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俳句徒然日記2022年

1月2日

めずらしや思うことあり年初め

芭蕉の侘びに慰められておくのほそ道を流離い、自分の脳なしと怠惰に嫌気がさして、さて今年は何をやろうか。今年は、仕事を止める、リタイヤの予定。

能無しの我にうれしい孫の顔

 

1月4日

 

鳥居下で我に声かける子猫あり

4日寒風許せよ泣く子猫
寒風の我の想像力かく弱し

ウォーキングの途中、神社の鳥居の下で子猫2匹を見た。何もしてやれないと思い、見なかったことにして通り過ぎたが、なにか情けないような気がして、心に架かっててしまった。
コロナ禍、お前は困っている人を子猫のように見捨てるのか。さて、何ができるか。

1月9日

川面光ここは確かに一月の修羅

1月のただ歩く人となりて茜空

腕振りて走った気になる老い歩き
春の野辺70億分の1の歩く人
川面光ここは確かに一月の修羅
ボーとして過ごしてしまった高校時代
意思もなく空白に近き高校時代
復水盆生きてしまった60年

ウォーキング中、思い出すことあり。たまらず、吐息。
思い出した、吃音のこと。私の少年青年時代を苦しめ続けてきた。小学校低学年の頃から意識するようになった。なぜどうして、うまくしゃべれないのか、吃音なのか、未だにその理由がわからない。一生付き合っていくしかないようだ。
内に向かうと吃音、外に向かうといい調子。歌を歌う時は吃音はない。言いやすい言葉に置き換える。
内に向かい外に向かい、いつか吃音のない彼方へ行きたいものだ。

 

1月13日


若き日の解放の論理や疎外論


人間解放何の解放か我知らず
疎外論いつの間にか疎外感
自然状態人の本来性どこにある
カーテンに後光差し込む冬の朝

解放すべきと思ったものは、人間的な何ものなのか。その思いが疎外されていると感じて焦燥していた。

自分を捨て、家庭を顧みず、ただ仕事に邁進していた。それが逃れようもない宿命のような生き方だと思っていた。しかし、そうやって生き抜き、手に入れたものは何だったのか。何を犠牲にして何を失い、何を手に入れたのか。人間として正しい生き方をしてきたのだろうか。どこかで考え違いをしていないか。「疎外論」はすたれてしまったが、疎外されているものが何なのかわからないほど、人として大切なものを見失しなっているのではないか。

1月19日

札幌・時計台の真冬の夕暮れ

旭川・駅前の小さなダルマたち

遠軽駅からバスで紋別へ

オホーツクはどこへ行ってもロコ・ソラーレ顔はめパネル。いいね。

JR の白き北の旅人となる

8時20分発はやぶさ7号
9時51分発仙台 12時17分着新函館北斗駅
16時4分着札幌駅
18時30分発札幌駅 19時55分旭川駅着
東北新幹線の4時間、タバコが吸えなくて寂しい。
吟行を気取っていたのだが、旅に出るとやはり何も出てこない。リタイア状態での老人俳句はやはり、自己満足、慰み、社会の用なしで、暇つぶしのようなものか。


当たりまえ何にも見えない青函トンネル
北海道の馬の出る山駒ヶ岳
室蘭や風力発電風吹かず


20日8時35分遠軽行き 石北本線 遠軽線
北海道冬の列車の詩情かな
旅行くは冬の旅情や石北本線
雪の林うっとり眺める詩情かな
遠軽や雪降り積む林詩情かな
まんぼうや雪林の中の静謐
紋別や雪中氷点下喫煙所

(この喫煙所は寒くて誰も入らない。何回行っても私一人。なのに宿の部屋はなんとなくタバコ臭い。まいった。)


クリオネやあんたは何の生き物か

1月21日

昨夜、紋別の海に流氷がやってきた。あれが流氷か。

流氷船ガリンコ2号の後ろ姿


流氷船ガリンコ2号の前から見た雄姿。仕事初めにうれしそう。


寒さも忘れて、分けゆく流氷の海に見とれる。

翌朝、紋別の港内にまで入り込んだ流氷。

ブユニ岬の遠望。温泉につかりながらのブユニ岬冬景色は最高だった。

網走港の入口の大岩


標茶駅から釧路湿原SL C11機関車ということだが、SL修理が終わらないと言うのはどうしたことだろうか。ジーゼル機関車になってしまった。後で返金してもらった。


SLだったらこんな感じ。(JRのポスターより)

