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俳句徒然日記2024年

2024年令和6年1月1日


実り多かれと佐渡のかぼちゃたち

今年幾年や記憶も怪し年始め

西暦も令和も何年かおぼろなり

前年は、野沢温泉でスキーをし、四国88か所行脚(観光バスに乗って)の3回を終え、小笠原クルーズにも参加した。いろいろあって、それなりに充実した1年だったように思う。今年は、どんな1年になるのやら。
そんなことより少しは作句と絵に身を入れたら。

 

1月4日

人住まぬ佐渡の実家

 

ChatGPTはどうなるのか


今井睦先生は、AIを上手に使うには高度な思考力、判断力が必要になる、という。小学校や中学校でChatGPTの使い方を勉強すると言って、指示の仕方だけを教えてしまわないか心配。
AIはこれからどう変わっていくのか心配。人間はAIとうまくかかわっていけるのだろうか。どんな商売ができるのかな。人間は賢明な聖人ばかりではない、邪悪なものや破壊願望や自己放棄の欲求も強い。

1月6日

主を亡くした家が寂しそう

昔男ありけり。その男、身を要なきものに思いなして、京にはあらじ、あずまのかたに住むべき国求めにとて、在原業平が書いたのではと言われる奇書「伊勢物語」。仕事を持たの遊び人の男は、昔も今もまぁこんなものか。うらやましいのか寂しいのか。

昔男は浮名に狂い今男は何に狂う
仕事上がり要無き男は何夢見るか
仕方なし要なき男を楽しめり

サザンカを吹き落としてや春嵐

こころなき身にもあはれは知られけり。年をとると自分のうちの自然性が身に染みる。もののあはれ、仏教の無常感、生きとし、生けるものの悲しさ、寂しさ、愛おしさ。しみじみと命をたのしむか。

 

1月18日

 

山歩きバイクに絵画にウオーキング

凡俳句素人写真絵に読書かな

日本文化の伝統は古来「わびさび」。現代において、これに代わる表現意識、美意識とは何だろう。自然や生活を写生して何の意味がある。

古希越えて孤独と暇を友として
仕事人間は孤独と暇を持て余し

老いてなお、生きる意味を見つけ出せず。いくつになっても生きる意味を問うのはどうなのか。

 

1月22日

なんで生きよか梅の花

月曜日朝、これからどおうやって生きていこうか。ヘボ趣味の沼にはまるか、ウジウジ仕事にしがみつくか、はたまた不良老人に居直るか。明日は梅見にしよう。花見にうつつを抜かす生活でもよしとするか。


人はさあ何で生きよか梅の花

毎年、3回は梅見を楽しんでいる。今年大池公園の梅園は工事中で立ち入り禁止。それでも探し回ってようやく。

春寒し今年の梅はまだら咲き

 

 

1月24日


大池公園で唯一咲いていた梅の木

入れ歯なおし軽薄になった今朝の冬


生きがいは美でなし宗でなし正でもなし

絵を始めて一年経っても未だ美になりきれず。世間を知らず、人を知らず、いわんや己をや。74にもなって未だ生き迷う。老人は皆こうなのだろうか。

田舎のお袋、とうとう寝たきりになってしまった。

梅の花明るく元気にかっこよく
我帰る越佐海峡吹雪の中
帰らんとすれば越佐海峡雪の中


1月26日
から元気出せどせんなし冬の朝

 

1月27日


国立故宮博物館(台湾)の象牙の多層球。超絶技巧。
中国は返せと言っているらしい。

中国は何処へ

前駐中国大使、垂秀夫氏
中国による台湾統一は歴史的必然 だと言っている。欧米は下降衰退、中国は上昇気流と彼らは感じている。だから欧米的な基準や価値観に挑む。
現地法人の意味不明な拘束、原発処理水の放出による日本の水産物の全面禁輸、日本全体の野菜や果物などの輸入に厳しい条件、実質的に禁止。中国は13年たってもこんなひどい仕打ちをしている。
こんなことでは戦略的互恵関係とは言っても日本にとっては意味は無い。ただ両国の対外的姿勢について中国が言った時、共産党政権なのか、中国の人々なのか、中国社会なのか、いろいろな答えが出てくる。
武力を背景に中華思想や帝国ロシアを振りかざす野蛮な隣人たちに、常識人の日本はどう向き合えばよいのか。核武装はともかく、通常兵器の自衛策に力を入れざるを得ないのか。

自由と平等、多様性と統一の矛盾ないし対立。ハラル氏が言うには、人類は一貫して平等へ、統一へ向かっているらしい。人類はどっちの方へ進もうとしているのか。第三の道はないのか。

 

1月31日

小春日和のウォーキング

泉中央へ10キロウォーキング。帰りはいつものいずみの線で二俣川へ。

菜の花や紅梅下で春を待つ
人知れず紅梅静かなり和泉川
春の川歩いても歩いても青い空

停滞の30年か脱成長の30年か。財務真理教の陰謀による消費税・社会保険料のアップが原因か、無策のゼロ金利、経済政策が原因か。
30年間調子のよい景気浮揚策だけで、実質何もしてこなかったのに等しい。安倍・自民党政治の完全な限界。問題は既存産業の温存ではなく新規産業の環境整備、少子化対策、ジェンダ課題であるはずなのに。
まぁどちらにしてもLEジャパンにはあまり影響は無いか。
そういうことにしてこの日、この時間を楽しむか。

 

2月2日


我が集合住宅からの雪景色

現地性と同時性

ドキュメントにおけるリアルは、「現地性」と「同時性」が証明すると山本七平氏は言っている。他に、客観性と主観性という問題もある。また、自分の意見と他の資料からの情報等を明確に分けるということも必要としている。当然のことではあるが。

2月5日
幾たびも雪の深さを訪ねけり 子規
残念。やはり歌われていた。子規だったか。
ボケたのか暇なのか。
幾たびも雪降りだしたか訊ねけり
今日も平和な一日。
TVに寝てビデオで居眠る女房かな

 

2月6日

沖縄の鬼瓦シーサー

 

何が真実か

山本七平「日本はなぜ敗れるのか」によれば、米軍が反攻してフィリピンに上陸すると、日本軍はほとんど戦うこともせず、山に逃げ込んだ。食べれそうなものは何でも食べた。蛇カエル猿食べられそうな野草は何でも食べた。山の中では食べるものをめぐって争いが絶えなかった。米軍よりも逃げ回っている日本軍の方が怖かったと言う。こちらが弱いと見ると打ち殺されて食べられてしまう。まじ、これが精強日本軍の実態だった。火野正平の「野火」にもこんな話が出てきたように思う。
本当に精強な兵士たちは、戦争の初期に死んでしまい、残っているのは口先だけの精強兵士だった。諸君の後を追って必ず行くと言って特攻機を見送った将校が生き延びてノウノウとしていると言うのは我慢ならない。頭の良い自己保身の凡人はこんな選択をしてきたようだ。国や国民への責任感も罪の意識もない。現場に身をおかないこういう卑怯者の言う事は聞くな。

 

2月7日


大池公園の桜山

孫の絵

ウォーキング春の日なれど富士見えず


春の日や生きてる限りウォーキング

対他意識や利他意識の強い人間は、己を利することが難しいかもしれない。自立、己を利する意識、これをもっと考えてもよいのではないかという思いもあるが、自己利益はなんか薄汚い。

昔、確か、吉本隆明の「自立の思想」といったような本があり、若い時に読んだ。己の立ち位置や現実への感性のこだわりのようなもの。大衆の現像。それでも現実世界も自分も何も変わらないのだが。

