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俳句徒然日記2023年

   
2023年1月2日

年初め鈍行に乗って横浜へ


相模鉄道は略して「相鉄」、昔は神奈川中央鉄道、略して「神中鉄道」と呼ばれていたようだ。沿線住民よりも川から出た砂利を運ぶことが多く、「ジャリ鉄」と言われることもあったとか。本当か嘘か、人は砂利を運ぶトロッコの上に乗っていたらしい。

今年もまた老人の繰り言、
死ぬまでは元気に生きよう年初め

そうはいっても体の不調にはあがらえない。
体力と知力気力をふりしぼれ!


東風吹かば黒雲出て白梅の花

運よく、ウグイスと白梅が撮れた。

消えてしまったメモ帳 その2

また、iphoneの「メモ帳」が消えてしまった。1か月で2回も。ついていない。人生そんなものかと思いつつ、1か月、何を綴ったか思い出せない。まぁ老人の繰り言のようなメモだからからよしとするか。

東風吹かば黒雲出て白梅の花
黒雲出でて一人占めや梅の花

ウィルスは生物と無生物の間のようなものらしい。それは生命とは何かという定義による。両義的な変化。
生命を、自己複製を目的とするシステムであると遺伝子論的に定義すれば、ウィルスは生命と言える。
生命を絶えず自らを破壊しつつ、常に作り替えてエントロピー増大の法則に抗しつつ、危うい一回性のバランスの上に立つ動的なシステムであると定義すると、ウィルスは生命とは呼べない。(福岡伸一先生)

思えば、自分の人生自体が不要不急である。(養老孟司先生)

マルクス・ガブリエルは、思考は「感覚」だと言う。思考が理解であるなら、感覚と言っても良いように思う。
思考は理解、物事の概念、構造の認識である。思考はイメージできないと本物ではない、と誰かが言った。

2月3日


梅見にはまだ蕾の如月かな

梅見にはまだ早き如月かな

梅見にはまだ蕾の如月かな
また消えたメモ帳の如き人生かな
二回目も梅つぼみがちの花見かな

なぜかこんな句が浮かんで、やさしい生活者。
もの書いて鴨に変えけり夜の雪(蕪村)
文を売って薬に代ふる蚊遣かな(漱石)
骨拾う人に親しきすみれかな(蕪村)
春を惜しむ人にしきりに訪はれけり(漱石)

 

2月4日

人生を味わう歳になりにけり


スロージョッギングをしながら、
春夕べ人生味わい走りけり
人生や味わい初めしはじめかな
歳なれや味わい楽しむ人生かな

財務省の本能は収支のバランスにあるようだ。だから、日銀の異次元金融緩和、お金刷りには、本能的な嫌悪感や危機感を持つ。収支のバランスを批判する意見もあるが、基本的なバランス感覚は必要だと思う。
無制限にお金を発行し使ってしまったら、お金の価値はどうなるのか。家庭や企業の会計とく収入と支出の危ういバランス、バランスを崩しつつ、バランスを取ろうとする進化。経済が商品と貨幣によって回っているから、収支のバランスが必要なのだろう。 赤字覚悟で出費したり投資することが必要になることもある。生産能力、それだけの問題?
あらずもがなの神学か。

2月11日

 

記憶が定着しなくなった

睡眠は記憶を脳に固定するらしい。私の睡眠時間は6時間だが短いようだ。おまけに睡眠が浅い。だから記憶が定着しないのか。7時間、熟睡できるようにしよう。
心と体のバランスを意識すること。どうも心のバランスを崩しているような気がする。
心の平穏を取り戻し、集合住宅での生活と自然の中での生活とのバランスを考えよう。
養老先生も、世界には人間のほかにたくさんの動物がいると言っている。人間世界だけでものを考えるのはやめたほうがいいと言っている。生きとし生けるものへの愛か。

 

2月15日


細くまっすぐ上に伸びる梅枝。そこに一輪の白梅。美しい。

モチべないとボーとしたがる我が精神


老いゆくは哀しからずや梅の花
老いゆくは悲しくもあるか梅の花

そうであるから、老人はエントロピーにあがらう。

記憶はまず、海馬のニューロン神経細胞とシナップス伝達構造の連携として一時記憶され、それが大脳皮質にコピーされて記憶として定着する、らしい。
脳の構造の基本単位は、このニューロンとシナプスの構造により構成される。シナプスは、ニューロンとニューロンの結合を受け持つ隙間の制御構造ようなもの。どうしてこんな構造ができるのだろう。人間ってますます不思議。
それにしても、私の記憶力はどうしてこんなに弱いのか。

 

2月16日

日本社会は変化することを恐れているのではないか。

だから、企業活動は変わらない、文化は閉塞していく一方。
GDPも横ばい、給料も上がらないし、非正規労働者の給料は低いまま。これでは経済発展は望めない。LGBTや女性の社会進出を拒んでいるものの、正体はやはり日本社会の現状維持、閉鎖性、保守性にあるのではないか。それに老害も絡んでいるかもしれない。社会がある程度成長し成熟してくると、人々は現状に満足し進歩すること変化することを恐れるようになるようだ。70歳以上は社会の指導的立場を辞退すべきではないか。老人はともかく、若い人は現状維持、保守では困る。変化を避けるようでは進歩がない。後釜の若い人は大丈夫か。のぞみ薄い?認識不足?

 

2月17日

キリギスータジキスタン峠越え

雪と寒さと寂しさを友にして。そんなドキュメントがあった。劣悪の環境の中で、命を賭けて仕事をする人たちがいる。

1989年、東西冷戦の終結?東西ドイツの壁崩れる。
ゴルバチョフ、ソビエト共産党書記長 とブッシュ、アメリカ合衆国大統領によるマルタ会談で決まった。ブッシュ大統領は記念品として、ベルリンの壁の破片を出席者全員に配ったという。
ロシアと言う国は、心情的にはほとんどアルカイダと同じ。勝利かさもなくば死か。専制的国家の脆弱性か。思考が短絡的で独りよがり、成熟や熟慮というものがない。専制的政治は、自分第一主義で、一般に人間の命を大切にしない。だから人権意識もない。
それに付き合わされる国はたまったものではない。ウズベキスタン、カザフスタン、トククメニスタン、キルギス。はやく逃げ出すに限る。アゼルバイジャン、アルバニア、ジョウジアもか。

 

2月18日

AIによる会話ソフト

GoogleとMicrosoftの競合。ChatGPTはどうなのか。OpenAIはMicrosoftの資本の影響下にあるようだ。
AIによるコンテンツの自動生成、そういう時代がやがて来る。AIは自分の体を感じることができるのか。AIは自己意識を持つことができるのか、自分が何者なのかをどこまで認識できるか。
AIに感情はあるのか、思考と言うことがあるのか。AIは最適化された言語処理パターンのオーム返しでしかないのではないか。人間の会話ってそんなものだといえばそうなのだが。
1つの話題をキャッチボールの中で進化させていくといった思考ができるのかどうか。
事象の中の共通性を見出し、規則や法則性を認識することができるか。それを自分の知識の成果として取り込むことができるのか。それができるのがAIということらしいが、実際どうなのか。もう少しつきあってみよう。

 

2月21日

野沢にはこんな温泉場があっちこっちにある。

野沢温泉スキー場

湯けむリに粉雪舞散る野沢の湯
温泉スキー老いの悲しさリフト二回

温泉・スキーにあこがれて野沢温泉へ。だがイメージどおりには身体が動かない。足腰が、膝が、スキー板を付けて歩くのも一苦労。やはりスキーはもう無理か。 

降る雪やスキーは遠くなりにけり 

温泉でデカ物さらす変な外人

ウクライナのバレー団の女性ダンサーが言う、私たちは銃をとって国を守る事はできませんが、踊ることでウクライナの文化を守っています。

 

2月25日


紫陽花のコスモス

モロッコ・アルジャジーラ海岸

佐伯祐三

絵画教室に入る

上鉄穴先生やっぱし飛んでる俳句かな。
油絵をと思っていたがアクリル画を習うことになった。
自然の複雑さは人間の想像を超えている。同じ模様の繰り返しはありえない。変化、変化。

絵画、まず模倣すること。自分が気に入った最新の表現を模倣しないでは、新しいものは生み出せない。模倣と創造。創造なんてムリムリ。100年早い?
何に焦点を合わせるのか、印象に残そうとするものは何か。筆使いは、回数を少なく、伸びやかに、大胆に。壊すこと。
色を多くするとより豊かな絵なる。自然物は一体何色なのだろう、どれだけの色が混じっているのだろう、色とは何か。私は何を表現しようとしているのだろう。
構図は三角形、1/3、黄金比。描きたいものは何か。
ストーリー、物語性が大切だという、どういう物語を紡ぐのか。
また、おはようございます。


