活後か。羊をつれた珍しい像。イエスは自分のことを「羊飼い」だといっている。その意味は深いようでよくわからない。

 

鐘楼から  
山間の美しい村

 


 

タウル村のサン・クリメン教会


 サン・クリメン教会(Sant Climent de Taüll)はタウル村の駐車場のすぐ前にこの教会がある。

 ロマネスク様式は、10世紀末から12世紀にかけて中世西ヨーロッパで広まった建築美術様式。ロマネスク建築の建築物は大陸全体で見られ、帝政ローマ建築以来初めての汎ヨーロッパ建築様式。

 ロマネスク様式という言葉は、美術史・建築史において、19世紀以降使われるようになった用語であという。直訳すると「ローマ風の」という意味であるが、当初は「堕落し粗野になったローマ風の様式」という蔑称としての側面が強く、その芸術的・建築的価値が評価されるようになるのは20世紀になってからである。(Wikipediaより)
造りが古代的な素朴さを持っている以外に、全体的に窓が少なく、柱組みや窓の上部が半円形の石組みになっているのが特徴。

 

その頃アンダルシア地方に住んでいたイスラム教徒がフランスを侵略しようとしていたため、フランス国王が軍事的領地として、イベリア半島の北部(ピレネー山脈の南部)に新しい「領地国」を建国した。ここを統治したバルセロナ公爵は、人口が増えるようにピレネー山脈の麓に村、お城、修道院、教会などをたくさん作った。

 

カタルーニャ美術館にあるオリジナルのフレスコ壁画。

 定時に、壁画のプロジェクション・マッピングのイベントが行われる。時間にうまく立ち会えないと、この壁画はみることができない。
 教会に入ると最初は真っ暗で、間もなく、ドーム内をスクリーンにしたプロジェクション・マッピングが始まる。壁画の描画過程が順を追って構成される。解説の音声は残念ながら理解不能。
 試みとしては面白いが、そのままの壁画を観賞しても十分に価値のあるものだと思う。マンガのキャラクタのような素朴で愛嬌のある人物描画は、ロマネスク様式と妙にマッチしていて、味わい深い。

 

 プロジェクション・マッピングにより再現されたフレスコ壁画。上の現状の壁画ではなく、描画当初の完全な壁画が再現されて描画される。
 窓が小さい暗い教会内では、このような壁画もかなり幻想的で荘厳に見え、イエス・キリストと12使徒の迫力に圧倒されるかもしれない。


 

 

タウル村のサンタ・マリア教会


 ボイの谷の代表的なサンタ・マリア聖堂(Santa Maria de Taüll)である。
 サンタ・マリア聖堂は、サント・クリメント教会と同時期の1123年に建立された。形もサント・クリメントとほとんど同じ。


教会の入口はこんな形で素朴。


サンタ・マリア聖堂の質素な入口


 教会の側の民家の石組みの壁。素朴な初期の石組み。色々な色の石がデザインされたかのように積まれていて美しい。

 鐘楼は南の身廊から伸びている。この鐘楼は聖堂の他の部分に比べてあまり優れているとはいえないが、本来はこの鐘楼が最も初期に作られ、あとから周辺の聖堂部分が付け加えられた可能性があるともされている

 聖堂は18世紀に大きく修繕され、ドームも付け加えられたが、ドームも含めた18世紀の改築部分は1970年代に取り去られた。フレスコ画は1918年に国立カタルーニャ美術館に移された。

 


シンプルなロマネスク様式の教会。こんなシンプルな構成が好もしい。
 

 サンタ・マリアという名前をもった教会は世界にたくさんある。「タウル村の」という但し書きが必要。教会の構成はロマネスク様式の教会としてはごく一般的なもの。


ピレネ山中でのチーズの宣伝のようだ。羊と羊飼いの姿が神々しい。

 

サンタ・エウラリア教会

Santa Eulàlia d'Erill la Vall


バル村のサンタ・エウラリア聖堂。

村の中の教会。6層の高い塔を備えている。教会の外見は特に特徴はみられないが,内部のドームの構成が面白い。

 ロマネスク教会の入口付近には、普通、上のような教会レイアウトと解説板がある。

 


 教会の前のなんとなく傾いている民家。荒い石組みはかなり古い造り、屋根は、ピレネー山脈で豊富に産出される粘板岩を薄く剥いで屋根石として使っているもの。この屋根石も厚く粗削り。

 


聖堂の中央の上段に写真のように掲げられていたようだ。イエスを十字架から降ろそうとしている図。
人物像がイエスも含めてやや上下に細長い 。

キリストを十字架から降ろそうとしている木彫。

 オリジナルはバルセロナのカタルーニャ美術館に移築されている。実際には、左の写真のような状態で設置されていたようだ。事実かと疑いたくなるような面白過ぎるドーム内の構成で、十字架から降ろされようとしているイエス・キリストの瞬間を形象化したものか。

 イエスが十字架の上で息絶えたその夕方、マタイ福音書では次のように書いている。
「夕方になるとアリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石をころがしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」

 
十字架のイエスやマリア像ではなく、こんな面白い彫像がドームの中央に置かれている。イエスの左右の人の表情が、なぜかマンガちっく。


 イエスの右手がなくなっているが、他の同じ状況のイエス像はイエスを支えている右の人の頭上に垂れ下がっている。しかし、イエスを取り囲んでいる人たちはいったい誰なのだろう。

 

   

photo by miura 2019.11 mail:お問い合わせ

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