1.ライン河クルーズ(Rhine River Cruise) |
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船は運河の関を通過して、水位の差を越える。 |
ドイツ、ライン・マイン河の旅、こんなツアーになぜ参加しようと思ったのか。やはり歳のせいとでもいうしかない。3年前に「黄斑上膜症」といわれ、いきなり右目の手術をした。日だちが悪いようで回復しない。左目は正常にものが見えるのに、右目は見えるものの揺らぎがいっそう悪くなるばかり。ものがまともに像を結ばない。先生に文句をいってもそのうちによくなるのではと、とりあってもらえない。(セカンドオピニオンは大事と思い知り。)そんなことで、そろそろ人生も仕事も潮時の感を強くしている。いつの間にか、ライン河クルーズが決まっていた。 |
船の後ろの水門が閉じているところ。 |
ストラスブール いろいろトラブルがあったとかで、船はストラスブール(フランス)で待っているとのことで、バーゼルからバスで2時間。 ストラスブールの運河から、ライン河にでるためには左上の写真のような関を通過することになる。 |
船の前方り水門が開いているところ。 |
水位が揃い、やがて船の前の水門が開く。船は、ゆっくりゆっくり前進を始め、水門を抜け出す。スエズ運河やパナマ運河も同じ原理で、船は水位の高低を越えて、山を登ったり降りたりしているのだろう。 船が関システムを通過するのが面白くて、何度も見続けてしまった。ライン川クルーズの売りは日本では珍しいこの関システムを見ることにもあるようだ。 |
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ノートルダム大聖堂 都心にあるカテドラルであるノートルダム大聖堂と木組みの伝統家屋が密集したプチット・フランス(プチフランス)地区がユネスコの世界遺産になっている。 ストラスブールの大聖堂は、11〜14世紀にかけて建築された。カテドラルは地元産の赤茶色の砂岩で作られているため外観がバラ色で、地盤が弱いため尖塔が片方しかないのが特徴。右側の塔がない。最初の設計からないということは考えられないが、どうも設計段階から塔は非対称の1つしかなかったようだ。 |
カラクリ時計のカラクリ人形、しぶい。 |
ストラスブール大聖堂は美しいステンドグラスが有名だが、観光客は「天文時計」の周りに集まってくる。 |
ドイツの木組みの家 |
木組みの家(木骨造) 木材による柱・梁によりフレーム (骨組)を作り、骨組の間に石材や煉瓦(時には漆喰やコンクリートも用いる)で壁体を作ることにより耐力壁とし、軸組と壁の両方で荷重を支える。 |
プチフランス地区を行く観光船 |
ストラスプールは運河・水路の街である。水路を観光船で回れる。 左下の印象的な塔のようなものが、橋を挟んで左右2つ建っている。水路の門番・監視塔だったのか、通航者の通行税徴収の塔だったのか。
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シュパイアー大聖堂 1981年に大聖堂はユネスコの世界遺産に登録された。ロマネスク様式最大級の聖堂である。 大聖堂の前の通りを散歩した。通りのテラスでお茶をしたが、何もない静かな街だった。
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ハイデルベルク マンハイムで下船し、バスでハイデルベルクに着いた。ネッカー川に架かるアルテ橋(カール・テオドール橋)からみた印象的な塔門が橋の左右に立っている。黒い帽子をかぶり、せの高い白い2本の塔が高く伸びていて、街のどこからでも目立つ。ハイデルベルクの城は廃墟同然で地味だが、この塔だけが、この街の象徴のような役割を担っているようだ。白い塔の半分から下がレンガの赤との縞々になっているのが、奇抜で面白い。イスラムの意匠が入っているのかもしれない。 ネッカー川の反対側の山に哲学の道がある。そこからの旧市街や城の眺めが最高ということで期待していたが、今回の観光コースには入っていなかった。 |
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街の観光メイン道路。 |
紀元前500年頃からケルト人がハイデルベルクのあたりに住んでいたらしい。彼らは、侵攻してくる他のゲルマン人に対抗するために二重の壁を巡らしていた。その後、古代ローマのカエサルが侵入し、1〜3世紀のローマ人の時代を築いた。宿営地や石積みの城を築いていたが、ゲルマン人の侵入によりローマはライン河まで押し元されてしまった。 |
ネッカー川に架かるアルテ橋から、ハイデルベルクの城を見る。 |
ハイデルベルクはドイツで最も古い大学ループレヒト=カールス大学があり、大学の街としても有名。 |
エリーザベト門 |
ネッカー川に架かるアルテ橋から、ハイデルベルクの城を見る。ここからの城の外観は立派だが、内はほとんど廃城である。廃城ではあるがこの城のたどった波乱万丈の歴史を思うと、ドイツの中世から近世にかけての歴史の重さや暗さや人間というものの不可思議さを思わないではおれない。 |
城門をくぐると、正面にフリードリヒ館が見える。右手は兵士の棟、左はループレヒト館。防御の城というより王の華麗な住居といった感じ。
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フリードリヒ館 |
フリードリヒ館の外観は、選帝侯の先祖の像が飾られた立派なものだが、内部は公開されていない。1階は教会、階上は王の住居だったようだ。 フリードリヒ館のテラスから見たハイデルベルクの街並みがすばらしい。 |
砲撃により破壊されたままの城址。 |
フリードリヒ館の地下にあるワインの大樽。 |
ハイデルベルクの城から見たネッカー川とアルテ橋。やはり2つの塔門が印象的である。川の対岸から旧市街と城を見るのが一番の眺めのようだ。
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「つぐみ横丁」のはずれにロープウェイ乗り場があり、山の上の記念碑まで続いている。丘一面のブドウ畑を見下ろしながらの遊覧は、とても気持ちがよかった。 |
リューデスハイム. ワイン製造と水運業により栄えてきた町。 酒場やレストランやお土産屋が並ぶ「つぐみ横丁」。ガイドさんの案内でワインをたくさん買うことになった。 |
つぐみ横丁の通り。観光客でごったがえしている。 |
ニーダーヴァルト記念碑。1877年に建造がはじまり、1883年に完成した。普仏戦争後のドイツ帝国発足を記念して建設された。ドイツ統一の記念碑のようだ。 |
photo by miura 2017.5 |