流氷や心が騒わぐ紋別の海
紋別やラッキーガリンコ流氷船
紋別や心ウキウキガリンコ2号
紋別やウキウキ爽快流氷の海
流氷は蓮の葉形と知られけり

流氷や蓮の葉上の至極かな

地元の人の話では、流氷はまだ来ないよ、とのこと。その日の夕方、バスの中から海の遠くに白い流氷らしくものの帯が見えた。歓声。
紋別、当日の朝突然流氷が出現したからよかったものの、ただの海だったらどうするのだろうか。その日、ガリンコ2号による今年初流氷の遊覧を楽しんだ。
翌日の網走オホーツク号は、流氷のない単なる港内遊覧に終わってしまった。

リスクを採っての流氷の旅は、見上げたビジネス根性か恥ずべき蛮勇か。初流氷に地元の人もびっくり、ガリンコ号も仕事始めになり、新聞記者も乗り込んだ。

向こう岸の紋別に迫る流氷。

たしかに、流氷は蓮の葉のような形をしている。

ガリンゴ2号の船首の様子。今まで体験したことのない不思議な体験。とても爽快で面白い。船首の2つの歯の付いたローラーが回転して流氷を外側に押し分けて進んでいる。


網走の「おーろら2」号
紋別に流氷が達してしたが網走にはまだ到着していなかった。「おーろら2」号は所在なさげ。来るべきものがまだ来ない。

網走や流氷はまだか荒れる海
網走や流氷なくても冬の海

ブユニ岬冬の白波水墨画
極楽温泉ブユニ岬の冬景色
知床はもう寝たかや雪のなか
知床はようやく起きたか波風雪

ゆき行きてまた林のなか釧路湿原
SLなくてシカ群れなす釧路湿原
北海道右目の歪み気にならず
雪原の林を抜けて湿原の林
人間の意識は空っぽの折り返し点
JR大人の休日悲しき只事俳句


紋別の蟹のハサミ。面白い!

1月27日

紅梅や逡巡として春来たり

1月はまだためらい咲きの紅梅かな


紅梅の春待ち顔も慎ましく
紅梅や逡巡として春来たり
大池の枯野に陽さす鎌倉道
「我思う」在るのは「思う」か「我」なのか
春の日やなぜかデカルト我思う
花もなしわれ思う春の憂鬱かな

この年で、こんな低いところから出発していては先に進まない。日常語の軽い句。でも、もう進まなくてもいいのかな。自分が生きていることの本当の意味さえわかれば。

 

1月28日


元日や密かにおがむ父の墓 荷風
行くところ無き身の春や墓詣 荷風

「文豪と俳句」

岸本尚毅(集英社新書)より

私が驚いたのは永井荷風の俳句。いや驚いた。

元日や密かにおがむ父の墓 荷風
行くところ無き身の春や墓詣 荷風
この2つの句にはまいった。何か心の痛いところをつつかれたような。誰がいったか瘋癲老人の面目躍如。荷風の句は鴎外、漱石を圧倒している。鏡花はきもい。

あの先で修羅は転がれ雲の峰 露伴
初春や思うことなき懐手 紅葉
元日の混沌として暮れにけり 紅葉
(改作後 混沌として元日の暮れにけり)
東山に日の当たりたる枯野かな 虚子
わが恋は人とる沼の花菖蒲 鏡花
山姫やすすきの中の京人形 鏡花
死は易く生は蝿にぞ悩みけり 鴎外
凩や目刺しに残る海の色 芥川
紫陽花や身を持ちくずす庵の主 荷風
愚陀佛は主人の名なり冬ごもり 漱石
(愚陀佛は漱石の俳号)
枯れ蓮にちなむ男の散歩かな 荷風
落ちる葉は残らず落ちて昼月 荷風
風に聞け何れか先に散る木の葉 漱石
鶏頭に何を悟らむ寺の庭 荷風
仏性は白き桔梗にこそあらめ 漱石
色町や真昼静かに猫の恋 荷風
秋風の今年は母を奪いけり 荷風
元日や密かにおがむ父の墓 荷風
行くところ無き身の春や墓詣 荷風
やすやすとなまこの如き子を生めり 漱石
まだ咲かぬ梅を眺めて1人かな 荷風
かたいものこれから書きます年の暮 荷風辞世吟か

