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カルカソンヌ、トゥールーズ、サンテミリオン
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カルカソンヌ、トゥールーズ、サンテミリオン



コンタル城への正面入口

コンタル城Chateau Comtal (Map)

「歴史的城塞都市カルカソンヌ」 Historic Fortified City of Carcassonne、1997年にユネスコの世界遺産に登録。フランス国内ではモン・サン=ミシェルに次ぐ年間来訪者数を誇る一大観光名所となっている。(Wikipediaより)
カルカッソンヌは全長3000mにも及ぶ二重の城壁に守られたヨーロッパ最大の城塞都市。このカルカッソンヌの城塞都市は通常「シテ」と呼ばれる。
古代ローマ時代に、要塞に囲まれた都市機能の基盤が形成され、中世にはさらに外側にもう一重の要塞が建設された。この二重の防備が施された丘の上の城塞都市である。


城門

城壁の上の通路をたどって一周できそうだ。

カルカソンヌの城壁都市、右端のオード川に架かるヴュー橋


「女領主カルカス (Dame Carcas) の伝説」は、カルカソンヌの名の由来を説明しようとするもの。サラセン人の占領下にあった頃、侵略しようとしたカール大帝は市門の前に陣を敷き攻囲戦を行った。この攻囲は五年を超えたが、この時、夫の大公亡き後シテの騎士団を率いていたのが、公妃カルカスであった。

攻囲が六年目に入ったとき、シテの内側では兵糧も水もなくなりかけていた。カルカスは残っているものの一覧を作ろうとしたときに、市民は豚一頭と小麦の袋をもってきた。彼女はこれを見て一計を案じ、豚に小麦を食わせて太らせた上で、塔から市外へと放り捨てた。

これを見たカール大帝とその部下たちは、太った豚を惜しげもなく捨てるのだから、市内にはまだ十分な兵糧があるに違いないと考え、撤退を決めた。カルカスはその勝利を祝福し、町中の鐘を鳴らさせた。撤退中の大帝軍の一人はこう書き記した。「カルカスが鐘を鳴らしている(Carcas sonne ; カルカ・ソンヌ)」と。伝説では、これが市の名前の由来になったのだという。(Wikipediaより)


ライトアップされた幻想的なコンタル城の中心部分



夜、ライトアップされたコンタル城。
ヌフ橋から城壁を眺めながら、夜の城壁まで散歩した。中世の夜的世界を楽しむ。

 


ヌフ橋から見た城塞。右手の橋はヴュー橋

オード川を挟んでカルカッソンヌの城を眺める。右端の橋はヴュー橋。古い石橋と城がよくマッチしている。


正門の前に立つ像は何なのだろう。公妃カルカス?

 


ミディ運河をクローズ

この運河の建設プランは、 徴税吏ピエール=ポール・リケにより発案された。大西洋岸から地中海沿岸に貨物を輸送するための航路を約 3,000 km 短縮し、ジブラルタル海峡の通行税をスペインから削ぐことができる建設プランは、国王ルイ14世により国家プロジェクトとして認められた。
標高190mのノルーズの分水嶺に水を通す工事や、100を越える水門を築く必要があった。なかでも標高差 21 m を7つの水門(ロック)で1時間かけて上下させるフォンセランヌの7段ロックは、この運河のハイライト。工事は難工事続きで、国家からの予算だけで賄うことはできず、リケは家財を売り払ったという。
この運河の完成で、運河沿いの地区の産物の流通が盛んとなり、ボルドー、サンテミリオン、ラングドック地方のワインは飛躍的に生産量を伸ばした。 その後、19世紀に鉄道が開通し、輸送ルートの主役の座から降り、現在では運河クルーズで人気の観光地となっている。また、動力を持たない当時の船舶を人や馬が引くために運河の両側につけられた道(曳舟道)には、日差しを遮るために45,000本ものプラタナスや糸杉が植えられた。

ミディ運河(青)のルート    (Wikipediaより)

ミディ運河Canal du Midi (Map)

