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西行と吉野山



上千本からの吉野山の全景。
西行がこの山にこもり、芭蕉が弟子の杜国といっしょにこの山に遊んだ。

吉野へ  [地図]

 夏8月、上千本から吉野山を望む。
  でもなぜ8月なのか。理由は簡単、仕事の年末年始となる3月から4月の桜の季節に吉野に来るのは大変難しいから。
 4月には吉野山の馬の背がヒンク色に染まる。その花の頃、是非吉野山に来てみたいものなのだが。そして、西行が愛した吉野の桜に思いっきり浸って染まってみたいものだ。

 吉野は奈良の南、近鉄吉野線の終点吉野駅で降りると、千本口と言われる吉野山の入り口となる。そこからロープウェイで3分ほどで吉野山の下千本に登る。ここから吉野山が始まるが、奥千本のあたりまで歩くと1時間以上かかる。左の写真の大きな屋根の見えるのが世界遺産の金峯山神社。馬の背のように続く長い峯が吉野山の特徴である。


吉野の奥にある金峯神社。 吉野の山のほぼ終点にある。
今でも修験道の人たちが修行をしていた。
こちらは峯神社、吉野の中心にあるのは金峯山神社。


吉野の奥の金峯神社
(きんぷじんじゃ)

 ようやくたどりついた奥千本にある金峯神社(きんぷじんじゃ)。
 何もないただの宮さびた神社。このあたりは今でも修験者が山伏姿で修行をしているという。
 「西行庵」を訪ねたいという明確な目的でもないかぎりこんな山奥にまで来る観光客は少ないようだ。ましてや8月、あたりには誰もいなかった。
 この神社から先を、奥千本という。西行が庵を結んだといわれる西行庵へは、この神社からさらに奥にある山道を徒歩15分程でたどり着く。
 神社の右側の道を行くと西行庵に、左を行くと50mほどで薄暗い杉林の中の「義経の隠れ塔」に着く。

 右側の石畳の山道をさらに登っていくと、いくつかの分岐があり案内板に従って山道を上り下りしていく。二股にある案内板には、左右どちらを通っても西行庵に行けるとある。右側の道を選んだほうが距離が短い。


西行庵への小道。右隅に苔清水がある。
右側の「露とくとく」の碑は風化が激しくほとんど読めない。

 西行は何度も吉野に通ったというが、花の吉野は実はそれほど魅力的な場所だったのではないか。西行庵からの帰り道は別のルートをたどってみた。山腹のやや平らな場所にはあっちこっちにお堂の跡があった。かっては修験道の行者たちのお堂が立ち並んでいて修行をしていたという。

 左の写真のすぐ右奥に苔(こけ)清水がある。左下の道を下ると100m程で西行庵に着く。
 やがて「露とくとく」の清水の場に出る。まさしく苔清水で、滴る水を手ですくい口にしてみる。杉と苔の匂いがあった。ここ数年、雨が少ないせいか清水が涸れかかっているらしい。清水の左右に芭蕉の句碑がある。

露とくとくこゝろみに浮世すゝがばや
(芭蕉「野ざらし紀行」より)
春雨の木下につたふ清水哉
(左下の写真 芭蕉「笈の小文」より)


心細い苔清水。もはや清水ではないかも。850年前の西行の時代の清水と同じものだろうか。

 

西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町ばかり分け入るほど、柴人(しばびと)の通ふ道のみわづかに有りて、さがしき谷を隔てたる、いとたふとし。かのとくとくの清水は昔にかはらずと見えて、今もとくとくと雫落ちける。
 露とくとくこゝろみに浮世すゝがばや
もしこれ扶桑(ふそう)に伯夷あらば、必ず口をすすがん。もしこれ許由に告げば、耳を洗はん。

芭蕉「野ざらし紀行」より


西行庵の前の広場。右に西行庵があり、左は吾妻屋。
西行の歌と芭蕉の句に誘われて、またまたこんなところに来てしまった。来春の桜の季節にもう一度たずねたいものだ。3度目の正直。

  苔清水
 春雨のこしたにつたふ清水哉
 吉野の花に三日とゞまりて、曙(あけぼの)、黄昏(たそがれ)のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、あるは摂政公のながめにうばはれ、西行の枝折(しおり)にまよひ、かの貞室が是は/\と打ちなぐりたるに、われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとぢたる、いと口をし。おもひ立ちたる風流、いかめしく侍れども、爰(ここ)に至りて無興(ぶきょう)の事なり。

芭蕉「笈の小文」より


西行庵
庵の前にある吾妻屋より。この庭を清掃している人がいるのだろう。草むらに沈んでいるのかと思いきやよく整備されていた。西行や芭蕉の思いを大切にしてくれている人に感謝。

西行庵へ

 苔清水からなだらかな道を100mほど下ったところに西行庵跡がある。ロケーションもよく風情のある庵である。まことに、「いととうとし」西行庵といった情趣が溢れる。
 庵の前にたたずんで、句を詠もうとするが何も出てこない。芭蕉もそうだった。(いっしょにするな!)
 なぜ西行は、こんな山奥に世を倦んで3年も住まなければならなかったのか。あまりにも時代がちがっているばかりか、西行という人もよくわからないところがある。生活には不自由しない由緒ある北面の武人だったが、なぜか出家・遁世した。「昔より此の山に入りて世を忘れたる人の、多くは詩にのがれ、歌に隠る」といった芭蕉好みの人だった。芭蕉は、とくとくの清水で憂き世をすすぎたいものだと、普段の芭蕉らしくないやや大きな句を詠んでいるが、西行の出家・遁世の思いに重ねたものかもしれない。


西行庵と前の庭?