 


悲しき人影


用なきダイコン

青年よ働く意味はどこにある

72になって思う、生きることの本当の意味。
生きることの意味を考えるのに忙しく、仕事をするのに忙しく、上役と会社をけなし、給与の安さに泣き、社会や世界はどうしてこうなのだろうと憂い、夜中まで飲んではケンカなどして忙しかったあの若き日々。わき目も振らずただ忙しかったように思う。

春の日やなんに苛立つ男ひとり
春の日やただ歩く人となりて枯野行く
春の日や七十億分の一の歩く人

俳人荷風、漁色にしたる独居老人が気になる。
いうなれば、悲しみと寂しさと俳味とが表裏一体、放蕩無残、行く所なき身の春の墓詣、俳諧デカダンス。
息苦しい生き方は私の性分ではない。俳諧諧謔か初時雨の侘び笠か。「かたいものこれから書きます」なんてしおらしいくうそぶく荷風、そんな荷風に近しみを感じる。

 

1月29日

旭区役所裏の小公園の古戦場の案内板。


清来寺

六つ塚がある薬王寺(畠山重忠公戦跡の碑)

薬王寺の六つ塚

駕籠塚

重忠公の内室は、重忠公が鎌倉幕府によりこの地で謀殺されたことを聞き、悲嘆慟哭して駕籠の中で自害した。内室はこの地で弔われたという。

以前、二俣川に「重忠モナカ」という和菓子を売っている店があり時々賞味していた。おいしかった記憶がある。残念ながら数年前に店は閉じられた。

「鎌倉殿13人」のなかで畠山忠重が出るということで歴史的なものが少ない旭区ではチャンスとばかり盛り上がっているようだ(?)。

重忠公ウオーキングの春コース

ウオーキングを兼ねて畠山忠重公戦跡のコースを歩く。なんのことはない、重忠公戦跡コースは私の10Kmウォーキングコースとほとんど重なっている。
重忠公は知勇兼備と清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称されていたらしい。
治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。しかし重忠は、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて子とともに討たれた。重忠は館へ退くことはせず潔く戦う事が武士の本懐であるとして大軍を迎え撃つ決断し、郎党134騎で果敢に大軍に立ち向かい討たれた(畠山重忠の乱)。
北条義時は、合戦の様子を聞いて、重忠の一族は出払って小勢であり、謀反の企ては虚報で重忠は無実であったことを理解した。重忠の首を見ると涙を禁じ得ず、大変気の毒な事をしたと述べたという。父の時政は黙って引き下がった。
この日の夕方、鎌倉内で重忠の同族で討伐軍に加わっていた稲毛重成父子、榛谷重朝父子が重忠を陥れた首謀者として、三浦義村らによって殺害された。 (Wikipediaより)


帷子川沿いの歩道。この辺りから鎌倉側が大量の矢を射ったようだ。対岸に「矢畑」がある。

薬王寺の畠山重忠公一族郎党134騎が葬られたといわれる六つ塚

薬王寺の横にある慰霊3地蔵


畠山重忠公の首塚

北条義時は、無実の重忠を討つことでひ、父時政を切り捨てた。それにより御家人達の憎しみの矛先をかわし、混乱に乗じて朝雅と秩父一族の稲毛重成・榛谷重朝ら有力者を一掃して武蔵国の掌握に成功した。これにより北条幕府の地位を不動のものとすることができた。畠山重忠は北条家内の権力争いと有力豪族の排除・支配ための駒として謀殺されたようだ。


慰霊のお地蔵さんがいい顔をしていた。


二俣川の駅から10分くらい大池公園の方に歩いたところにある重忠公の慰霊碑。悲劇の忠臣重忠への地元の人々の思いも篤い。

 

2月2日

トンカラランが聞こえなくなって冬の暮れ

人はなにのために

人はさぁ、生きるため食うために働くのか、働くために生きるのか。本当にやりたいことは何かと問うたら、風邪をひいた。ハ−クション。

人の弱さや過ちに対して私は厳しいかもしれない。そのくせ自分の怯懦には甘い。
若い時からの志が見えなくなったように思う。そのため日々の仕事に没頭して、生きる意味を問うことが疎かになっていたのかもしれない。心の中のトンカラランが聞こえなくなって、いや聞こうとしなくなって50年。

