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ロゼッタストーンとヒエログリフ [地図]


ロゼッタストーン
記念に求めたロゼッタストーンのレプリカ。古代エジプトの神聖文字(ヒエログリフ、象形文字の一種)、デモティック(民衆文字)、ギリシャ文字の三種類が刻み込まれていた。それがヒエログリフ解読の突破口になった。
ロゼッタストーンの本物はなぜか大英博物館にある。フランス・ナポレオンが発見したものだが、その後のエジプトにおけるイギリスとフランスの戦いでイギリスが勝利し、戦利品としてイギリスに持ち去られた。

ナポレオンのエジプト遠征とロゼッタストーン

 1799年のナポレオンによるエジプト遠征のとき、支配下の軍人の一人がナイル河口西岸のロゼッタ村で砦を築く作業中に偶然発見した。黒い玄武岩の記念碑で「ロゼッタ・ストーン」と呼ばれる。高さ114cm、幅72cm、厚さ28cm、重さ762Kg。
 碑文は3種類の文字により刻まれていた。古代エジプトの神聖文字(ヒエログリフ、象形文字の一種)、デモティック(民衆文字)、ギリシャ文字の三種類が刻み込まれていた。ナポレオンはこの遠征に多数の学者、芸術家を同行していたのでその石の解読を試み、その後も多くの学者が解読に挑戦した。ロゼッタ石発見から20年後、フランスのジャン・フランソワ・シャンポリオンの研究と比較検討によって神聖文字の解読が成し遂げられた。シャンポリオンは熱烈なナポレオン・ファンだった。
 最初は、ギリシャ語の「プトレマイオス」を手がかりに8種類の文字の解明から出発した。写真は、ロゼッタストーンのレプリカ。
 ナポレンは何のためにエジプトを征服しようとしたのか。植民地化してインドのイギリスの植民地をたたくた拠点にしようという意図もあったようだが、当時の西洋ではエジプトの文化や歴史のに対する興味・関心も大きかったようだ。
 1797年イタリア遠征に勝利したナポレオンの人気は、フランスでは絶頂にあった。その延長としての1798年のエジプト遠征はしかし、これほどでたらめな遠征はなかったと、現在のフランスでは批評されているようだ。

ロゼッタストーンの拡大
3つの言葉での記述がわかるように拡大したもの。

 地中海はイギリス海軍のネルソン提督により制圧されており、フランスの共和国軍が出撃したとしても撃沈されるか捕虜になるかいずれかしかなかった。それなのに35,000人の共和国最強の軍隊に、21人の数学者、3人の天文学者、17人の民間技師、13人の博物学者と鉱山技師、4人の建築家、8人の画家、10人の文学者、22人のラテン語・アラビア語・ギリシャ語の活字を携えた印刷工といった華やかな面々が同行することになった。200隻の船は、待ち構えるイギリス海軍の間をかいくぐってエジプトのアレクサンドリアに着いた。
 当時、エジプトはトルコ・オスマン帝国に支配されていて、支配者層のマムルーク族が王朝を建設し13世紀以来支配していた。ナポレオンはカイロの入り口のピラミッドの戦いでマムルークを破った。その時の戦いに臨んでナポレオンが「兵士諸君、4000年の歳月が諸君らの戦いを見守っている」と言ったとかという話しで有名。だが、フランス艦隊はネルソン艦隊の急襲を受けてほとんど全滅してしまい、フランス軍はエジプトに閉じ込められることになってしまう。

アレクサンドリア図書館
アレクサンドリア図書館。紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトのアレクサンドリアに建てられた図書館。古代最大にして最高の図書館、最古の学術の殿堂といわれている。カエサルのエジプト征服時に消失したとも、キリスト教徒により放火されて消失したとみ言われている。

 ナポレオンはそれにもめげず内政を充実させることでエジプトの発展を企てた。病院を建て行政組織を確立し、税制を整備し、人口調査も行った。宗教の尊重はフランス占領政策の中でも最もきわだったものだった。マムルーク族の封建制度を解体し、紅海と地中海を結ぶ水路(1869年の163kmのスエズ運河として開通)の建設を計画し、農業振興のために水路を整備し、教育の面での改革も行われた。
 だがナポレオンは、フランス情勢の緊迫をうけ、軍隊を置いたまま一人エジプトを脱出することになる。
 1801年、フランス軍は英国とオスマン帝国の連合軍に敗れ、アレキサンダー条約によりロゼッタ・ストーンは英国に接収された。現在、ロゼッタ・ストーンは大英博物館で展示されている。
 「しかし、このでたらめなエジプト遠征は、世界観に大きな影響を与えた。この遠征は、忘れ去られ、神秘のベールにつつまれていた古代エジプト文明に光をあて、近代エジプト学を誕生させた。また、エジプトの経済的な発展にも貢献した。」