 西行には有名な「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」や「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」「世の中を思へばなべて散る花の我が身をさてもいづちかもせむ」などの好きな歌がある。歌聖西行である。この吉野でも、
とくとくと 落つる岩間の 苔清水 くみほすほどもなき 住居かな
と詠んだといわれ、芭蕉の句はこの歌をうけている。だが、この「とくとく」の歌は西行の山家集にはない。「吉野旧記」に初出らしい(「西行」角川文庫 西澤美仁編)。芭蕉はこんな歌をどこから仕入れてきたのだろうか。ただ、吉野での西行の生活の様子を伝える歌がないだけに、この歌は貴重だともいえるのだが。
 まっ、本当かどうかはともかくとして、この西行庵は、十分にさもありなんという感じで、いかにも西行庵らしくて、私には好もしい。


西行庵に安置されている西行像
私も西行や芭蕉の跡を訪ねているが、本当は何を訪ねているのだろうか。風月花の句を詠んでも、本当は何をよんでいるのだろうか。彼らにとって歌や句は何だったのだろうか。

 西行が苔清水の側に庵を結び、芭蕉が「露とくとく」と愛でて、今また900年の時を経てその清水を眼前にすることができる。西行の跡を芭蕉が慕い、芭蕉の跡を、単なるやじ馬の私が追っかける。西行から900年の時を経て、時代と人は変わっても、人は変わらないものだ。仕事や生活が生きる時間のほとんどを占めている私には、西行の花と月の風情と世を厭う思いは解っても、その生き方は遠い。西行とはいったい何者だったのだろうか。
 [地図]
 西行庵には西行の像が安置してある。西行はここで奥吉野の四季を生きたのだろうか。西行がいつ頃この吉野の奥に庵を結んだのかははっきりしない。この場所に本当に西行庵といわれるものがあったのかどうかも確かではないようだ。それにしても安置されている西行像の出来が、やや興ざめ。吉野隠棲の西行がこんな西行であるはずがない。せっかくロケーションがよいだけに、もっと西行らしい西行に出あいたいものだ。だが、西行らしさとは何か、難しい。

西行の略歴と歌へ

 


この桜はイメージ。大池公園の桜山にて。


<無謀にも簡訳>
(1)春になったと聞いた日から、なんとなく、心にかかる吉野山であることよ。
(2)世を捨てすべてを捨てて来た我が身ではあるが、花に執着する心がどうしても残ってしまうようだ。
(3)世の中はやがて散ってしまうはかない桜のようなものだが、さて我が身だが、これはどうしようか。
(4)吉野の桜を見てから、我が心は身体から浮かれ出てしまったようだ。
(5)桜にあこがれ浮かれ出てしまった心は、山桜が散ってしまったら、元の身にもどって来てくれるのだろうか。
(6)桜の花を見ると、これと言った理由はないのだが、どうにも心が苦しい。
(7)浮かれ出てしまう心は、これはもうどうしようもないではないか。
(8)吉野の桜は散ってしまったが、花にとどめた心は次もまた私をまっているだろうか。
(9)霞に煙る吉野の里の人は、峰に咲く桜を見て心がさわぐこともあるだろうか。
(10)春ごとの桜に心を慰められて、はや60歳を越えてしまった。
(11)吉野の桜を思うと、我が心はまたも浮かれてくるのであった。
(12)どうすれば、来世へ持ってゆく思い出として、風の心配をせずに心ゆくまで桜の花を眺められるのだろうか。
(13)春風は、憂き世には留めおかないよと、桜の花を散らしてしまうのだろうか、まことに惜しいことであるなあ。
(14)花よ、散るのならば、私とともに散ってほしい、憂き世をいとう心ある身なのだから。
(15)花が散ってしまった木のもとでは、何をたよりに生きたらよいのか。
(16)どうか散らないでほしいと慕う心、花よ、この嘆きを知っておくれ。
(17)今宵は、木のもとに散った花に埋もれて、飽くことなく梢を思い明かそう。
(18)吉野山の木のもとで、旅寝をすれば、花のふすまのような春風が。
(19)桜の花が風にのって雪のように舞っている。花の笠をきているような春の夜の月であることよ。
(20)散る花を惜しむ心が、また来る春の種になる。
(21)春風が花を散らすその刹那の夢、目覚めても胸のさわぎがおさまらない。
(22)桜の枝に雪がちっている吉野山、今年は花の遅い年になりそうだ。
(23)去年の道しるべとは違った道をたどり、見たこともない花を訪ねてみよう。

