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「ブッダ最後の旅」大パリニッバーナ経(抄)
中村 元 訳(岩波文庫)
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メニュー 仏陀について |
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仏教の開祖ゴータマ・ブッダの死は、それを述べている代表的な経典である「大パリニッパーナ経」により知ることができる。この書はパーリ語の原文から邦訳されたものである。原文の題からは「大いなる死」となるが、わかりやすく「ブッダ最後の旅」と訳されている。
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この書から、ブッダの最後の旅の様子や死の原因やその時のブッダの言葉など、詳しく伝えられている。
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弟子たちへの信頼、悟った人の心のありよう、そしてブッダ最後のことば「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」、修行完成者のことばは2,500年の時を超え、私の心を揺さぶる。
恐らく、老人の仲間入りしている私にとって、深いところで生きる励みとなり動力となることばは、仏陀の『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』である。諸行無常、盛者必衰の世にあって、死の際まで怠らず努めて修行を完成させなさい、という仏陀のことばは生きる希望のようなものを与えてくれる。さて私は、どのような修行を完成させようか。
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インドのアジャンタ洞窟26の仏陀涅槃像 |
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第2章
9.旅に病む ベールヴァ村にて
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「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない。『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた人は、『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。
アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。譬(たと)えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ。
しかし、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく一部の感受を滅ばしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、彼の身体は健全(快適)なのである。
」
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それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
では、修行僧が自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころととしないでいるということは、どうして起こるのであるか?
アーナンダよ。ここに修行僧は
身体について身体を観じ、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
感受について感受を観察し、 熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
こころについて心を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
諸々の事象について諸々の事象を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
アーナンダよ。このようにして、修行僧は自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるのである。
アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にあるであろう、----誰でも学ぼうと望む人々は----。」
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第3章
13.死別の運命 |
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そこで尊師は修行僧たちに告げられた、
「さあ、修行僧たちよ、わたしはいまお前たちに告げよう、-----もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成なさい。
久しからずして修行完成者は亡くなるだろう。これから三カ月過ぎたのちに、修行完成者は亡くなるだろう」と。
尊師、幸いな人、師はこのように説かれた。----
「わが齢は熟した。
わが余命はいくばくもない。
汝らを捨てて、わたしは行くであろう。
わたしは自己に帰依することをなしとげた。
汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、
よく戒めをたもて。
その思いをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれかし。
この説教と戒律とにつとめはげむ人は、生まれをくりかえす輪廻をすてて、苦しみも終滅するであろう」と。
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第4章
16.鍛冶工チュンダ |
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そこで鍛冶工の子であるチュンダは、その夜の間に、自分の住居に、美味なる噛む食物・柔らかい食物と多くのきのこ料理とを用意して、尊師に時を告げた、「時間になりました、尊い方よ。お食事は準備してございます」と。
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さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、激しい病が起こり、赤い血が迸(ほとばし)り出る、死に至らんとする激しい痛みが生じた。尊師は実に正しく念(おも)い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。
さて尊師は若き人アーナンダに告げられた、「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラーに赴こう」と。
「かしこまりました」と、若き人アーナンダは答えた。
このように、わたくしは聞いた。
----鍛冶工であるチュンダのささげた食物を食して、
しっかりと気をつけている人は、ついに死に至る激しい病に罹(かか)られた。
菌(きのこ)を食べられたので、師に激しい病が起こった。
下痢をしながらも尊師は言われた。
「わたしはクシナーラーの都市に行こう」と。
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17.臨終の地をめざして プックサとの邂逅(かいこう)
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「与える者には、功徳が増す。
心身を制する者には、怨みのつもることがない。
善き人は悪事を捨てる。
その人は、情欲と怒りと迷妄とを減して、束縛が解きほぐされた 」と。
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第5章
18.病い重し |
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さて、尊師は若き人アーナンダに告げた。
「さあ、アーナンダよ。ヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーのマッラ族のウバヴァッタナに赴こう」と。
「かしこまりました.尊い方よ」と、若き人アーナンダは尊師に答えた。
そこで尊師は多くの修行僧たちとともに ヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーのマッラ族のウバヴァッタナに赴いた。そこに赴いて、アーナンダに告げて言った。----
「さあ、アーナンダよ。わたしのために。二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。わたしは疲れた。横になりたい」と。
「かしこまりました」と、尊師に答えて、アーナンダはサーラの双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いた。そこで尊師は右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、正しく、念い、正しくこころをとどめていた。
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2 |
さて、そのとき沙羅双樹が、時ならぬのに花が咲き、満開となった。それらの花は、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。また、天のマンダーラヴァ華は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。天の栴檀(せんだん)の粉末は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。天の楽器は、修行完成者に供養するために、虚空に奏でられた。天の合唱は、修行完成者に供養するために、虚空に起こった。
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・・・
そうして、アーナンダよ。どのような道理によって、修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人については、人々がかれのストゥーパをつくってかれを拝むべきであるか? アーナンダよ<これは、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人のストゥーパである>と思って、多くの人は心が浄まって、死後に、身体が壊れてのちに、善いところ・天の世界に生まれる。アーナンダよ。かれのストゥーパをつくってこれを拝むべきである。・・・
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19.アーナンダの号泣 |
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若きアーナンダが一方に座したときに、尊師は次のように説いた。
「やめよ、アーナンダよ。悲しむな、嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、---すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊されるべきものであるのに、それが破壊しないように、ということが、どうしてありえようか。アーナンダよ。そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、向上し来れる人(=コータマ)に仕えてくれた。アーナンダよ。お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。」
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第6章
23.臨終のことば |
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アーナンダよ。修行僧の集いは、わたしが亡くなったのちには、もしも欲するならば、些細(ささい)な、小さな戒律箇条は、これを廃止してもよい。
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そこで若き人アーナンダは尊師にこのように言った。
「尊い方よ。不思議であります。珍しいことであります。わたくしは、この修行僧の集いをこのように喜んで信じています。ブッダに関し、あるいは法に関し、あるいは集いに関し、あるいは道に関し、あるいは実践に関し、一人の修行僧にも、疑い、疑惑が起こっていません。」
「アーナンダよ。お前は浄らかな信仰からそのように語る。ところが、修行完成者には、こういう智がある、<この修行僧の集いにおいては、ブッダに関し、あるいは法に関し、あるいは集いに関し、あるいは道に関し、あるいは実践に関し、一人の修行僧にも、疑い、疑惑が起こっていない。この五百人の修行僧のうちの最後の修行僧でも、聖者の流れに入り、退堕しないはずのものであり、必ず正しいさとりに達する>と。」
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7 |
そこで尊師は修行僧たちに告げた。---
「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」
これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。
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アジャンタ洞窟26の仏陀涅槃像 |
若冲の涅槃図 (若冲の実家は青果店だった) |