トンカラランが聞こえなくなって冬の暮れ
散歩して黄昏て帰る冬の夕べ

2月6日

楽しみはつぼみのなかの花一輪

大池公園梅林にて

ここ数年、春の梅見と花見は私の欠かせない行事
。それぞれ3回は通いたい。
如月もまだ蕾かな八重寒梅
楽しみはつぼみのなかの花一輪

楽しみは梅見3回残りの1回
春はいつも梅の強さにあこがれて

2月8日


春の夕思へば遠き昔かな

M少年かけて帰宅す春まぐれ

春野駆ける三浦少年探検隊
春の夕つもりて遠き昔かな
仕事から離れて楽しむ春の暮れ
ありがたや明日の食料何とかなる

夕方、ウォーキングから帰ったら、なぜか眼科へ。コロナワクチン3回目の注射を打ちにいそいそと。

呑む以外なんにも出ない春の宵
春の夕思へば遠き昔かな
(どこかで聞いたことがあるような)

 

2月12日


ウォーキング西空に浮かぶ夕月夜

生きてある時間がしわより春の夕暮れ


ゴミ収集車茶髪女性のかっこよさ
ぼーっとして過ごした報いか生き急ぐ
ウォーキング西空に浮かぶ夕月夜
人はみな70億分の1の宇宙かな

年をとると涙もろくなるというのは、ほんと。
夕方も辺りは暗く階段のところだけに明かりがついている。集合住宅の郵便受けにチラシを投函している母子と思しき2人の影。郵便受けは階段ごとに6〜8軒まとまっている。子供は中学生くらいか、「お母さん、次のところに行くね」 と娘。その声を聞いて私はたまらず涙が出てしまって。

 

2月22日


王子神社

昼日中飛鳥山を逍遥す

飛鳥山は家内の生まれ育ちの地。そこを見てみたいということで。
いかにせんプーチンの天秤傾けり
振り向けばとんからりんの奈落かな
こんな日に飛鳥山を逍遥す


今になって思う
さればこそ振り向かない青春の時


2月26日


梅の木や元気にわが世を楽しめり

春の夜やいつか収縮ビッグバン

BIGBANG138億年、人類誕生700万年、石器など399万年。人類が宇宙を意識した時、はじめて宇宙は生まれたと言えるのだろうか。
自分の意識がなくなった時、宇宙も同時に消滅するのだろうか。私の意識は消滅しても他の人の宇宙意識は存在し続ける。人類が消滅すれば、宇宙も意味がなくなる。

春一番桜待ち顔の梅味かな
春一番桜風味の三角蒸しパン
梅見にはコーヒーよりも紅茶かな
梅の木や元気にわが世を楽しめり

ウクライナが気になっても梅見酒
ウクライナ侵攻は誰のため何のため
ウクライナ悲しくて苦しくて梅見酒
悲しさは自由を顧みないロシアの闇
悲しさは権力にしがみつく専制主義
哀れかなナショナリズムの亡霊プーチン

中村草田男 「俳句と人生」
氏の俳句は厳しくて私にはちょっと無理かな。芭蕉の提唱する「かるみ」も同じような厳しさがある。
俳句の二重性には大賛成。問題はいい句ができないこと。
背景としての感情、思想性、社会性。
表現としての自然、社会の具象物。
一般性と特殊性、普遍性と個別性、しかし個別具体性を通してしか普遍性には至り得ない。

 

3月1日・2日


なんと言われようがわが世の春の河津桜

草枕まことの華見しても来よ 芭蕉

路通は芭蕉の奥の細道を辿るかのように奥州に旅立とうとしている。芭蕉は不肖の弟子路通に向けて上のようなはなむけの句を送った。
私も心しよう。


また世界が回って見えて、耳か眼か脳がいかれて。
医者によると三半規管の問題で、突然立ち上がったりすると起きやすいのだという。静かにして回復するのを待つのがよいということだ。なるほどそうですか。

なんと言われようがわが世の春の河津桜

3月3日

4月より契約解除粛々と


契約解除寂しくもあり春の空
いわれなき神奈川加担への報復
生き残る契約解除なら株返せ

INTに大損害を与えて株を持ち続けるのは不当。この訴状、徹底して受けて立つ。

 