モロッコ・アル・ジャディーラの海岸の絵。書き始めてから3枚目のアクリル画。
窓は◯□△が面白い。海を見ている人物の描写が足りない。まだ、筆遣い、色使いになれていない。大胆に、細心に。

なぜか、佐伯祐三、1898年生まれ。
パリの街角、ポスター、看板等の文字を造形要素の1部とするのが特徴。
パリの絵の巨匠に自分の自信作の絵を見せて、批評をこうた。巨匠が言うには、君は塩と砂糖を書き分けられるか、といったとか。
自己表現の前に、絵画の基本画法と表現方法をマスターすべき、ということか。これは本当か意地悪か。

3月7日


桜山のような湯河原梅園

湯河原梅園にて

梅の花越えて行く野の山の神
湯河原の梅見鶯ホーホケキョ
なんとなく古風な感じの梅の花
小田原は梅の香りや月東

なまいきざかりの帆乃果ちゃんともうすぐおすわり佑月ちゃんと。そんなことを想いながら山登りと梅園散歩。梅木や花がなんとなく古風で味がある。

アーティスト宮本浩次The Covers
TVを見ていたら、カバースとかの番組で、歌は自己表現である、とある歌手が言っていた。魂の自己表現。彼のその歌は私の心を揺さぶる。なるほど、歌も確かに芸術なのだ。今頃、そんなことに気付くなんて。

3月10日


近年、観賞用の菜の花畑をよく見かけるようになった。老人にはいいことだ。

昼食べて菜の花畑のその先に


菜の花や月は東に日は西に(蕪村)
蕪村はこんなノーテンキな句を詠んでいる。こにな句に誘われて、菜の花畑へ。

菜の花や月は見えねど日は西に
春風や梅散りて菜の花咲く

レジリエンスなるほどの回復力
なるほどの絶対悲観主義者か我は

絶対悲観主義者はすぐに絶対楽観主義者に転じる。これは同義といえるかもしれない。

言葉によって現実が規定されていて、言葉と言うフィルターを通してしか物事を認識できないと言う考え方がある。
だが、アインシュタインは「イメージが浮かぶ」のだと言う。頭の中でイメージとして想定し、その映像をいろいろこねくり回した後で、最後に数式として出力するのだと言う。
はじめに、言葉ありき、言葉と現実。アインシュタインのイメージは絵か言葉か。言葉にならない現実、想いと言うのもあるように思うのだが。

虐殺器官(伊藤計劃)、地球放浪・老神介護(劉慈欣)。人間の内なるアポロン的なものとディオニソス的なもの。いゃーまいった。

 


スペイン・中世の村のパラドール

スペインの中世の村の絵画

北スペインのサンティジャーナ・デル・マールは中世の雰囲気を残し古い建物が多い。

絵中の建物群の右側にパラドールがある。そのパラドールに宿泊した。小さい宿で、ロビーもほとんどないが、2階の部屋の前には味のある家具にかこまれた広間がある。部屋の中も渋い中世風で、趣味的に落ち着ける。廊下も床板も歩くたびにギコギコ音を出す。照明も暗いので、気分は中世世界に迷い込んだ感じ。こんな中世の邸宅や城の感じを残して楽しんでもらおうというパラドールのセンスは楽しい。
ちなみにパラドールとは、スペイン、プエルトリコなどスペイン語圏にある比較的高級なホテル・チェーンを指す。スペインでは古城などを改装したり、景勝地に新しく建てた半官半民の宿泊施設網で、1928年に始まり、2007年時点で91か所ある。(Wikipediaより)
左の絵でいくらかスペイン中世の雰囲気が楽しめたらOKか。
私の旅行記はこのサイトで。

 

3月20日

一番札所霊山寺


室戸山 明星院 最御崎寺(24番札所)

四国88箇所遍路の旅、第1回


何を思ったか家内がかってに四国88か所巡りの旅を予約していた。私が望んでいたからだという。たしか若い時に、四国を歩いて回るという夢を語っていた。祖父母も母も何度か四国行脚の旅に出ていた記憶があるからで、なんとなく私も年をとったら行くものだと思っていた。私も先人に習って四国88か所の旅に出よう。しかし、観光バスで回ることになるとは。
1回1週間、全3回で完結で、最終回には高野山にお礼に詣でる。

徳島6番札所安楽寺にて
湯けむりや音なき般若心経弘法の湯
弘法の湯静かに響く般若心経
雨音に般若太鼓を聴く阿波路
お地蔵と同行二人の阿波路かな

何となく止むに止まれぬ四国病
四国病閏年は逆打ちかな

高知にて女性も飲むべいさわち料理
男より女が強い高知かな
高知女性ショウショウで二升


若き空海修行の場、御厨人窟(みくろどくつ)。
この洞窟の修行場からは「空と海」しか見えない。ここで空海は毎日毎日、空と海だけを見つめて修行していたらしい。空海の名の由来らしい。
四国88か所札所と空海の関係は分かったようでよくわからない。
どこのお寺さんにも本堂と並んで太子堂があった。この2か所を御経を唱えてお参りするのが礼儀らしい。般若心経くらいは諳んじていなくては話にならない?

 

3月26日

近頃は先のことより昔のこと

近頃思うこと。それにしてもサルトルは遠くなりにけり。

今年のさくらはきれいに咲いた
手を伸ばしさくら頬に触れんとす
手を伸ばし桜の君に触れんとす


コロナ禍の自由と民主主義の議論がある。自由は自己原因であるが、他者の自由を制限したり棄損することは許されない。中国のような行き過ぎた自由の制限は問題だ。そもそも彼の国には人権意識はなく、当然に国家の都合を優先する。無制限の自由もあり得ないが、コロナ禍でのある程度の制限は仕方がない。

 

 

3月31日


エントロピー増大は、創造の種か。 秩序の崩壊がなければ創造はない。

丹沢の田舎あんぱん春霞


雉鳴くや宮が瀬湖面の赤い橋


リルケのマルテの手記の中に次のような1文がある、という。
「ママンは事柄を重要な事と重要でないことに振り分ける才能がまるでなかった。」
これはどういうことを言っているのだろうか。頭の中に様々な印象でいっぱいのような状態。物事が皆同じ比重を持っていた。そういう状態、わからないでもないが。どうしても常識のような序列が邪魔をする。物事を振り分けられない性格って、ひょっとすると創造の源泉なのかも。知り合いにそういう人がいる。面白い。

 

4月4日

ムクロジの実

ムクロジの実見つけてうれし火曜の昼

ムクロジは無患子と書く。縁起の良い木だという。その種が変わっている。透明なやや硬い外皮の中にとても固い種子が入っていて、振るとカタカタと音がする。種子は昔は羽根つきの羽の先に重しのように付けて使われたという。
3粒の種を鉢植えにまいた。

桜散り過ぎ去った日々を惜しむ昼下がり
桜舞い叶わなかった思い叶った夢
桜散りおにぎりほおばり春の修羅

 

ヴェネチアの風景の絵画

絵の教室の隣の人がヴェネチアの絵を何枚も描いていた。それに触発されて私もヴェネチアを描いてみた。
建物がへたくそ。遠近法がなっていない。水面の感じは先生が仕上げてくれた。散歩をしているたくさんの人物の描画が難しい。だいたい建物がへなへなし過ぎている。左右の目の焦点をうまく合わせられない。左目だけで見るようにすると、筆の遠近感がわからない。細かい部分の表現がなっていない。手が震え、水平垂直の線がよれる。そもそもちゃんと描こうという気があるのか。それでもなんとか描く。だが、いくら頑張ってもゴッホのようにはなれない。

私の旅行記はこのサイトで。

4月5日


ビルの解体工事。解体された後は原っぱになった。何になるのだろう。

老人はもうろく俳句でさようなら

2022年世界人口は80億人に達した。50年で2倍に増加したのだと言う。インドは今年、中国を抜いて世界一の人口になる。しかし世界は、今世紀中に人口減少に転じるだろうと言われている。
自然の破壊か世界の滅亡か食糧危機か。
人類のエントロピーは修復不能ということか?
ウォーキング中、近くでビルの解体工事をしていた。造った物を壊す、人の生きざまのすさまじさをリアルに実感した。

