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トレド旧市街
バルセロナのガウディ
コルドバ歴史地区
 

トレド旧市街


場所:スペイン・トレド

スペインの地図
世界遺産名: トレド旧市街 登録年:1986年
 

タホ川をはさんでトレドの街の全景をのぞむ。

 3方を川に挟まれた天然の要害の上に中世の街がたっていた。 ここからの景観はすばらしい。中世世界がパックになっていて生きた博物館といった感じ。いつまでもこの場にいても見飽きない。

タホ川は昔はきれいだった

 かってタホ川はきれいな川だったという。が、今は生活用水のため泡が立ったり臭ったりしているそうだ。せっかくの景観なのに残念。
 タホ川はポルトガルのリスボンにまで通じている。ポルトガルではテージョ川になる。

 

 







街はどこへいっても中世そのまま。

 象眼細工や鉄製品の土産物屋が並んでいる。時間の許す限り街の中を歩き回っていたい。

 トレドに最初に入った文明人は2世紀のローマ人だった。つぎに西ゴート人というゲルマン系の粗野な民族によりスペイン全土が支配され、その時、首都はトレドにおかれた。さらに8世紀のはじめにはイスラム勢力の支配下になり、トレドもイスラム様式の多くの文化を残した。11世紀の後半にはキリスト勢力の力が増してトレドにも進入してきた。
 キリスト教勢力はイスラム的なものを破壊するのではなく、自分たちの独自の文化として取り込み、残していくことになった。
 このトレドには4つの文化が混在しているという。ローマ的なものと、西トーゴ的なものと、イスラム的なものと、そして最後にキリスト教的なものである。さらにユダヤ人の文化も混在しているという。
 キリスト教勢力は建物を建てるときにも、イスラムのムーア人の職人を使った。ムーア人の方が文化も技術も上だったからといわれている。支配する方より支配される方か高い文化や技術をもっていたというのがおもしろい。

ゴシック様式のカテドラル

  12世紀に建造が始まり、完成までに200年を要したという。
 ゴシック様式は、装飾過剰のゴテゴテを特徴としている。現在のセンスからすると悪趣味に属するのだろうか。

 ここで塔をみていると物売りのおじさんが変な日本語を操りながらやってきた。
「富士山高いよ、この本安いよ。」
 周りのみんなは笑っていたが、「司馬遼太郎、書いたよ」「司馬遼太郎が書いた本だよ」というようなことを言い出した。みんなが我先にと本を買いだした。私もつられて買った、5ユーロ。日本人は司馬遼太郎先生の名前に弱い。スペインの古都の片田舎で物売りのおやじがなぜ「司馬遼太郎、書いたよ」などといっているのか。いかにもあやしい。
 おやじのもっていた30冊ほどの本はあっという間に売れてしまった。
 本の名は「魅力の街 トレド」・ フアン カンポス パヨとある。気になって帰ってから調べてみた。

司馬遼太郎 「南蛮のみちU」
「公園のそばに古風なアパートがある。
ベンチにすわっていると、35、6の品のいい主婦がそこから出てきて1冊の本を売りつけた。
街灯の淡いひかりでながめると、『魅惑の街トレド』とある。作者はファン・カンポス・パヨという人だが、おどろいたことに、日本語訳の本である。本というより写真を主とした小冊子で、ただ発行所も定価もない。さらに著者紹介も訳者の名もなく、本の正体としてはのっぺらぼうなものであった。しかし、トレドのことが書かれているなら、反故でも読みたい心境だったから、立ち上がって、ズボンの尻のポッケに手をつっこみ、ペセタをとりだした。ガス灯の下で、彼女は影のように静かで、無表情でいる。私は、金をわたし、彼女はうけとった。まことに舞台的な光景だが、観客はこの黙劇をどう理解するだろう。」

 おやじのいっていることは本当だった。たしかに司馬遼太郎はこの本のことを書いていた。面白いオチだ。

 

 教会と横の事務所が2階の渡り廊下でつながっている。
 ヨーロッパ人は、高価なはずだが建物と建物の間を石橋でつなぐのが好きなようだ。

教会を囲っている壁。

 なぜこんな高い塀を造る必要があったのだろうか。イスラムもキリスト教も外敵の進入を防ぐという防御機能ももっていたのだろう。
 いつ頃造られた壁だろうか、1000年近くたっているのかもしれない。人の汗と油とほこりで汚れ、さらに血でも汚れているかもしれない。 そう思うと、なぜかこの壁がいとおしくなってきた。

 

典型的な裏通り。教会の塔や屋根が見え隠れする。道は侵略者の侵攻を遅らせるため曲がりくねり入りくんでいるが、どこの路地からも教会の塔が見える。


 古い教会。この右側に絵画の巨匠エル・グレコの家がある。

スペインのポスト。
 形は日本も同じだが、色は黄色。この形は、流石に日本でも見ることは少ないのではないか。


 向こうにみえるのはカテドラル。

 ちょっとひなびた土産物屋さん。
 なにか妙に引きつけられた。
サン・マルティンの橋

 この橋も橋の向こうの門もイスラムの面影をのこしているという。
 イスラムの城壁や塔の上には、弓や銃で迎撃しやすいようにでこぼこがつけられている。ヨーロッパ風であれば直角のデコボコだけだが、イスラム風は凸の上に△が乗っている。
 ここの城壁には三角帽子がついていた。城はイスラム風だった。
photo by miura 2002.11 mail:お問い合わせ