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アウヤンテプイ
カナイマ

アウヤンテプイとエンゼルフォール [地図]


カラオ川をさかのぼる
川をさかのぼってアウヤンテプイへ
舟の先端は船頭さんが陣取
舟の先端に船頭さんが陣取り、浅瀬を避けながら進んでいく。船頭さんの侘びた後姿がテプイ探検にマッチして旅愁を誘う。

カラオ川をさかのぼると、次々のいろいろなテプイが出現して飽きない。正面のテプイの裏側を右に折れるとエンジェルフォールにつながる川に入る。雨季なら滝の近くまで舟で入れるが乾季は水量が少なく侵入すらできない。

カラオ川をさかのぼってアウヤンテプイへ

 サンタ・ヘレナでギアナ高地南部のテプイを堪能したあと、ギアナ高地北部の観光のためカナイマへ向かってフライトする。操縦士のサービス?で途中で運がよければエンジェルフォールが眺められるかもしれないとのこと。5人乗りのセスナの窓が汚くて、外が曇ってよく見えない。スペイン語ができれば注意したいところ。
 エンジェルフォールもいちおう見えて写真に収めたが、スリガラスを通したようで使えない。セスナはテプイの切り立った岩の谷間を右に左に旋回し、なかなか楽しい。
 やがてエンゼルフォールが見えてきたので、後ろの席の人に知らせようと振り向いたら、1人はゲーゲー吐いているし、もう1人は死んだふりして眼をつむっていた。

 アウヤンテプイは、川からの舟でのアプローチと次の専用フライトに期待することにしよう。

 アウヤン・テプイはギアナ高地のなかでも最大級の面積をもつテプイで、標高は2600m。カナイマから舟で向かう。雨季はエンゼルフォールの下近くまで入るのだそうだが、乾季では川が干しあがって岩だらけで、とても近づけそうもない。ともあれカナイマから自動車で滝の上の舟着き場まで行き、そこから舟に乗る。

 左上の写真は、舟着き場から撮ったもの。舟の先に船頭さんの一人が乗る。浅瀬を回避するために見張っているのだそうだ。
 先の船頭さんの肩越しに見るテブイが素晴らしい。

ローリー卿とギアナ高地

 「ギアナ高地を行く」(徳間書店 1990年 恵谷治著)より。
 ローリー卿の興味深い話がのっているのでかいつまんで紹介する。


テプイとインディオの住居はのマッチはよく似合って美しい。サバンナのいたるところでこのような風景に出合うことができる。

 ギアナ高地の存在が世に知らされず、世界地図上で空白であった時代に、ギアナ内奥を探検し、信頼できる情報をヨーロッパに最初にもたらしたのはウォルター・ローリー卿だった。エリザベス朝時代に生きた不遇の大探検家ウォルター・ローリー卿については、日本ではほとんど知られていない。
ウォルター・ローリー卿は優れた軍人であると同時に、知性豊かな文人としても尊敬され、エリザベス女王の寵愛を受けていた。
  ウォルター・ローリー卿は戦争や海賊掠奪による繁栄をやめ、海外に植民地を建設することで英国の国力を発展させるべきだと考えていた。
 1584年、ローリー卿は新大陸アメリカに植民基地を求めて、北米東海岸のロウノーク島に上陸した。そしてそこを、未婚のエリザベス女王にちなんで「バージニア」と命名した。1585年にもローリー卿は7隻の船団を率いてロウノーク島に渡りバージニア植民地を建設したが、時代を先取りした考えだったため当時に英国人には受け入れてもらえず、植民地経営には失敗してしまった。


川上りの途中に2箇所ほど浅瀬があり、観光客は、浅瀬の上流まで30分あまり歩かなければならない。炎天下のザバンナ行はつらいが、アウヤンテプイの影が大きくなっていくのがうれしい。

 ローリー卿は、女王の女官の一人と密かに結婚したが、それを知った女王はあろうことか嫉妬に狂い、二人をロンドン塔に幽閉してしまった。
 数か月の監禁を解かれたローリー卿は、女王の寵愛を取り戻すため、ギアナ高地の大探検を思いついた。ギアナは、スベインの支配下にあり、16世紀のヨーロッパでは、伝説の黄金の都「エル・ドラド」が、そこに存在すると信じられていた。スペインやドイツ多くの山師や探検家たちがギアナ奥地で探検を繰り返していた。
 1595年、43歳のローリー卿は小船団を率いギアナに向かった。トリニダード島に上陸し、そこを支配していたスペイン人と戦い、総督アントニオ・デ・ペリオを捕虜にした。ペリオ総督はギアナを流れるオリノコ川の流域を何度も踏破したベテラン探検家だった。彼はエル・ドラドがギアナの奥地に存在すると信じ切っていた。ローリー卿は彼を尋問してエル・ドラドに関する多くの情報を仕入れることができた。しかし、彼はローリー卿がエル・ドラドを探そうとしてもそれはきっと失敗するだろうと、何度もローリー卿に忠告した。


