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俳句徒然日記2025年

1月3日

宮崎へ2泊3日の旅行

へいすけの4名、かなの2名、総勢8名。
何のお祝いか忘れてしまった。招待されるのかと思いきや、旅行費用はすべて割り勘でした。
みんなで楽しく、いい旅行でした。何しろ泊まった宿の部屋の広さが素晴らしかった。孫たちははしゃぎまくっていた。私はただにこやかに呆けていた。

初めての家族旅行はいいものだ
75年そんな日もあるお正月
動物園そぞろ歩きの三世の契り

1月9日

右目の斜視手術後

右目の斜視を手術して治したら、歪みは治るのだろうか。右目では未だものが歪んで見える。波が縦に揺れて長体がかかって見える。左目との焦点が合うとだいぶ補正されるようだ。
冬の日や仕事がなくなって寂しい
冬の日に今日も黙ってウォーキング
冬の日や目見えて嬉しいモンキー125
目の焦点やや合って嬉しい冬の夕べ

 

1月10日

朝の光のその中で

冬の朝眼の細胞の動きが見える
風バイク乗ってかろやか運動公園へ
冬の日にバイクに乗りて運動公園へ
誰もいない運動公園の1人ウォーキング
方丈記独唱しながら柔軟体操

寂しさの徒然に手紙をしたためています。(陽水)
こんな文句をつぶやきながらウォーキング400m10周。その後、覚えたての方丈記・序文の独唱。ああいい気持ち。

1月12日

アンリ・ルソー《眠るジプシー女》1897年
この絵は、おかしさ滑稽さを漂わせながら、何か気になる。

優しさの徒然に

優しくなければ生きる甲斐がない、だが、優しさは滅びの姿でもあろうか。
「 未だ生を知らず、いずくんや死を知らん」。これは孔子の論語に出てくる言葉らしい。
「未だ死を知らず、いずくんや生を知らん」。生も死もよく分からないということでは同じということ。
知っているけどよく知らない。知らないけど知っている。こんな言い方は、擬制っぽくていやらしいな。神でもない限り、人間は生も死もその本当の意味を知りえないのだろう。だが、それにも関わらず、死は逃れられない宿命だし、死ぬまでは生きねばならない。

1人行く野行き山行き枯野行き
夢かうつつかわからぬまま生きている
夢か現実か境があいまい寝覚めかな
死と隣り合わせの昼寝かな

 

1月17日

最寄り駅はJR相模線・宮山駅、そこから徒歩5分ほど。
シンプルな単線のJR相模線が面白くて。

寒川神社詣で

冬の朝稚児二人づれの若者優先す
爺婆も猫も杓子も恵方饅頭


A棟のKさん、よくしゃべるMさん、みんな楽しく初詣。

寒川神社のねぶたの山車のような中門の飾り。確かに、びっくりした。なんかすごい。

 

1月18日

蕪村・応挙の余興的共作、その模写。
「じじばばも猫もしゃくしもおどりかな」(蕪村)
蕪村には失礼な絵になってしまったかな。申し訳ない。特に、書の基本が出来ていない。

冬の運動公園にて

枯れ芝生に俺の影踏ウオーキング
おばあさん半周我一周


ソーシャルビジネスを育てる。横浜の企業支援ますます千田友香さんはいう、
社会的課題に気づいた人が専門性のある人や立場の違う人と対話し、解決に向けた人を整える、そんな出会いの場にしたい。こういう活動に期待したい。

AIを利用したシステムの開発、事前学習により知識や情報を持ったAI利用による事業プランへの積極的参加。AI事業に関わる事業の社内開発体制の整備を急ぐこと。

<ひなの肌の描き方覚え>
・肌色の影の部分の表現に細心の注意を。
・透明感を出すために青色をちょっと混ぜる。難しい。
・黄色人種なので、黄色系茶色系を少し入れる。
・影の部分にローズマリーの黒の他、赤を加えてみる。
・盛り塗りは無理。

 

1月21日

 