2月10日
春まだきそれでも待ってる桜山
梅の香やあれど寂しい工事中

今年また3回梅見は望みなし

2月11日
全体のイメージを感じ、細部を見る。何が描かれているか。何を表現しようとしているか。この作品の何が好きなのか、なぜ好きなのか。何が嫌いなのか。なぜ嫌いなのか。作品は自分を写す鏡かもしれない。自分との対話のようなもの?自分が見えてくる。作品と向かい合って、心の眼で対話すること。だが、自分の絵と対峙しても、ぐるぐる回りで突破口は見えてこない。

 

2月16日


佐渡・加茂湖畔の樹崎神社

佐渡・加茂湖畔のカフェ

変な夢を見た。

夢はみんな変か。しかしこの夢は特別に変だった。
分散と統合、分離と統一。そのことを、権力者=権威者にアドバイスするような。人間の歴史はこの繰り返しで進んでいくといったような。

1944年8月25日、パリ解放の人間ドラマ、「パリは燃えているか」。ようやく読了。パリ市民の中のレジスタンス、自由主義者と共産主義者の力関係、侵攻する米軍、撤退時にはパリを破壊するという独軍。イギリス亡命のドゴール、解放後の主導権をかけての争い。「パリは燃えているか」というヒトラー。体験的な事実の積み重ねの説得力。

1989年の3万8,915円東証株価の最高値。その高嶺に迫る勢いだそうだ。投資は国内よりも海外からのものが大半らしい。証券屋は最高値を期待していると声高に舞い上がっている。だが、国民の生活は物価高にあえいでいる。給与が30年ほとんど上がっていない。日本経済は安定しているように見えて、輸出大企業の優遇策に走り国民経済、生活を犠牲にしている。日銀の円安を維持し続ける姿勢は一体何の為、誰の為なのか。

はだののグループホームにて
春の田に朱鷺舞降り見ゆる母の床
歯なくてものすすり食う床の母
覗き見る我が子わかるや笑顔の母


左の絵は、加茂湖畔のカフェ。昔は牡蠣小屋だったものをカフェに作り変えたとか。湖畔のロケーションは素晴らしいのだが、料理がいまいち。絵は楽しく描けたのだが、ストレート過ぎて、やや面白さに欠ける。表現意識を問うなかれ?楽しければ、それでよい?

 

2月20日

セザンヌの習作


「フィッロイ山塊のウェメル湖」

物の光見えたるうち

ものの見えたる光、消えてしまわぬうちに、言い留め書き留める。これは芭蕉のことば。

人の感性ははかなく、移ろいやすい。何をどう感じ、それをどう表現するか。
同じものを見ても、人によりその感じ方は違う。表現の仕方も異なる。
表現したいものの精神性と表現技術。表現したいものの思想性、精神性とは何か。

多様性の面白さ、表現したいものへの集中と多様化、分散と集中は矛盾する概念か、同時に存在する概念か。人はどうも矛盾する概念の間をうろうろしながら生きるもののようだ。

セザンヌの習作といいながら、セザンヌからだいぶ離れてしまった。習作は自分勝手に描いてもよいものだろうか。

パタゴニアトレッキングの旅。フィツロイの近くにある氷河と氷河湖へのトレッキングがすばらしかった。参加者10人の他、数人が湖畔の高台にいてそれを描いていたのだが、絵の先生に不要といわれて潰されてしまった。
山の緑の配置と青い氷河が感じが出ている。手前の岩場の表現がへたくそ。
うまい絵か、面白い絵か、配色が楽しい絵か、構図がしっかりしている絵か。具象か抽象か。私は何かを感じさせる絵を目指したいのだが、10年早いような気もする。

27日火曜日13時

「スペイン・中世の村とパラドール」(ホテル)

出展した2枚の絵。ともにスペイン、サンチャゴへの巡礼の道沿いの風景。

展示会風景

アートシュウ絵画展


20日火曜日、21日水曜日10時から3時まで、初日・最終日の他、24日土曜日10時から3時まで店番をする。
2月21日
絵画展示会の店番を10時から夕方まで。色々な人が来る。説明を求められることもあれば、こちらから話しかけることもある。

キュビズム 0 △ □
色の配置が絵画のイメージを決める。配色は大事。点描・・・?
輪郭線をやたらぼやかす
顔料をやたら盛る
基調となる色を統一する
抽象化の原理は何か?
玄人肌の力作が多い。うまい写生力と題材の選択がいい。

F.T.さんの娘さん、2人から差し入れをいただきました。
絵も写生ばかりではダメだ。詩情が漂っているもの。何事かが表現されているもの。詩心との親和性。音楽でも彫刻でも、芸術と言われるものはみんなそうなのかもしれない。

何を描きたいのか。どう描くのか。何を表現したいのか。図形的な形の組み合わせと深い色彩により構成する。特に色彩は渋くも鮮烈に。
心の内をその底の底まで覗いてみる。自分の根幹が見えるか。絵を描くというのは、自分と向かい合うことでもあるようだ。

 

2月24日

チィコちゃんに叱られるを見ていたら

「私は」と書いて「わたしわ」と読むのはどうして。それは、「私ぱ」、「私ファー」、「私は」と言いやすいように変化してきたためらしい。ゥーん、分からない。そもそも自分のことを「私」というようになったのはいつ頃からなんだろう。

2月26日
ひらがなを適当に組合わせただけでなぜか人の顔に見える。不思議なものだ。
へのへのもへじ へめへめくこい へへののもへじ へめへめくこひ

へへののもへひ
へめへめくつし こめこめくんじ へろへろへろし

2月27日
三屋清左衛門残日録
日残りてくるるに未だ遠し

2月28日
なぜか、歩くたびに胃の水がちゃっぽんちゃっぼんする。
春の日やちゃぽんちゃぽん胃が騒ぐ
春の日に咲は桜か梅の花

 

2月29日


非力で愛しのモンキー

昨日からちゃぽんちゃぽん胃が騒ぐ


ここのところ何をやっても行き詰まる。
俳句をやっても、いつまでたっても俳句とは何か。絵を始めても、そもそも絵とは何かがつきまとう。バイクの趣味は目が悪くなってやめた。小さなモンキー125で我慢している。ジョギングは、いつの間にかウォーキングへ、ウォーキングから散歩へ。仕事をやるには体力と頭が起動しない。
鴨長明「方丈記」の捨てる生き方、無常感が気になるが、そんな生き方は現代には合わない。山の中で方丈を造って住んでも、それだけではとても生きて行けそうにない。

 

3月1日



負けるかと思えば負ける老いの春

「負けるものか」と思う間は負けはしない。勝とうと思えば負ける。「負けるか」という意志。

3月3日、
春盛り梅の実ならぬ白梅の花
3月4日、
春の日や趣味はガラクタ仕事ペケ

誰かが言っていた??老人になったらやりたいことの箇条書き。なんかいやらしい優等生的で出来過ぎてる感じもする。
1つ、健康であること
2つ、仕事をし続けること
3つ、家族との時間を大切にすること。
4つ、生涯学習を継続すること
5つ、趣味を深掘りすること
6つ、のんびりと旅行すること。
7つ、ボランティアがあればやる。
8つ、家族や地域に何らかの遺産を残すこと
9つ、友人、コミュニティーとの関係を大切にする
10、自己表現を続ける
11、シンプルな生活を極める。
12、ガーデニングを続ける
13、地域のコミュニティーに参加する。
14、環境保護に努める。
15、教育の支援をする。

 