大西洋岸と地中海岸をつなぐミディ運河。フランスのトゥールーズでガロンヌ川から分岐し、地中海に面したトー湖にいたる全長 240 km 、支流部分も含めた総延長では 360 km に及ぶ運河。19世紀に鉄道に取って代わられるまで、大西洋と地中海との間を船舶で結ぶ、大量輸送ルートだったという。


高さの違え水路を結ぶ水門(ロック)を通過するボート。
人々は物珍しそうに眺めていた。二つの水門を開閉して水の高低を調節するやり方には誰もが興味津々。

   

小さなワイン工場を見学した。

サンテミリオンSaint-Emilionのワイン (Map)


どこまでも続くブドウ畑
ボルドーワインで有名なボルドー近郊のワイン産地のひとつ。歴史地区は周辺の7つのコミューンの景観とともに、「サン=テミリオン地域」の名でユネスコの世界遺産に登録されている。

ワインの醸造工程の説明があったが、忘れてしまった。
とにかくおいしければよいのだが。


ブドウの木は収穫しやすいようによく加工されている。

 


サン・セルナン寺院

サン・セルナン寺院の内部

トゥールーズ Toulouse (Map)

約2000年前、ガロンヌ川沿いに建設され、10世紀にはトゥールーズ伯の領地になり中世文化が栄えた。一時衰退したものの、藍染め料などで再び繁栄。川底の土で造ったレンガ造りの街並みが特徴で、「バラ色の街」と呼ばれる。

サン・セルナン寺院は、11世紀、聖セルナンの遺徳を偲ぶために創建された。サンチャゴデコンポステーラ巡礼路の主要な中継地のひとつで世界遺産の構成要素のひとつ。鐘楼は5階層の8面体で高さは64m。


キャピトル広場 水上ラグビーというものをやっていた。ゴールするときには水に飛び込むことになる。

トゥールーズの街角


トゥールーズ市庁舎の内部。ピンク色の大理石が印象的。

市庁舎の内部は豪華な美術館のようで、絵画も展示されている。
   


ボルドーの中心にあるカンコンス広場(Place des Quinconces)。 ヨーロッパ最大級の広場といわれる。
ジロンド記念碑、高さ46m。
19世紀末にはジロンド派記念碑が建てられた。この記念碑は元々フランス革命100周年を控えた1881年に企画されたものであったのだが、実際の製作は1894年から1902年にかけてのことであった。(Wikipediaより)

 

ボルドー カンコンス広場 (Map)

ボルドーは世界的なワインの産地としてしられる。
古代ローマの時代から良港として栄えた。18世紀には三角貿易で繁盛した。ワインや火薬を輸出→西アフリカで奴隷を得て、新大陸で労働力として売り→砂糖やコーヒーを輸入した。

ジロンド記念碑の上に立つ女神像

   

ボルドー ブルス広場(La Place de la Bourse) (Map)

ブルス広場Place de la Bourseは、ボルドーがワインの生産と貿易で栄えた港町であることから、ガロンヌ川からやって来る人々を迎え入れる広場として作られた。広場を囲むように左右対称の美しいブルス宮殿が立ち、広場の中央にはヴィスコンティ設計の三美神の噴水がある。


ブルス広場の水鏡。人と犬が飛び出してくる前に撮らなければならない。


敷石の継ぎ目から水がしみ出してきて、しばらくすると一面の水鏡が完成する。それを待っていた子犬たちと子供と大人が飛び出してくる。


サンタンドレ大聖堂(ボルドー大聖堂)

ボルドーにあるカトリック教会で、聖アンドレに捧げられたもの。1998年、ユネスコにより、フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を世界遺産に指定された。


ートルダム・ラ・グラン教会
ポアティエの12世紀ロマネスク様式の教会。松ぼっくりを思わせる尖塔が特徴。
ジャンヌラルクの裁判が行われた場所としても知られる。
ポアティエの街は歴史にたびたび登場する。先ず711年イベリア半島に上陸したイスラム勢力は瞬く間に半島を席巻し、さらに732年天然の要塞ピレネーを越えてこの地に達した。このときフランク王国の君主シャルル・マルテルがツール・ポワティエで迎え撃ち激戦の末打ち破った。 もしフランク族が負けていれば歴史は大きく変わっていた。