3月5日・6日

この朝の輝く春の日噛みしめる

寿司つまみ梅をめでて昼寝かな
はるうらら家族連多し梅見かな
俳句とは啄木の悲しき玩具かな


点は1次元、線や面の絵画等は二次元、立体の彫刻や彫像は三次元。四次元はそれに時間の経過が加わる。では五次限と言うのはなんだろう。自己と世界との意識の活動が加わるのだと言う。

もうひとついやいくつかの世界かな


3月11日

春うららあれもこれも青い空の下


「みんな空の下」、このフレーズが頭から離れない。綾香の「みんな空の下」、陽水の「結びの詞」を何度も聴いた。聴いて気が軽くなり、考えて不安になる。でもいざという時のために覚えておこう。

屋久島の山姫に出会ったら笑われる前に先に笑う。山姫が笑うのにつられて笑うと、血を吸い取られるのだという。

花の名は三歩歩いてさようなら

3月21日

ディオニソスの誘惑

自らの人間性を否定したいと言う願望以上に人間らしいものはない。(スタンリー・カベル)
人間とは一生懸命、動物にならないようにしている動物なのである。私たちは人間と言う動物であるまいとしている。常に自分でないものになろうとしている。(マルクス・ガブリエル)
他人を尊重し、他人を手段とせず目的とすること。(カント)
人間の定義は、多義的で矛盾していて複雑で、だから面白いのかも。

 

3月22日

願わくばピンピンころりや春の雨


生きるって呼吸することと知られけり
生きるって歩くことと知られけり
願わくばピンピンコロリンや春の夕

結果的には、ありきたりでつまらないか。

3月28日

若き日の矜持ルンペンプロレタリアート

電車で座りたがるような若者に仕事はできない、ように思う。席が空いていても座らない、これが若きプロレタリアートの矜持ではないか。私の若い頃はそう思っていた。
捨てると言う生き方、物事に執着しないと言う生き方、そーゆーのは日本の伝統的な仏教文化的な生き方なのだろう。それはなんとなく甘美で美的な生活の香りがする。
でもそういう生き方は自分には無理、と言う声もしている。どうしても消費経済に毒され物欲にしたる自分がいる。

すごいと思う。
昼下がり中年男のスケボ練習

3月30日


吉野の桜

大池の桜山

花見にはワインビールに花弁当


花心ひとり花見の至福かな
さる人との花見を思いて昼寝かな
いやらしい西行心の花見かな
別の人生あったとしても我が人生
さくらに負けぬ君ゆえに君の心は知りがたし
人生の桜並木君と歩いてみたかった
だらしなくやる気なさそに生きるもよし

涼しさや藁で結んだ洗い髪(信州のさる女性)
「藁で結んだ」が利いている。新鮮で気になる句、自然、清楚、鮮烈なイメージの句。働く女性のぞくぞくするような理想化されたイメージ。

俳句の二重性、十七文字、季語
普遍的なものと個別的なもの、公的と私的、不変と流行、万代不易と一時変化。
具体的なものに託された作者の思い、そのイメージに思い至らなければその俳句のよさがわからない。

4月6日

資本主義の精神

散るさくらこの世の外の恋したし
夜桜や夜叉が峠を越える日に

ひまわりの種食う我は芋虫か
春の日やヘラヘラ笑って過ごそうか

人はどうして働かなくてはならないのか。リタイヤ間際で、若い人を想うととても気になる。マックスウエバーの「資本主義の精神」が労働について書いていたようだ。宗教改革、プロテスタンチズムがどう して資本主義の精神となるのか。では日本の資本主義の精神はどこから生まれてくるのか。
質素倹約、精励恪勤、禁欲、倫理。そして都合よく貯蓄。現代人はそんな原理で働らくものかどうか。物欲、金銭欲、出世欲、自己実現など、どうしようもない人間の欲望が原動力なのかもしれない。ウェーバーは、資本主義の精神として、現実的な人間的欲求ばかりではなく、労働倫理のようなものを求めていたのかもしれない。

考えてみれば、勤労の義務は憲法に規定されている。
それは別として、働らく、あるいは事業を起こす際の原動力は何か。「救い」は一理あるが、神の喜びのためには仕事はしない。現代の労働倫理や労働精神は何か。いや、現代社会における生き方と労働の在り方という観点か考えるべきか。