春の夕破壊と創造は人の本性
人生実感一睡の夢のごとし
桜散りつつじとともに咲くハナミズキ

 

4月13日

公園内のリス。なぜか人間に馴れている。
愛嬌があった面白いハシビロコウの写真を撮りたがったのだが、その日はカメラを持っていなかった。残念。

花の香りに包まれて歳を経るかな
眺めせしまに


世にふるもさらに時雨のやどりかな(宗祇)
里山の花の香りに包まれて逝かんとぞ思う春の昼下がり
里山やなぜか動かぬハシビロコウ
(里山ガーデンにて。写真を撮りそこなった。残念。)
またいつか会う日もあらむハシビロコウ


4月14日
洗濯物日当たりの良い一等地かな
食べたものみな出ていく春の朝


4月16日
黄昏てまた侘びいるか春の夕
春の夕侘び男にタンポポの花


4月18日
老体に春風嬉し芝の土
飛礫打つダビデは旧約聖書なり

 

4月21日

佐渡島

両津港の灯台

19日に佐渡に来た


母のホーム息子の思い出春霞
築港の淡き憧れ高校時代

ニーチェ、自己破壊と自己形成の高速運動。遺伝的分裂症気質と若い時からの梅毒、その合間の集中的執筆活動。トラトストラかく語りき、断章による思考は、日常的論理的思考の連続性を断ち切り、その可能性を極限にまで追い詰めることによって思考そのものの成立条件を示すことができる。思考の成立条件を問う高次の反省を超越論的な思考と呼ぶなら、断章の思考は、まさに超越論的反省の役割を果たしていると言える、という評価もある。
アフォリズム 箴言集
ラプソディー 叙事詩
リリック ポエム 抒情詩

そうかもしれない、といった程度。ただ、創造的破壊、超越論的反省がニーチェの魅力なのだろう。意味もなく渡りゆくツゥラトスツゥラへの若き日の憧れ。気になって読み直したが、また途中で放棄。

そんな息子だから母への感謝とすまないという思い。母の待つ佐渡へ帰らなくては。

 

5月4日

炎天下つつじ草臥れ汗流る

五月晴れ考えるのやめてただ歩く
五月晴れヤモリ潰され尾動く

子供の日どこへ行っても人ばかり
仕事人間仕事をとったら何になる

AIは善か悪か正義か不正義か。いや、善でも悪でもない。
頭がいいから、悪と不正義にならない歯止めは必要。使い方次第。

6回目のコロナワクチン注射の後遺症が1週間も続いたようだ。
ちょっと熱があり体全体が重く倦怠感がある。今までこんな事はなかった。何の影響だろうか。体調不良はいつまで続くのか。

 

落柿舎の絵

芭蕉のおっかけをやっている私としては「嵯峨日記」の去来の別宅である落柿舎は外せない。以前に落柿舎を訪れたときの写真を基に絵を描いた。
絵がへたなので芭蕉には申し訳ない。なんとなくこんな感じの絵を描いてみようと思ったのだが、寂びた感じがまったく出ていない。明るい寂びの表現。まったく失敗作。
侘び寂びの茶碗はあるが、絵というのはあるのだろうか。侘び寂びの美意識は絵に合わないのか、時代に合わないのか。個人的には侘び寂びの審美眼には近しいものを感じるのだが、現代社会での価値観はどうなのだろう。
「枯れ枝に烏のとまりけり秋の夕」(芭蕉)の境地は遠い。

私の嵯峨日記はこのサイトで。

5月17日〜27日

ヴァルラム修道院

奇岩と修道院で有名なメテオラ

最も規模が大きい現役の修道院。かっては岩の上の修道院は24か所あったらしいが、現役の修道士が活動しているのは6か所だけらしい。
浸食されて形成された奇岩20-400mの岩の塔の上に修道院が乗っている。6か所以外は廃墟になってしまったようだ。

ギリシャの旅

古代ギリシャはどうしても見ておきたかった。なにしろ自慢の西洋文化の起源なのだから。しかし、紀元前はあまりにも遠かった。 残念ながら、古代ギリシャ文明の跡は、彫刻類を除いてほとんど感じられなかった。ローマ時代に手が加わったものが多いようだ。


オシオス・ルカス修道院の中央聖堂

東ローマ帝国時代のギリシャ正教会の修道院。1990年にユネスコ世界遺産登録された。ビザンティン時代の石材を使った建築と、内部の豪華なモザイク画が魅力的な寺院。10世紀に設立され、中期ビザンティン建築の傑作と言われる聖堂と、11世紀に作成されたモザイクが残る。

 


アポロンの神託で知られる古代の聖地。パルナッソス山脈のほとんど崖のような場所にへばりついている遺跡。若者たちのグループが熱心にガイドさんの説明を聞いていた。

聖地デルフィ

パルナッソス山脈を背景にしたアポロンの神殿と古代遺跡。背景の山肌が険しい。古代ギリシャ時代、全世界の中心、「世界のヘソ」と考えられていたらしい。なぜこの地が聖地となったか、いろいろな話があるがギリシャ神話はよくわからない。
神託を受ける巫女をビューティアといい、地面の割れ目から吹き上がる気をすって陶酔の世界に入ることで神託を受けたといわれる。神託は詩の形で与えられたという。


古代の劇場。ローマ劇場に影響を与えた。

デルフィ博物館


デルフィ遺跡の博物館より 男性像
女神像もよいが男性像もすばらしい。

左は、古代ギリシャの彫刻家「リュシッポス(Lysippos)」の作品。紀元前330年頃に有名な運動選手「アギアス」の青銅製の銅像のレプリカとして造られた彫刻。
右は、ローマ皇帝ハドリアヌス帝の寵愛を受けていたとされる美少年の像。18歳の頃にナイル川にて溺死。それを悲しんだハドリアヌス帝が彼を神格化し、沢山の像を作った。


ナクソス人のスフィンクス。アポロン神殿の前にある高い柱の上に据えられていた。

アトレウスの宝庫または アガメムノンの墓といわれる。紀元前1250年ごろに建設された。入り口の上にあるまぐさ石は120トンの重量がある。墓として使われていた期間は不明。シュリーマンが1879年にミケーネのアクロポリスのアゴラ地下に竪穴式墳墓を発見したときには既に見つかっていた。

ミケーネの遺跡 シェリーマンが発掘


アガメムノンの黄金のマスク
1872年、ドイツの考古学者シュリーマンがミケーネ遺跡の発掘調査中に円形墓地から発掘した。


ミコノス島の変な格好をした白い教会。ほとんど写真撮影の観光スポット。

ミコノス島


街はレストランやパプやバー、お土産屋さんでいっぱい。海沿いのテラス席で食事を楽しむのも一興。リゾート気分満載。


中央教会、資料館、聖マリア礼拝堂などの施設がたっていた。

聖ヨハネ修道院(パトモス島)

船から見ると城塞のように見えるが、神学者聖ヨハネ修道院を海賊などの外敵から守るべく要塞化した町ということ。

修道院からの眺望。眼下のエーゲ海が美しい。


城塞都市
ビザンティン帝国時代に築かれた都市は、14世紀から15世紀にかけて聖ヨハネ騎士団によって拡張され、要塞化が行われた。

ロドス島(聖ヨハネ騎士団の島)

1309年、ロドス島は聖ヨハネ騎士団に占領され、ロドス島騎士団と称される。この騎士団のもと都市は中世ヨーロッパ風に作り変えられた。騎士団長の館などのロドス島の有名な遺跡の多くはこの時期に造営されたもの。

騎士団長の館


クノッソス宮殿跡
赤い柱が印象的。柱の上が太く下が細いのがクノッソスの特徴。
ミノタウロス退治の神話の地。ギリシャ神話は、不可解で不条理な話が多い。それでも現代でも生きていることは、人間人生の何か真実に触れている部分があるからだろう。

 

クノッソス宮殿(クレタ島)


ボクシングをする子供たち
紀元前1500年頃の大噴火により突如歴史から消えたサントリーニ島のアクロティリ遺跡から発掘された壁画。


「サントリーニ島」の名はカルデラ全体、すなわち本島を含めた5つの島々(サントリーニ諸島)の総称としても用いられる。カルデラ湾を望む断崖の上に白壁の家々が密集する景観でも知られている。サントリーニ・カルデラ内では現在も活発な火山活動があるという。

サントリーニ島

サントリーニ島は、エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャ領の島。かつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形(サントリーニ・カルデラ)の一部で、その外輪山にあたる。

