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はじめに
アルハンブラ宮殿
セビーリャのカテドラル
トレド旧市街
バルセロナのガウディ
コルドバ歴史地区
 

アルハンブラ宮殿


場所:スペイン・グラナダ
スペインの地図
世界遺産名: グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、
アルバイシン地区
登録年:1984年 

城壁の前で熱心に説明する現地ガイトさん。面白い。

アルハンブラ城の城壁はかつて白かった。

 スペイン旅行で一番期待していたのが、このアルハンブラである。イスラム文化の精華ときいていたからだ。イスラムを知らない私には大変興味がある。
 しかし、団体旅行の悲しさ、1時間しか時間が当てらなかった。中に入れただけでもよい方で、世界遺産に指定されてから、1日の入場者の制限があり、事前予約しても入場時間さえ自由にならないとのこと。

 写真は、アルハンブラの城壁で解説する案内人。話にオチがあり人気があった。
 城壁き築城当時は白い城壁だったという。現在、城壁の周りには木が茂り遊歩道があるが、昔は防御上の必要から木はなく、もちろん道もついていない崖だっという。イスラムとカトリックの攻防では、この城壁が血に染まったという。そのせいではないが「赤い城」という通称もある。


宮殿の周りは完璧な城壁が取り巻いている。

アルハンブラ城

 アルハンブラは宮殿には違いないのだが、山の中腹のでっぱりに造られた中世の城である。難攻不落の名城といわれてた。スペインにおけるイスラムの最後の砦として最後までレコンキスタ(国土回復運動)に抵抗したら、今日あるような宮殿がのこっているかどうかはわからない。

 西暦711年に北アフリカのイスラム教徒たちがジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に上陸した。彼らは3年間でスペインのほぼ全土を支配してしまった。このときから1492年のグラナダ開城までの800年近くのイスラム支配があり、イスラム文化が栄えることになった。
 アルハンブラ陥落後は、スペインはキリスト教・カトリックの牙城となるが、そのなかでイスラム文化がいっそう怪しい輝きを増していた。

カルロス5世宮殿

 この建物はカルロス5世宮殿と呼ばれている。グラナダを攻略しイスラムを追い出したキリスト教徒の王はアルハンブラを破壊することなく価値のある戦利品として有効活用した。
 このカルロス5世宮殿はキリスト教徒の王が建てたといわれており、他のイスラム建築とは大きく趣がことなっている。幾何学的な設計ミスもあり、評判はかんばしくないようだ。

 真ん中で声を出すと建物全体にこだましてスピーカーがいらない。案内者の説明でみんなが中央で手をたたいたのにはまいってしまった。

メスアール宮の全景

 コマレス宮・ライオン宮と並んでイスラム時代に建築されたもので、旧王宮と呼ばれている。
 中庭の緑の生け垣は糸杉を成形したもの。糸杉をこんな形にするというのは、抽象化と幾何学模様が好きなイスラム文化の特徴なのだろうか。ヘネラリーフェの庭でも糸杉を使った大規模な成形があったし、マリリッドの王宮の庭でも見た。

 宮殿の内部は全体的にこぢんまりした印象。やたらばかでかいとか、ただっぴろいのではなく等身大の建物で住みよい感じ。 現代にも通じるセンスで心地よい宮殿だった。
 イスラムの住居は緑のある中庭が特徴で、砂漠の民のいこいの場を演出しているようだ。

 柱の上まで細かな細工がほどこされている。壁は漆喰でできていて、それに彫刻がほどこされている。

 イスラム風建築はゴシック様式などと比べるとスッキリ洗練されている印象だが、イスラム独特の壁の装飾がある。 それにしてもこの細部まで造り込み、天井まで続く装飾は圧巻だった。

メスアールの中庭に面した2つの扉の前で

 扉の右側の柱が曲がっている。案内人の話では、レバノン杉でできた船から採った材木を使っているため、船の曲線の形がそのまま残ったためだという。
 レバノン杉は古代から貴重な木材で宮殿や船の建造に使われていたが、非常に貴重な材料でこのスペインには植えられていない。地中海の限られた地域にしかなく、多くは伐採されて絶滅寸前だとか。
 木材はアルハンブラ建築当時でも貴重な建材だった。

メスアールの中庭

 イスラム風の建築では、このような中庭を家の中につくるようだ。
 明るく居心地のよい庭で、大理石を敷き詰めているのに冷たい感じがしない。なぜかちょうどよい大きさで明るく居心地がよい。中央の小さな噴水はイスラム文化の象徴か、中庭の必須うアイテムのようだ。砂漠の中のオアシスのイメージか。