3月4日


春の夕月

「三体」困ったものだ

「三体」(劉慈欣)とは、太陽が3つある太陽系をさすようだ。太陽が3つあると灼熱と極寒、昼夜の期間、引力場の不規則な変化など、地獄のような環境になる。そこを生きる三体星人は、なぜか地球の人類よりも高度な科学技術を持っていて、住みよい地球を侵略し植民地化することを計画して軍隊を地球に向けて送った。三体の侵略軍は300年後に地球に到達するという設定。さて地球人にそれにどう対応することになるのか。
解説によれば、この種のSF的小説の面白さと言うのは、理学、工学、社会学に人間ドラマとあらゆるものが息つかせず、押し寄せてきて積み重なっていくと言うところにあり、かって日本で小松左京がこの技法を駆使して、傑作を見出し続けたことを彷彿とさせる、ということのようだ。
なにかやたら天文物理科学的な装いと中国的な大言壮語な展開のようにも感じるのだが。中国という環境の中で何か表現したいものがあるのだろうか。
でも沼にはまってしまって、「三体U」を予約中。

 

3月7日


駐輪場のモンキー

モンキーにまたがるボケ顔は私

窓に映った自分の姿と顔をみて
春なれやモンキー顔のわたしがいる


ビジネス顔の私とモンキー顔の私と、 どちらが本当の自分なのかわからない。とにかく今はモンキー顔の私しかいない。そんなものか。
バイクの他、芭蕉、蕪村、西行、自作の俳句と絵と、こんなことをしていてよいのだろうか。

若い頃の自分を振り返ることが多くなった。政治の季節、あの頃ある時の思いは何だったのか?総括、総括、総括ができていない。なのに今は老いを貪っている。

 

2月8日

 

口が二つできる夢

昨夜は一晩中、口の下に「二つ目の口」ができる夢を見ていた。風邪なのか体調が悪くそのせいで変な夢を見たのかもしれない。36.6°、微熱。
口が二つできたのに本人はそれほど困っている風でもない。そのうちに治るだろうと楽観しているようだ。朝方、二つ目の口は一つになって安眠できた。不思議な夢があるものだ。これは何の暗喩なのだろう。
リタイヤした自分とビジネスへのこだわり、その2つへの意識の分裂状態の反映かもしれない。

 

2月9日


モンキーで散歩に。

福岡真一 動的平衡

彼は、動的平衡の数式化を考えているらしい。破壊と生成の生命のサイクル。

音楽の起源は生命の律動ではないか、と坂本龍一。音楽とは何か。
聴くという行為がないと音楽は成立しない。自分も楽しいし、誰かにも聴いてもらいたい。

耳から入った音楽は、脳へと伝わり、全身に影響を及ぼす。自律神経系に作用して、心拍や血圧が変化し、興奮や鎮静、リラクゼーションなどの効果がもたらす。同時に、心の状態にも影響を与え、感情、知覚、認知を活性化させることが分かっている、らしい。遠ざかっていたバッハを聴き直そうか。

春の日にぽんぽこモンキー鼓動に合わせる
ひ弱な125モンキーに合わせてバイク乗り

 

3月11日

「エンジェルフォールに向かって」

春の朝歩き方を忘れた74歳

最近、おしっこの仕方が分からなくなった。どうすれば催し、どうやったらおしっこが出るのか。おしっこがしたいかと身体に聞けば、したいという。どうやったらおしっこが出るのか考えるのを止めると、おしっこが出る。

しっかりと胸いっぱいの呼吸がいのち
いまさらに呼吸と発声の吃音対策

左の絵。乾季で川の水量がたりないため、砂漠の草原の中を向こうに見える川岸まで歩いた。絵のような草原ではなかったのだが、印象深かったので絵にした。歩いている二人がへたくそ。向こうに川面が光っている。彼方のテプイがいい感じ。全体的にはまずまずの出来。

3月14日


平安の雅の匂いや安芸の宮島

鳥居まで塩が引くこともあり安芸宮島

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」
この一文だけでも日本人として苦しい。日本人として何ができるのか。

面影は遠き懐かし錦帯橋

 

広島萩野方面へツアー

初日は安芸の宮島。
潮が満ちた鳥居と、潮が引いた鳥居の両方が堪能できて、よかった。
宮島本殿の平安的な造形の優美さがとてもよかった。こういう日本的美は外人にもわかるのだろうか。
平安の雅の匂いや安芸の宮島
鳥居まで塩が引くことあり安芸宮島


3月15日
原爆死没者慰霊碑より
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」
復讐でも悔悟のみでもなく、人類として悲痛な悔恨と決意。

広島平和記念資料館
軍都広島、原爆惨禍。日本人としてつらい。人知れず涙をぬぐう。ウクライナやガザで繰り返される破壊と殺戮。人はどうして過ちを繰り返してしまうのか。


岩国の錦帯橋
面影は遠き懐かし錦帯橋
悲し身の渡橋券無くして煙草かな
錦帯橋は何ということもないのだが、何か人力の巧みさがわかる素朴な美しさがある。見飽きない。何枚も写真を撮ってしまった。


複雑な木組み。どうなっているのかよくわからない。どこかに解説があるのだろうか。
お昼をとって外に出たら、渡橋券を無くしてしまったようだ。タバコを吸って気を落ち着かせて、券を買い直した。

 

3月16日

西部開拓民もかくや秋芳台

角島大橋

松下村塾

元乃隅稲荷神社
昭和30年に、地域の網元であった岡村斉さんの枕元に現れた白狐のお告げにより建立されたという。

西部開拓民もかくや秋芳台
その後、地下トンネルに入った。足元が悪いのにガイドさんの足が速くて難渋した。老人ばかりなのに配慮が足りない、残念。

3月16日
イヤーマイナー長門の湯本温泉
萩の武家屋敷などを散歩したのだが、
大臣輩出何か足りない萩の町
松蔭さんこんな日本に誰がした


松陰先生の肖像掛け軸
かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂(松陰)
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂(松陰)
よく知られている「大和魂」の歌はなかったようだ。

元乃隅稲荷神社 
真っ赤な123の鳥居。6メートル上の賽銭箱が笑える。
何回投げても届ぬ思いの百円玉
悲しい。
なるほど、何か素朴な美しさがある。何かマイナーな島根によく似合っているような。なぜか稲荷神社だと言う。
海の方から123の鳥居をくぐって元乃隅稲荷神社に向かうようだ。6m上の賽銭箱は神社の上のにある。

海岸の高台から見た元乃隅稲荷神社の全景

角島大橋
沖縄まで行かなくても南海気分が売りだとか。
大橋は生活の利便か観光か

津和野
源氏巻の番頭さんがマイナー観光地の悲哀を熱弁。
面白くてやがて悲しい津和野かな

 

3月17日


「雲間のテーブルマウンテン・ロライマ」の絵。
私としてはそこそこの絵だと思うのだが、人は白い綿のようなものが下にもこもこあってなんだかピンとこないという。
面白いといってくれる人が一人でもいてくれると嬉しいのだが。やはり感動は個人的なものなのかも。

4年前の帯状疱疹鼻欠け顔は痙攣す

どこかの高校の卒業式の式辞で整数0〜1の間の無限の少数を上げて、それを将来の可能性としていた。だが、無限の可能性というのは幻想なのだが、それをあえて言う必要はないだろう。ただ、ちょっびり感動。
若さとは0との間の無限の可能性

私はといえば
帯状疱疹いまだ鼻欠け顔は痙攣

3月18日
大谷 真美子夫人 おめでとう。
バスケットボールの選手だった。美人だなぁ、単純。
3月20日、
ソシュールは、言葉の意味と言うものは他の言葉との関係の中で生まれるといった。つまり、価値が商品に内在するものではないのと同様に、意味も言葉に内在するものではないという。差異から生まれるものに過ぎないということのようだ。