サントリーニ島の観光を終え船に戻る途中、振り返ると海岸から山頂の市街地を結ぶ道を行き交う車のライトがなんか変。


東端の展望台から見たパルテノン神殿


ポセイドンのブロンズ像。1928年エヴィア島アルテミシオンの海底から偶然発見され引き上げられたという。国外に持ち出そうとして難破したのだとも。最近ではポセイドンではなくゼウスの像だという説が有力。
ゼウスとポセイドンは、クロノスを父としレイアを母とする兄弟で、ゼウスは地上をポセイドンは海を司る神となった。

パルテノン神殿(アクロポリスの丘)

アフロディテ像
ローマ神話ではヴィーナスをアプロディーテーに対応させている。
愛と美と性を司るギリシア神話の女神, 生殖と豊穣の女神。
ヘーシオドスの『神統記』によれば、クロノスによって切り落とされたウーラノス(クロノスの父)の男性器にまとわりついた泡(アプロス)から生まれ、生まれて間もない彼女に魅せられた西風が彼女を運び、キュテラ島に運んだ後、キュプロス島に行き着いたという。彼女が島に上陸すると愛と美が生まれ、それを見つけた季節の女神ホーラーたちが彼女を飾って服を着せ、オリュンポス山に連れて行った。オリュンポスの神々は出自の分からない彼女に対し、美しさを称賛して仲間に加え、ゼウスが養女にした。(Wikipediaより)
ボッティチェリの「ビーナス誕生」は、ギリシア神話の女神アフロディテの誕生を題材にしている。

 

6月5日


足摺岬と霞む灯台

おばカットどうでもいいけど夏カット

四国遍路2回目
遍路旅のついでに足摺岬を散策。四国最果ての足摺岬だが、椿の林の道は印象深かった。

自殺する人もあるらしい足摺岬
足をする僧もいたらし足摺岬
四国の果ての足摺リの38番金剛福寺変な寺
鰹一本釣りもあるらし土佐清水
足摺の赤き椿や人恋し
ウグイスの人恋鳴くか足摺岬

 

6月6日

接待所? 生活感があって渋い。

足摺や人恋いしくて涙雨


生は死、死は生、生きても死んでもお同じこと。生死の間が曖昧になっていく。そんなうれしい時間が流れて。

緑に潤おう四国の山道遍路道
願わくば日に焼け風雨に破れた遍路傘
夏近し
カッコばかりの観光バス遍路
観光バスといえど般若心経2回づつ

 

 

6月8日

子規の句碑

30番善楽寺でみた飼い猫の供養像

49番浄土寺の空也


子規の空矢についての俳句あり。
「霜月の空也は骨に生きにける」
「南無阿弥陀仏」を唱える口称念仏の空也のこころは、今も生きているといった意味か。済民救済の空也。
3年間、浄土寺に滞在していたという。「南無阿弥陀仏」の6文字の念仏を唱えている空也の像。京都の西国六波線密寺と浄土寺に二体あるという。

それにしても、仏さんにはどうしてこんなに種類があるのだろう。如来、菩薩、観音さんに弁天さん。阿弥陀如来と大日如来、さらに薬師如来に釈迦如来。違いもよくわからない。菩薩、観音さんに至ってはさらによくわからない。インドのヒンズー教の神様も来ているらしい。
神仏を信じないし頼まないが、その前ではいつも手を合わせて頭を下げて拝んでいる。なんとなくありがたいものだと言う観念がある。生きとし生けるものの限りある命への慈しみか。これは日本人の小さい時からの仏教的習性なのかもしれない。

 

6月9日

子規「永き日や衛門三郎浄瑠璃寺」の句

南無大師繰りごと繰りごと遍照金剛
寺錆びて悲しくもあるかへぼ遍路
わびさびてあちらに近き遍路かな
梅雨休みお経に飽きた伊予遍路

六文銭のお守り
お坊さんは話も商売もうまい。
現世ご利益、皆さんなかなか健康でいらっしゃる。自分もその一人のくせに。
幸せになりたい、成功したい。
生理的欲求、物欲、金銭欲、名声欲、安定欲求、人は四国遍路をしながらもどこまでも現世欲求から自由になれない。
空海には、そんなことはつまらないことだから捨ててしまえと言う教えはないのか。
とは言うものの、事業を続けるためには、かなりえぐい欲求がないと達成できないと言うのも事実。さあどうする。

70番札所本山寺にて「長寿六文銭」を買う。これで三途の川の渡しも安心。

 

6月10日

18番恩山寺にて

讃岐にてうどんうまいか遍路道

日本のお寺はどうしてこう渋いのか。
ここにお世話になるのかと思うととてもそんな気にはなれない。あーなんか気が重い。
雨にたたられた遍路はなおさら惨めさが増すようだ。これも修行か。
お昼に入った観光客用の食堂での讃岐うどんがひどかった。せっかくなのに残念なことだ。

ハカの大聖堂出口?の喫茶店の絵

ハカは、フランスとの国境に近く、ピレネー山脈の山あいにある町。サンチエゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。
正面のビルの左側に大聖堂なのか博物館なのか催し物の大きな垂れ幕のようなディスプレイが掲げられていた。描かれている人物はイエス・キリスト。中世スペイン・カトリックはこんなにも寛容でおおらかであった。ロマネスク建物にはこんな感じの飛んでるキリスト画が似合うのだが。
それにしても絵がヘタ。

私の旅行記はこのサイトで。

6月13日

横須賀・大楠山歩き

久しぶりの山歩きは三浦半島の山。山を下りてしょうぶ園へ。

しょうぶを手入れしている人のなんとも風情のある古風な衣装。「しょうぶ娘」姿は、どうやらはやりのようだ。外国の人もいたようだ。ああ、日本は平和でこんなにも美しい。こういう日々が続きますように。


夏の日にゆかし姿の菖蒲娘

6月17日

これがまあ月1回外食サイゼリヤ
面白いこと見つけにいくくまざわ書店
人にはね死は無い死んだら次は無い

中国、ロシアがなぜ支持される?

中央アジアやアフリカなどでは、中国はどこが悪いのかと言う国も少なくない。ロシアもアフリカの不良軍部に支持が多い。兵器をもらえるからか。
米国などの西側先進国がいう自由と民主主義への共感が低下している。保護主義的な貿易通商政策を見て、欧米が作ろうとしている秩序は、結局は先進国や自国の利益のためではないか、と感じ始めている。米国か中国かの二者択一を迫られても困るというのが本当のところ。
2022年の国連総会決議では、ロシアの侵攻に反対した国は141カ国、反対は5(ロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、エリトリア)、棄権は35(加盟193カ国)。しかし制裁参加国は48カ国だった。ロシアの軍事侵攻を支持せずとも、ロシアからの食料やエネルギー供給といった実利が上回る国が少なくない。中国もロシアも、アジア、アフリカ、中東など発展途上国への支援を通じて自国の味方を増やしている。
自由と民主主義といった欧米型価値と国内経済と生活の維持のどちらを優先するかという選択はアジア・アフリカ・南米の国々には厳しい。それが世界の国々の現実。人はパンのみに生くるにあらずなのだが、自由と民主主義だけでは生きていけない。

 

北スペインの漁港の村の漁船の絵

北スペインの漁港で昼食をとったことがあった。ひなびた漁港なのに2隻の漁船が美しく凛々しかった。漁船の深い赤と青の色がなかなか出ない。陰影がヘタ。でも雰囲気は出ているかな。

私の旅行記はこのサイトで。

絵画とは何か。写実か精神(魂)の表現か。このテーマは俳句の写生と思想の表現の関係に似ている。実際は、その両者の間を行き来する。

6月23日

壁に描かれた落書き

マルクス・ガブリエルがYouTubeで言っている、
「チャットGPTは壁に描かれた落書きのようなものだ」。
AIが知性を持っているかどうかではなく、知性のシステム化に成功しているか、私たちの思考に干渉し、影響与えているかどうか、私たちの思考プロセスにどのように関わってくるのか、を問うべきだ、という。

(1 課題はとりあえず保留して、背後の森羅万象を考える。
(2 よーく見る。
(3 よーく考える。
(4 埋め込みAIの限界?

