ホルス神殿・コムオンボ神殿・イシス神殿 |
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ホルス神殿の第一塔門内の広場。なるほど、太い石の柱の廊下で囲まれている。神殿の造りはどこも似ている。私はかってにM字型塔門と呼んでいる。 |
ホルス神殿 何もない小さな町、エドフにあるホルス神殿は、1860年まで砂に埋もれていた。トトメスV世時代の古い神殿があったが、プトレマイオス朝時代(B.C.300年頃)に新たな神殿が建て直された。壁面のレリーフはコプト教会として使用されていた時代に破壊されているが、保存状態の良い神殿である。神殿入口には二体のホルス神像が立っている。中庭にも1つホルス神像がある。黒花崗岩でできた立派なもの。ホルス神は鷲(隼と言い説も)で、このホルス神がエジプト航空のマークとなっている。 写真は塔門を裏からみたもの。古代エジプト様式ともいえる印象的な形をしていて、美しい。台形を2つ並べで廊下で繋いだような意匠はどこからきたるのか。 |
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160年前は半分以上が砂に埋もれていた。掘りだされた遺跡より砂に埋もれた遺跡に魅力を感じるのはどうしてだろう。 |
上のデビッド・ロバーツの絵をクリックすると拡大したWindowsが開く。左の写真は同じ位置から撮ったもの。絵では柱の下の絵に色がついているが、同じ箇所を写真でみると160年後にはずいぶん色あせてきていることがわかる。 |
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神殿内部から、中庭と塔門をもたもの。エジプト人たちが柱の台の上で憩いでいる。デビッド・ロバーツの絵はややデフォルメされているが、相変わらず美しい。絵は写真より圧倒的に表現力がある。 |
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コムオンボ神殿は、石の重量感がすごい。下のロバーツの絵と同じ角度から撮ったものだが、遺跡の重量感がまるで違う。古代エジプト人の宗教的情熱の重さを感じる。 |
コムオンボ神殿 [地図]
下のダビッド・ロバーツの絵と同じ角度から写真をとったが、何かが違う。ロバーツは砂の上で描いている。コムオンボ神殿は160年前はちょうど半分ほど砂に埋もれていたのだ。絵では柱の下に人が2人いる。写真にも柱の下に人がいる。現在の遺跡は観光資源として掘り起こされて整備されているが、ロバーツが訪れた頃のエジプトの遺跡のほうが、遺跡らしいよい味を出している。ロバーツの絵がうまいからだろうか。 |
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ダビッド・ロバーツのコムオンボ神殿の絵がすばらしい。 |
160年前、神殿はちょうど半分が砂に埋もれていた。中央の柱の下に人が立っている。上の写真と左の絵は同じ位置のものだが、砂に埋もれた神殿のほうが遺跡としての迫力がある。掘り出され整形された遺跡は空しさがのこるが、埋もれたままの遺跡は自然の原初的な感動がある。 コムオンボの壁に、何故か医学的な記述があるという。左の写真は古代エジプトで使われていた治療器具が描かれている。下の写真は、妊婦の分娩の様子を表しているという。妊婦はトイレのような台の上にしゃがんで分娩している。興味深いがなぜこのようなレリーフが神殿にの残されているのだろうか。 |
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イシス神殿へは船でナイル川を渡っていく。島の神殿。 |
イシス神殿 [地図] アレキサンダー大王エジプト遠征後のプトレマイオス王朝時代の神殿。シイス神がホルス神を産んだ島だという。エジプトの神々はよくわからないが、神をまつった神殿ということはわかる。確かにひとつの文明があったのだろう。 ダビッド・ロバーツの絵と現代の写真とを比較してみた。こんな遊びもたのしいものだ。 |
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神殿に住んでいるらしい猫。シイス神と縁がありそうな顔をしていた。 |
160年前には、極彩色の神殿のイメージがまだ残っていた。現在はほとんど色がなくなっている。 |
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トライアヌス帝のキヨスクで、湖からみたもの。ここだけは160年前と同じ雰囲気だった。 |
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アスワンの石切り場 古代の花崗岩の石切り場。ほとんど町の中にある。それが今でも当時のまま残っている。下の写真で、ちょっと斜めの平らな石が見える。長さ41m、底面4m、重さ1267トンのオベリスクが切りかけのままの状態で放置されている。ハトシェプスト女王(B.C.1505〜1484)に捧げられる予定であったが、中央部に亀裂が入ったため切りだしが中止されたという。 |
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これほどの巨大な石でも、古代の人は、切り出す部分に溝を掘り、そこに木製のくさびを打ちこみ、くさびを湿らせて木の膨張力を利用して割ったらしいという。 |
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photo by miura 2008.2 |