プラハ(チェコ) |
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ヴァーツラフ広場より国立博物館を望む。 |
2023年9月、現在は中欧というようだが、かっての東欧4か国、チェコ、オーストリア、スロバキア、ハンガリーを回るツアーに参加した。
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ヴァーツラフ広場に面したホテルや商店 |
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プラハにて、ソ連軍の戦車が燃え上がる様子 (Wikipediaより) ドゥプチェク |
当時、チェコスロバキアは社会主義共和国としてワルシャワ条約機構の一員で共産圏に属していた。 19歳の私には、「プラハの春」の意味はよくわからなかったが、ソ連のこのやり方には憤慨していた覚えがある。 |
旧市街を走る路面電車。プラハは市営の路面電車網が発達している。 どうしたことか、1993年にチェコとスロバキアは分離してしまった。ともにNATO・EU・OECDの加盟国となっている。
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プラハ城(チェコ)
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プラハ城は世界でも最も大きい城の一つ。かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国)の大統領府のある場所。 第二次世界大戦のさなか、ナチスによるチェコスロバキア占有中、プラハ城はナチスのの本拠地となったこともあった。
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城の中庭 |
「プラハの春」の指導者だったアレクサンデル・ドゥプチェクはヴァーツラフ広場に面したバルコニーに現れ、「ドゥプチェクを城へ!」と叫ぶ民主化デモの群衆の声を聞いた。彼らの声が、プラハ城にある国家指導者への椅子へとドゥプチェクを導き、彼は民衆にとって民主主義と自由のシンボルとなった。(Wikipediaより) |
ミュシャの「ヒアシンス姫」と「舞踏」 |
カフカ ミュシャは絵なのかイラストなのかデザインなのか、よくわからないがなんとなく面白い。模写しやすいらしくて贋作が多いそうだ。 |
マラー・ストラナといわれるプラハ歴史地区 |
城壁に沿った高台から見たプラハの市街。
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カレル橋と旧市街 |
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プラハ歴史地区への入口の塔門に続くカレル橋。 |
プラハ城・プラハ歴史地区への入口の塔門に続くカレル橋。
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くカレル橋の向こうにプラハ城 |
カレル橋、向こうに見えるプラハ城。 この日は天気も良く、モルダウ川をまたぐカレル橋はお祭り騒ぎのような陽気だった。人々は平和と自由の空気を満喫していた。 スメタナはチェコ出身の作曲家で、「我が祖国」が有名。連作交響詩ともいわれ「モルダウ」は、上流から下流にかけて流れていくモルダウ川の様子を曲にしたものといわれる。 |
旧市街にはいくつかのコンサート会場や美術館があって興味深い。コンサートは観光客用で、内容をよく確認することをお勧めする。ドイツ語かチェコ語ができるとよいのだが、つたない英語では通じるかどうか心もとない。 |
橋のたもとにある教会。この教会で夜にコンサートがあるというので申し込んだ。 |
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チェコ・プラハの旧市街は、ゴシック様式、バロック様式、ロココ様式などあらゆる時代の建物に囲まれた美しい街。
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夜の旧市街広場。
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チェスキー・クルムロフ城(チェコ) |
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古代ローマの水道橋のような陸橋。いや、お城の建物を結ぶ通路のようだ。 |
オーストリア中北部のザルツブルグに向かう途中、チェコのチェスキー・クルムロフ城を観光した。 チェコ共和国南ボヘミア州チェスキー・クルムロフにある城である。 |
チェコのチェスキー・クルムロフ城の案内板 |
1992年にはUNESCOより世界遺産に指定された。
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城の内部も興味深いが、馬蹄形のように張り出した地形につくられた町が、絵のように美しい。
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通路の窓から見たクルムロフの街 |
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photo by miura 2023.09 |