今日は朝から曇り空

アメリカではトランプ2が始まろうとしている。リベラルな指向が否定され、ナショナリズムとポピュリズムが幅を利かせることになりそうだ。この時代になんという悲しさ。
リベラルな考え方の否定、地球温暖化などの環境政策の転換、アメリカファーストによる移民と多様性の否定、カナダ、グリーンランド、パナマ等への不用意な発言、「脅し外交」というらしい。経済優先、偉大なアメリカ優先など、アメリカ国内での分断と格差はいっそう進むことになるだろう。トランプは、ただ自分が偉くなりたい、偉大になりたい、名誉名声を得たい、自分の犯した犯罪を無しにしたい、と言うようなことしか考えてないように見える。
自分優先、自分の経済的、利益優先、平気で嘘を言う、ほとんど虚偽による詐欺と当然、こういうのは人間としていかがなんでしょう。アメリカ人は何も考えてないのか。民主主義と文化の破壊、価値観なし、思想なし。こんなトランプをなぜ支持するのか。いくらインフレを抑えられず、さらなる経済的停滞にアメリカの先行きは暗い。

ポピュリズムとナショナリズムのトランプ主義は、堕落したリベラルへの対抗として生まれてきた。ある意味、リベラルにはトランプを招いてしまった責任がある。トランプをどう超えるのか。

 

1月23日


ゴッホ「馬鈴薯を食べる人たち」 1885年
ゴッホは、社会的な弱者や不遇の人々に対する思い入れが深く、農夫や炭鉱夫をたくさん描いた。不遇の娼婦と結婚し子供2人も引き取ろうとしていた。家族親族の大反対で断念した。

幸せになることに罪悪感を感じる

人間は相手と向かい合った時、自分の右目は相手の顔の右半分を見、左目は相手の顔の右半分を見る。相手の右目は自分の左目で見、相手の左目は自分の右目で見る、ということが体験:的にわかった。
私の右目は左目で見たものより、ちょっと下に下がって見える。そうすると、相手の顔の右目と左目のバランスがおかしくなって、左目が落ちて、左右の目がアンバランスに見えて、笑ってしまうこともある。この症状は6月までに治るのだろうか。それとも再手術か。なるようにしかならないか。

「幸せになることに罪悪感を感じる」というようことを、太宰やカフカが言っている。弱虫は自分の幸せさえ恐れるものらしい。
彼らの思いとは、ちょっと違うが、世界に戦禍や貧困、差別と疾病の不幸に泣いている人がたくさんいるのに、自分が幸せになることなど出来ない、と暗く沈んでいる自分を感じる私はやはりどこかおかしいのだろうか。
度を越した他者配慮的・愛他的傾向は、あのゴッホも強かったようだ。ゴッホは他者への配慮ややさしさが深かったが、思い込みも度を越していた。愛する女性に、その愛を断られてもストーカーまがいのことをしていたらしい。

 

1月28日

第二東名の工事中の橋。バランスドアーチ橋という。新秦野IC〜新御殿場IC間にかかっている。

丹沢湖へ久しぶりのドライブ

ドライブに出たのは、右目の手術後の調子を見るためと車のバッテリー上がりを防ぐため。
調子よくドライブできたのがうれしい。左右の目のアンバランスは大分改善してきた。丹沢湖畔を散策。日差しが軟らかく、カラカラと枯れ葉踏む音が快い。のんびりとコーヒーでも入れてボーとしていたい気分。今度は、お湯とパックのコーヒーとカップを持って来よう。

冬の日に想い湧き出る遠出かな
人生がこんなふうに過ぎて幸せか
朽ちかけてなお生きている老桜

1月29日

下書きは空っぽの空によく似合う

冬夕べ三浦少年徘徊す

トラトストラは、賢者を落としめ貧者の徳を諭す。トラトストラは権威あるものの虚偽を暴き否定する言説が快いが、よくわからない。

そういえば、思い出した、高校に入ってメガネをしてから世の中が変わって見えて気落 ちしたことを。野球部の球拾い、石拾い、グランド整備も止めてしまったこと。そんなこともあった。何を考えていたのだろう。何も考えていなかった。なぜかトランペットを買ってもらって練習していた。