4月17日

本当のこと

本当のことを言うと世界が凍ってしまうと言うことにより私は狂人変人であるそうだ。吉本隆明が言ったらしい。

そんなことを感じるこの頃、その気持ちがわかるような気がしてきた。年を取ると本当のことしか言わなくなるのだろうか。

4月19日


東大寺の転害門の柱のこぶ

大神神社へとつづくヒメジオンの道


前方後円墳の西山塚古墳
あちらの山もこちらの丘も畠や柿の木畑もみな前方後円墳かな。

山の辺の道を歩いて

やはらかに山辺の道を歩きけり
青葉萌え煙草の奉納ありがとう
ただ道も歩けばゆかし山辺の道
石ころもいわくありげに古代の道
遠き日の思い出いずこ草の道


古代信仰と天皇神は別のはずなんだけど。自然崇拝、先祖崇拝、精霊信仰などの原始宗教と、物語の古事記や日本書紀は別のはずだが、どうしても天皇神に結びつけ、天皇神話を作りたがる。
飛鳥時代以前は自然信仰と大王(天皇)崇拝が不分明な、のどかな時代だったようだ。


三輪山を神体とする檜原神社からの西の山々。
山のある風景との静かな対話。

風情のある茅葺屋根の夜都伎神社
茅葺き屋根が新しいが、なにやらゆかし。


法隆寺の左手にある鐘楼。時間になるとあの「柿食えば鐘がなるなり」の鐘が鳴る。
子規のこの句は、 漱石の「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」に啓発されたとも。

 

4月28日

 

木曜日床屋休みを見て帰る


床屋の渦巻の回転灯に火がついていない。いやな予感。入口まで行って、侘びて帰りぬ。


帽子をかぶり三浦少年今日も行く
ウォーキング身体喜ぶ5月の風
病み上がり5月の風に夢見る頃

 

5月1日

Twitterは誰にも開かれた自由な会話広場

と、あのイーロン・マスクがいう。そのとおりだが誹謗中傷や人間の尊厳を否定するような発現や、虚偽の言説を垂れ流す、そんな自由はない。それは他人の自由を否定することになるから。自由を否定する人には発言の自由はない。
大艦砲艦から効果的なドローン攻撃の時代へ。
暴力的な野蛮人が平和的な文明人を滅亡させることもある。文明人は、民主主義者は、自らを守る気概と準備を怠ってはならない、というのがロシアのウクライナ侵略の教訓だろう。なんというありきたりな教訓。
専制的国家の弱さを歴史として証明する必要がある。そうでなければ人類は自ら滅亡を選ぶことになる。

 

5月5日

なんだろこれは

変化に強い自律分散型の組織 意思決定はフラットではなく、秩序を保つためのルールが明文化されていること。新しい組織論。人間にとって根源的な、働き方の倫理性。

生き方、働き方、考え方の多様性。多元な価値観、組織のルールをおさえて自律的に行動する。市場、技術、サービス、商品、新しい生き方。
効果のある教材、意味のある評価、目指す能力学力、新技術、表現、持続可能性、SDGs、普遍性、新しみ、知識技能の継承。

天地生存、社会的生存そして自然環境。実存意識と個人的な存在・生活と社会的な存在・生活。 個人から出発して社会的生活へ参加しようとする意識。

 

5月10日・11日

五月雨や追われ追いつつ70年

勤め人の邪魔しないよう横道を行く
研鑽
平日に山登りする身分になりにけり
一年で1cm 縮む我が女房
5月末これが最後のリタイヤかな
五月雨やなぜか高揚するリタイヤ
うれしいなこれがほんとのリタイヤ
悲しいかな本当にやりたかった事は何
五月雨や追われ追いつつ70年

ツツジ咲て何度目かのリタイア
何事か成し得ただろうかオリーブの花
寂しさは車窓過ぎ行く五月の緑

 

5月19日

 

タイムマシンの夢を見た

自分が歩いている写真とも絵とも言えないものがある。その写真の中に(5)と表示がある。(5)とは時間を5分の1人短縮するツアーであることを意味している。5時間のツアーを1時間で体験できると言う意味である。
それはある種のツアーの必然的な要請であるらしい。だが残念ながらどう言うツアーか思い出せない。
時間を止めることも出来るらしい。人生を1/5 に短縮することも永遠にすることも出来るようだ。