王妃の墓のヒエログリフ

王妃の墓のヒエログリフ

シャンポリオンのヒエログリフ解読

 ロゼッタ石発見から20年後、フランスのジャン・フランソワ・シャンポリオンは神聖(聖刻)文字(ヒエログリフ)の解読に成功した。ギリシャ語の「プトレマイオス」のことばから出発して、ヒエログリフの王名枠(カルツーシュ)からもプトレマイオスとクレオパトラのカルツーシュを見出し、4つの音価を発見し、他の記号にもアルファベットの音価を当てはめることに成功した。こうしてシャンポリオンは表意と表音の入り混じった神聖文字(ヒエログリフ)を解読していった。
 ヒエログリフは象形文字である。くさび型文字などに比べ、具体的な形をもっていて、見ていて美しい。 ヒエログリフはBC3000年頃からAD100年ころまで使われていたようだ。
楕円の枠でくくられた文字が王の名前を表していて、「カルツーシュ」と言われる。カルツーシュは神から祝福される縁起のよいものとされている。自分の名前をカルツーシュにして、Tシャツに縫い込んだり、金細工のネックレスやイヤリングにするサービスも観光客に受けている。

王妃の墓のヒエログリフ

王妃の墓のヒエログリフ
墓の内部を彩る壁画とヒエログリフ。BC3000年の造形極彩色

 シャンポリオンは、プトレマイオスとクレオパトラのカルツーシュから出発して、24人の王(ファラオ)の名前を解読し、アルファベットとヒエログリフ・テキストとの関係を解明していった。
 1828年、彼はエジプトへと船出した。何世紀にもわたってヨーロッパ人の好奇心をかきたててきたテキストを現地で解読しようというのである。そして彼は、それを成し遂げた。 現代では、ヒエラグリフのほとんどが解読されているという。

 掲載した画像の多くは、王墓と王妃の墓の壁画である。墓の中は撮影禁止だが、あまりにも美しいので、いくつかの資料から画像を使わせてもらった。
王妃の墓のヒエログリフ

「私はマムルーク族よりも、神や預言者やコーランを尊敬するものである。」
「イスラム教徒に対する聖戦を欲する教皇を打ち破ったのはわれわれではないか(1798年のローマ遠征)。神がイスラム教徒への戦争を望むなどと考えているマルタ騎士団の狂人どもを打ち破ったのはわれわれではないか。」(ナポレオン)

 ナポレオンがエジプト遠征に来た当時(1798年)、エジプトはトルコの隷属軍隊だったマムルーク族が支配階級を形成していた。エジプトはマムール族の時代遅れの支配にあえいでいた。政治面でも経済面でも著しく停滞していた。ナポレオンは、トルコのスルタンとマムルーク族からエジプトを解放しようとするものであるとエジプトの民衆に訴えた。
 左のようなことをいっている。これだからナポレオンは面白い。今なお人気が高い理由なのだろう。
(「古代エジプト探検史」吉村作治監修 創元社 より)

アレキサンドリアの「ポンペイの柱」

アレキサンドリアの「ポンペイの柱」
 ローマ皇帝が建てた図書館の柱の1本といわれている。アスワンの赤花崗岩でできていて建設当初は400本が立っていたようだ。160年前のデビッド・ロバーツの絵にも柱は1本しか立っていない。
 BC332年にアレキサンダー大王がこの地を征服し、その後のプトレマイオス朝時代に首都がおかれた。アレキサンドリアは地中海世界の文化の中心地として全盛期を迎え、その王朝最後の女王がクレオパトラだ。ローマに支配されてからも繁栄を続けたが、7世紀にはアラブの侵入を受ける。そして首都はカイロに移されることになる。古代エジプトの都テーベ(ルクソール)とギリシャ・ローマ系のアレキサンドリアの中間にアラブの首都カイロを置いたのだという。

デビッド・ロバーツの「ポンペイの柱」
デビッド・ロバーツのポンペイの柱の絵。
カーイトゥベーイの要塞
カーイトゥベーイの要塞

カーイトゥベーイの要塞

 アレキサンドリアの湾のようになっている突端にこの要塞がある。世界七不思議の1ついわれる「ファロスの灯台」がこの場所のあったという。アレキサンドロス大王の発案をプトレマイオスU世が紀元前3世紀に建てたといわれる。高さ120mで56Km先からも光が見えたという。14世紀の大地震で倒壊した。近くの海底からギリシャやローマ時代の遺跡が発見されるという。

 エジプトには、交差点の信号のようなものは僅かしかない。人々は車の間を縫って道路を渡る。交差点には信号がない。道路を渡るのは命がけ。信号はあった方がよいのか、ない方がよいのか。信号機に電気や設置・維持費用をかけるよりない方が交通もスムーズで早い(?)、無信号はエジプト人気質にあっているようだ。

アレキサンドリアのタクシーは黄色と黒
アレキサンドリアのタクシーは黄色と黒。
ナンバープレートの数字もアラビア語
アレキサンドリアのタクシーは黄色と黒、カイロは白と黒、ルクソールは白と水色、なぜかこの2色。ナンバープレートの数字もアラビア語。
観光用にナンを焼いているところ
観光用にナンを焼いているところ

 街かなを馬やラバに乗った人が行き来するのはごく普通の風景。ロバかラバに乗って街中を歩いている風景には、よく出会った。見ているだけでこっけいで楽しくなる。
 観光用にナンを焼いているところを公開していた。エジプトのナンはなかなかいける。街中のパン屋に人がたくさん並んでいる。公共のパン屋で安いのだそうだ。

photo by miura 2008.2
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