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カナイマ

ギアナ高地へ  [地図]



プエルトオルダスからルエバに向かう途中のセスナから。
さらにカラカスから飛行機でプエルトオルダスまで1時間、ここで宿泊。翌日さらにルエバという草原の飛行場まで5人乗り機で1時間30分。飛行機を乗り換えて奥地に進むにつれ、セスナがますます小さくおんぼろになっていくような気がする。
有名なロライマの頂上には、ベネゼエラとブラジルとガイアナの3国の国境交点がある。ここは3国の国境地帯でもある。

ひょんなことからギアナ高地へ

 2010年2月、ひょんなことからギアナ高地に行くことになった。辺境、地の果て願望からいつか行ってみたいと思っていたが、心の準備ができていないまま出発することになった。テレビの世界遺産番組で紹介されたのを見ていて、あまりのすばらしさにいつかはと思っていたのだが、案外早く実現することになった。
 人跡未踏の“秘境の中の秘境”「ロストワールド」探検?は、U社さんにお世話になることにした。

 南米に仏領ギアナという地域があり、ガイアナ(旧英領)やスリナム(旧オランダ領ギアナ)といった聴きなれない地域がある。国名も国境もあまりはっきりしていない、ギアナ高地はきっとそのあたりにあるのだろうと思っていたら、実際にはベネズエラの南部に位置していた。成田からアトランタを経由して首都カラカスに降りた。ここまでの正味所要時間約16時間。


グラン・サバナからみたテプイ(台地)。左からイル、トラメン。
こんな風景を見ながらえんえんとパン・アメリカン・ハイウェイをひた走る。

  カラカスの国内線から飛行機でプエルトオルダスまで1時間、ここで宿泊。翌日さらにルエバという草原の飛行場まで5人乗り機で1時間30分。ルエバという草原から自動車で4時間かけてサンタ・エレナというブラジルとの国境の町へ。ルエバからサンタ・エレナまでは、左手の遥か彼方にテーブルマウンテンの山々が見える。成田から正味20時間で、ギアナ高地に入った。
 待ち時間等を入れると、行きに2日、帰りに3日かかった。往復するだけで5日の行程ということになる。これが日本とは地球の反対側のさらにその辺境に行くのに要する行程である。

 テーブルマウンテンは、ブラジルのアマゾン奥地のような熱帯雨林帯にあるのかと思ったら、グラン・サバナと呼ばれるサバンナ性気候の強い地域にある。ギアナ高地は北緯5度という赤道近くにあるが、1,000mの高地にあるため特異な気候になっている。全体としては熱帯性気候といわれており、12から5月までが乾季、6月から11月までが雨季となる。


ワダカイピエポ(切り株)と呼ばれる山。テプイの一種なのだろうが、グラン・サバナのどこからでも見える印象的な山。


水蒸気にかすむ羊羹のようなテプイは、幻想的で不思議な感じがする。

 筆者が行ったのは2月の乾季真っ只中で、幸か不幸かこの数週間雨らしいものは降っていないということだった。そのため吹く風はなんとなくさわやかだが、乾燥しているのか湿気ているのかよくわからない。日本の梅雨明け直後といった感じで日本人にはなじみやすい気候だった。
 ギアナ高地とは、Wikipediaによると「1994年、ユネスコの世界遺産(自然遺産)として登録されている。未だに人類未踏の場所が点在し、世界最後の秘境ともいわれる。
面積は、30,000平方キロメートル以上である。関東地方(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、群馬県、栃木県)より少し狭い程度。四国の約1.6倍である。テーブルマウンテンが大小100余りジャングルに浮かぶ一帯があり、ギアナ高地と呼ばれている。この地帯は、プレートテクトニクスの影響をほとんど受けていないため、約20億年前の地質がそのまま残っていると考えられている。」
 ギアナ高地とは、山の頂上が平らないわゆるテーブルマウンテンのことを言うのではない。ギアナ高地は、ベネズエラの南部に広がる楯状(たてじょう)地のことで、その中にテーブルマウンテンが100余り点在している。テーブルマウンテンのことを地元ではテプイ(台地)と呼んでいる。「神の家」といった意味もあるらしい。
 ギアナ高地=グラン・サバナを南北につっきるようにパン・アメリカンハイウェイが通っている。南下中は、車窓の左手にいつもテープルマウンテン=テプイが見える。
左の写真は、草原の向こうに蜃気楼のように見えるテプイ=ユルアニ。 やはりここはギアナ高地だ。


カマの滝。乾季ではこんなショボイ感じの滝。これが雨季になると辺り一帯に水が溢れナイヤガラやビクトリアの滝にようになるのだという。

カマの滝

 ルエバの飛行場からパン・アメリカン・ハイウェイを南下する。
 ギアナ高地には無数の川が流れていて、いたるところに大小の滝がある。右の写真はカマの滝と呼ばれ2本の滝が平行して流れ落ちている。今は乾季だが、雨季にはあたり一面川となり、大きな滝となって迫力があるという。
 インディオ(先住民)のペモン族の部落で昼食をとった。わらぶきのロッジでのランチは「ギアナ定食」といわれるグリルチキン・トマトとキュウリのサラダ・ポテト。ほとんどの食事でお米がついているが、日本の「ごはん」とはべつもの。
 「カサベ」といわれる地元の人の主食がある。「ユカ芋」が原料で、外見はパンだが固い。スープにしたして食べるもののようだが、おいしいものではない。


