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ホーチミン
ホイアン
ハロン湾

ハノイ・ハロン湾



ヴィンパールリゾート&スパの正面入口。ボートで島に上陸する。


小島にあるヴィンパールリゾート&スパという高級ホテルに宿泊。ベトナムもこんな高級観光ホテルを造るようになったのだなあという感慨。

高級リゾート遊ぶ身分になり下がり


島影が濃くなって「海の桂林」が姿を現した。

ハノイから120Km、「ハロン湾」はベトナムにある8つの世界遺産のひとつ。1994年に登録され、2000年と2023年に範囲が拡大された。

大小1,969もの石灰岩の島々が水墨画のように浮かぶ、幻想的な景観が特徴で、「海の桂林」とも呼ばれ、「龍が降り立った場所」という伝説に由来する。
中国との国境辺りから延びる石灰岩質の丘陵台地が数万年の時を経て、現在の景観をつくりあげたという。ベトナムの世界遺産の中ではユニークで筆頭だと思う。

ハロン湾静かなる夕べ何を思う


島影のあちらこちらに観光の船が浮かんでいる。

 


「海の桂林」といわれるだけあって見飽きない。

ベトナムの熱海か松島かハロン湾


鍾乳洞に入る入口から見た湾の風景

こんな観光船に乗ってハロン湾の島めぐり。2階のテラスからの眺めが最高。

石灰岩でできた島が点在するハロン湾には鍾乳洞がたくさんある。


見晴らしがよいとされる島には観光船が押し寄せ、上陸の順番待ちをしている。

ある島の山の上からの眺望がすばらしいということで階段を登ったが、中腹の踊り場で力尽きて断念した。左の写真は中腹からの眺望、辺り一面、上陸待ちなどの船でいっぱい。
島々は無人島がほとんどだが、国内外から押し寄せる観光客のため近年ずいぶん整備されてきたという。
朝日や夕日のハロン湾が最高だというが、下の写真はもやにけぶるはっきりしない夕日。もやのため島影が薄すぎた。だが、ハロン湾は、もやにけぶる島影が真骨頂なのだろう。


高級ホテルでなくてよいが、こんな風景を眺めながら宿泊できる施設があるとよいのだが。


島の浜辺では、バレーボールをしたり、ラグビーをしたり楽器を演奏したりと大喧噪。

じじばばも猫も杓子も踊りかな(蕪村)


こんな門は見たことない。日本にないものは何でも珍しい。

修学旅行生だろうか、何処へ行っても出合ってしまった。

ハノイ市内の世界遺産・タンロン城址と文廟

2003年からベトナムの首都ハノイで発掘された遺跡群。タンロン遺跡または昇龍皇城(タンロンこうじょう)。タンロン(昇龍)はハノイの旧称で、1010年から1804年までほぼ一貫してベトナム諸王朝がここに都を置いたため、各時代の遺跡が重なっているのが特徴。2010年8月にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
緑の多い庭園のなかに遺跡が点在している。ハノイ市民にも人気のスポットで、アオザイを着たお姉さんたちが写真をとり合っていた。


文廟とは孔子廟のことらしい。王族や貴族の子弟や官僚が学んだ学校も含まれている。


文廟 への入口の門

中国の文化の影響が強い、古風な雰囲気の建物が庭園によく似合っていた。日本でも見かけるような塔門だが、なんとなく中華風。
文廟 は、1070年に建立されたハノイ最古の歴史的建造物の一つで、孔子をまつる廟。もともとは王族や貴族の子弟が学ぶ学問の場であり、のちのベトナム初の大学「国子監」だったようだ。
当時は、仏教・道教・儒教の「三教同源」で、中でも仏教勢力が強大だった。
文廟は、高等教育機関としての特徴から修学旅行先ともなっているようだ。

 


科挙試験の合格者の名前が刻まれた石碑(亀の台座)は有名で、合格祈願のスポットになっている。

日本の盆栽の発祥地はベトナムの辺りではという説もある。
根元に文人たちがゲームをしたり釣りをしたりしているフィギュアが置かれている。

盆栽はベトナム発祥?玄奘三蔵の一行のフィギュアが多いのではという説もある。
「ハノイの塔」
「ハノイの塔」は、3本の杭と大きさの異なる円盤を使った数学パズルの一種。フランスの数学者が発明したが、なぜ「ハノイの塔」かは不明。上の段々に積み上げられた塔がパズルの「ハノイの塔」に似ている。


ハノイではホーチミンが、ベトナム革命を指導した建国の父として尊敬されている。

 

ハノイ大教会
ハノイのホアンキエム湖近くにあるハノイで最も古く、最大規模のカトリック教会で、パリのノートルダム大聖堂を模したネオゴシック様式となっている。一大観光ポイントとなっており多くの若者たちや観光客でにぎわっていた。

ドイモイ政策

ドイモイは、1986年のベトナム共産党第6回党大会で提起されたスローガンで、日本語では「刷新」と訳される。経済改革・開放政策で、社会主義体制を維持しつつ市場経済を導入し、外資を誘致して経済発展を目指すもので、農業・軽工業・輸出を重視し、食料自給から輸出国への転換、GDPの飛躍的成長、国際社会への協調(加盟など)を実現させ、ベトナムの現代経済発展の基盤となった。(AIによる)
集団農業の合作社が農地の大半を所有して農業経営の基本的単位だったが、ドイモイ政策により個々の農家が農業形成の基本単位となった。これにより農民の暮らしはゆたかになった。(Wikipediaより)
ベトナム戦争後、1975-76年に南北ベトナムが統一さたが、1970年にはカンボジア・ベトナム戦争になり、1979年には中国-ベトナム戦争が起き、その後1991年まで国境紛争が続いた。戦争の規模は膨大であり、被害は甚大、膨大な犠牲者と荒廃した国土が残された。ベトナム戦争の戦死者・犠牲者数は、300万人から400万人ともいわれる。
ドイモイ政策は、戦後政治・経済の「刷新」であった。それ以降、ベトナムはGDP成長率5〜8%と好調を維持しているようだ。若年層が多く、安価な労働力が魅力となって海外からの電子機器、ハイテク分野への投資が盛ん。小売業や観光業の回復・成長がサービス業を支えるようだ。

 


ホアンキエム湖周辺の賑わい

バイクは何処へ行っても生活必需品、主要な交通手段となっている。皆さん器用に運転している。私にはベトナムでの運転はムリ。

帰宅時間帯のバイクの列

ホアンキエム湖周辺の賑わい。
若い人の元気が経済成長を支える。
ベトナムで日本といえば、ホンダにおしんに味の素。歌は五輪真弓の恋人よ、だそうだ。

果物は豊富だが、味がちょっと薄いような。

ベトナムではバイクの名前はほとんどホンダらしい。
実際には、ヤマハやスズキもけっこう走っているし、国内メーカーも数社あるようだ。

ベトナムやスズキもヤマハもホンダかな
   
   
photo by miura 20125.12
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