青春は空っぽの下書きかな
トラトストラ価値否定の悲しさに
人の世の悲しさ虚しさトラトストラ


1月31日

外は寒く本を読んでは居眠る

我が家内炊事洗濯掃除を喜べり
しかして亭主はゴロリ昼寝てぐうたりる
亭主は昼寝て呆けてぐうたりる

2月4日

小鳥より観察人が多い泉の森

大和市の泉の森公園にて

モンキーを駆って泉の森公園へ。
小鳥より観察人が多い泉の森


絵の教室に出なくなった人。LINEにノー返事、死んだかもしれないNさん。それはいくらなんでも。そんなとんでものK先生。

月天頂冬枯れの街を歩きけり

バイクのマルタ越えは座った姿勢では後ろに引く感じ。
立った姿勢では膝を曲げて後ろに伸ばす。またはリアタイヤは抜重する感じで。

絶賛ケーキらしい。
ローソンのフォンダンショコラシュウ
ミニストップのベルギーチョコ
ファミリーマートのチョコシュウ
ファミマの濃厚ショコラロール

2月9日

雪舟『秋冬山水図』(冬景図)(東京国立博物館)Wikiより

色即是空日本的霊性

AIは、俳句も短歌も作れるし、小説でさえ書いてしまう。人間が普通にできる事は、AIは難なくやってしまう。俳句で芭蕉の句を20句くらい学習させて蕉風の作句ができるか試してみた。できた。立派なものだが、評価はよくわからない。俳句ってそんなものなのか。
創造性、普通の人間が創造することができるなら、AIも普通にそれに近いことができる。普通以上のことができるかどうか。出来そう。

絵画は、西欧においては壁掛け、壁を飾るものに近い。東洋においても、床の間に飾られたり、さんの上の壁に飾られたりする。壁掛けのものと言うよりは、日本的霊性が深く感じられるものでなくてはならない。水墨画は、仙人の住む桃源郷や、雲や霧の中、人里から離れたとても人が住めないような幽玄な山が描かれる。人はその画を見ていろいろな想像を膨らませて楽しむ。東洋的な隠遁隠棲の世界に遊ぶ。水墨画は深い。

絵画が、西洋では壁掛けだとしても、印象派の絵はどれも印象的で素晴らしい。生活、労働、余暇を楽しむ印象派。水墨画はもともと東洋の印象派のようなものか。

 

2月10日

我が才能の乏しきを嘆く

俳句を作りては月並み、絵を描いてヘボ素人、音楽は耳悪いし、本を読んでも読解力なし、身に付かない。ジョギングは膝を壊してウオーキングに、山登りは限界近し。バイクの技術も覚束なし。
藝術に憧れがあるも才能なし、散文も表現は好きだが特段の才能はなし。老齢にも拘わらず金銭欲、物欲だけはいまだ拭えず。
不祥の阿弥陀仏両三べん申して止みぬ。

2月13日

ホンダドリーム横浜旭店へ

何を思ったか、XL750トライザンプ購入契約。
ボケ防止か日本放浪の旅に出たいがためか。いや、体力・視力・筋力の確認のためか。残り少ない人生、またしても青春の暮れ残りのXL750か。

我が心慰めかねつトランザンプ

自由と共同体の市民から企業商品の消費者へ、勤倹貯蓄から投資家への変貌。資本主義の行きつくところか。
株主の圧力を受け、コスト削減、賃金抑制に動き、労組は資本に丸め込まれ賃金を上げられずに衰退する一方。

現代の資本主義は市民社会を破壊するのか。
「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間がかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」(マックス・ウェーバー)

目指すものは精神のない享楽か
トランプやこの悲しき無なるもの

 

2月15日

足腰の脆弱に抗して

スクワットは、膝ではなく足裏全体に意識を持っていく。そうすると膝への負担が軽減する。なるほど、確かに、でも。

夕暮れに影を慕いてウォーキング
夕暮れや我に力をウォークング


今日もまた、「求めよ、さらば与えられん」。この前向きな積極性が、私に行動を促す。だが、方向性の見えない行動とは何だろう。
多様性は認めるが、価値相対主義はないのでは?では資本主義と共産主義ではどうか。それぞれ良いところも悪いところもある。良いとこどりすれば。宗教の多様性は認めるが、イスラムの女性差別は許せない。それでも西洋中心的な文化社会論には腹が立つ。


2月18日

76点夫婦揃ってへぼボーリング

日本人はやはり仏教文化が根付いているのかもしれない。
仏陀が言ったとか言われる5箇条、
(1 人を殺してはならない。
(2 人のものを奪ってはならない。
(3 嘘を言ってはいけない。
(4 淫蕩は慎むべし。
(5 飲酒も控えるべき。
これは仏教的倫理だが、人間の生き方の指針として良い線いっているように思う。ブッダは紀元前から、フェイクを流してはならない、騙してはいけないと諭している。トランプのように、暴言、虚言、妄言、フェイクを垂れ流すのも自由には違いないが、それは人の道に反する。人の道に反する行いをする人は地獄に落ちる、ということになっている。キリスト教的倫理ではどうなのだろうか。

