メニューへ
ニースからマルセイユへ
プロバンス、アルル
カルカソンヌ、トゥールーズ、サンテミリオン
モン・サン・ミッシェル、ジヴェルニー
ベルサイユ、パリ・ルーブル

ベルサイユ、パリ


ベルサイユ宮殿Chateau de Versailles (Map)

1624年、ルイ13世が狩猟を楽しむために建て、その後ルイ14世が絶対王政のシンボルとして大増築した。800年の歴史を持つルーブル宮から王宮が移され、続いて、ルイ15世、16世の居城となった。フランス王室絶頂期の豪華絢爛な建築である。

どこを見渡しても金ぴかで、確かにすごいのだが、この金ぴか趣味はいかがなものか、なんかあまり好きになれない。いかにも市民革命が起きそう。


華麗だが金ぴか趣味はいかがなものか。

「ナポレオン1世の戴冠式」の絵の一部
ナポレオン・ボナパルトは、フランス革命後の混乱を収拾し、軍事独裁政権を確立した。軍隊を組織し、フランス革命への干渉を図る欧州諸国とのナポレオン戦争を戦い、幾多の勝利と婚姻政策によって、イギリス、ロシア帝国、オスマン帝国を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた。

画家ダヴィッドによる大作『ナポレオン1世の戴冠式』の大きな絵
ナポレオン1世の戴冠式は、1804年12月2日にパリのノートルダム大聖堂で行われた「成聖式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式」のこと。

 


王妃の村里ルアモーは、王妃が農村生活を楽しむためにために造園した小集落。ギリス式庭園風に理想的な村を模して居住用ではない装飾用の建築物が建てられている庭園。

王妃の村里ルアモーHameau de la Reine (Map)


プチ・トリアノン宮
ルイ16世が寵妃ポンパドール婦人のために建てた離宮。その後、1774年、王妃マリー・アントワネットは夫のルイ16世からの贈り物としてプチトリアノン宮殿を与えられた。これはマリー・アントワネットにとって、しきたりと宮廷生活の厳しさから逃れることができるエルミタージュのような場所であった。王妃マリーアントワネットのお気に入りの館となる。


マリーアンワネットはフランス革命の過程で処刑され、村里はその余波に巻き込まれた。しかし、皇帝ナポレオンにより1810年には修復された。

 


こうした人里離れた村のアイデアは新しいものでもなく、当時は田舎風の装いはファッショナブルであり、田舎での生活も自由や美といった観念に関連していた。 (Wikipediaより)

 


1989年にはガラスのピラミッドがメインエントランスとなった。
写真はピラミッドの下の逆ピラミッド。
右の写真は、上の階からみたピラミッド。

ルーブルに入るには事前予約が必要。入館料も当然必要。
以下、作品を、僭越ながら、たまたま、いくつかを紹介。

ルーブル美術館Musee du Louvre (Map)

パリのセーヌ川右岸にあるこの建物は、元は12世紀建造の城塞だった。歴代王の宮殿として使われ、1793年に美術館となった。
所蔵美術品は古代から19世紀初頭までの絵画、彫刻、工芸品や古代オリエント、古代エジプト、古代ギリシャなど歴史的文明に関する美術品など幅広い分野の作品が展示されている。


オナルド・ダ・ヴィンチの作品「モナ・リザ」
さすがに黒山の人だかり。ようやく近づいて右の1枚を撮った。モナリザはたくさん見て来たので、本物を見ても特に感動はない。近づいてゆっくり観賞などできたものではない。

「ルーブル」では作品は国、地域別に展示されており、17世紀フランドル絵画、16世紀オランダ絵画、15〜16世紀ドイツ絵画、17世紀フランス絵画など。1日あってもみ切れない。見たい絵がどこにあるのかも分からない。案内図を見てもやはりわからない。とにかく右往左往するばかり。

ルーブルの三大美女といえば、 ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、そしてモナリザをいうらしい。

レオナルド・ダ・ヴィン「モナ・リザ」1503年
77x53cm 油彩 板
ようやく正面から撮影することができた。記念の1枚。

ウジェーヌ・ドラクロワ 「民衆を導く自由の女神」1830年
260x325cm 油彩 カンヴァス
これはフランス共和国を象徴する女性像マリアンヌの姿。 フランス革命時のサン・キュロットが被っていたフリジア帽を被り、自由の象徴となっている。1830年に起きた、フランスの七月革命をモチーフに描かれた作品。戦禍の凄まじさとともに、そこに息づく人々の生命力、そして自由を象徴する女神の輝かしさをも強く伝えている。
本作は、サロンで大人気を博したにもかかわらず、既存価値を破壊する風刺とみなされ、25年間一般公開されていなかった。現在、フランス国民にもっとも広く愛されている作品の1つ。(「世界の美術館」より)

