ポセイドン神殿(スニオン岬) |
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ポセイドン神殿 ギリシャ神話の海と地震を司る神様。 |
ポセイドン神殿 アテネから南東約70kmのスニオン岬の最先端に、ポセイドンに捧げられた神殿が立っている。 ポセイドンは海の神様。神殿は紀元前5世紀に立てられ、ペルシャ戦争で破壊されが後に再建された。柱の高さは6.1m、オリジナルの柱は34本だが、現在は16本の柱が残っている。 |
ギリシャ神話のような荒唐無稽の話を、ヨーロッパ人はなぜか好きなようだ。なにがしか人間の本質的なものに触れる部分があるのだろうが、不可解ではある。 |
かっては、神殿にはポセイドンの像が安置されていたという。 ミーノータウロスが幽閉されているラビュリントスは、脱出不可能と言われる迷宮であった。クレタ王の娘アリアドネーがテーセウスに恋をしてしまい、彼女はテーセウスを助けるため、彼に赤い麻糸の鞠と短剣をこっそり手渡した。テーセウスはミーノータウロスを短剣で見事討ち果たした。 テーセウスはクレータ島へ向かう時、無事クレータ島から脱出できた場合には喜びを表す印として船に白い帆を掲げて帰還すると父王アイゲウスに約束していた。しかし、テーセウスはこの約束を忘れてしまい(不条理!不可解!)、出航時の黒い帆のまま帰還した。これを見たアイゲウスは、テーセウスがミーノータウロスに殺されたものと勘違いし、絶望のあまり海へ身を投げて死んだ。その後、アイゲウスが身を投げた海は、彼の名にちなんでアイゲウスの海=エーゲ海と呼ばれるようになった。(Wikipediaより) ギリシャ神話の登場人物は多くは神であるが、実在性のある人物なのか全くの神話の神なのか、関係も入り組んでしてよくわからない。荒唐無稽の話が多く、とにかく理解を越えている。このミーノータウロスとテーセウス、アイゲウスも展開の細部は具体的でありながら、不条理に展開している。 テーセウスに恋したクレタ王の娘アリアドネーは、ミーノータウロスを倒した後、テーセウスとともにクレタ島を抜け出すのだが、その後すぐなぜかテーセウスと別れてしまう、ということになっている。 |
パルテノン神殿(アクロポリスの丘)
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パルテノン神殿は、アクロポリスという150m程度の高さの丘の上に建っている。紀元前13世紀頃から建築されはじめ、破壊されては再建を繰り返して現在に至っている。現在の建物は紀元前438年に完工したものらしい。 紀元前438年に完成した神殿、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿である。創建当時、内陣には、アテネ(アテナイ)の守護神である女神アテナ像が祀られていた。 パルテノン神殿は、古代ギリシャ建築の黄金比率を巧みに取り入れた美しい構造を持っている。柱の配置や寸法は、美しさと調和を最大限に引き出すように設計されているという。46本の柱の間隔は一律ではなく、また角の柱は他の柱より太い。
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確かに8本ある柱の角の2本は他より太く見える。柱の間隔も一律ではないらしい。 |
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東端の展望台から見たパルテノン神殿 |
アクロポリスの丘の東端の展望台から見たパルテノン神殿。神殿の西側正面は工事中で幌がかけられていた。内部でも修復中のようだった。神殿の周りは岩盤がむき出しだったり石片がしかれていたり、かなりでこぼこしている。かっての建造物の礎石のようなものもあっちこっちに転がっている。 多くの観光客はガイドさんの説明に聞き入り、パルテノン神殿の美しさに圧倒されていた。このような建築物が紀元前から造られてきたこと、人間文明、古代ギリシャ文明のすごさに感じ入らずにはおれない。
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ギリシア神話といえば、メドゥーサの話はかかせない。話はアテナの嫉妬と怒りから発している。 海の神であるポセイドーンの愛人であり、ポセイドーンとの間に天馬ペーガソスと巨人クリューサーオール(「黄金の剣を持てる者」の意)をもうけた。 メドゥーサはペルセウスによって首を切り落とされ、退治された。切り落とされたメドゥーサの首から滴り落ちた血はペルセウスによって2つの瓶に集められ、アテーナーに献上された。右側の血管から流れて右の瓶に入った血には死者を蘇生させる効果が、左側の血管から流れて左の瓶に入った血には人を殺す力があったとされる。アテーナーは後に、死者を蘇生させるメドゥーサの血をアスクレーピオスに授け、彼はこの血を混ぜた薬を使用した。 |