戦闘機の輸出の問題、
戦争当事者には輸出しないということ。しかし日本はどちらの側に立っているのか。義がある方に対して武器を輸出することがあっても良いのではないか。正義と悪を同列に並べるのはおかしい。正義が勝つように支援するべきではないか。殺傷能力の有無は問題ではないと思う。そうは言っても、国際政治はパワーポリティックス。自国の経済的なプラスの計りも動く。それらを総合的に判断することになるか。

3月21日木曜日

「カナイマのラグーンの中州」の航空写真より。それが分かりにくい。具象画なのだが、変な抽象画に見えてしまうらしい。
私は気に入っているのだが、人は何が何だかわからない、という。評価無し。

ペリト・モレノ氷河へ
南米、パタゴニアの氷河をトレッキングした時の絵。青白いのが氷河だが、やはり説明がないでなんだかわからないみたい。自分だけの心の旅か。

 

ヘボ絵画何枚描けば桃源郷

絵を描くのは何のためか。誰のために描くのか。暇つぶしか、自己満足か、見る人の歓心をかうためか、売れるような絵にするためか。
私の場合、やはり暇つぶしと趣味と自己満足と言うことになるのかな。多少は見る人に関心を持ってもらいたいと言う気持ちもあるが。
このような絵を描く動機は、自己満足で不純なのか、素人はそんなものなのか。

春の夕べ歯抜け顎の細きになく

左の絵は自分としてはそこそこ気に入っているのだが、他の人は何だかわからないと不評。ラグーンは、雨季には水面が上がって潟になり、乾季には干上がって陸地が露出する。絵は乾季のラグーンの空撮で、見たこともない奇妙で面白い風景だったのだが。やはり素人絵は「わかる」ということが大切か。

ペリト・モレノ氷河 トレッキングの絵も同様。素人絵はやはり自分だけの絵か。
先生が手前の砂地に赤色を加えた。なぜか絵に変化が出て面白くなった。色々な色を加えてみること。
5Fの画用紙では細部の表現がどうしても荒くなる。F6への移行を考える。

 

3月22日


まだ早き桜山、ここでウグイスの声を聴いた。
梅散りて桜はまだき春の山

カーカーと暇持て余すカラスかな

私が真実を言うと

吉本隆明こんなことを言っていた。
「私が真実を言うと、世界が凍ってしまうと言うことによって、私は狂人であるそうな。」
中島義道先生の狂人三歩手前でも同じようなことを言っている。
狂人キャラ、攻撃的な引きこもり、自分の感受性に反した事は言わない。他人に共感できない人間、社会と折り合いがつけられない人間。哲学するとグレる。うーん、難しい人のようだ。
風狂は豪快なほどの徹底的な自由の境地、狂言や狂歌は芸術の域にまで達した滑稽さ。常識に囚われない生き方は狂人、私は、若い時にはそういう生き方へのあこがれもあったし、それでも良いのではと思っていた。だが、そういう生き方では、変えたいと思っていた世界は何も変わらないままで残ってしまう。それでいいのか。

ウグイスよまだつぼみなり桜山
ウグイスも上手に鳴けり桜山
遠からず逝くとは言えど桜山
梅散りて桜はまだき春の山
梅散りて天気晴朗ナレド風寒し
梅は散り桜は蕾のススキ原
田の畔に一人寝ころぶ夢を見た
遠き日の思えば米山茜空
カーカーと暇持て余すカラスかな
人生や何が幸せか人様々

3月30日


春の日や帽子かぶってひとり散歩

いよいよ3月末になってしまった


衰え行く体力と頭の働きの鈍さにどう妥協しようかと困り果てている。それにつけても会社仕事はほとんど終わり、地域社会の生活ともうまく馴染めず、日本の自民党政治の堕落に怒り心頭
になり、ふがいない野党に腹を立て、帝政ロシアの皇帝を夢見るプーチンと、単なる権力欲の習近平に怒りを覚えても、どうにもなるものでもなく、社会と世界に背を向けて引き籠る。
引き籠ると何もできない自分に腹が立ち、怒り、ますます引きこもる。閉塞が悪循環していく。
だから私は今日も青空の下ウォーキング。体を動かすことでかろうじて引き籠りを逃れているといった状態。それでもどうにか生きながらえている。

たいして美味しくないものをたくさん食べた芋虫
我もまたたくさん食べた芋虫青虫なり
痩せたソクラテスがそんなに偉いか
春の日や帽子かぶりてひとり散歩

 

3月31日

桜見の人は満開花一分

 

桜見の人は満開花一分


花つぼみ西行吟じて生ビール
われは老いたか花風の俳句

荷風の句が気になって
  色町や真昼静かに猫の恋(花風)
  青竹の忍び返しや春の雪(花風)
  葉桜や人に知られぬ昼遊び(花風)
  隠れ住む門に目立つや葉鶏頭(花風)
  落ちる葉は残らず落ちて昼の月(花風)
  襟巻きやしのぶ浮世の裏通り(花風)
  行くところ無き身の春や墓詣(花風)
  まだ咲かぬ梅を眺めて1人かな(花風)

桜見の人は満開花一分
出そうで出ないみんなが嫌がる精神訓話
一人しずかビーナス描いて春の昼

「自嘲・自虐」は自慢の一種だとか。そういわれてみると確かに。独りビーナスを描く。

 

 

2024年4月3日


「ギリシャ・ミコノス島」の風車のある高台より

メガネを失くしてうろたえる

外出用のメガネと室内・読書用メガネを使い分けている。なぜか室内・読書用メガネを持っていないことに気づいた。今日行った先を訪ね歩いた。

春の日やメガネなくしてうろたえる
メガネはいずこセブン教室レストラン
春の日やなくしたメガネは別カバン

 

4月7日

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』ゴーギュン

タヒチのゴーギャン

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という変わった題の絵がある。題はすごいが絵がよくわからない。道に踏み迷うと、人は同じような問い方をするもののようだ。人は道に迷うようにつくられているのだろう。お迎えが近づくにつれ、さてどこへ行くことになるのか、心配になる。
鴨長明「方丈記」
「不知、生れ死ぬる人、 何方より来りて、何方へか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。」

無神論者でも逝くときは手を合わす
春の朝独り唱する方丈記
満開の桜の花びらに口づける
(ふっと、そんな気になって花びらに口付けたのだが、自分ながらいやらしさを恥じた。)

 

 

4月11日

王妃イザベラの城、オビドスの城の中心部


バターリャ修道院の未完の状態で今に残る礼拝堂。未完成にしては内部は極めて立派。

ポサーダ モステリオ デ ギマランイス。宿泊した宿の中で最もよかった。


最もポルトガルらしい町といわれるモンサント村に残る城塞。

ポルトガルの民族歌謡ファド、郷愁や愛の苦しみや喜びなどを主なテーマにした歌。言葉はわからないが、ガイドさんの話しでは愛と別れの歌のようだ。

ポルトガル旅行へ

成田空港発22時30分ドバイ行き、その後ポルトガル・リスボンへに向かうらしい。
帰国は23日の予定。
12時間飛行機に乗ってようやくドバイ着。ドバイからリスボンまで8時間かかると言う。長い、うんざり。

リスボン空港着
リスボンで荷待ちしながら思う。私は何をしているのか。こんなところで、こんなことをするために生まれてきたのか、何のためにここにいるのか、何のために旅行しているのか。
だめだ、生きる理由が見えてない。私はいつもこうなのだ。