ラファエロ 『美しき女庭師』1507年、油彩・122×80cm
ラファエロの絵はとにかく美しい。他にも『大公の聖母』、 『燭台のマドンナ』など。ここにはないがラファエロの最高傑作はなんといっても『システィーナの聖母』か『小椅子の聖母』でしょう。

ジャック=ルイ・ダヴィッド「皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」 1805〜07年 油彩 6.21m×9.79m

制作に3年かかった超大作。皇帝の戴冠式なのだから、ローマ教皇からナポレオンに冠が授けられるはず。ところが戴冠しているのはローマ教皇ではなくナポレオン。そして冠を受けようとしているのは妻のジョゼフィーヌ。人々はどういう関係なのか、何を表現しようとしているのか、いろいろ話題の多い絵。

ナポレオンが自らの威光を示そうとしたこの作品は、1819年に王室コレクションに加わった。1889年にルーブル美術館に移された。ヴェルサイユ宮殿にはダヴィッド自身による複製が飾られている。細部がことなるようだ。説明を受けたが忘れた。


『サモトラケのニケ』(「ニケのビーナス」)
翼のはえた勝利の女神ニケが、空から船のへさきへと降り立った様子を表現した彫像。1863年に(エーゲ海の)サモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発見された。頭部と両腕は失われている。

『ミロのヴィーナス』(やや右から)
紀元前2世紀ごろ古代ギリシアで制作された大理石彫刻の女性像。ギリシア神話における女神アプロディーテーの像と考えられているらしい。発見地ミロス島。
ビーナスの頭の天辺からおへそまでとおへそから足元までの比率が1:1.618 の黄金比、これが「美しい比率」なのだそうだ。

(左から) 確かにどこから見ても美しい。

(正面から) これが美の基準か。

アングル「スフィンクスの謎を解くオイディプス」 1808年 1.89×1.44m

オーギュスト・ルノワール 『読書』1890年頃

オーギュスト・ルノアール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1876年131x175cm
油彩 キャンバス

フェルメール《レースを編む女》1669年

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 『乞食の少年』
1645〜1650年ごろ 134 cm × 300 cm 油彩

アングル 「ルッジェーロに救われたアンジェリカ(ペルセウスとアンドロメダ)」

エドガー・ドガ「舞台リハーサル」1874年 

2019年4月15日夜(現地時間)に大規模火災が発生し尖塔などを焼失した。

ノートルダム寺院Cathedrale Notre-Dame de Paris (Map)

パリのノートルダム大聖堂はローマ・カトリック教会の大聖堂。ゴシック建築の代表格として世界的に著名で、世界遺産「パリのセーヌ河岸」の構成資産。


ノートルダム大聖堂 南のバラ窓


コンコルド広場、古代エジプトのルクソールから寄贈されたオベリスク。 高さ約23メートル、重さ約230トンの赤色花崗岩で作られた石柱。


セーヌ川沿いの散歩道で
パリ市内の乗り合いバス
パリの中年の女性が老人に席を譲っていた。子供も大人も老人に席を譲る文化が根付いているようだ。

 


モネの《睡蓮》のための特別展示室。
計8点、高さ2メートル、幅約100メートルにもなる《睡蓮》が、2つの楕円形の展示室に360度パノラマで展示されている。


オランジェリー美術館Musee de l'Orangerie (Map)

オルセー美術館の近くに、チュイルリー公園内にオランジュリー美術館がある。モネの睡蓮シリーズの他、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、シスレー、ピカソ、マチスなど。代表的な作品としては、モディリアーニ《ポール・ギョームの肖像》、ルノワール《ピアノに寄る娘たち》他。

2025年、国立西洋美術館などでも楕円の部屋の壁一面に睡蓮の絵を展示していた。


ジヴェルニーにモネの家があり、そこに広い庭に睡蓮の池がある。 モネはこの池で、水面に浮かぶ睡蓮と池の風景を題材にした一連の作品を描いた。1890年頃から晩年まで制作された睡蓮は約250枚にのぼる。
当初は池と橋を描いたが、次第に時間や季節によって変化する光の効果や雲の動きや周囲の木々の様子を水面という「光の小宇宙」に映し出すことに注力するようになった。晩年には、見る者が池の中にいるかのように感じさせる「睡蓮」大装飾画を制作し、それがこのオランジュリー美術館に展示されている。

