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ヨハネスブルグ


ユハネスブルグ

ヨハネスブルグは南アフリカの北部にある最大の都市。写真は高層ビルが立ち並ぶヨハネスブルグの中心街。
だが、このビルの多くは現在使用されておらすゴーストタウンと化しているという。会社勤めの人も夕方5時には家路を急ぎ郊外に脱出する。5時を過ぎると危険地帯になり、通りを歩いている人もほとんどいなくなる。
1886年にここで金が発見されると、一攫千金をねらう移民が流れ込み、ゴールドラッシュに沸いた。以後、南アフリカは金とダイヤモンドの国として、現在まで続いている。
アバルトヘイト(人種隔離政策)は1991年に撤廃されたが、その後遺症が癒えていない。

バラックが並ぶ下層地区

移民の流入などにより治安が悪化すると、白人などの富裕層は郊外に逃げ出した。都市機能も郊外に移っている。中心部はますますゴーストタウン化する。写真は、中心部をやや離れた場所に点在するバラック群。ガイドさんの話では、他国からの多くは不法移民だという。不法なため当局による上下水道・電気などのインフラは整備されず、電気も電柱からの不法引き込みがあるという。
中心部から南西にソウットという黒人居住地区がある。アパルトヘイトの時代に黒人の居住地区として指定されていた地域だという。 半数が失業者で治安も悪くソウットに入ったこともあるというが、地元に住んでいる人でも身の危険を感じたという。親は失業と子供たちの多くは学校にも行っていない。知識・技術のない人はまた職にもありつけない。失業・貧困・疾病・犯罪という悪循環。

マンデラ元大統領の住んでいた家

ソウット地区を抜けたところにマンデラ・ハウスがある。マンデラ元大統領が1963年に逮捕されるまで住んでいた家。マンデラ氏は小さい時からボクシングが得意で、逮捕され獄中18年ののち大統領にならなければ、ボクシングの世界チャンピオンになっていただろうといわれている。
釈放後、しばらくこの家に住んでいたが、ひっきりなしに人が尋ねてきてプライバシーもないといって住まいを替えたという。過去3回結婚したというが、世界でも稀有に興味のある人物なようだ。マンデラ氏の伝記の本が各種売られていたが、外国語なためあきらめた。
人種差別の現実を知っているつもりになっていても、真実を知る必要があるのではないか、「名誉白人」という不名誉な日本人には。

1976年6月16日記念碑

アパルトヘイトのさなか、学校教育で使う言葉を、オランダ語から派生したこの地域の白人の言語「アフリカーンス」に統一するという政府の決定がなされた。先生や子供たちは、それに反対して集会を開き、デモを行った。抗議行動は平和的で子供たちからは乱暴な行動はなかったという。そのデモ隊に対して警官隊が発砲、子供たちに300人もの死傷者が出た。死者176人、負傷者1139人、逮捕者1298人を出す大惨事になった。写真の記念碑の横に大きな写真がある。発砲され負傷した子供を抱えている写真だ。子供はまもなく死んだ。左は少年の姉で現在も生きている。この写真は世界に配信され、アパルトヘイトの南アに対する抗議が殺到した。南ア政府のアパルトヘイトの転換点になる事件だったという。
毎年6月16日は「青年の日」として南アフリカの祝日になっている。

スタークフォンテン洞窟

1896年、300万年前ともいわれる類人猿(猿人?)の骨が見つかった。 アウストラロピテクス・アフリカヌスの頭蓋骨が発見されたのだ。1999年に世界遺産に指定されている地域で、いくつかの洞窟が発見されており「人類のゆりかご」ともいわれている。
石灰岩質の地形で、地下の空洞の地上に開いた穴から、人類の祖先が落ちて亡くなりそれが化石化したもの。

これが猿人が落ちた穴?



オウストラロピテクスの骨

左の写真は、洞窟の中のビデオよりとったもの。

猿人は猿か人か。
猿人の手?足?

洞窟の辺りの風景
平原に小高い丘が連なっている。 スタークフォンテン洞窟も丘の頂上にある。木はあまり生えていない。草原が続いている。
金や鉱物を探していたところ、偶然にこの洞窟を発見したのだという。南アフリカは、金やダイヤモンドも埋まっているが、人類の遠い祖先も埋まっている。

   
photo by miura 2007.2
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