西行の花の歌

 西行の吉野遁世の心に、彼の歌を味わうことでいくらか触れることができるものかどうか。私の気になる西行の桜にまつわる歌を以下にあげる。()の数字は「山家集」の番号。

(1)なにとなく 春になりぬと 聞く日より
       心にかかる み吉野の山 (1062)
(2)花に染む 心のいかで 残りけん
       捨て果ててきと 思ふわが身に (76)
(3)世の中を 思へばなべて 散る花の
 我が身をさても いずちかもせむ(新古今集1470)
(4)吉野山 こずゑの花を 見し日より
       心は身にも そはずなりにき (66)
(5)あくがるる 心はさても やまざくら
       散りなんのちや 身にかへるべき (67)
(6)花見れば そのいはれとは なけれども
       心のうちぞ 苦しかりける (68)
 風前落花
(7)うかれいづる 心は身にも かなはねば
       いかなりとても いかにかはせむ (912)
(8)吉野山 花の散りにし このもとに
       とめし心は われを待つらむ (1453)
(9)霞しく 吉野の里に すむ人は
     峰の花にや 心かくらむ (聞書集130)
(10)春ごとの 花に心を なぐさめて
六十(むそじ)あまりの 年を経にける(聞書集132)
(11)さかりなる この山桜 思ひおきて
  いづちこころの また浮かるらむ (聞書集134)
(12)いかで我 この世のほかの 思ひいでに
       風をいとはで 花をながめむ(108)
(13)憂き世には 留め置かじと 春風の
       散らすは花を 惜しむなりけり (117)
(14)もろともに われをも具して 散りね花
       憂き世をいとふ 心ある身ぞ (118)
(15)思へただ 花の散りなん 木のもとに
      何をかげにて わが身住みなん (119)
(16)いかでかは 散らであれとも 思ふべき
       しばしと慕ふ 歎き知れ花 (123)
(17)木のもとの 花に今宵は 埋もれて
       あかぬ梢を 思ひあかさん (124)
(18)木のもとに 旅寝をすれば 吉野山
      花のふすまを 着する春風 (125)  
(19)雪と見えて 風に桜の 乱るれば
       花の笠きる 春の夜の月 (126)  
(20)散る花を 惜しむ心や とどまりて
      また来ん春の たねになるべき (127)
 夢中落花といふことを、せか院の斎院にて、人々よみけるに
(21)春風の 花を散らすと 見る夢は
       さめても胸の さわぐなりけり (139)
(22)吉野山 桜が枝に、雪散りて
 花遅げなる 年にもあるかな (新古今集79)
(23)吉野山 こぞのしをりの 道かへて
 まだ見ぬかたの 花をたづねむ(新古今集86)
 






西行は、花への思いをさる女性への思いと重ねて、歌に詠んだ。さる女性とは殿上人の女御であり、下級北面武士の手に届く相手ではなかった。それにも拘わらず、ひたすら思いを募らせ、花に重ねて昇華したその思いは、ほとんどかなわぬ恋に狂うストーカーのものではないか。西行は、やはり危ない男である。

花に染む西行

 西行の花に寄せる思いは、わからないではないが、やや異常な感じもする。なぜだろうと思っていたら、白洲正子の「西行」に次のように一文があり、大いに納得してしまった。

諸共に われをも具して 散りね花
 浮世をいとふ 心ある身ぞ


 桜への賛歌は、ついに散る花に最高の美を見出し、死ぬことに生の極限を見ようとする。とりわけ、「諸共に」の歌は、花と心中したいとまでいっており、桜を愛する心が、そのまま厭離穢土・欣求浄土の祈りへと昇華されていく。
 西行が吉野に籠ったのは、待賢門院への思慕から解放されるためであったと、私はひそかに思っているのだが、女院の面影を桜にたとえたのは今はじまったことではなく、ここに掲げた二首なども、女院の死を、散る花の美しさにたとえたとしか思われない。

 花に染む 心のいかで 残りけむ
 捨てはててきと 思ふ我身に


 時にはそんな告白もしているが、心ゆくまで花に投入し、花に我を忘れている間に、いつしか待賢門院の姿は桜に同化され、花の雲となって昇天するかのように見える。ここにおいて、西行は恋の苦しみからとき放たれ、愛の幸福を歌うようになる。

 ねがはくは 花のしたにて 春死なむ
 そのきさらぎの 望月の頃

・・・ 」 (新潮文庫「西行」白洲正子著)

 20歳そこそこの西行が17歳も年上の待賢門院璋子に本当に恋していたのだろうか、それは私には分からない。だが、どうやら高貴な人の誰かに恋をしていたことは間違いないようだ。西行は、無骨な顔つきをしているが、女性には結構もてたようだ。

 花への思いを、さる女性への思いと重ねて読むと、ぞくっとするほどしっくりときて納得してしまう。そうでなければ、西行の桜の花への異常な思いは理解できない。西行は、さる人への思いの苦しさの中から、それを花への愛に昇華させたのだろう。そんな切ない恋は、もはや望むべくもないが、羨ましくもある。
 まっ、そういう鑑賞の仕方、楽しみ方もあるということにしておこう。

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