こちらから「ポルトガルの旅」サイトにアクセス。


オビドスの城塞への入口。美しくてなにか面白い。
朽ちた領主館の横を職場に急ぐ乱暴な車を見た。朝、職場に急ぐ暴走車はどこの国にもいる。

城壁の上を歩く妊婦さん、みていてひやひや。

世界的に有名な「レロ書店」。『ハリーポッターと賢者の石』はこの街で執筆されたとか。

カステラの元祖「パン・デ・ロー」 。日本のカステラの失敗作といった感じ(失礼)。

4月25日・26日


あーうれし日本に戻れば五月晴れ

菜の花や花散りてのち実を結ぶ


里山のベンチで思うビーナス誕生

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ズーラシア里山ガーデンにて

あーうれし日本に戻れば五月晴れ
菜の花や花散りてのち実を結ぶ
ウグイスさんハシビロコウは今いずこ
里山花園鯉のぼりを友として

里山のベンチで思うビーナス誕生

「ビーナス誕生」(ボッチチェリ)できたか。私の表現技術相応だが、いい気分だ。
ビーナスの絵がいちおうできたと言うことにしよう。ボッチチェリの「ビーナス誕生」をベースに仕上げたが、自分のビーナスが出来たように思う。
誕生したばかりのビーナスの目はまだ眠そうに半開き。顔は美の神のプライドと気高さをたたえ、聡明さと意志力が愛くるしさとアンニュイな憂いとなって現れている。頭部をやや右に傾け身体全体をS字形にくねらせている。首や手足が人間より長いようだ。誠に美形で美神にふさわしい。髪の毛腰下まで伸びた長さと黄金の輝きはこの世のものではない。当時、一糸まとわぬ姿は女神の証明。
美と愛の女神、それが私の勤め。なんだかかったるいね。でも、私の宿命のようだから、やるしかないね、引き受けるしかないよね。

ローマ神話の女神ウェヌスの英語読みで、ギリシャ神話の美と愛の神アフロディテと同一視される。ギリシャやローマの神話は、人々の願望と夢の反映だからま、そんなものでしょう。

ギリシャ神話の最高神ゼウスが戯れに羊飼いのパリスに、妻のヘラ、娘のアテナ、愛と美の女神アフロディテ(ローマ神話ではビーナス)の3人の女神から、いちばん美しい者をひとり選ぶように命じた。パリスは後先のことを考えずに、本音の近くでアフロディテを選んでしまった。だからアフロディテは世界一美しい女神なのである。

それにしても、私の画才が技能と精神においてまったく追いついていない。まだまだ修行が足りないのが残念。


情報と知識、技術と科学、しかし、精神はどこへ行った、心はどこへ行った。表現の技能はあっても、表現しようとするものの心が見えない。なぜ表現しようとするのか、なぜ表現したいのか。ええわ、ただ自分のために好きなように書くんだとうそぶく。
広重は書きたいものがわからないと言う。だから一生書き続けた。広重さんにしてもそうなのだ、ましてや私おや。

 

4月28日・5月1日



モロッコ・シャウエンにて

楠林のその上に

春風や楠林に木霊す子らの声

絵画教室来てみればお休みなり喫茶店へ
客無しのスナックママ暗し五月雨

久しぶりにスケッチの散歩に出た。大池公園までモンキーで行き、散策とスケッチを楽しんだ。自然の植物の絵は難しい。自然の中でも人間が一番難しいかもしれない。
今度、ビーナスとダビデの全身像に挑戦しなくっちゃ。

「三体II 黒暗森林」(上・下) 劉 慈欣
リスト化反復質問と黒顔白顔
いゃーこんなものにはまってしまった。考えてみると、宇宙は弱肉強食の暗黒森林というのだが、たかがSF、そんなに深刻になることはないのだが。

モロッコの青のシャウエンの街角の絵。
なんとなく軽い感じ。もう少し色を足してクコを出さないと。青と白が単調過ぎてつまらない。もっと暗い、生活の味を出して。

5月4日

「ベネゼイラ・カナイマの家屋」

5月の4日13時に車検

バッテリー上がりで車が動かない。JAFを呼んだ。毎度のこと、なさけない。これからは月1回は車を動かそう。

動かない車かなしや五月晴れ

「ベネゼイラ・カナイマの家屋」
ベネゼイラのカナイマの近くに、川床が碧玉の一枚岩になっている場所がある。 そこを見に行く途中の村でみた民家。住んでいるのか廃屋なのか不明。とても雰囲気があったので絵にした。苦労したが雰囲気は出ていると思う。空の雲の白と曇りが逆ではないか。

 

5月5日




花菖蒲花には花の世界観

菖蒲湯香り静かなり端午の節句

芸大絵画科の受験に求められる能力は、時間内で、形の正確さ、空間的な位置関係、質感、構成力、色のセンスなど相当の実力がなければならない、といわれている。
しかし、芸大に合格し、その後大学院にまで進んでもそのまま画家になれるほど、世の中は甘くない。芸大出身者の画家は全体の30%位か。美大を出ていない著名な巨匠もたくさんいる。芸大に落ちてもその後大きく躍進する画家も多い。また芸大に受かっても受験で燃え尽き。描写力以外はぱっとしない画家もいる。
芸術は非認知能力の勝負だ。「独創的な切り口」を思いつけるかどうかが芸術家としての分水例だ。
画家として世に出たければ、例え確かであっても、「自分の信じた中心軸のあたりを一心不乱に掘り下げ、何かを掘り当てていくしかない」。世界観に類例がないこと、自分がどのような流れに身を置くかを真剣に考えて作品制作を続けていること。(千住博)

菖蒲園来たりてみれば花一輪
わたしどうおいしそうでしょ花菖蒲

花菖蒲お前の秘密知っている
花菖蒲花には花の世界観

 

5月6日


見上げればウサギ天駆ける森の中

今日見た老人

森に向かって老人が立っている。森からは遊ぶ子らの声が聞こえている。ひとりたたずんでいる老人の後ろ姿が寂しそう。耐えているのか、あきらめたのか。老人はいつもそうだ。

老人を楽しませてやウグイスさん
老人を悲しませるかウグイスの声
見上げればウサギ天駆ける森の中

帷子川をウォーキングしていたら、何が釣れるかわからないドブ川に竿を垂れる老人一人。
私もまた平日にウォーキングしている老人に違いない。

今日もまた生きんとしてただウォーキング

5月10日

慰めに宮ヶ瀬大橋眺めて過ごす

胃カメラのついでに

かかりつけの医者から勧められて胃カメラをしたら、大腸カメラの予約を勧められ、言われるままに予約した。
老人は検査受けたら逃げられない

老いて、病んで、死んでいくサイクルに、医療って何だろう。

胃カメラの痛みを嘆く老夫人
ピロリはいないが胃がんのリスク
慰めに宮ヶ瀬大橋眺めて過ごす
使いもしないキャンプ用品を揃える
いつからかスイスアーミーナイフが見つからない

表現できない思い、どう表現するか。絵による表現、言語による表現。何をどう描くか、俳句による自己表現とは何か。表現したい思いは何か。ボーとしてるんじゃないよ。
言い古された表現、借り物の言葉、当たり障りのない表現や文章、人の心に伝わらない言葉。そうではない、本当の自分の心から出た言葉、表現。オリジナル、独創。

 

5月22日

相談に来てと言っても

誰も相談に来ない「相談役」になって早2年。

自虐ネタふって相談出前かな
五月雨や自虐ネタふって自己満足


若い時、寝る間も惜しんで仕事をしていた。それでよかったのだろうか。残った中身は空っぽで、タバコばかりをふかしている。

五月雨や仕事人間なれの果て

5月16日

400年前の遺構がそのまま復元されている石を使わない土だけの山城は全国的にも非常に珍しいもの。城址はよく整備されていて、山城好きの人には、お昼をいただきながら楽しい時間が過ごせそう。