アウヤンテプイが目前に迫り、その影が水面に映って動いていく。

 ローリー卿は、イギリス船隊を川の迷宮のようなオリノコ河口のデルタ地帯に侵入させた。彼らは土地のインディオの助けを借りてかろうじて迷路から脱出することができた。
 オリノコ川の大支流カロニ川に入った。このカロニ川こそギアナに通じる最重要ルートだった。カロニ川をさかのぼったローリー卿はギアナ高地の大奇観を目にしたのだった。
 「頂上から落下する巨大な水流は、山腹に触れることなく、まるで無数の大鐘が一度に鳴っているような凄まじい音を立てて、流れ落ちている。これほど異様な滝は世界のどんな土地にも存在しない。そして、これほど素晴らしい景観は、他でみることはできないに違いない。
 ペリオ総督の話では、その山にはダイヤモンドや宝石類が豊富にあり、その輝きは遠くからでも見えるという。その山のなかに何があるか、私は知らない。ペリオも彼の部下も誰もその頂上には登ってはいなかった。」(ウォルター・ローリー著「ギアナの発見」(残念ながら日本語版は出ていないようだ。))


カナイマからカラオ川をさかのぼると、眼前にアウヤンテプイが広がる。カラオ川からエンジェルフォールの方に向かうチュルン川との分岐にオルギデア島という中州がある。その中州からアウヤンテプイを望む。


中州の川べりの岩に石が空けたと思われる穴がいたるところにあいていた。

 ローリー卿は、わずかの金鉱石を手土産に本国に帰ったが、宮廷内での評判はやはり芳しくなかった。1596年「ギアナの発見」を出版した。この書はヨーロッパ中で話題になったが、女王の寵愛を取り戻すことはできなかった。


アウヤンテプイがますます近づいてきた。 この先、出っ張りの向こうにチュルン川との合流点がある。このテプイのどこの谷に砂金に埋もれ谷があり、ダイヤモンドがゴロゴロの谷があるのだとか。なるほどそんな夢を見させてくれるテブイではある。

 1603年、エリザベス女王が死去し、スコットランドのジェームズ1世が王位を継いだ。ローリー卿は宮廷内の陰謀に巻き込まれ、裁判で内乱罪で死刑を宣告されてしまった。刑の執行は猶予されたが家族とともに13年間もロンドン塔に幽閉された。獄中、彼は研究成果をまとめた「世界史」6巻を書いた。

オルギデア島の熱帯雨林ジャングル。他の植物の上に育って着生植物やつる植物、寄生植物が群がっていた。


オルキデア島にできた白州で、水泳したり食事をしたりしていた。雨季にはこのあたりは水浸しになる。


島の近くのロッジで昼食。ギアナ定食のチキン・ポテト・サラダにメロンとコーラがついて満足。

 ジェームズ1世は1616年、エル・ドラドを発見すれば無罪にするという条件でローリー卿を釈放した。ジェームズ1世はスペインと同盟を結ぼうとしており、スペイン軍に攻撃されても応戦してはならないとローリー卿に厳命した。


エンジャルフォールの谷への入り口に塔門のようなM字型のテプイ がある。これはエンジェルフォールを御神体とする鳥居ではないか。この塔門テプイが美しい。エンジェルフォールへの侵入はこの塔門テプイを目標にするのだという。

 ローリー卿はすでに64歳になっていて長い幽閉生活で健康も害してたが、24歳になった息子と親友のケイミスと一緒に再度ギアナに向かった。
 衰弱がひどいローリーはトリニダード島に残り、息子とケイミスにはオリノコ川を640kmさかのぼり黄金を手に入れてくるように命じた。

アウヤンテプイのひとつの半島
アウヤンテプイのひとつの半島。

 ケイミスはしかし、独自の計画を進めていた。カロニ川との合流点にあるスペインの砦を攻撃し、噂に聞いていた金鉱を奪取するというものだった。だが、ローリーの探検計画書はジェームズ1世からスペインに渡されており、金鉱の噂はスペイン軍が流したものだった。イギリス王とスベイン王は裏で話ができていて、ローリー卿たちを抹殺する準備を進めていた。
  金鉱などどこにもなかった。スペイン軍は罠を賭けて待ち構えていた。だが、意外なことに、襲撃されたイギリス人たちは勇敢に戦い、ついには反撃してスペインの砦を占領してしまった。
 だが、いくら探しても金鉱はなく、息子は戦死ししてしまい、ケイミスは沈んだ気持ちでローリー卿の元に帰ってきた。ローリー卿に責められたケイミスは自らも命を絶ってしまう。
 息子も親友も失ったローリー卿は、自身も本国に帰ると裁判にかけられ、死刑の判決をうけ、そして断頭台の露と消えた。


