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モダーブ城・ディナン
聖バーフ大聖堂
ブルージュ・アントワープ
アムステルダム
マウリッツハイス

モダーブ城・デュルビュイ・ディナン(Belgium)



ベルギーの点典型的な街並み。赤レンガと白いレンガの組み合わせ。

オランダNederlandのアムステルダム空港からバスでベルギーBelgium、ブリュッセルへ。
秋のベルギー・オランダと美術館めぐりを中心にしたツアーに参加することになった。

ブリュッセルに宿泊して、翌日は南部のアルデンヌ地方にある城と都市を廻る。

ブリュッセルには欧州連合EUや欧州委員会ECの本部が置かれ、NATOもベルギーに本部を置いている。要するに、ベルギーは、地理的に欧州の中央にあるということ。


モダーブ城本体の全景。城門の近くには塀と建物が並んでいて、城の内と外は広大な庭と森が取り囲んでいる。

城門

広大な庭

モダーブ城 Chateau de Modave

モダーブ城のMap

この地方の豪族・貴族が治めていた城。13世紀に建てられたもので、17世紀にジャン・マルシャン伯爵が修復整備した。現代でも当時の姿を残している美しい城。
この館の所有者が転々と変わり、それぞれの所有者の好みが反映されて改築されているようだ。城内は、いくつもの部屋に分かれ地方貴族の生活の様子が分かるようになっている。

城を囲む塀、城壁。守りの城というより、地方貴族の広大で豪華な住まいといった感じ。城の周りはは深い森とまだらに耕作地があり、街のようなものは近くにはない。

ベルギーにある数ある古城の中で、最も日本人になじみがある。それは、この城が日本人の結婚式を積極的に受け入れているかららしい。


モダーブ城の後ろは崖になっている。崖の下には川が流れていて、飲料水は大規模な汲み上げシステムを造っていた。

 


モダーブ城前の噴水

モダーブ城へのアフローチの森の並木

 


街につながる橋から見たお城

デュルビュイ Durbuy

デュルビュイのMap

 「世界一小さな都市」といわれる。ベルギーのワロン地域に属するリュクサンブール州の都市。城下町として栄えたらしいが、現在は観光都市となっている。
2007年ポルトガルで開催された欧州観光フォーラムで、「卓越した欧州の旅行先・EDEN賞(European Destination of Excellence)」を受賞し、以来人気が高まっているらしい。
小さな中世風の街を散歩するのもわるくない。



お城の城壁。お城の中はは公開されていないようだ。
かっては川の流れにそった城壁に囲まれていた。街中のレストランでの食事がおいしかった。珍しいタンポポのジャムを売っている店に行った。買ってきたが、まだ食べてはいない。


デュルビュイの古い絵地図


古代には海の底だったことをあかす褶曲した岩石の地層が町はずれにある。



ムーズ川沿いに造られた中世の街
崖の下の教会はノートルダム教会。

ディナン Dinant

ディナンのMap

ベルギー・ナミュール州にあるディナン。ムーズ川が造り出した断崖絶壁の麓に広がる町。
ムーズ川の軍事的要所に位置するため、古くからディナンは戦闘と略奪にさらされた。
新石器時代には既に人が住んでおり、続いてケルト人、古代ローマ人が進出した。定住地としてディナンが記載されたのは、トンゲレン=マーストリヒト司教聖ペルペテが記録を残した7世紀に遡る。
崖の上には、11世紀頃から城塞が築かれ、現在のものは19世紀に築かれた。ロープウェイで登ることも、石段を歩いて登ることもできる。どちらもキャンセル。


川沿いの街並みがカラフルで絵のように美しい。観光客が散歩やお茶を楽しんでいた。

16世紀と17世紀の戦争はフランスとスペインの間に戦争が起こり、ディナンは中立を保ったにもかかわらず破壊行為、飢饉、疫病流行に苛まれた。
1675年、オランダ侵略戦争でフランス軍に占領された。ディナンは18世紀の終わりになって短期間オーストリアの支配下に入った。リエージュ司教領全体は、1795年にフランスに併合された。そして、第2次世界大戦中はドイツが支配していた。ディナンはこんな歴史を経験して現在に至っている。


ディナンはサクソフォーンの発明者アドルフ・サッカスが生まれた町。川に架かる橋にはカラフルなサクソフォーンが並んでいる。今は、サックスは造っていないようだ。

 

   
photo by miura 20124.10
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