大寒波佐渡は寝たかや雪の中
お金が嫌いお金が好き春の宵

2月21日

孫のひなの絵

人物画修行

孫のひなの幼いときのコップを持っている絵を描いているがうまくいかない。人物画の描き方を研究せねば。
顔の構成の各部位の比率をよく測ること、顔の輪郭線を注意深く描く、肌の色はどうあるべきか。全体の表情の表現は狙い通りか。
(1カップを作業に広げる ok
(2 Tシャツとカップに絵を書く。
  顔が面長になっている。ok
  鼻が長いので縮めて全体に上に上げる。ok
(7左手の指をもう少し長くするok
(6肌色をもっときれいにx
(3バックのブルーはいかがなものかok
(4後のテーブルはもっと明るくても良いのでは?ok
(5 Tシャツはもっと白くする。ok
@顔と手に陰影をつける。立体感を出す。
A影は黄色系を多くする。
  花をもっとリアルに

水曜日の午後Tさん、土曜日の午後Iさん、女性1人

2月23日

ゴッホ「ジャポネズリー:梅の開花」1887年

人物画、肖像画と言われるもの

絵画は何を表現するのか。絵画において、対象をリアルに再現するのか、理想化して表現するのか。対象の特徴的な部分を取り出し、強調して表現するのか、特徴的な部分は残しながらも、理想化して表現するのか。

浮世絵における表現は、リアルと理想化と特徴の顕在化、リアルと理想化の様々な形態の多様な表現だといわれる。
大胆な構図、色彩豊かな動きのある人物表現。緻密で手練れた線画。面白おかしく、楽しく戯画化の浮世絵。

三次元の現実を、二次元の絵の世界の中で三次元的にいっそうリアルに描く、こういう写実、再現はどうなのだろうか。絵画としては魅力に乏しい。つまらない。
三次元の現実をいっそうリアルに描くことで精神性を表現する。
顔の表情の再現ではなく、心の内に秘めた感情、精神、意思を抽出し表現する。リアルを徹底することで
現代の絵画は自由である。幸福感、憂鬱、不安、憂い、揺れる思い、複雑な人間感情、優しさ、悲しさ、現代的感性、魅力的なもの、正しさ、醜悪さ、止められない欲望、平常に潜む狂気、何を描いても自由。


2月24日

「方丈記」に挑戦中

鴨長明方丈記、その序は暗誦済み、むすびは3割方暗唱。
方丈記のむすびの部分に挑戦中だが、苦戦。記憶力と緊張感に欠ける。致し方なしか。
「住まいも人も無常争うさま朝顔の露にことならず」
人の世のはかなさ、無常感が強い。こういうものに惹かれるのは老いたからか。
方丈記は、序文と最後のむすびの部分の叙述がぐっときて引き付けられてしまうが、本文は事実関係?の記述が中心でつまらない。
方丈記の無常感から来る「捨てる」生き方は、しみじみとした終活感が味わえる。「捨てる」生き方は、実際には現世への未練が後ろ髪を引っ張るので難しい。

孫のひなの幼少期の絵を描いている。9割方出来たがなかなか納得できない。 でも風景画より人物画のほうが面白い。表現に非常に気をつける。

2月25日

宮ケ瀬湖の鳥井原園地より

久しぶりにモンキーでドライブ

1人来て1人楽しむ宮ヶ瀬湖
こんなふうに流れゆく人生眺めおり

私は何者なのか。何がしたいのか。
俳句、絵画、バイク、ウォーキング、読書、山歩き、だが、まだ何かが足りない、といっている。何がかけているのか。現世への未練か。
音楽も楽しんでみたいな。トランペットも練習したい。

2月27日

正しく反抗し、正しく戦う

そういえば昔カミューの反抗的人間とサルトルの革命的人間と言う議論があった。
カミューは、目的は手段を正当化すると言う考えに反対した。サルトルは目的が正しいなら過酷な手段であっても、場合によっては採用すべきだと言う考えに立っていたと思う。
若い私は無条件にサルトルの考えを指示していた。その後の人生では、正義のためとは言え、手段が正義に反するようなら、そんな手段は採用すべきではないと言う考えに揺れた。だが、近年のプーチン、トランプや習近平、金正恩、こういう連中がやりたい放題、強権をきかせてくると、やはり多少強引な方法であっても何とかせねばと言う思いを強くする。
正しく反抗する、正しく戦うとはどういうことか。

 

3月1日

モンキーで城ケ島へ

三浦半島1周のツーリングに出発、9時50分。11時20分横須賀三笠公園着。城ヶ島で海鮮丼の昼食にしようと思ったところ、どの食堂も混みすぎでキャンセル。コンビニ・あんぱんで我慢。疲れた、でも楽しかった。16時30分帰宅。