 

7月3日


瀬戸大橋五色休暇村より

 

7月3日、四国第3回最終回

5時10分の羽田行き、バスに乗る。
ANA 7時25分高松行き
71番から76番札所まで
7月4日、77番札所からスタート。

徳島、高知、愛媛と回ってきて、香川の71番弥谷寺から。

弥谷寺・金剛拳菩薩

讃岐は越後より2ヶ月遅い田植えかな
眼に効くと本尊に札入れ間違えた
白峰に崇徳泣き西行嘆く梅雨の夕
朝靄に煙る瀬戸大橋五色休暇村

 

7月5日

讃岐路や梅雨の旅情の遍路路

讃岐路は遍路の姿なぜか少ない
梅雨空や誰が始めた四国遍路
空海は何思うて四国遍路
空海は天才らしいが理解を超えてる
空海の夢四国結願意味知らず

空海は20歳前後の頃、仏道修行として四国を行脚し修行をしていたようだ。空海の教えは難しく、真言密教の意味も残念ながらよくわからない。教えてくれる人もいないが、教えられても理解できるかどうかあやしい。

 

7月6日

水無月や四国結願晴天の日

89番目御礼参りの霊山寺

満願、高野山では成願と言う。

経読めば遍路に親しきウグイスかな
ウグイスや般若心経に和する遍路寺

 

7月7日


宿坊の小堀遠州作の庭園

高野山に参る。

宿坊にお世話になる。
庭は小堀遠州の作になると言う。

作句の方法
嘘にいて実を行うのが、プロの俳句。実にいて虚を行うのは、素人の風流趣味と言うもの。私はやはり素人の域を出ていない。それはそうだろう。

高野山故人何思う蝉時雨


「父母のしきりにこいし雉子の声」 芭蕉の句碑

7月14日

リタイアや死神来たりて笛を吹く

毎日が日曜日。お昼にはビールを飲んで好きなものを食べる。自由な生活、そんなものへの憧れがあった。
しかし、いざリタイヤしてみると、1週間でお昼にビールを飲むと言うこともなくなった。他にやることがない。余計者、余り物、存在してもしなくてもどうでもいいもの、そんな自分を実感するようになる。不要不急の生か。
体の不調を抱えながら余命を考え悩む。これが老後か。

 

7月15日

今年に入ってずっと体調悪し

73年生きてきたツケか
辛いことや、苦しいことより、楽しいこと、面白いこと探し。
運動公園を散歩していたら、カラスが2、3羽つるんで遊んでいた。カラスでさえ、辛い世の中を楽しく遊んで暮らそうとしている。
梅雨明け間近面白いこと探しのカラスちゃん
梅雨明け間近面白いこと探しに生きてみよう

 

 

7月23日

ウォーキングにて

ロシアのプーチンは、見ているだけで悲しい。彼は何のために政治をやってるんだろうか。本当にロシア国民幸せを願っているのだろうか。
何しろKGB出だから自分の利益のためなのに、国家の利益や全体の利益と言い張るのだろう。国民はそれを知らなかったことにしてにしている。ロシア国民は、自分たちの歴史に革命の記憶を持っているではないか。プーチンなんかに騙されるなよ。

 

7月24日

月桂樹葉を拭く女房の背中かな

月桂樹の葉に黒いツブツブがついて、病気らしい。

月桂樹葉を拭く女房の背中かな
青空や月は東に日は西に
梅雨明けて頭青空ウォーキング
朽百合や月は西に陽は山へ

 

7月29日

はげおやじ何をやっても許される

「俺が思いつくイメージなんて、すでに誰かが思いついている。だから常に動かし、流していく。何よりまず、自分の予想を裏切らなくちゃ。」荒井良二66歳
旅をするように、常に新たな表現を模索してきた。成功や完璧には興味がない。常識や事情に取り込まれたら、明日のことはできない。

はげおやじ何をやっても許される
炎天下バイクに乗って図書館へ

俳句を、その人がどんな思いで始め、何を残したのか。いやー厳しい。
何を食べているか、どんなものを着ているか、どんなところに住んでいるか。人はまあそんなものでしょう。

俳句で何を表現するのか。俳句を見れば、その人がわかる。何のための俳句か。

落ち蝉や涼しい顔してさようなら
俳句は存在感薄い自分の存在証明か。

7月30日

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 ゴーギャン
彼はどうしてこんな題をつけたのだろう。この絵は何をいいたいのだろう。

炎天下いくつになっても生きる意味

和田秀樹先生は言う。我慢や禁欲やストレスを抱えていると、免疫力が低下して不健康になる。気楽に、楽して生きる方が頭はよく回るし、思考力も深くなるし、健康にもなる。
確かに、若いときの仕事上の合理性と効率性の価値は老いてくると大きく変わってくる。
機能はそれで良いのだが、意味と価値観が変わってくる。

人はなぜ生まれ、なぜ生きているのか、人はなぜ死んでしまわねばならんのか。
そこのぼーっと歩いているあなた、あなたは何のために生きているのですか。あなたは何をやりたいのですか。

7月31日

点と点をつなぐということ

カリグラフィー、西欧世界では、いかに美しい書体で文字を書き記すかについて、膨大な伝統と歴史の蓄積がある。
コネクティングザドット、あるドット別のドットがつながること。テンとテンがどのような時、どのようにつながるのか、事前にそれを見通す事は決してできない。後になってから初めてそれが意外な線で結ばれることがわかる。それが大きな達成、意外な発見をもたらすことになる。
スティーブジョブスは卒業式の公演で、次のようなことを言っている。
君たちは直感、運命、人生、カマル、その他何でもいいから、いつか点と点がつながることを信じて進む以外にはないんだ。どの点と点がいかに結びつくか、それがわからない。しかし、一見無関係に見えるあるテンとあるテンの間に線を引くことができるのは、そこに準備された心があるからなのだ。(パスツール)

これが何を意味しているのかよくわからないが、コンピューターで表示される絵や文字も、元はと言えば、意味のないテン=ドットの集合でしかない。君たちは意味のない点と点を結びつけて、どういう意味を表現するんですかと問うているのかしら。

 

8月3日

今川公園の緑の散歩道

来てみればに緑の運動場蝉時雨


緑のグラウンド走ってみれば蝉時雨
ウォーキング緑の運動場独り占め
蝉時雨夏のウオーキングもいいものだ

最近、今川公園の緑のグランドにはまっている。坂の上の不便な場所にあるため利用者も少ない。うれしいことに、私には愛用のモンキーがある。
もくもくと、ひたすらにただ歩き、ただ走る。

8月6日

絵描きに出てコンビニ軒下雨宿り

夏のジョッギングはキチガイじみている。ジョッギングは冬に限る。

この頃、アクロポリスの絵と格闘し、悪戦苦闘していた。いつか見たパルテノン神殿の印象を絵にしたい思っていた。どうにか完成させたが、モチーフが散漫でこの構図ではどうみても難しい。アクロポリスを取り囲む観光客の雰囲気は出ているが、何を表現したいのかその意識が不明。色使いをもっと工夫すること。単純な色は使わない。色とは何か。

8月7日

若きプロレタリアートの矜持

若きプロリアートは席が空いても座らない。
にも拘わらず、悩みの99%はお金で解決できる情けなさ。
ただ生存し続けている以上の価値は、自由、平等、民主主義か。それとも正義か善か美か。
1番怠け者の動物は猫らしい。労働よりは自由な遊びを好むらしい。では、人間の本性はどちらなのだろうか。老人は近しいネコを好むらしい。私は青年か、精神の青春でいられるか。

 

8月15日

お盆の日まためぐりくる終戦の日
老人は生き残り若者は死んでいった

生きている証しか炎天下ウォーキング
炎天下負けるか負けるかあのやろう

 

8月23日

北スペイン、コンポステーラの巡礼宿

いくつになってもなぜかどもる

目が悪い、腕が悪い、目が悪い、筆が悪い、仕事もうまくいかない。頭が悪い。
そうすると、私の吃音が再発する。人生に失望したり、自分への信頼、自信を無くした時に吃音になりやすい。だからそういう時こそ元気を出して明るくふるまうこと。

追悼は、生きている人が中心になってすること。供養は、死んだ人を中心にして生きている人が対応すること、だそうだ。死んだ人を中心にするってどういうことだろう。

今日、個人的には、スペインのサンチャゴデコンポステラの巡礼宿の絵を完成させた。いまひとつ納得がいかないへたくそ。何がダメか。この後、先生が手を入れた。どうなっているのよ。

ゆきゆきてコンポステーラの巡礼宿

8月29日

山の会で2泊3日の上高地

新横浜から横浜線で八王子へ、あずさ5号で松本へ。新島々からバス1時間上高地着。
河童橋は人だかりで、こちらも観光客になる。

大正池立ち枯れ白木一本かな
槍投げや金獲ってうれし北口選手
陸上で入賞でもたんたん田中選手

 