メドゥーサの首を切り落としたペルセウス。アントニオ・カノーヴァ作『メドゥーサの頭を持つペルセウス』(1800年頃) バチカン美術館所蔵。(Wikipediaより) ウフィティ美術館のテラスにある 「メドゥーサの頭を持つペルセウス」 (Webサイトより) |
アテネの街中のレストランから見た夕日のパルテノン神殿 |
夕日がアクロポリスの丘の向こう沈んで、アクロポリスの丘とパルテノン神殿に照明が当てられて美しい。 |
アフロディテ像
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国立考古学博物館 ギリシャ各地から出土した品々が納められているギリシャ最大の博物館。
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ボクシングをする子供たち 紀元前1500年頃の大噴火により突如歴史から消えたサントリーニ島のアクロティリ遺跡から発掘された壁画。 |
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アテネ市街のアクロポリスが見える通路。 アクロポリスの丘の周辺は土産物屋やテラス席つぎのレストランなどがあり、地元の人と観光客でにぎわっている。 |
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オリンピアの遺跡
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ヘラ神殿 古代ギリシャのゼウス神に捧げる運動競技会&祭典のオリンピック大祭が行われた場所。ゼウス神の聖地。1989年にユネスコの世界遺産に登録された。 最初は競技としては短距離走のみだったが、回を重ねるごとに競技数は少しずつ増え、レスリングやボクシング、円盤投げ、槍投げ、走り幅跳びなど、現在行われている競技の原型が生まれた。 |
ヘラはゼウスの正妻で実姉。ゼウスには逆らわないが、浮気性のゼウスの相手や子供には意地悪で怖い女神。 第1回大会が行われたのは、紀元前776年だったという。
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スタジアムの入口のアーチ オリンピックのスタジアムの入口としては少し寂しいような気もするが、地方の競技場の入口としては立派なものだろう。紀元前の競技場の発想が現代の競技場づくりに受け継がれて生きているのが感じられる。 |
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スタジアム(競技場) 紀元前4世紀中頃に造られたとされる。トラックは幅が30m、長さは192m。女性禁制、観客席はないが約4万人を収容できた。ピーク時には14〜15万の観客が集まったという。
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ミケーネの遺跡 シェリーマンが発掘
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アトレウスの宝庫または アガメムノンの墓といわれる。紀元前1250年ごろに建設された。入り口の上にあるまぐさ石は120トンの重量がある。墓として使われていた期間は不明。シュリーマンが1879年にミケーネのアクロポリスのアゴラ地下に竪穴式墳墓を発見したときには既に見つかっていた。 |
ギリシャ・ペロポネソス地方、アルゴス平野に広がる小高い丘に、かってホメロスが「黄金に富むミケーネ」とうたったミケーネの古代都市遺跡がある。
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ギリシャの時代区分における紀元前1600年頃から紀元前1100年頃までの期間は、同地にちなんでミケーネ時代と呼ばれている。 紀元前1350年頃の全盛期、城塞と城下町を合わせた都市域の総面積は約30ヘクタールで、その中におよそ3万人の人口が暮らしていた。(Wikipediaより) ミケーネの王アガメムノンは、トロイの木馬で有名なトロイア戦争で、ギリシャ連合軍の総大将を務めたといわれる。 |
円形墳墓 |
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コリントス運河
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コリントス運河 |
ペロポネソス半島の根元にあるコリントス地峡に開削されたもので、エーゲ海とコリンティアコス湾を結び、1893年に竣工、供用開始。全長6,343m。最も高いところで標高約79m。幅24m、水深8m。 川幅が狭いため大型貨物船の通航はできない。大きな船はタグボートに曳航されて運河を通る。年間11,000隻、一日に換算すると約30隻の船がこの運河を往来するがそのほとんどは観光用の船。 |
橋げたの中央には、バンブージャンプ台が。 |
運河の上にかかる橋には、バンブージャンプができる場所があった。上の写真は、運河に飛び込んだバンブジャンパー。 |
photo by miura 2023.05 |