3月2日、

アメリカは終わってしまったのか

2月28日のトランプとザレンス大統領との会談が決裂したらしい。ウクライナの鉱物資源 の権利をよこせとトランプは言う。権利を半分渡してもいいが、引き換えにウクライナの安全を保証してくれとセレンスキーは言う。トランプは鉱物資源の権利をアメリカが持つことが補償になるんだと言う。ゼレンスキーは保証を確約するため、ウクライナのNATOへの壁を認めてほしいと言う。トランプはそれを無視する。
アメリカの第一主義の姿勢に対してウクライナは自由と民主主義の国際秩序の確立を優先すべきだと主張する。立場の違いが鮮明になる。
ウクライナは血を流して侵略者ロシアと戦っている。アメリカはそれを題材にして自国第一主義の商取引をしようとしている。
トランプのこの姿勢はどこから来るのだろう。アメリカ国民はこの程度のレベルなのか。こういう人間を指導者にするのか。アメリカは終わってしまったのか。

 

3月3日

なぜ描くのか

絵画の要諦?
@観察力、A想像力と発想力、B表現力、C感受性、D問題解決能力、E自己理解、F自己表現。

写実を抑えながら、表現したいものの特徴を抽出して、象徴的に描画する。

孫のひなの絵が、ようやく出来上がった。まだまだ表現力がたりない。それにしても人物画は難しい。

春の日やついに三世の契りかな
(蕪村のもじり)


3月6日

ミネルヴァのフクロウも見えず春夕べ

6時47分または7時3分二俣川発に乗る。どこかの駅でおにぎり2個+飲み物を買うこと。
秦野駅8時8時25分ヤビツ行きのバスに乗る。吉留さんと一緒。
13日木曜日に塔ノ岳に行こうかな。

持ち物
@湯沸かしセット、A 1リットルの水、Bカップヌードルとおにぎり、C行動食、Dヘッドランプ4月1日からの絵画展示会、ポストカード大のサンプルの絵を10点ほど用意する。2点の展示作品を準備する。額縁に注意。

 

3月13日

3月13日なぜか梅満開日和かな

紅白の梅満開の日和かな
ふた山越えて梅満開の里に出づ
今年二回目の梅見かな
おにぎりに梅満開の至福かな
梅見には梅ちゅうハイにおはぎかな

 

3月17日

AIはニュウロンに似たるかな?

田口義弘氏は、ニューラルネットワークの起源はニューロンにあるにしても、その動作原理は全く別物だと言う。脳と生成AIは同じく世界のシミュレーターであるが、世界を全く 異なったように解釈していると言う。
人類が、人工知能を実現できないのは、知能の発現機構を理解していないからで、実際その機能はわからないままのようだ。

 

3月21日金曜日

大池公園に独り花見に行く

桜はまだ全く咲いていなかった。薄赤い蕾がいくつかの木で見ることができた。桜は来週になるだろう。

今年三度目の梅見かな

白梅に紅梅まじる日和かな

すごいと思ってこの写真をみんなに見せたが、「そんなの珍しくもないわよ」とにべもなく。

 

3月22日土曜日

XL750トランザルプ納入

22日土曜日10時半にバイクを受け取りに行く。山を越え歩いて50分のホンダドリーム横浜旭店へ。
任意保険の契約と、XL750のオプション確認で、半日かかってしまった。サイドパニアを頼んでいたはずなのに、注文書から抜けていた。オプション費用が高すぎる。しばらく乗ってから考えよう。

 

3月23日日曜日

第二東名の橋がようやくつながった。

XL750トランザルプ

XL750初ドライブ

23日に早速試運転。昔の10年前の感覚を取り戻すべく、丹沢湖に来た。
昔はBMW R 1200GSに乗っていた。今度のホンダのXL 750トランザルプと比べてみた。やはり老人にはGSのマイルドさが合っているようだ。アクセルをひねってもすぐには反応しない。トロトロとパワーが湧いてくる感じ。この感触は反射神経の弱っている老人には向いている。
それに比べてXL 750 =ちょっとアクセルをひねるだけで、ビューンと5000回転位まで羽上がってしまって、敏感すぎる感じがする。若い人にはこの方がレスポンスが良くて良いのだろうが、老人にはちと反応が早すぎる。
それと何よりもモンキー125に比べて重い感じ。ちょっと寝かせただけで支えるのが精一杯。

丹沢湖にて
89のおじいさんとコミュ。昔ハーレーに乗っていたらしい。塔ノ岳も何十回も、一の倉沢も何度も挑戦。そういう老人の話も面白い。でも本当かしら。

65と75の体力差を思い知らされ
75歳傾くバイクを必死に支え
東名高速30分でもう休憩
見渡せば老人バイカーばかりかな
75歳おくのほそ道もう一度?