水面に映る光と色の小宇宙。水面に映る空と雲、辺りの木々や草花、水面に浮かぶ睡蓮の葉と花。この幻想的な小宇宙がモネを魅了したようだ。
季節や時間の移ろいのなかで変化する光と色、その一瞬の変化の印象を絵にしようとした。

印象派の絵筆のタッチは「筆触分割」。 色を混ぜ合わせずに、小さな筆触や点で画面上に並置する描き方のこと。印象主義の画家たちが用いた絵画の技法。

 


モネの筆触は、結構大胆で、何を描く場合にも基本の色全てを併置ないし塗り重ねた厚塗りの感じ。

 


建物は旧オルセー駅で、鉄道駅舎として建てられたもの。

オルセー美術館Musee d'Orsay (Map)

建物は旧オルセー駅で、鉄道駅舎として建てられたもの。ヨーロッパ最大級の美術館。1848年から1914年までのフランス美術が中心。中でも有名なのは印象派とポスト印象派の世界最大のコレクションで、クロード・モネ、エドガー・ドガ、ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、ファン・ゴッホなどの傑作を見ることができる。


ギュスターヴ・クールベ『画家のアトリエ:我が芸術的(また倫理的)生活の七年に及ぶ一時期を定義する写実的寓意画』 1855年 361 cm × 598 cm


ルノアール「都会のダンス」と「田舎のダンス」
ルノワールは1890年49歳のとき、「田舎のダンス」の女性アリーヌ・シャリゴとに結婚した。

1855年のパリ万国博覧会の審査員団は、クールベの作品11点を博覧会出品に合格としたが、『画家のアトリエ』はその中に入っていなかった。自己宣伝と抗議の意を込めて、クールベは、ブリュイヤスの支援を得て、自作を展示する施設(写実主義パビリオン、Pavillon du realisme)を公式展示場の近くに設け、その後様々な形で繰り返されることとなった落選展の先駆けとなった。本作を賞賛したものはほとんどおらず、わずかに画家ウジェーヌ・ドラクロワらごく少数が本作を支持したのみであった。
クールベの画家としての人生に影響を与えた様々なものが表されている。画面左手には、社会のあらゆる階層を表した人物たちがいる。中央では、クールベが風景画を制作しているが、彼はアカデミック美術を象徴するヌード・モデルには背を向けている。画面右手には、クールベの友人や支援者たちがおり、おもにパリの社交界のエリートたちである。(Wikipediaより)
それにしても副題が何を意図しているのか意味不明。落選した腹いせに自作の展示場を設けて公開するのはよいが、この作品は意味不明。

 

   


モネ「日傘をさす女(右向き) 1886年 131×88cm
オルセー美術館 
モデルは、妻アリスの子供シュザンヌといわれる。


モネ「日傘をさす女(左向き)」1886年 131×88cm
オルセー美術館


モネ「ルーアン大聖堂:正面から見た扉口(茶色のハーモニー)」 油彩 1892年 107 × 74 cm


エドゥアール・マネ『草上の昼食』1862年?1863年
油彩、カンヴァス 208 cm × 265.5 cm

モネ「睡蓮 緑のハーモニー」1899年 93×89cm

モネ「青い睡蓮 Blue Water Lilies」 1916年 - 1919年 200cm×200cm

ポール・セザンヌ「リンゴとオレンジのある静物画」 1899年
静物がなんとなく歪んで描かれていて、評価が難しい。

セザンヌ「サントビクトワール山」1890年頃
セザンヌの故郷の近くにあるサントビクトワール山。セザンヌは何枚もこの山を描いている。この絵は写実的だが、後には抽象度が高くなっていく。

フィンセント・ファン・ゴッホ「オーヴェルの教会 」1890年94x74cm
ゴッホ「昼寝」1890年91×73cm


ゴッホ「自画像」1889年 54×65cm

パリのルーブル、オランジュリー、オルセーの3大美術館は、予約の関係で1日で回ったが、各美術館とも1日見ていても見たりない。ゆっくり観賞したいなら、それぞれ1日はタップリとったほうがよい。また、美術館内部の展示の構成や込み具合も調べて、空いている曜日、時間帯などをしらべておいたほうがよい。
オルセー美術館を見て回っている途中で非常ベルが鳴り、すぐに外に出るようにとの放送(後てきいたのだが) があり、全員館外に出された。結局その日は2度と入館できることはなかった。

   

昼間のエッフェルトーTour Eiffel

夜のエッフェルトー (Map)

凱旋門

フランスは建物もアートだ。
   
photo by miura 20125.07
メニューへ  ページトップへ
左の