この赤土と向こうのテプイとの組み合わせが美しい。私のお気に入りの1枚。写真をクリックすると拡大する。

 ガイドさんの話では、カサベも食べなれると結構いけるとのこと。ユカ芋はそのままでは有毒なので、水分をとり焼いたり日乾しにしたりして食用にするという。

 ひと泳ぎしたハスペの谷からの帰り道、彼方にテーブルマウンテンが姿をあらわしていた。クケナン山だという。赤土の台地と青く霞むクケナンのコントラストが美しい。
 パン・アメリカン・ハイウェイを南下すると左手にテーブルマウンテンの山々が遠望できる。サバンナの草原と滝とテプイの組み合わせが、「地の果て」の雰囲気を出していて、不思議な気分になる。ついに来た、こんなところまで来てしまった。しばし放心状態。この感覚を味わうため、ここにきたのだ。



 クケナン山はパン・アメリカン・ハイウェイに近いせいか、よく見えた。写真はユルアニの滝とユルアニテプイ。

 左の写真はクケナン山、標高は2600m。この写真はヘリコプターから撮影したもの。
 台地の面積は40平方km、東京ドーム40個分。ロライマと同じように周囲を6〜700mの垂直の絶壁に囲まれている。クケナンとロライマはマウンテン(山)と呼ばれ、その他の台地はテプイ(台地)と呼ばれる。山のように屹立しているからだろうか。台地の周りは熱帯雨林のジャングルが囲み、さらにその周りはサバンナの草原となっている。


山火事?焼畑? ギアナ高地のあっちこっちで必ずといっていいほど煙が上がっていて、熱帯ジャングルが焼かれている。これでよいのだろうか。地元のガイドさんも困ったことだといっていた。

野焼き・焼畑?

 ギアナ高地のあっちこっちのジュングルで山火事が起きている。焼畑なのだろうか。
 畑らしいものはあまり見られない。かっては一面の熱帯ジャングルだったものが、野焼き・山焼きのため年々焼き払われているということだ。この調子でいくと数十年とたたずテーブルマウンテンの周りもすべて焼け野原になってしまうかもしれない。
 なぜ野焼きなのか。それは先住民とその末裔たちが焼畑農業の延長でやたら周りの山に火をつけているのだそうだ。ジャングルを焼き払ってそのあと畑にして農作物などを植えるなら話はわかる。ところがジャングルを焼き払って後には、荒涼とした焼け跡だけが残って、利用されている形跡がない。どうも、単なる野焼きの習慣だとも、先住民の縄張り争いだともいわれている。
年間に11,000件以上の山火事が起こっているいといわれているが、取り締まり担当者の数も少なく対応が後手になっているのだそうだ。残念なことである。


赤玉石のような碧玉の鉱床が数キロに渡って続いているという。6,500万年前にゴンドワナ大陸が割れ、マグマが噴出してできたものだという。雨季は水量が多くて危険だが、乾季には多くの観光客が水遊びをして楽しむ。盗掘の跡があったが、岩が硬くて刃が立たないようだ。

碧玉の鉱床・ハスペの谷


 ハイウェイから15分ほど歩いたところに、ハスペの谷がある。日本でいう赤玉石のような碧玉の鉱床がむき出しになっている。大きな一枚岩で、数キロにわたっているそうだ。碧玉を加工したネックレスをお土産に買った。上の写真は、地元のガイドさんと筆者。こういう人たちもいる。


こんな廃屋のような家だが、立派に使われている。


先住民の家。
 のどかでおおらかで、サバンナの気候にマッチしていい感じ。左の家は廃屋ではなく、立派に使われている。ここいらではハンモックで寝るので風通しよくできている。上の二つ屋根の家は観光客用のトイレ。


サンタ・エレナの町の様子。かってはダイヤモンドや金が発見されたため、一攫千金をねらう山師のような人たちで溢れていたとか。ギアナ高地の南部一帯ではいまでも金が採れるようでサンタ・エレナの町で取引が行われているとのこと。


サンタ・エレナの町の中心にある公園。入り口でおばあさんがダミ声で何かを怒鳴っていたが、誰も気に留める人はいなかった。

国境の町 サンタ・エレナ [地図]

 サンタ・エレナは、ギアナ高地の南端に位置し、ブラジルとの国境も近い。南東のギアナ高地への基地となっている。
 ベネズエラではガソリンが安く、日用品ではブラジルが安いため、住民は旅券なしで相互に交通しているようだ。ブラジルの人の中にはベネズエラでガソリンを買って、ブラジルで売って儲けている人もいるそうだ。
 ベネズエラから見ると僻地ギアナ高地の底、ブラジルから見るとアマゾン川支流の最北端の辺境ということか。ここいらの山がベネズエラ側のカロニ川・オリノコ川に流れるか、ブラジル側のアマゾン支流に流れるかの分水嶺になっているようで、北か南かが複雑に絡みあっているようだ。
 下の写真は、右がベネズエラ・左がブラジルの国境の様子。軍隊が管理している。

 左の公園は、サンタ・エレナの町の中心地。公園の中には、ラテン・アメリカ解放・独立の英雄=シモン・ボリーバルの銅像が建っている。
 ボリーバルは1806年、スペインからの独立運動の最高指揮者として数々の激戦を戦い抜き、独立を果たしただけでなく、ラテン・アメリカ地域の統合を呼びかけた、将来を見据えた優れた政治家でもあった。1499年、スペインの植民地となるが、新興植民地として力をつけてきたベネズエラでは、植民地生まれの白人(クリオーリョ)たちは次第に本国からの独立を志すようになった。ボリーバルは、いまでも南米のヒーローとして生きているようだ。

 サンタ・エレナの町では、感謝祭前日の予行演習をやっていた。なんとなくブラジルのカーニバルっぽい。子供たちの背に蝶のような大きな羽がついている。これがベネズエラでははやりのようだ。カラカスの町でも同じような羽の子供たちを見た。子供たちは世界中どこでもかわいい。

photo by miura 2010.3
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