アウヤンテプイの台の上の様子。

 ローリー卿が夢見たものは何か。黄金か名誉・名声か女王の寵愛か。それとも冒険者の血がそうさせるのか。冒険者たちの末路はいつの時代でも悲しい。
 彼は根っからの冒険家であると同時に、多少厭世的な詩人でもあったようだ。

 ローリー卿の功績は、今では高く評価され、「オペレーション・ローリー(OR)」が世界各地で展開されている。これは、科学探査、環境保全、社会奉仕を目的とした活動を通じて、若者の冒険精神を養い、国際的連帯感を育てることを目指している。ヨーロッパ人はやはり数寄者が多い。残念ながら、日本人にはこのようなフロンティア精神や冒険者魂を持つ人は少ないようだ。

 ローリー卿がカロニ川をさかのぼって目撃したメサ(卓状台地)はアウヤンテプイではないかといわれている。雨季にはメサに降った豪雨はメサのいたるところから滝となって流れ落ちる。アウヤンテプイには無数の滝があるが、その中で最大のものが「エンジェル・フォール」である。スペイン語では「天使の滝」Angel fallsを直訳して「サルト・アンヘル」と呼ばれる。


アウヤンテプイの台地の面積は東京都23区の面積と同じだという。台地上は山あり谷あり、深く切れ込んだ絶壁ありで、踏破には多くの困難を伴う。テプイ上にはダイヤモンドや黄金で埋め尽くされた谷があると信じられている。
エンジェルが大きな滝を発見したのは、金塊ゴロゴロの河原を探してしている途中での出来事だった。
ジミー・エンジェルが見つけた滝

 [地図]

 1930年台、中南米一帯を軽飛行機フラミンゴで、金やダイヤモンドを探し回っていたアメリカ人飛行家ジミー・エンジェルは、1935年山師仲間のいうままにフラミンゴを操縦していた。ある日、いつものようにフラミンゴを離陸させ宝探しに出た。ギアナ高地に広がるサバナのある河原に着陸した。なんとその山師仲間は、その河原付近で小一時間の間に大量の金塊を拾い出して戻ってきたのだ。
  エンジェルは改めて、金塊探しの飛行に出た。 だが、エンジェルは、有視界飛行で操縦していたため、その金塊が転がっているらしい河原がどこなのかわからない。アウヤンテプイ付近であることは分かっていたが、何度飛んでもどうしてもその場所が特定できない。エンジェルは今日もまた、一攫千金を夢見てアウヤン付近を飛行していた。テプイ中央付近の出っ張った台地を右に旋回したとき、彼は信じられないものを見た。


乾季のエンジェルフォールは、水の流れはこんなもの。 数日前にテプイに雨が降るといくらか様になるとのこと。やはり雨季でないとテプイから溢れるような滝は望めないようだ。台地からこぼれ落ちるような滝の連なりを見たいという人がいる。そのため泥んこ覚悟で雨季に来たいといっている。クリックで拡大。

 テプイの台地から、巨大な水流がエンジン音も消すほどの轟音を立てて落ちていた。エンジェルは滝壺の様子をみるため、滝の下に降りてみた。
しかし滝の水流は落ちている途中で霧となって広がり、周辺のジャングルに嵐を巻き起こしていた。  彼は上昇して滝の高さを測ってみた。滝は少なくとても800m以上の高さがあることが分かった。彼はこの滝が世界一の高さをもつ滝であるにちがいないと直感した。
 この発見により以降、この滝は「エンジェル・フォール」と呼ばれるようになった。「エンジェル・フォール」は「天使の滝」ではなく「エンジェルが発見した滝」だった。



エンジェルフォールのある谷間に入るのに目印となる塔門のようなテプイ。
このアプローチかドラマティックで心が高鳴る
上セスナから見た乾季のエンジェルフォール。小川程度の水がちょろちょろ落ちていた。これにはまったく、がっかりしてしまった。クリックで拡大。
雨季にはテプイに降り注いだ雨水が、あっちこっちの岩の割れ目から無数の滝になって怒涛のごとく流れ落ち、この世のものとは思われない光景なのだという。