8月30日

明るさは滅びでなければよいが河童橋

上高地別れては結ぶ梓川
若き2人手繋ぎ歩む河童橋
金髪のポニーテールや河童橋
上高地黒短パンタンクトップの白い足
松本城堀をめぐりてアイスカフェ

沢木さん、「趣味を一つ見つけて、その日を満足して過ごせせれば、それで老後はいうことなし。」
老人の一日はそんなものかも。それが幸せというものかも知れない。

 

9月4日

明神池道の梓川の絵

夏の日に虚しさの行方は誰も知らない

虚しさのゆくへはしらじ南無阿弥陀仏

解消できなくなった虚しさをどうしよう。2016年6月8日、何があったのだろうか。

焦点合わずボーと見ているボンヤリ頭

写生俳句というのがあるが、写実絵画と言うのはどうなのだろうか。カメラで写真をとれば不要になってしまうような絵を上手に描いて、何の意味があるのか。俳句と同じように、写生の向こうに表現の意思が見える、想像させるというのでないといけのではないか。
荒い筆使いで絵に動きと勢いを、と言うが、絵に勢いが必要なのか、静的ではいけないのか。なんとなくいいなあ、と感じられるものでよいのではないか、と思うのだが。

9月14日

プラハ城の中の教会

カレル橋から旧市街に入る塔門

プラハの旅

日本時間の9月14日
プラハのアンバサダーと言うホテルに泊まる。プラハ城に行くが雨が降らなければ良いのだが。気温20度位。日本の30度の夏から一気に晩秋の気候に。
プラハといえばなんと言っても「プラハの春」。自由と民主主義の伝統 ソ連、ワルシャワ軍の戦車、150人の犠牲者。今でも思う「人間の顔をした社会主義」。

現在のプラハは古風を残しながら自由で明るい。街は観光客であふれている。
チエッコとスロバキアの関係、仲の良い兄弟の関係性らしいのだが、なぜ分離独立しなければならないのか、意味不明。

中国や韓国の観光客は若者が多い。日本人の観光客は老人ばかり。これでよいのだろうか。

カレル橋と旧市街が素晴らしい。
左の写真はプラハ歴史地区への入口の塔門に続くカレル橋のたもと。ソ連やロシアの暗い支配の時代から解放され、自由の風を満喫しているようだ。

 

9月15日


チェスキー・クルムロフ城

ミラベル宮殿と庭園

チェスキー・クルムロフ城

チェコの馬蹄形の出っ張りの上の城下町。水道橋のような橋からの風景が異常に美しい。
崖をうまく利用した中世の城。
森を切り開いて作った麦畑、牧草地、酪農地。




ザルツブルグ

オーストリアはドイツ文化圏の先進国。
ミュンヘンへは150km 、首都ウイーンへは300km
7000年前に塩が発見されたたそうだ。地中海と黒海を結ぶ交易ルートとした栄えた。
ザルツブルグはモーツァルトの生地、音楽の聖地、 サウンドオブミュージックの庭園。
15万人 標高400m 湖水地方にある。
ザルツは塩 山間
ブルグは城、城塞

若き日のブルーシャトウか、氷河湖畔に白い城が見える。森と湖の若き日の淡い思い出にしたりながらバスに揺られる。

 

9月17日

ハルシュタット

「ザルツカンマーグート地方のハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として、1997年にユネスコ世界遺産に登録されている。
町?村を散歩していても気持ちがよいが、中国や韓国からの若い観光客がやたら目に付く。

メルクバッハハウス渓谷の景観
メルク修道院
バッハ渓谷、ドナウ川クルーズ
下船後ホテルへ シュロスデュルンシュタイン
古城ホテル
ドナウ川朝霧散歩の古城かな

 

9月18日


オーストリア帝国のオイゲン公の夏の離宮、ベルヴェデーレ宮殿

ウイーン

オーストリア帝国、ハプスブルグ家、王妃エリザベートなど、この地域の複雑な歴史はよくわからない。
素晴らしい朝食だが、ベーコンがない。
バスでウィーンへ86キロ、ウィーン、歴史地区観光
ベルベデーレ宮殿
シェーンブルン宮殿
シュテファン寺院
国立オペラ座

コンサートの準備

人は誰もただの人になりて死んでいく

建物の古典趣味はなんだろう。王宮、貴族趣味か、芸術文化の伝統の重みか。彫刻、彫像が建物の柱や壁を飾り、伝統文化の深さを演出する。
美しき青きドナウ、コンサートがよかった。

脱炭素エネルギー、風力発電が盛ん。
スロバキアとの国境近く 何百という風力発電のプロペラ。 太陽発電は、ドイツ企業から中国企業へ変わったが、 太陽光発電のパネルの劣化の保守が問題になっているらしい。

9月20日

ハンガリー・ブダペスト

くさり橋、国会議事堂、夜、ドナウ川クルーズ。
夜景が観光立国感もりもり。国会議事堂は目一杯の夜間照明。思っていた以上の感動があった。
なんとなく古い時代の面影があっちこっちに残っている。特に、国会議事堂を公開しているのはよいが、民主主義の公開なのか、権威の見せつけなのか。

だが、句がでない。いつものことだ。

9月23日

レジリエンスって

こういう言葉が最近目につく。なんだろうこれは。回復力やしなやかさを指す英語らしい。
レジリエントな人とは、考え方が多様で柔軟性があり、状況への気持ちの切り替えがうまい人のことらしい。
自分にも人にも優しいく、 周りの人と協力関係を築ける人で、チャレンジを続けられる人を指すらしい。
自分の良い面を認識している、というのがレジリエントな人と言うことらしい。状況に対して柔軟に対応できる能力。
なんか、世渡りがうまいことのような。

 

9月25日


第二東名高速の工事中の架橋

生きている何か証しのへぼ俳句

生きている何か証しのアクリル画
生きているなんだか証しのジョギング
生きているそれが証のウォーキング

下手の考え休むに似たりか。大概の感じ考えたことは故人がすでにやっている。その再発見にすぎないことに意味はあるのか。人はどうしてそんな風にできているのか。

死ぬまでは元気に生きよう月曜朝
子育て終わり仕事も終わり孫への手当ても済んで、さてどう生きようか。
顔緩ませヘラヘラとそれも人生

9月29日


人は自然から抜け出してしまったのか。
資本の論理は、自然をも金儲けの手段にしてしまう。 金儲け以上の価値のために何ができるのか。自然との共生は永遠のテーマか。

書き留めようと作った俳句夢ん中


現場で労苦を共にする。現場意識が経営者としての成功を作ったが、一般化はできないだろう。
責任感と達成しようとする意志と
あなたはもう終わってしまった。リタイヤ老人よ。

スイカは1番咲きが美味しく、2番咲き3番咲きは味がどんどん落ちるそうだ。まとめて捨てたと言う。
全国に農場を開き、季節の移り変わりに合わせて農業機械を順に使い回していく。そうすると、農業機械の休眠期間が短くなり、有効活用ができるそうだ。
そんなにうまくいくかな?
市場価値のある売れる野菜や果物を科学的統計的に解析して育成する。ケア手続きをコンピューターで管理する。1番高値で売れる時期に合わせて出荷する。売れる野菜や売れる果物を1番高く、売れる時期に出荷をする。それを科学的に管理する。
杉の木を角から角まで全て加工し、付加価値をつけて商品にする。そうすると採算が取れるらしい。なるほどとは思うのだが?