上下・左右に完全にシンメトリーの宮殿。

コマレス

 ここからはコマレスと呼ばれる2番目の宮殿。このコマレスがアルハンブラ宮殿のクライマックスであるようだ。
 観光写真などをみると広いように見えるが実際にはこぢんまりした感じ。中庭いちめん水槽があり水の宮殿とも言われている。
 向こう側の黒山の人だかりが撮影にはじゃまだったがこちら側も同様の状態なので、どいれくれとはいえない。
 時間があり人がいなければいつまでもたたずんでいたい風景で、何か人を引きつける魅力があるようだ。
 水面の映る宮殿が上下に、そして左右にも完全にシンメトリーになっている。これが安定感と安心感を与えているようだ。 イスラム文化のシンプルで整合性のとれた美しさは、現代人の感性にもマッチしているように思う。

 この宮殿の向こうに塔の上部がみえている。この塔もまたシンメトリーであり、手前の宮殿のつくりとマッチしている。このシンプルな虚飾のない美しさは何だろう。
 とにかく、日本にいては味わえない感覚に大いに満足した。この風景はなぜか印象に残る。これがイスラム文化の精華なのか。
 カトリックのゴシック様式とは対極にあるようなイスラム文化の精神が感じられる。いつまでも眺めていたい風景だが、すぐに両端の石の道を歩く人が出てきてしまった。しかたがないので私も歩いた。
 水槽の深さは2mと深い。藻などもあり魚がいて、飲み水には適さない。


黒い葉っぱと白い葉っぱ。

モザイクのタイル

 宮殿内部の壁の下半分には不思議な模様のタイルが張られている。
 このタイルはモチーフは植物の葉っぱだが、黒い葉っぱを並べたものと思いきや目の感覚を反転させバックの白に焦点を合わせると黒いバックに白い葉っぱが浮かび上がってくる。
 これはエッシャーのだまし絵ではないか。あっちこっちのタイルの多くはこのだまし絵のデザインになっている。
 エッシャーのだまし絵は彼がこのアルハンブラを訪れこのタイルを見たことによるインスピレーションから生まれたとのこと。やはりそうであったかと納得。
 この他にも、不思議な幾何学模様のタイルがあり、小さなデザインをほどこされたタイルが組み合わされてひとつのデザインを作り、それが組み合わされてさらに大きなデザインを作り、そのデザインが組み合わされてさらに大きな・・・というように無限にまとまりながらも拡散していくこの模様のデザインセンスはいったい何なのだろう。

 シンプルにして複雑、繊細にして大胆。広大な砂漠のひとつひとつの砂粒のような造形と全体としての開放的な造り。イスラム文化は深い。この模様はアラベスク模様というそうだ。模様は神秘的で理解しがたい深さがある。

 写真の文字のようなものは、「神のみぞ勝利者なり」とか。

 

ライオン宮の中庭

 この芸術性の高い中庭の中央に、ライオンの噴水がある。
 12頭のライオンが円形に並べられ、その口から水が流れいてる。ライオンの背中には12角形のお皿がのせられており、そのお皿は噴水になっている。
 二姉妹の間などがありハーレムだったのではという話もある。 実際は不明。

12頭のライオン

 訪れたときには、水は流れていなかったが、昔は時刻を知らせる噴水の造りになっており、時間ごとにライオンの口から順に水が流れるようになっていた、という話もある。
 しかし、時計のなかった当時、時間を示すのは太陽だけのはずで、太陽だけで順に水を流す仕掛けとは、どんなものだったのだろう。

 

鍾乳石飾りの天井

 鍾乳石造りは、9つの石膏でできた部品を組み合わせたもの。
 イスラム社会においては、現在にいたるまで鍾乳石は宗教的な表現の飾りとなっているという。
 ライオンの口や噴水とは別に4つの部屋にも小さな噴水がある。
 柱越しにみる噴水は、椰子の木越しに泉をを見ているイメージではないかという話もある。
 砂漠の民には、椰子の木と泉のイメージが一番憩いの場となるのかもしれない。

 


アルハンブラの片隅で宮殿を修復している人。

鉄格子の中庭

 2階に鉄格子が張ってあるためそう呼ばれている。
 宮殿の中庭にしては、ずいぶんこぢんまりとしているが、なぜか心休まる空間になっている。

リンダハラの中庭

 この庭だけが木や草花がたくさん植えられている。
 コマレスの池やライオンのシンプルさと対象をなしているが、イスラム宮殿の中で緑の植物は美しい。

パルタル

池の側に立つ貴婦人の塔といわれている。
緑と池と草花に囲まれた塔が美しい。

  ヘネラリーフェ離宮、 アルバイシン地区
photo by miura 2002.11 mail:お問い合わせ