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王家の谷 [地図]


ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王の葬祭殿全景。王家の谷の反対側にある谷にある。バックの岩山の岩壁とその上のピラミッドのような小山と一体になって葬祭殿の異様な美しさを演出している。

ハトシェプスト女王葬祭殿[地図]

 葬祭殿はエジプト建築の最高傑作の一つと言われている。祭壇に上がって行く坂道が、途中で幾度もテラスを横切る建築が周囲の風景と調和して素晴らしいという評価である。葬祭殿は3層よりなっており、その前にはテラスが広がっている。1層目が地面に接していて前には写真のように何もない。2層目のテラスは左下の写真のように広い。上にいくほどテラスの幅も狭くなっていく。シンプルで美しい。
 神殿を造ったハトシェプスト女王(B.C.1505〜1484)はトトメスU世(B.C.1530〜1520)の死後、古代エジプト最初の女王となったが、地位を正当化するため、自分は男性であると称して髭まで付けたという。残っている彫刻なども男性の姿をしている。デル・エル・バハリとは北の修道院という意味で、後世、キリスト教修道院として使われたおかげで葬祭殿は破壊を免れることができた。

ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿は3層の階段構造になっている。1段目の広場から2・3段階目を見たもの。
ハトシェプスト女王葬祭殿

 1997年11月17日、この場所でイスラム過激派組織の武装グループ6名が観光客に向けて銃を乱射し、日本人10名を含む外国人観光客58名が死亡するという事件が発生した。

ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿の横にある遺跡類。 古代エジプト的な意匠のレリーフがすぱらしい。

王家の谷 [地図]

 現在まで、64の墓が発見されている。しかし、1922年にハワード・カーターによって発見されたツタンカーメン王以外の墓はすべて盗掘を受けている。どれだけの財宝が歴史の闇に散逸してしまったことか。現在12の墓が公開されている。
 盗掘はBC2000年頃から行われていたようだ。BC1100年にテーベの政府は盗掘団の摘発をおこない、その時の裁判の大規模な記録が残っている。一般人だけでなく墓所の管理役人も盗掘に加わっていた。
 エジプト人が始めた盗掘は、ローマやビザンティンの皇帝たちに受け継がれてローマやコンスタンチノープルを飾り、さらにキリスト教の一派コプト教徒たちは神殿を教会として使い、神殿や墓所に住み着いた隠者や住民がレリーフや壁画を破損してしまった。

王家の谷
王家の谷全景。ここで64の墓が発見されている。バックの岩山がピラミッドをイメージさせる。

 カイロのエジプト考古学博物館にはツタンカーメン王墓から発見された豪華な副葬品が展示されている。ツタンカーメンの墓は王家の谷の中でも最も規模が小さいが、1922年の発見はすばらしい品々を現代に残してくれた。たいした広さでない玄室の中に、あふれるばかりの宝物が入っていたことを考えると、他のファラオの墓にはどれほどの宝物が入っていたのか想像もつかない。
 ツタンカーメンの墓も完成後すぐに盗掘にあっているが、盗人は内部を引っかきまわしわずかな宝を持ち去っただけだったようだ。その後墓地の番人たちによって盗賊に空けられたトンネルをふさぎ、再び封印し直した。さらに百年後、近くにラムセスY世の墓が築かれたので、その作業でツタンカーメン王墓の上には土砂や瓦礫がうず高く積まれ、そこに住居などができていた。それが今日まで盗掘を免れてきた原因らしい。

王墓の壁画
楕円の枠でくくられた文字が王の名前を表していて、「カルツーシュ」と言われる。

王家の谷の発掘風景

 観光客が行き交うすぐ横で、発掘や修復作業が続けられている。
 墓はいくつか公開されているが、内部は撮影禁止。画集や写真からいくつか使わせていただいた。ヒエログリフと絵がすばらしい。

王墓の壁画
美しい女性に美しいヒエログリフ。 ヒエログリフは象形文字である。くさび型文字などに比べ、具体的な形をもっていて、見ていて美しい。 ヒエログリフはBC3000年頃からAD100年ころまで使われていたようだ。

王墓の壁画

 BC1500年頃にこれだけの表現を残せた文明に驚嘆せざるをえない。それにしても壁画やレリーフのイラストや造形のセンスは現代でも色あせないのはどうしてだろう。

デビッド・ロバーツのメムノンの巨像
テーベの平原に立っているメムノンの2つの巨像。 デビッド・ロバーツの夕日を眺めるメムノン像と手前の地域の住民とおぼしき人々の動きがすばらしい。

メムノンの巨像
メムノンの巨像 [地図]

 ナイル川と王家の谷の間に広がるテーベの平原に立っている2つの巨像。かってはアメンホテプ3世の神殿があり、その通路にたっていたものらしい。訪れたときは工事中だったため鉄骨のやぐらがあった。他には何もなかった。風が強い日には、巨像が歌をうたうのだという。左の絵は160年前のメムノンの巨像。ナイル川の水量がおおくなると、このあたり一体は水没していたらしい。絵の住民たちは石を動かそうとしているのだろうか。

盗掘村として有名なクルナ村?
盗掘村として有名なクルナ村? 緑の畑とバックの岩山と住居の白が美しい。

 この王家の墓の近くに古くから盗掘村として有名なクルナ村がある。現在はアラバスターを加工して土産物を売る生活をしている人が多いが、以前は住民の殆どが王墓からの盗品を売って生計を立てていた。盗掘も一つの職業で、紀元前十三世紀以降は家業として代々受け継がれていたという。
 1881年にクルナ村のアブドウル・ラズル家を訊問した結果、古代の偉大なファラオ達のミイラが井戸のそばに雑然と放置されているのを発見し、1週間後、二百人の作業員によってカイロの博物館に運ばれたという。いろいろ面白い話があるものだ。
 写真はクルナ村とは関係ないが、畑の緑と家々の白と岩肌の茶色と青い空のコントラストが美しかった一枚。カイロ市内の空気は最悪だが、一歩外にでると砂漠性気候が心地よい。

ナイル東岸から西岸の王家の谷を見た
ナイル東岸から西岸の王家の谷を撮ったもの。こちらは現世、あちらは黄泉か。

 ナイル東岸から西岸の王家の谷を撮ったもの。王家の谷の手前にハトシェプスト女王葬祭殿がある。エジプトは全土がほとんど砂漠で、ナイル川沿いと地中海のデルタ地帯だけが農耕に適した土地になっている。山らしい山はないが、王家の谷の山は数少ない山の一つ。テーベから近い山はここしかない。
 [地図]

photo by miura 2008.2
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