合理性、効率性という価値観。これに勤倹貯蓄が加われば、資本主義が完成する。
人間生活の自然性の価値を低く見ると、後でしっぺ返しが来るような気がするのだが。

10月2日

秋の日に境川までウォーキング

所在なき10月の蝉や枯れ紫陽花
境川歌う老女あり神無月
神無月老女きたりて詩歌う
稲の実も嬉しかろうや秋の風
境川歌う老女ともの思う老人

何か辛いことがあったのだろうか。老女が歌を吐き出しながら境川を歩いていた。 老人がベンチに座り込んで物思いにふけっていた。老人が寂しそうにしているのを見るのは辛い。私は、ただひたすらに歩く。

10月12日

コスモス畑にマリーゴールドが加わって

マリーゴールドに今年は勝つたかコスモスの花
コスモスやマリーに負けるな秋夕べ
悩めどもいい句が出ない秋の夕
エゴマ葉や食べ尽くされて秋来たる
老人は遅寝早起きシャボン玉

昆若(こんにゃく)にけふは売勝若菜哉(芭蕉)
老武者とダイコンあなどる若菜かな(蕪村)
古人はこんな句を詠んで遊んでいる。

「風の強さがちょっと 心を揺さぶりすぎて・・・」 あいみょんのマリーゴールドがはやった。「麦藁の帽子の君が、揺れたマリーゴールドに似てる」と歌っているがどんな帽子なのだろうか。

 

10月15日

初秋明神道の梓川の絵

帰る人人生黄昏照る秋日


上高地の絵が一応完成した。
初秋の明神池につながる道で。初秋明神道の梓川、そのままのタイトル。
何をどう描くか、難しい。
たかが絵、と言う人もいる。上達しない人ほど、絵は遊びでやっているという。まあ、趣味のひとつには違いないが。
1.ものの形をよく見、よく観察する。
2.構図を決め、色合いを決める。
3.補色で描いてみる。
4.何を表現したいのか、考え続ける。

絵のバランスを見、物の配置や配色をイメージし、気にくわなければ変えればいい。とは言っても、自然物の自然な配置を意図的に変更することは、なかなか難しい。
風景ではなく、今度は人物に挑戦してみようかしら。

 

10月22日
佐渡・宿根木

新潟・佐渡へ

刈り跡の淡い緑や越後平野
刈リあとや夕日にけむる弥彦山
足元に黄のようなもの過ぎにけり

佐渡・小木の宿根木の写真。小木から西に数キロ行ったところに宿根木がある。江戸後期から明治初期にかけては北前船稼業として発展。小さな入り江に面して、船板などを利用した板壁の民家100余棟が密集する町並みは、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。

10月29日


美しいコガネムシ

若き日の思い

「若いこと、純粋であること、失うものがないこと」、そんな生き方をよしとしてきた。
「清く正しく美しく」、そんな言葉をどこかで聞いたことがあるような。ひょっとして宝塚?
最近思う、「自由で正しく美しく」。こんなキャッチフレーズに変えようかしらん。
しかし、仕事上の生きざまとしてのキャッチフレーズは、「体力と知力気力を振り絞れ」。実は、この言葉でずいぶん自分を鼓舞してきた。自分らしく自由にカッコよく生きるため、自分への励ましの言葉だ。

日本は自由主義国だと言われながら、生まれてこの方ほとんど自由を感じることがなか った。退職して初めて自分の時間が持てて、自由の意味を味合うことができるようになった。社会からの制約が少なくなって自由なったように思う。FreedomやLibertyを「自由」と訳したのは福沢諭吉だとか。「自己決定の権利」「自己原因」が本質か。自由の次の「正しく美しく」はもっと難しい。

 

10月30日

朝のホームにて

いくばくの悲しみとともに
遠からず馴染んだこの世とおさらばよ
遠からず馴染んだホームとおさらばよ

Win winとlose loseどちらが本当か。
調子の良いwin winよりも、lose loseの方が現実的ではないのか、と内田らしい現実感。
自由に正しく美しく生きると言うのはかっこいいか。 かっこよく生きたいか。若き日の、孤独であること、純粋であること、失うものがないこと、このほうがよっぽどかっこいいように思うのだが。

 

11月3日

北硫黄島(東西2.1km、南北3.3km、周囲8.0km)
火山島、島の頂にはいつも雲がかかっている。かって人が住んでいたこともある。


鳥島 多くの漂着者が生き延びた島。

硫黄島
噴火の危険性があるとのことでこんなに遠くから。煙が上がっているのが硫黄島の横に顔を出した火山。10月頃から目立ってきたようだ。 火山は成長するのか消滅してしまうのか不明。

小笠原クルーズ

小笠原クルーズに参加した。
小笠原諸島は、東京都小笠原村。面積は104平方キロメートルで、南鳥島を除いた30余の島々からなる。主要な島には父島、母島、硫黄島、西之島、沖ノ鳥島などがある。
小笠原諸島は、海洋性島弧であり、太平洋プレートがフィリピン海プレートの東縁に沿って沈み込むことによって誕生した。小笠原諸島は、日本で唯一オセアニア区に属しており、独自の進化を遂げた貴重な動植物が多く生息している。小笠原諸島は、2011年に世界自然遺産に登録された。(Wikiより)


南硫黄島 北との区別がつかない火山島。無人島だが、過去に何度も漂着者がいたこともあるらしい。


父島
海から父島を見ていた。父島に上陸して小笠原ネイチャーウォーキングを楽しむ予定がキャンセル。海が荒れている?風が強い?とかの理由で上陸中止。
家内は船が東京湾を出るとからずーと気持ち悪いと激しくゲーゲー。何のために小笠原にまでやってきたのか。残念。
揺れる船の中での食事だけが記憶に残っている。

小笠原は1968年にアメリカの統治下から日本に返還された。1760年、みかんを積んだ船が母島に漂着したことが江戸幕府の記録(伊豆下田の奉行所に報告した)に残っているのが最初。1593年に小笠原貞頼という人物が諸島を発見したと伝えられているがこれは不明な点が多く断定はできないようだ。


孀婦岩(そうふいわ)

孀婦岩(そうふいわ)

太平洋のまん中に、とこな岩が突き出ている。高さ100mの断崖絶壁。NHKの番組でこの岩に登頂して調査をしていた。

 

11月8日

殺し合わねば終わらぬこともある

ユダヤ・イスラエルとパレスチナ・ハマス、なぜここまで憎しみ合い殺し合うねばならないのか。人の世は話し合いでは解決できないこともあるということか。パレスチナを抑圧してきたイスラエルを一概に正当化するとこはできないように思うのだが。

我が口を半開きにせなおしっこでない
秋なれや柿栗焼き芋食べよかな

 

11月22日

いい夫婦の日だそうだ。

困った。
環境が人間を作り、人間が環境を作る。これは確かにその通りだろう。この相互作用なしには、人間の進歩は考えられない。
未来は常に現在によって作られていく。現在の自分こそ、未来の自分なのだ。現在の自分の生き方こそ、未来の自分の生き方でもある。なぜなら、人間は現在の自分の姿に見せて、未来の自分を作っていく。(山内節)
人は、将来何になるのかは、現在の自分が何になりたいのかにより決まる。なるほど、確かに。

戦後の南米は、農業資本主義が幅をきかせていた。せいぜい商業資本主義までで止まってしまった。だから、産業構造を変えることができず、進歩が止まってしまった。?
日本は農業が小規模で資源もないため、工業化、サービス産業化に移らざるを得なかった。人間万事塞翁が馬か。

 

11月24日

秋の日や月天頂に輝く夕日
秋の日や輝く夕日に月天頂

秋の日の夕日輝く枯葉かな
輝く枯葉落ちる夕日もいいものだ
人はなぁ過渡期であれば生きられる
ゴールはさ人生のThe Endか

冬の風けやきの枝の竹箒

 

12月3日

若い人に告げたいこと

meetingにて。なぜ働くのか。
生活のため、給料のため、当たり前のこと。働いたら、それへの対価、報酬は当たり前のこと。奴隷ではない限り。
事業、企業は何の為に活動するのか。
売り上げ、利益の為か。資本主義なら利益の追求は、成長の志向は当然のこと。
昔、アメリカの経営学者ドラカー、社会に貢献すること、会社は株主だけのものではない。ステークホルダー。これは常識。
リアルなデータ主義による経営がはやり?今、ドラッカーは何か古くて誰も読んでいない?
個人としてどう生きるかと言うのは、会社がどうやって生きていくかということと、ほとんど同じであるということ。
幸いなことにイントは一定の社会的な貢献ができていると思う。しかし、存在し持続している会社は、それがどんな種類の会社であれ全て社会的な存在であり、存在する意味があり、それなりに社会に貢献していると言える。
生きる目的、会社の目的、大上段に構えても答えはそう単純ではない。問い続けること、それがよく生きることの前提となるのだろう。

君、人生に意味を問うなかれ。人生に意味などあるわけないじゃないか。そこにいる犬や猫に存在していることも意味があるのか。
しかし、意味を求めないで、ただ状況に流されるだけで生きていて良いものだろうか。人間と言うのは、存在する意味を求めたがるものなのではないか。