山中城跡の公園散歩

地元の山の会も先輩方は年とってしまい、山登りが山歩きになり、最近は散歩に近い例会になってしまった。
山中城は、戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に、小田原に本城をおいた後北条氏が築城した。その後天正17年豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに備え、急遽堀や岱崎出丸(だいさきでまる)等の整備、増築を行なった。
しかし翌天正18年(1590年)3月29日、増築が未完成のまま、4万の豊臣軍の総攻撃を受けた。北条軍は4千で、必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したと伝えられている。 (三島市の観光Webより)


空堀の中に衝立障子のような掘り残しがある障子堀で有名。
「日本百名城」に選定されている。 障子の枠にあたる部分は、もっと狭く尖っていて、堀も深かったらしい。単純な空堀より敵の侵攻を遅らせるという効果があったようだ。


城址から富士山がよく見える。

秀吉軍4万に対し北条軍は4千、障子堀はあっても半日で落城したようだ。やはり高くそびえる石垣にはかなわないのか。

 

5月24日

五月晴れ仲良しカラスあゆみけり

ウォーキング・ホームグランド

ここのところウォーキングによい場所を見つけた。グランドのような形の原っぱといったらよいか。黙々と周回していると、自分ながら阿保っぽく、狂気じみているなあと感じる。この近くに住んでいるらしいお友達のカラスと会話する。

ホケ顔で生きんとして惚け顔になる
五月晴れ仲良しカラスあゆみけり
青空の下独りグランドを周回せり
足弱や1周400メートル10周行くぞ
今日もまた物言いたげなカーコーと

 

5月30日

ヨセフ・レスコビッチ


私はアウシュビッツと5つの収容所を生き延びナチスハンターとなった。
ユダヤ人、ユダヤ教と言うアイデンティティーを持って生きるものは強かった。生きるための強い道徳的、宗教的根拠。ホロコースト生存者。
私はそれまで決して退かないあきらめないと言う心情を持っていた。多くの場合と同じように、私は欲しいものを手に入れるために、自分の持てる魅力と狡猾さを全て振り絞り、組み合わせなければならない。
強制収容所の管理者たちに従順さを装って近づき取り入る。経験したことがない事でもできます、やれますと言って取り入る。生き残るためには何でもする。
解放された後、彼は収容所の犯罪者たちを追求・断罪する。殺人工場を気転を利かせて生き延びた彼は、ナチスの犯罪者たちを決して許さなかった。

6月4日

せっかくの今年の紫陽花やや小ぶり


チリ・パイネの角
まあまあの出来に満足。

文明の崩壊の原因


気候変動による干ばつ、飢饉、疫病、大地震、騒乱、略奪。エジプトはそれらから免れた、その原因は家畜、小麦、産物の多様化があったから、だそうだ。歴史からの教訓、やはり多様性は強い。

6月6日
急がないと後期高齢者には後がない
よかったシンギュラリティの前に逝きそう


6月7日、
横浜美術館 トリエンナーレてなんだろう。「トリエンナーレ」の原意はイタリア語で「3年に一度」。
芸術は抑圧との抗争の中から、あるいは厳しい条件や環境との軋轢の中からしか生まれてこない、と言う考えもある。横浜美術館 トリエンナーレにて。なぜか撮影禁止、作品のイメージが残らない。

6月8日
開成の紫陽花祭りやおにぎり日和
せっかくの今年の紫陽花やや小ぶり

6月12日


ドクダミの咲き誇りてや青杉林

久しぶりのウォーキング

見上げれば天頂に月梅雨明けまじか
死ぬまでは元気に生きようウォーキング
小さめのシロツメクサや梅雨明け間近
シロツメの上に寝転ぶ
心地よさ

大学を出ても、世の中を変えてやろうと思っていた。出版・印刷・製本などの工場労働者と思っていたのに、事務職の安サラリーマン。それでも、労働運動的な意識を持って仕事をし、将来は必ず会社の経営者になろうと思っていた。労働者による工場管理。労働現場の民主主義。それを目指していたはずなのだが。時代も私も大きく変わってしまった。

ドクダミの咲き誇りてや青杉の森
原っぱの雑草が伸びて歩けない

五月雨やよもぎを伸ばす草の道(芭蕉)

6月15日

薮中と思いきや青き紫陽花の花

散歩にて

公文書館の裏山の草ぼうぼうの斜面の下草が刈られた。そしたらきれいな紫陽花の花が顔を出した。うれしい。ウォーキング5キロ。

草刈りて見れば驚き紫陽花の花
薮中と思いきや青き紫陽花の花
歩き歩き果てない人生歩き行かん

6月18日

大和にてボーリング

Oさん、Eさん、Kさん、Fさん、Sさん、K夫婦、SNさんとボーリング。私のスコア67。なさけない。

女性減って自治体消滅、と誰かが言った。
山田ゆりさん、家事分担の不平等、育休の取りづらさ、職場でのジェンダー差別、経済的不安、保育所入所の保証がないこと。
結婚したり、出産したら仕事の声がかからなくなる。産みたいと思う人はいなくなる。それでは街が老朽化しさびれて消滅する。

 

6月19日

中津川絵画キャンプ

宮ケ瀬ダムを下ったところにある角田河原にて。テントを張って絵キャンプ。気持ちはよいが暑すぎた、早々に引き上げ。絵はまあまあの出来。
描き方がやや荒っぽいが、夏河原の感じが出ていると思う。山や木々の緑に変化があるし、川もいい感じに描けた、と思う。

夏川の傍で絵を描く爽快さ
鮎釣り人連れましたかいや何も
鮎なくて山女魚釣り人川を扱ぐ

6月20日

我が愛用のJUNのTシャツが穴だらけ。
捨てられるのは時間の問題。

50年来のJUN捨てられそうでかわいそう

最近気になること

千葉雅也氏は言う。リズムは、生成変化のうねりと存在の有無のビートで構成されるという。
絵画が、目で見た現実や風景をキャンバスに再現することに止まるなら、それはつまらないことだ。まず第一に目で見たものの再現と言う観念から離れること。絵の意味を考える以前の、身体が感じる何か。要素の反復リズムと逸脱の「身体感覚」。

6月24日
いくつになっても何かが足りずに有隣堂
世界が見えず社会も自分も梅雨休み


襟のほつれが広がって50年来愛用のTシャツもさすがに寿命か。

50年来JUN捨てられそうでかわいそう

 

6月25日

天気がよいのでモンキーに乗って横浜へ。横浜みなとみらいの臨海公園を散歩した。軽くお昼をとりたかったのだが、そういう場所は閉鎖していた。残念。
絵の題材を探していたのだがどれもピンとこない。 私の絵心は何も感じない。私の心がまだ十分に解放されていないせいか。

横浜みなとみらいの臨海公園にて

絵画におけるランダム性、偶然性、でたらめさ、それがビート、変化となる。オリジナルな表現となる。感性の自由・解放・覚醒。それがないとマンネリで面白くない。
表現の「目的や意味」に縛られると、自由がなくなって、窮屈になる。自由な運動性が必要。対象の「再現」を目指すと、どうしてもつまらなくなるか、単なる下手が目立ってしまう。スタートとして、対象の「再現」から離れてみること。「自由な運動性」からスタートすること。要するに対象の意味と再現から離れるということ。
表現の並べ方が問題。偶然性に開かれた練習が必要なのかもしれない。ルールに従ってきちっと理路整然と並べない方が面白くなる。自分の「身体感覚から響いてくる偶然性」に従ってみる。だが、「身体感覚から出る偶然性」とは何か。それが問題なのだが。(千葉雅也氏より)