 


フランスのカトリックとプロテスタントの内戦ユグノー戦争中の1560年、1200人のプロテスタントが絞首刑に処せられ、城壁や祝事の際に旗やタペストリーをかける鉄のフックやアンボワーズ城のバルコニーに吊るされた。宮廷は死臭のために、すぐに街を出て行くことになった。(Wikipediaより)

ロワールの古城めぐり
アンボワーズ城Chateau royal d'Amboise (Map)

ロワール渓谷のアンボワーズにある城。シャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、フランソワ1世らヴァロワ朝の国王が過ごした。フランソワ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチを呼び寄せたクロ・リュセはすぐ近くにある。1515年12月、王の客としてレオナルド・ダ・ヴィンチがアンボワーズ城に招かれ、近くのクロ・リュッセで生活していた。城とクロ・リュッセは地下道でつながっている。(Wikipediaより)

 


正面から見たクロ・リュセ城
ダ・ヴィンチは彼が亡くなる1519年5月までここで過ごした。

レオナルド・ダ・ヴィンチ終の棲家クロ・リュッセ城 (Map)

フランス王フランソワ1世が幼年期を過ごしたシャトー。アンボワーズ城の近くにある。現在この二つの建物は地下通路で繋がっている。
フランソワ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチを呼び寄せた。


レオナルドの書斎

レオナルドの寝室?

中庭

館を囲む敷地は、レオナルド・ダ・ヴィンチ・パークとなっている。ここには彼の発明品の数々が、実際に体験できる遊具として再現されている。

壁にはレオナルドの作品が掛けられている。
  ロアル川のほとりにて
朝の静謐な空気の中で、来方行く末を思いて
私の人生、これでよかったのだろうか。
「心を収めて、道を行わんとなり。しかるを汝、姿は聖人ににて心は濁りに染めリ。その保つところは朱里判読が行いだに及ばず。(方丈記のむすび)
   

シュノンソー城Chateau de Chenonceau (Map)

世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれる。城へのアプローチの並木が素晴らしい。

第一次世界大戦の間、シュノンソーの城主ガストン・メニエールは、城のすべての部屋を病棟とし、その費用を提供した。第二次世界大戦では多くの人々がギャラリーの特別な位置を利用した。


水車小屋と製粉所跡の名残を残したためか、城は川の上につくられている。

ギャラリーといわれるボールルーム(ダンス・ホール)
広い庭園を一周したが、なんか無駄に広大な感じ。

正面から見たシャンポール城の威容?異様。

シャンポール城Chateau de Chambord (Map)

ロワール渓谷に点在する城のうち、最大の広さを持つ。フランス王フランソワ1世のために建てられた。世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれる。
城の特徴としてはまた、128mものファサード、彫刻された800以上もの柱、精巧に飾られた屋根が挙げられる。
二重らせんの階段、2つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができる。広々としたすばらしい階段はシャンボール城見学のハイライトとなっているようだ。階段を設計したのはレオナルド・ダ・ヴィンチだという説もあるが、これは確かではないということ。




フランスはヨーロッパ文明の精華であるが、農業国という顔も持っている。


二重らせんの階段

シャンボール城には、敵からの防御を意図した構造物は何もない。壁や塔、堀の一部は華麗に装飾され、当時としても時代錯誤なほどであったらしい。

城の周りには、52.5平方kmの森林公園が広がり、31kmの壁で囲まれた禁猟区にはアカシカが生息している。(Wikipediaより)

フランスの食料自給率は、カロリーベースで121%(2021年)と高く、世界有数の農業大国。小麦や乳製品、肉類などを主に生産し、これらの品目では100%を超える自給率を達成している。

   
photo by miura 20125.07
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