人間は、どこから来て、何を考え、何になりたがっているのか、どこへ行こうとしているのか。考え続けること。


12月7日

また、ウクライナにガザ。
悲しさはいつになてもついて回る。戦争は20世紀のものだと思っていたのに。戦争、疫病、貧困は20世紀で終わりのはずだったのに。人間には、いつの時代でも戦争が付いて回るのか。

窓を拭く女房今日もご機嫌なり

 

12月8日

今年の富士山は雪が少ない。

久しぶりの大山登り


8時20分矢口行きのバスに乗る。
9時20分ヤビツ峠出発。11時30分には大山頂上についてしまった。冬の富士山が美しい。今年は例年になく雪が少ないらしい。
登りはあんなによい調子だったのに、下りははや膝にガタがきている。特に左膝が弱い。歩き方、鍛え方を工夫せねば。

 

12月12日




宇佐八幡宮

有田の窯跡のレンガで作られた塀

陶石の発掘跡の有田の泉山

原城跡から海を見つめる地蔵たちの姿が悲しい。

生きてるうち元気に行こう九州旅行


国東路冬枯れ紅葉鯛茶漬け
薩摩隼人征伐拠点か宇佐八幡
応神天皇は軍神八幡神なり

旅の途中、バスの中で、気が重い、憂鬱。ネットに次のような記事があったからだ。アメリカの自由と民主主義はどこへ向かおうとしているのか。

来年の大統領選をめぐっては、ケネディ家出身の急進左派で、反ワクチン主義を掲げるロバート・ケネディJr.氏が民主党の指名候補争いから撤退。無所属で出馬すると発表した。これによって民主党支持者の一部がケネディ氏に流れ、バイデン氏の立場がより厳しくなる可能性も指摘されている。

共和党も分裂寸前の状況にある。同党は主に資本家や経営者、ビジネスパーソンが支持しており、保守的な側面を持つ一方、ビジネス優先という観点から、変化に対しては寛容な政党であった。だが共和党は年々保守化の度合いを強めており、穏健派の党員とトランプ支持者との間で抜き差しならない対立が生じている。

地域間の関係性も一層複雑化している。ハイテク企業が集積し、再エネに積極的な西海岸と、政治・金融の中心地である東部、自動車の製造拠点であり、かつ世界有数の穀倉地帯である中西部、石油産業を中核としたテキサスなど南部では、あまりにも状況が違いすぎて、もはや一つの国家として利害を調整するのが難しくなっている。
加えて各地域の中は一枚岩なのかというとそうではない。アメリカでは所得が著しく上昇しているものの、高額所得者が平均値を引き上げているという側面が強く、豊かさの象徴とされる西海岸においても、ハイテク関係の高いスキルを持つ労働者とそうでない労働者には埋めようのない格差が生じているようだ。

これからのアメリカは、思想や人種による対立、地域間の対立、地域内における所得格差による対立というあまりにも複雑な方程式を解いていかなければならない。現在のところ有力な解決策は見えておらず、誰が次期大統領になるにせよ、社会がいっそう混沌化していくことは避けられようもない。


志賀島「漢委奴国王」の金印。実物金印のイミテーイョンを買った。
印面一辺の平均2.3477 cm、鈕(ちゅう、「つまみ」)を除く印台の高さ平均0.8877 cm、総高2.2367 cm、重さ108.7297 g、体積6.0625 cm3。鈕は身体を捩りながら前進する蛇が頭を持ち上げて振り返る形に作られた蛇鈕である。1994年(平成6年)の蛍光X線分析によると、金95.1%、銀4.5%、銅0.5%、その他不純物として水銀などが含まれ、出土している後漢代の他の金製品とも概ね一致している。(Wikipediaより)

日本の磁器発祥の地は有田。朝鮮人の陶工李参平がこの地の泉山で陶石を発見した。400年かけて山は有田焼に変わった。

原城跡
幕府はオランダ船に頼んでポルトガルの旗を船につけ、海上から原城を砲撃したという。一揆勢の絶望をさそうためだとも。
ポルトガル船はいずこに殉教の跡
救出の船待つ地蔵や冬の原城

12月16日

ド・ロ神父設計になる石造りの「大野教会堂」

「崎津教会」 1638年(寛永15年)の禁教令以後、激しい弾圧を受けながらも240年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰が守られてきた。潜伏キリシタンはこの神社の氏子となり、参拝の際には密かにオラショ(お祈り)を唱えた。長きにわたって密かな信仰を守るために、重要な役割を果たした場所。また、1805年の「天草崩れ」では、潜伏キリシタンたちが持っていた信心具を差し出すように指定された場所だが、信徒は「宗門心得違い」?ということで無罪となった。

高千穂神楽 やはり天の岩戸がテーマになっている。

民主主義のシステムが機能していてもそれを運用する人間により正常に機能したり専制的になったり大衆迎合的になったり利害の調整がうまくできなかったりする。やはり人材である。

天草の潜伏キリシタンは、封建時代にあって意思決定がうまく機能したようだ。長崎、島原、五島の潜伏キリシタンの違いは興味深い。

信仰とは伝統文化と知られけり
天草や神も仏も草のなか


高千穂峡
ここが写真スポットの高千穂峡か。なるほど、滝が2本、なかなかの景観ではあった。


高千穂や天の岩戸の夜神楽
古の面影うれし夜神楽
高千穂や九州真ん中神代の郷
刈り込まれだんだん畑に陽が昇る

『古事記』『日本書紀』の天の岩戸隠れでアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされる。ということは天の岩戸神話のある高千穂の神楽が日本全国の神楽の起源となるのかしら。

12月17日

知覧特攻平和会館

特攻と竹やり、悲しいにもほどがある。こんな惨めな戦いを強いられるとは。敵を知らず、いわんや己を知らず。
いや、そもそも何のために彼らは死んでいったのか。そもそも日本はあの戦争で何をしたかったのだろうか。勝ち方も知らなければ、負けが確定していても負け方を知らない。だからずるずる玉砕を重ね若者を死に追いやった。追いやった本人はのうのうと戦後を生きている。その責任は誰がとるのか。

悲しみの知覧


なぜ必敗の戦争をやめられなかったのか。なぜ若者たちが神風特攻を強いられたのか。その反省はできているのか。
神風特攻の若者の多くは、出撃に臨んで将来の日本の人々と郷土と親と愛する人のその将来のために、一命を捧げるといって逃れえぬ宿命を引き受けている。その決意と心情と勇気に敬服する。だが、若者たちに特攻のような戦いを強いたあの戦争とはいったい何だったのか。将来の日本を担う若者を死に追いやって誰が日本の未来を担うのか。若者に死を強いた老人たちか。悲しみよりも怒りがこみあげてくる。

イスラム過激派の自爆攻撃は、敵の軍隊よりもモスクやスポーツクラブ、学校などをターゲットにしていることが多い。聖戦の戦士として殉教自爆すると死後の世界で安寧が約束されるのだという。プーチンはミサイル攻撃を幼稚園や学校からインフラの破壊に向けている。勝つためには手段を択ばずか。あさましいかぎり。戦争、殺し合いとはいえ、人間に対する最低限の尊敬と礼節を持つ国と持たない国。

自由に正しく美しく、その為の戦闘モードに切り替えろ。
体力と知力気力を振り絞れ

12月26日

今年我も詰まってしまって年の暮れ

目的なきいつもの我に花曇り
やる気なしいつもの我につもる夕日
赤あかと夕日落つつ富士左
年暮れぬ夕日落ちるか富士左

 

12月28日


キリコ

自分とは何か、見えてきた?

好きなものは何か、嫌いなものは何か。
なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのか、その理由原因を考えること。絵画の見方で、そういうことを言う人がいる。なるほど、絵を見た感想を言葉にすることで、自分の性行が見えてくる。
自分は何になりたいのか、どうしてそう思うのか。
自分の欲望は何なのか、自分の不安や恐怖の原因は何なのか。それをどう生きるのか、どう表現するのか、表現の素材は何か。

一見いい人、いい人を装う人、いい人に見られたい人、正義を振りかざしたがる人、こういう人が実はやばい。刑事ものドラマでよく見られるタイプの人。こういう人は分かりやすいと思っていたが、考えてみると自分のことが見えていなかったのかもしれない。
気づいていた自分のやばい性向。逆ギレしやすいタイプ。結構暴力的な性向。それを表に出さないように良い人ぶる。自分の内なる反正義的なものを、正義を振りかざすことで隠蔽しようとしているのではないか。これってヤバいよ。

キリコは、「不思議なもの以外に興味はない。人生不思議なものがあるから面白い」といったとか。

   

photo by miura 2023.

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