6月26日


ペルー・ウルバンバへの峠にて、標高は4,000m近い。

今年も半分が終わってしまいそうで悲しい。
納得できる絵が描けない。そう思ってもがき続けると、絵がうまくなるらしい。だが再現だけのうまい絵はつまらない、と先生は言う。対象の再現を超える表現とは何か。

この絵の先生評は、動物2匹はだめ、3匹にする。
近景の草むらとその向こうの林と雲と霞む山並み、平行に重なっていて変化に乏しい。
動物の絵がヘタすぎる。観察が足りない。

7月2日

フィッツロイ遠景

今年も半分を回ってしまった。時間が過ぎるのが異常に早く感じる。
何もすることがない暑い日は、黙って行動する。10Kmウォーキングに出る。

最近完成したち絵、フイッツロイ2点。
なかなか思ったような表現ができない。


フィッツロイの朝焼け

 

7月7日七夕

「ヴィーナスの誕生(続)」の習作

東京都知事の投票日に



夏風の追い越していく境川

山形姥湯温泉桝形屋 ここはいい感じの温泉宿のようだ。秘境いや仙境の中の温泉宿らしい。1週間何も考えずに自然の中で。

「ヴィーナスの誕生(続)」の習作、いちおう完成ということにしておこう。
ボッチチェリー「ヴィーナスの誕生」1483年頃
ビーナス=アプロディティー Venus、 ホタテ貝は女陰のメタファー?。時間と季節の女神ホーラー Horaが裸のビーナスに衣服を着せようとしている図。
ギリシャ神話のホーラー(Hora)は、季節と秩序を司る女神であり、天宮の門の番人。ゼウスとテミスの娘で、植物を生長させ、肥沃さを促進する力を持つ。

かながわ、神奈川歯科大学附属病院、横浜クリニック、目の斜視の手術で技術があるそうだ。連絡をとってみるか。

 

7月19日

イャー、この展開にはしびれてしまった。

郷村教 三体IIより

作者 劉慈欣
想像もできない太古の昔から伝わってきた歌は、はるかで、神秘的で、もの悲しい。この歌が超空間を通して全銀河に伝わると、1000億年の恒星からなる星雲に住む数え切れない生命に、長く忘れていた温かく安らかな気持ちを思い出させた。
宇宙で最も不可解な点は、それが理解できると言うことだ。宇宙で最も理解できる点は、それが不可解だと言うことだ。

子供たちは村に向かって小道を歩き出した。一団の小さな影は、やがてゆっくりと、山の薄暗い朝霧の中に消えていった。彼らはこうして生き続け、この古くて、痩せた土地にもわずかながら、確かに存在する希望を収穫するだろう。

図書館は老人まったり安眠室
図書館の椅子でい眠る胡蝶の夢

7月22日

ゴッホ「ひまわり」

売れる絵とは


誰かがこんなことを言っていた。
絵を買う人の気持ちがわからないと「売れる絵」は描けない。なるほど、確かにそうだ。
絵に興味があって、買ってくれそうな人は当然10%以下、描く人は0.1%位かな。
1つ、絵を買う人は、独創性や創造性を持った絵を描く人、そういう人を支援したいと言う気持ち。

2つ、家のあそこに飾っておきたいと思う絵。飾られて見られる方が絵にとって幸せ。
3つ、作者がその絵について説明すると、よく売れる。作者の表現、意識や個性や創造性のあり所を説明する。

画家になってはいけない人の特徴、こになことを言う人がいる。確かに。
1つ、安定志向
2つ、大食いの人
3つ、友達多い人

 

7月29日
「ヤマト運輸株式会社荷物お届けのお知らせ
受け取りの日時や場所を押してください。」
「Amazonお客様のアカウント認証に関する重要なお知らせ当社の公式ウェブサイトにアクセスしてください。画面に表示される。指示に従い、必要な手続きを完了してください。」「三菱UFJ銀行このたびお客様の三菱UFJ銀行口座にセキュリティーリスクが発生した可能性があります。安全性を確保するために24時間以内に再認証をお願い申し上げます。」「東京電力エナジーパートナーこのメールは未払いの電気料金についてご連絡させていただくものです。」「三井住友銀行カードが期限切れです。」

 

詐欺・フェイクのメールが過ぎる


銀行関係、ファイナンス関係、アマゾン、ヤマト運輸など、身に覚えのあるものないもの怪しいメールが毎日たくさん来る。迷惑メール・受信拒否をいくら設定しても止まない。世は末に向かっているのか。
フェイクや詐欺のメールに表現の自由や職業の自由はない。イーロン・マスクやトランプにも表現の自由はあり得ない。以前から感じていたことだが、何らかの法的規制がないと、インターネットは、ごみ溜めになってしまう。
玉石混交、ごみ溜めのインターネットを使いこなす能力という考え方もあるが、それができるの一部の識者か悪人だけだろう。

 

 

7月27日

歴史は繰り返さないが、韻を踏む

80年前の日本、ドイツ、イタリアの枢軸国による第二次世界大戦、80年後の中国、ロシア、北朝鮮、イランの枢軸による力づくの現状変更、国際秩序への挑戦。民主主義と権威主義、民主主義の退潮。ポピュリズムとナショナリズム。
歴史は繰り返さないが、韻を踏む。(アメリカの作家マーク・トウェインの言葉らしい)

悲しいかな、専制的な政権は、口では国のため国民のためと言いながら、ほとんど自分のため自己利益のため、自己保身のためしか動いてないと言う現実。自己保身は、人間の性ではあるが、公的な分野で臆面もなく、自己利益を優先するのは、為政者として失格、問題外だろう。
状況は異なっても、人間の性は古今東西変わらないということか。

 

8月1日

東京国立近代美術館「TRIO」展

竹橋の美術館めぐり事始め

マティスの「トルコの椅子のあるオダリスク」やモディリアーニの「髪をほどいた横たわる裸婦」など、よかった。二次元平面で描きたいものを描いた。辛い人生を突き抜けないと描けない。何があったのか。こういうおおらかで大胆な女性は、私にはとても描けない。

足りない色プライマリーマゼンタと黒と白とイエローレモンとフタロ・グリーン、それにパレット。ついでに、カドミウム・ライトグリーンとマリーゴールドも。

いつ死んでもいいと思ってる人は、死に近いのか。私はどう思っているのか。微妙だけど、命ある限り元気に生きたいものだ。
モジリアニ生きる哀しさと倦怠の眼
魔術師の赤いマチスはよくわからない
炎天下横浜東口喫煙所
喫煙所訳あり人の集う青空

 

8月5日

我が夏衣同じパジャマ普段着スポーツウェア

右目の調子が悪くて

右目、黄斑上膜症手術、左右の目の焦点が合わず、斜視、乱視。左のマブタが腫れて垂れている。

サニブラウン9秒96でも決勝進出ならず。
アメリカの利上げ株下落の余波を受けて、4700円余りの株暴落。株価は31,400円余り。
なんとなく、NISAを始めているが、影響のほどはわからない。まっ、気にしない。そのうち暴落するだろう。

我が夏衣同じパジャマ普段着スポーツウェア
炎天下10キロコースはやめておけ


8月10日
夏の日やボンクラぶりを思い知リ
夏の日や身のボンクラ思い知り

先人の到達した知識、技能、知恵のレベル。それを0から積み上げていかなければいけないと言う理不尽さ。
人間は、外部ストレージを脳に直結して直接利用することができないのだろうか。それは夢ではあるが、それが実現されたら、人間は神の高みに到達したことになるのか。いや、どうだろう。

8月13日

ポルトガル・マルヴォオン村(白い城塞の村)