アウヤンテプイにあるもうひとつの大きな滝の動画


テプイの上になぜか飛行機が落ちていた。
飛行場はない、エンジェルたちのまねか、 事故で落ちたものか。

 エンジェルとベテラン登山家のエニーと、スペイン人探検家のカルドーナは、アウヤンテプイの頂上に歩いて登り、エンジェル・フォールの水源の謎を探ろうとした。その試みは絶壁に阻まれて断念した。
 3人は今度は、飛行機でテプイの頂上に着陸することを計画した。エンジェルとエニーが飛行機に乗り、カルドーナはベースキャンプで無線を使って支援するというものだった。、どうやら着陸できそうな場所も見つかった。
  エンジェルの妻マリーが言い放った。「私を飛行機に乗せて。私を連れて行ってくれないなら、あの山にはあんたたちを行かせないわよ」。
 飛行機は飛び立ち、そして辛うじて着陸することに成功した。しかし、飛行機の車輪が台地上の泥(恐らく、数メートルにも積み重なった腐植質層)の中に入り込み、離陸は不可能となってしまった。マリーは後悔した。だが遅かった。3人は歩いてテプイを降りるしかなかった。しかし、そこは断崖絶壁あり、断層あり、熱帯ジャングルありの未踏破の地だった。
 遭難から2週間がたち誰もが生存を絶望視していた時、3人がよろめきながらベースキャンプに姿を現した。3人は食糧を節約しながら、困難な急斜面を降下し、チュルソン川渓谷の道なきジャングルをかき分け、ようやくたどり着いたのだった。衣服はボロボロ、体中切り傷だらけだった。
 この事件により、エンジェルは、世界一高い滝を発見したばかりでなく、台地の頂上から降下した初めての男となった。それは「失われた世界」からの生還だった。
 ジミー・エンジェルは、1956年バナマでの飛行機事故により死亡した。本人の希望により、彼の遺灰はエンジェル・フォールの上空から、アウヤンテプイにまかれた。 「ギアナ高地を行く」(徳間書店 1990年 恵谷治著)より。

 関野吉晴さんは、アウヤンテプイに登ったとき、この山の麓に粗末な小屋を建て一人住んでいるアレクサンドロ・ライメという老人と10日間いっしょだった、と書いている。その時、老人から聞いた話として次のような恐竜の話を書いている。
 「1955年、アウヤンテプイの頂上台地の川でダイヤモンドを探していたら3匹の動物がひなたぼっこをしているのを見かけたんだ。忍び寄ってみると、体長が1mくらいで、長い首、体中にうろこがはえ、ひれもある、見たこともない動物だった。調べてみたら、600万年前に絶滅した恐竜の仲間で、水中生活をするプレシオザウルスじゃないかと思うんだ」
 彼の話はとてもリアルで、アウヤンテプイの上でほんとにその恐竜に出会えるのではないかと胸が躍ったとのこと。
 関野さんはさらにつづけて、アウヤンテプイの高台に到着したら「雷鳴が近づいてきました。飛ばされそうなほど強い風が吹くと同時に、雨が降り始めました。立て続けに稲光が光り、すさまじい雷鳴が鳴り渡ります。雨具を身につけても、横殴りの風で、雨は目や口の中に入りこみます。
 稲妻に照らされた台地は、現実の世界とは思えないものでした。地球誕生の光景はこうだったのではないかと思わせる、荒々しく、暴力的で、優しさのかけらもない、けれども不思議と神々しい光景です。太古の世界に生きている錯覚を覚えました。 」
「失われた世界を行く」(1996年 小峰書店 関野吉晴著)

 このとおり、ギアナ高地には、冒険者と詩人の魂を揺さぶる何かがあることは間違いない。ギアナのテブイには、昔から男たちの夢とロマンを掻き立てる何かがあるのだ。


こんなテプイがあっちこっちにころがっていた。

 アウヤンテプイの周りには、小さな魅力的なテプイがいくつかある。その谷間に金とダイヤがごろごろしていてもおかしくない。恐竜の生き残りに出くわすこともあるかもしれない。なにしろ「ロスト・ワールド」なのだから。

 事実、ギアナ高地は地殻変動のたまもので、近くにはダイヤモンドや金を産出する場所があり、今でも一攫千金を狙う男たちが法の目をかいくぐってギアナの各地を掘り起こしている。関野吉晴さんは、「失われた世界を行く」で、先住民ヤノマミ族との生活を報告するかたわら、ゴールドラッシュの現実の一端を報告している。
 日本の観光客がギアナ高地でうかれ遊んでいるときに、同じギアナで先住民の裸族が狩猟生活をし、金掘りたちが跋扈している。ギアナ高地もやはり人間世界の汚染から免れないようである。

