「ブッダのことば」スッタニパータについて 中村元 訳(岩波文庫)より

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  仏陀について

 仏教の開祖である仏陀のことを知りたければ、仏陀に直接聞くのがよい。
  「ブッダのことば」(岩波文庫)は「スッタニパータ」の訳である。「スッタ」は「経」、「ニパータ」は「集成」の意味。「スッタニパータ」は、仏教の多数の経典のうちでも、最も古いものであり、歴史上の人物としてのゴータマ・ブッダ(=仏陀・釈迦・釈尊)のことばに最も近い詩句を集成した経典のひとつといわれている。
 仏陀が逝去したのは北方伝説(仏陀についての北方に伝わった諸伝説。南方の伝説では別の説がある)によると紀元前383年頃で、仏弟子たちがその教えの内容を簡潔なかたちでまとめ、あるいは韻文や詩のかたちで表現したものが「スッタニパータ」である。この中には弟子たちだけでなく、ブッダ自身がつくった詩句も含まれているとみられている。
  「スッタニパータ」の原文は昔の俗語の一種である「パーリ語」で書かれている。また、当時の話し言葉に近いかたちで書かれている。日本語訳は原文に近い「話しことば」の気分をだそうとして大変な苦労があったようだ。(「ブッダのことば」中村元 訳(岩波文庫)より)
 
 スッタニパータは、「発展する以前の簡単素朴な、最初期の仏陀の教が示されている。そこには後代上座部、大乗の煩瑣な教理は少しも述べられていない。仏陀:ブッダ(釈尊)はこのような単純ですなおな形で、人として歩むべき道を説いた。かれには、みずから特殊な宗教の開祖となるという意識はなかった。修行者たちも樹下石上に座し、洞窟に瞑想する簡素な生活を楽しんでいたので、大規模な僧院(精舎)の生活はまだ始まっていなかった。
  それと同時にこの書は、現代のアジア仏教圏にとっても非常に重要な意義をもている。例えばスリランカでは、結婚式の前日に、僧侶を幾人も招待して、祝福の儀式を行う。」(「ブッダのことば」中村元 訳(岩波文庫)より)
 その場合、僧侶はこのスッタニパータのうちの「慈しみ」や「宝」や「こよなき幸せ」の一説を唱え、続いて説教を行い、若い二人の人生の旅立ちにあたっての心得を諭し、祝福を述べるのだという。

 このページは、そんなスッタニパータを読んで、個人的な興味関心から断片的にノートをとっていたものだが、だんだんと項目が増えてしまったものである。2,300年前のブッダの言葉が、どうして、ほとんどそのままの言葉で受け入れられ、現代を生きる私の心を揺らすのか。といっても、私が仏陀のことば、言いたいことを完全に理解している、ということではまったくない。なにしろ、自己への執着やこだわりを超えて他者とつながる、そんな簡単な生き方がどうしてもできない。スッタニパータのことばをいろいろ考えてみると、いろいろ矛盾するようなとこをいっているように思う。自分を大切にするのか捨てるのか、他人と親しく交わることは良いことなのか悪いことなのか。家族は特別なのか他人と同列なのか、人を愛することは良いことなのか超えるべき執着、欲望なのか、人生は生きるに値するのか、その意味はどこにあるのか。
  人間というのは、古今東西つくづく変わらないものだと思う。ブッダのスッタニパータは、人間の生き方の根源的で普遍的な部分、特に生き方・考え方や倫理的なものに触れているのに違いない。この本を迷いの多い若いときに読みたかった。だが、やはり理解は遠かっただろう。煩悩の凡夫に仏陀のことばはいつまでも重い。

「犀の角」への思い

 「犀の角」のように独り歩めは、仏陀の、孤独な修行者たちへの熱い思いが伝わってくる。「八つの詩句の章」では、ものの見方が考え方やが説かれている。孤独な修行者・求道者の面影が深いが、やはり後に続く若き修行者への応援歌であるように思う。仏陀のものの見方は極めて根源的で明晰であり、現代における実存的なものの見方や現象学的な見方にも通じているものがある。
  だが、現代日本の仏教と仏陀の原初的な思想=スッタニパータ的なものとがどういう関係にあるのかないのかよくわからない。大乗仏教(北伝仏教)や小乗仏教(南伝仏教:上座部仏教)と言われる仏教・経典が仏陀の考えとどう関係しているのかもよくわからない。生きるとはどういうことか、覚りとは何か、解脱とは何か、往生とは救いとは何か、人はどこから来てどこへ行こうとしているのか。現代仏教はともかくとして、仏陀の思想は現代においてもっと評価されてもよいのではないかと思う。

  仏陀を生んだ当時のインドがどのような時代であったのかはよくわからない。B.C.1500年頃にはアーリア人が侵入し、バラモン教を興していた。すでに身分的・職種的なカーストが始まっていた。仏陀はB.C.500年頃、現在の北インドとネパールの国境付近で暮らしていた、アーリア系シャカ族の王族の王子として生まれた。「カピラ城の王子」といわれる。王子は、人々の「生・老・病・死」の現実に悩んでいた。自身は地方の王族につらなる者てあったが、カーストの頂点にたつバラモンたちの堕落と底辺カーストで差別と貧困にうごめく人々をみつめ悩んでいたに違いない。仏陀の思想は、反カーストであり、輪廻に縛られた人々の解放であった。そして何よりも修行者である自分自身の解放の思想であった。仏陀は、当時の支配的な思想であり宗教であり文化であったバラモン教に対して、人間の根源的なありようから、敢然と反旗を翻した新興宗教であり、新興思想であった。

 私もまた燃え残りのような人生の、新たな旅に出よう、仏陀のことばを糧に。

仏陀のことば

39 「林の中で、縛(しば)られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明(そうめい)な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。」

56 「貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆(おお)うことなく、濁(にご)りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。」

70 「妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。」

75 「今の人々は自分の利益のために、交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。」

143 「究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和(にゅうわ)で、思い上がることのない者であらねばならぬ。」

144 「足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪(むさぼ)ることがない。」

145 「他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」

148 「何びとも他人を欺(あざむ)いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。」

149 「あたかも、母が已が独り子を命を賭(か)けて護るように、そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意(こころ)を起すべし。」

7  そこで尊師は修行僧たちに告げた。---
 「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」
 これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。