「ブッダのことば」スッタニパータ  中村元 訳(岩波文庫)
第一 蛇の章
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  4.田を耕すバーラドブァージャ  より抜粋

 わたしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はマガダ国の南山にある「一つの茅(かや)」というバラモン村におられた。そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、種子を捲(まく)く時に五百挺(ちょう)の鋤(すき)を牛に結びつけた。

 そのとき師(ブッダ)は朝早く内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャが仕事をしているところへ赴かれた。ところでそのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは食物を配給していた。

 そこで師は食物を配給しているところに近づいて、傍(かたわ)らに立たれた。田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、師が食を受けるために立っているのを見た。そこで師に告げていった、

「道の人よ。わたしは耕して種を播(ま)く。耕して種を播いたあとで食う。あなたもまた耕せ、また種を播け。耕して種を播いたあとで食え。」と

(師は答えた)、「バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。耕して種を播いてから食う」と。

 (バラモンがいった)、「しかしわれらは、ゴータマさん(ブッダ)の軛(くびき)も鋤(すき)も鋤先も突棒も牛も見ない。それなのにゴータマさんは『バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。耕して種を播いてから食う。』という」と。

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは詩を以て師に呼びかけた。

76

「あなたは農夫であるとみずから称しておられますが、われらはあなたが耕作するのを見たことがない。おたずねします。──あなたが耕作するということを、われわれが了解し得るように話してください。」

77

(師は答えた)「わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。知慧がわが軛(くびき)と鋤(すき)きである。慚(はじること)が鋤棒(すきぼう)である。心が縛る縄である。気を落ちつけることが鋤先(すきさき)と突棒(つきぼう)とである。

78

身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたしは真実をまもることを草刈りとしている。柔和が私にとって(牛の)軛(くびき)を離すことである。

79

努力がわが(軛をかけた牛)であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至ったならば憂えることがない。

80

この耕作はこのようになされ、甘露の果実もたらす。この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。」

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、大きな青銅の鉢に乳粥を盛って、師(ブッダ)にささげた。──「ゴータマさまは乳粥をめしあがれ。あなたは耕作者です。ゴータマさまは甘露の果実をもたらす耕作をなさるのですかから。」