 

3月24日月曜日

ボッチチェリ「春」の3美神

美・純潔・愛の三美神

「三美神」はギリシャ神話とローマ神話に登場します。
ギリシャ神話では、それぞれ魅力(charm)、美貌(beauty)、創造力(creativity)を司る神。
ローマ神話では、それぞれ愛(amor)、慎み(castitas)、美(pulchritude)を司る神。
「美 純潔 愛」の美神の説明はローマ風か。「春」の絵の右の人はビーナス(ギリシャ神話ではアフロディーテ)。

それにしても
体力に視力筋力減退す

 

 

3月25日火曜日

けやき会のイチゴ狩り

ジジババの楽しい遠足いちご狩り
いちご狩り楽しむ年になりにけり
春深しなんといちご狩り南房総
色形よし水っぽいが甘いとちおとめ

今更ながら、俳句は難しい。
だからといっていい加減に作句するのはいかがなものか。
実生活からは遠い季語、17文字の拘束。さらに省略表現、曖昧さ、状況説明ほとんどなし。それにもかかわらず、なぜか俳句。文学性、思想性、芸術性、ま、難しい事は、俳句には難しいのかもしれない。挨拶・即興・滑稽、庶民的な遊び、習い事、多少なりとも文化的な余興、趣味性、それで良いではないか。
まぁ、ワンセンテンスポイムとして、楽しめれば良いということにしよう。

3月28日金曜日

秦野の河原での桜見が中止になって

雨後の大池公園桜山で昼食す
大池桜山雨後桜独占す
老桜がんばれどせん方なし若桜

レンブラントとベラスケスの名前が出てこない。うじうじ考え抜いてようやくレンブラントが出てきた。私の頭にはモヤがかかっているようだ。モヤの中を手探りでいろんなところを触りながら、目的の名前にまでたどりつこうとするが、たどり着けるかどうかは不明。

戦後80年の記念行事で、石波首相はその反省の言葉を演説する予定だった。それを自民党の反対勢力がつぶしてしまったのだと言う。戦争を美化するとまでは言わないが、やむを得なかったとして肯定する考え方を持つ人もいる。その戦争で死んだ兵士に対して鎮魂の誠を捧げると言うような言い方をする人もいる。特攻や玉砕を国難に殉じたとして美化するような言い方をする人もいる。
戦争を遂行するため、若者死なせてしまった。その責任は誰にあるのか。敗戦することが明白になっているのに、なお戦争を継続しようとする意志はどこから来るのか。責任回避、自己保身、一体何のための戦争継続なのか。合理的な理由は全く見出せない。その責任は重く大きい。
石破首相は戦後80年を迎え、その敗戦の意味をしっかり総括し反省の弁を述べるべきであった。

3月29日

格差拡大は資本主義の必然?

朝日新聞で佐伯氏が行っている。トランプが、アメリカの民主主義と自由市場経済と社会の階層的分断を招いたのではない。民主主義の行き詰まりと社会の分断がトランプを生み、トランプがそれを顕在化させたのだと言う。

民主主義の疲弊、社会の分断は、資本主義が抱える病理ではないか。私有財産・自由契約・自由市場の資本主義は、その本質的機能により格差社会を生み社会の分断をもたらす。民主主義を支える市民が経済的に破綻しかかり疲弊していては、民主主義を支えきれない。資本主義の限界が露呈しているのではないか。

3月30日日曜日

今日は、秦野桜散歩のリベンジ

梅桜一期五回は見に行かん
桜並木この世のほかの思い出に
若木とは白さが違う姥桜

桜といえば、この時期、西行の歌が気になる。
なにとなく春になりぬと聞く日より
       心にかかるみ吉野の山(山家集1062)
春ごとの花に心をなぐさめて
      六十あまりの年を経にける(聞書集132)
いかで我この世のほかの思ひいでに
       風をいとはで花をながめむ(山家集108)
春風の花を散らすと見る夢は
       さめても胸のさわぐなりけり (山家集139)

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 
photo by miura 2025.
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