人はなぜ生きねばならぬかテプイの滝
天地にさびしからずやエンジェルフォール


ギアナ高地のあちこちで見られる先住民の家。

サンタ・エレナに向かう途中、村のレストランで昼食をとる。
すると日本のツアーの一行と思しきおばさんたちがやってきた。これからテプイに歩いて登るのだという。黙々と登山の準備にとりかかっていた。気迫と覚悟のようなものが感じられた。地球の裏側まで来てテプイに登るという日本のおばさんたちのたくましい登山姿を前に、明日ヘリコプターでテプイの頂上に立つとはとても言える雰囲気ではなかった。

 関野吉晴さんは、ベネズエラとブラジルの国境近くのギアナ高地で、ヤノマミ族と生活をともにした記録を残している。(「失われた世界をゆく」小峰書店 1997年 関野吉晴)

 その話しを読むとどうしてもレビィ=ストロースのアマゾン奥地の調査を考えてしまう。次に、レビィ=ストロースの「悲しき熱帯」(世界の名著」中央公論社(調査は1938年。1955年にフランスで発行)の有名な一節を紹介する。これはブラジル・アマゾン川の奥地、ボリビアに接する地域に住む部族の話である。70年以上昔だが、現代の話である。

 「私は旅と探検家がきらいだ。それなのに、いま私はこうして、私の海外調査のことをかたろうとしている。」というのが書き出し。

カドゥヴェオ族  9 パラナ
 「コロという、ある種の木の、腐りかけた幹のなかに充満している青白い幼についても、語らなければならない。白人にさんざん嘲笑されたインディアンたちは、この小さな生き物が好物だということをもはや口に出さなくなり、コロを食べていることを頑強に否定する。嵐で倒れたピニェイロの大木が切り刻まれ、地面に2、30メートルにわたって、まるで木の幽霊のようになっているのを見るには、森の中を歩いてみるだけで十分である。コロ探しの人たちがそこを通ったのだ。あるいは、インディアンの家に、前触れなしにはいっていくと、手ですばやくかくすまえに、この珍味が群れこぼれそうになっている鉢をみることができる。


先住民の住居。簡素だが快適そう。

 そういう訳だから、コロをとっているところにいあわせるのは、同様に、けっして容易なことではない。・・・仕方がない!私たちは奥の手を使うことにする---おれたちはコロが食べたいんだよ。とうとうこの犠牲者を、1本の幹の前に引っ張っていくことに成功する。
 斧の一撃が、木のもっとも深い部分までうがたれた数千もの穴をあばきだす。穴の一つ一つに、ふとった、クリーム色の、蚕によく似た生き物がいる。いよいよ思い切ってやるのだ。インディアンの無感動な視線を受けながら、私は、私の獲物の頭をちぎる。胴体から、白っぽいあぶらが出てくる。それを私は、やはりためらいながらも、味わう。あぶらは、バターのようにねっとりとしてこまやかであり、ココヤシの核の乳液のような風味がある。」


カナイマのロッジで子供たちの伝統的な歌と踊りをみせてもらった。

ナンビクワラの人々
 「暗い草原の中に幾つもの宿営の火が輝いている。・・・
 初めてのインディオと共に荒野で野営する外来者は、これほどすべてを奪われた人間の有り様を前にして、苦悩と憐れみに捉えられるのを感じる。この人間たちは、何か恐ろしい大変動によって、敵意をもった大地の上に圧し潰されたようである。覚束なく燃えている火の傍らで、裸で震えているのだ。・・・


ブラジル・アマゾン川の上流、ベネゼエラとの国境付近。ここは西欧文明とは最も離れた位置にあるかもしれない。そこは「悲しき熱帯」であり「野生の思考」が構造としてする支配する世界かもしれない。

 しかし、このみじめさにも、囁きや笑いが生気を与えている。夫婦は、過ぎて行った結合の思い出にしたるかのように、抱き締め合う。愛撫は、外来者が通りかかっても中断されはしない。彼らみんなのうちに、限りない優しさ、深い無頓着、素朴で愛らしい、満たされた生き物の心があるのを、人は感じ取る。そして、これら様々な感情を合わせてみる時、人間の優しさの、最も感動的で、最も真実な表現である何かを、人はそこに感じ取るのである。」

 レビィ=ストロースのアマゾン奥地の裸族・ナンビクワラ族に向けるまなざしに、インディオと同様彼自身の人間としての根源的なやさしさのようなものがみえて、感動をおぼえる。

photo by miura 2010.3 mail:お問い合わせ
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