勝つためのセオリー

パリオリンピックでの日本の金メダル数20個
日本選手の強さの秘密、当たり前のことが普通にできた。
勝つためのセオリーか。
@グループ内での助け合いと励まし合い
A集中的な強化合宿
B優秀な外人コーチの招聘
C評価の高い選手の演技の徹底研究と改良、独創への挑戦

しかし、そんな勝つセオリーならどこの国でもやっているのではないかな。そのセオリーをクソ真面目に実行できるということか。

ようやく、 ポルトガル・マルヴォオン村の絵が出来た。標高800m余りの城壁にか困れた白い村が印象的。くの字に折れ曲がった坂道と角の雑貨屋のある夕方の風景。細かな石畳を描いていたら先生に消されてしまった。

空の色
空には赤か黄色い色が入っている。黄色が入ってももいい感じ。
影を作るときは、黒一色、白は使わないで、水で薄めて伸ばす。

 

8月14日

佐渡汽船にて

お盆、佐渡に帰省

遠き日を懐かし浮かんで越佐航路
幾十回越え来た記憶の越佐海峡

故郷を離れて50余年、私は確かに変わって来てしまった。

芸術は要素の反復のリズムとそこからの逸脱で構成されている。反復と逸脱のバランス。意味から離れて目の前にあるものをそれ自体として感じること。センスの哲学。千葉雅也

西三川の学校蔵Cafe
麹かすを使ったカレー、ハンバーガー、酒カスゼラートなど
廃校を再利用したCafeで、ロケーションがとてもいい。南西向きで海に落ちる夕日がみえるのではないか。
今度、言ってみたいところ、佐渡市羽茂大崎1507-1「にから書店」。山奥の村に書店があるらしい。村の人がぶらっとお茶を飲みに来て、話をして、本を買っていくらしい。

 

8月26日

人類は絶滅危惧にあるのだろうか

ある研究では、世界の人口80億人あたりでmaxを迎えることになり、それから減少に転じるらしい。ポスト原生人類 宇宙生まれの人類の時代が来るかも。
人間には、破壊願望のようなものがあるようだ。だから、人口70億人あたりで自滅しても、なんらおかしくはない。

気になってWikipediaで調べてみた。
世界人口 1800年-2100年(2004年の国連および米国・国勢調査局の評価・推計に基づく)
推定値
統計値
赤:国連の推計値(高位)
黄:国連の推計値(中位)
緑:国連の推計値(低位)

8月28日

資本主義の精神

なぜか、マックスウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 が気になって。
では、仏教徒の労働精神はどうなるのだろうか。
もうリタイヤしてると言うのに、なぜ今労働倫理、職業倫理が気になる。なぜ人は働かなければならないのか。生活のため、より豊かな幸せな生活のために、と言うのはわかるが、それ以上の働きをなぜ人はするのか。マックスウェーバーを読んでもやはりわからない。

「愛なき心情なき享楽人、精神なき専門人、この無なるもの。彼らは人間性の歴史上到達したことのない高みに立っているとうぬぼれている」。勤勉・質素・倹約・貯蓄の果てが、金銭欲・物欲・愛欲か。マックスウェーバーは、資本主義の行きつく先を感じていたのだろうか。

 

9月5日

1ヵ月ぶりのドライブ

御殿場口太郎坊にて
下界の気温は32度、太郎坊は22度。極めて快適。ちょうどこの場所から上に厚い雲がかかっていて、富士山は全く見えず。

9月7日、
成田祐輔対談の中で
資本主義が格差を生み出すなら、民主主義はそれを緩和する機能がある。

斉藤鳥取県知事の対応がひどい。見るに耐えない。ここまでして権力にしがみつく姿は臭悪そのもの。彼は何のために地方政治を目指したのだろうか。
それよりもイスラエル、メタニエフのガザハマスに対する攻撃が限界を超えている。兵士も民間人も区別なしに攻撃している。ハマスは人々の中に紛れている。ハマスを根絶すると言う事は、ガザをパレスティナを全て殲滅するまで終わらない。
第二次世界大戦前やナチスはユダヤを迫害、抹殺した。イスラエルは自分たちがガザに対して行っていることがユダヤ人迫害と裏表になっていることがわからないのだろうか?このままではユダヤはまた世界からパージされてしまう。

 

9月8日

ひなの2枚目の絵

顔と肌の部分を肌色を置く。
影と光をグラデーション分けしておく。
黒と赤を混ぜた髪の毛を書く。
ピンクのセーターを書く。
髪の白の影と光を描く。
バックも調子を見ながら色を置いていく。

 

9月9日

週一回、電車に乗る。東京恵比寿へ。相鉄とJR の乗り入れが2019年11月より始まって、
通勤が楽になつた。計画から何十年経ったのだろう。

みうらじゅんと山田五郎との対談
見たこともないような何かすごい仏像がいい。
お寺さんの奥にしまわれている破損した仏像
壊れたお地蔵さんの良い顔
南無阿弥陀仏を履く空也
宇賀神さんて何?
そういう仏像に美を見いだす。なるほど、みうらじゅんさんのアプローチは納得できる。
9月10日
Aiでも上手に絵を描くし動画も作れる。
しかし人間は人間にしか興味がない。人間が描いた絵にしか興味がないようだ。茂木健
一郎氏

9月12日

我が夏着パジャマ普段着スポーツウェアみな同じ

我が夏着3色混合ワクチンなり
朝食後本読みながら朝寝かな
秋風の吹き抜けてゆく昼寝かな

9月13日
子安クリニック
待つこと40分、診察2分、会計に40分
老人を何だと思っているのか?
困ったものだ。

勝ち負けの問題じゃないと諭されぬ問題じゃないなら勝たせて欲しい 俵万智

 

9月19日

ルネサンス-マニエリスム-バロック

14から16世紀
ジョット 荘厳の聖母1310年、
 ヤンファンエイク夫妻の肖像1434年
 カピメロードの祭壇画1425年
レオナルド 最後の晩餐1498年
ボッチチェリ ビーナス誕生1483年プリマベーラ1482年
ミケランジェロ ダビデ像
ラファエロ 小椅子の聖母1514年システィーナの聖母1515年
16世紀マニエリスム
マンネリズムの語源
バザーリ
ブロンジーノ
バルミニヤニーノ
北方ルネサンス
ヤンファンエイク
デューラー ドイツ 自画像
ブリューゲル ネーデルランドバベルの塔 1563年雪の狩人1565年
フェルメール 真珠の首飾りの少女1665年
バロック17世紀
カトリック教会の対抗改革、絶対王政が背景
レンブラント 夜景、1642年
ベラスケス 女官たち1656年
ルーベンス 幼児虐殺
カラバッジョ バッカスマタイの証明1600年

 

 

9月21日

中国の古典小説4大辞書、
三国志演技、水滸伝、金瓶梅そして西遊記
金瓶梅以外は、近代小説のように、誰か1人で、最初から最後まで書き上げた作品では
なく、多くの人々によって、何百年も語り継がれ演じ継がれ、さらには書き継がれてきた
物語が15、 6世紀になってとうとうと長編小説の形にまとめ上げられたものである。
幻想山蔵602年から64年は実在の構想。幻想は没ほどない頃から、伝説化が進み、や
がて虎を連れていたと言う話が広まって、いつしか、それが猿に変わったらしい。日本で
は孫悟空、猪八戒、沙悟浄。
9月21日
俳句病み絵は行き詰まり秋の暮れ
CP行き詰まりAI先見えず新規事業
ウォーキング夏の終わりのアイスクリーム
黒き実の跳ねてみようか鳳仙花。

 

   
   
   
   
   
   
   
   
 

 

 

photo by miura 2024.
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