薫風や恵比寿駅で人身事故

人間は真実が知りたいのか、幸せになりたいのか。
もう一つの真実、オルタナティブファクト。
人は見たいものしか見ない。
物事を見ているという私とものごとの関係性と、見ていないという関係性との間に何か関係性があるか。私が存在している関係性と、存在していない関係性との間の関係性は何か。
世界の中でそれを見ている私と見ている私を見ている私とさらにそれを見ている私と・・・。
これって相対主義、無価値論?

いっぱい出てきた優くんの写真を見て
生まれきた不安と憂いと喜びと

思えばみうらは非常識の家系かな

 

5月25日

 

帯状疱疹を患う

顔の左半分がこわばりチクチク痛い。
口の中に炎症がありものが食べずらい。
鼻の頭と下に炎症、ぶちぶちができて気持ち悪い。
どうや皮膚科に行く。どうやら帯状疱疹というらしい。
困った。

 

6月7日

梅雨空の白い洗濯物の向こうに緑の松、生きてるっていいものだなあ。

母の日のいつまでも咲いている胡蝶蘭
梅雨休みヒメジオンにホトトギス

伊藤亜紗「どもる体」
連発現象、難発対策、言い換え、リズム、演技、思いと身体のアンバランスが原因か吃音。呼吸法が悪いのか発声法に問題があるのか、身体の緊張、呼吸が出来ず苦しい。自分が自分にこだわると吃音が出るが、他人を演じるあるいは他人のように振る舞うと吃音はなくなる。人格とは何か、意識と身体の関係の中で言葉はどういう働きをしているのか。
考えを言葉に出して表現したい。しかし、考えがあっても身体が、発音機能が正常に動作してくれない。この現象は病気なのか体の器官の障害なのかそれとも心の病なのか。心・身体・人格・言葉。それとも無視してもよい人間のバグなのか。
私の場合、発音が難しい言葉の発声練習を繰り返し行うこと。口を開いて酸素をよく吸収すること。般若心経、歎異抄と奥の細道を、大きな声で唱えながら運動をする、というのが私の治療法。これでうまくいっているように思うのだが。されど吃音。
もう一つ。意識が対象に没入すると、なぜか吃音を忘れ、伝えたいことがしょぺれる。自分を振り返ると、
なぜか吃音が出る。だから、対象と自分との関係意識を離れるとうまく話せるようだ。
これって何だろう。対象とうまい関係をつくろうと意識したり、すると身体がこわばり、うまく話せなくなったりする。とにかく、ありのままの自分をそのまま表現するのがよいようだが、何かがそれをじゃまするようだ。

6月13日

夏の朝目覚めて悲しき貧精神


俳諧革新の芭蕉は、俳諧を芸術的な表現のレベルまで高めた。芸術的表現とは何か。
絵画や彫刻や音楽に芸術性があるとするなら俳句をにも芸術性はあると思う。
俳句にはいい句あれば、慣用・つきなみ・ただごとの駄句もある。武原先生ごめんなさい。

七月の雨揺れる洗濯物や迷い心
昨日と同じ今日が過ぎて耐えられない

 

6月14日




加仁湯温泉

人生くすらせて70年奥鬼怒川へ


奥鬼怒の加仁湯に泊まりて。
清浄や緑に白滝カニ湯温泉
寝ていても白滝見ゆるカニ湯温泉


東海道線に負けじと走る京浜快特
蒲田とは東京のはずれなり梅雨霧雨

ネオ和菓子、アート、芸術、職人仕事、禁じ手への挑戦、伝統文化の継承、見た目の美しさおいしさ。

梅雨空のやるべきこと無し飛ぶ車窓
二俣川に文化はありや梅雨晴れ間

6月18日

花しょうぶ愛でる歳になりにけり


花菖蒲老いる時間がしわよりて
山陰に鶯鳴きぬひもすがら(漱石もじり)

帯状疱疹後神経痛か。いつまでも顔の強張りと疼きがとれない。また皮膚科に行こう。
そういえば小さい頃、春になり毛虫が動き出すといつも顔中かぶれていた。かき壊して泣いていたあの頃。小学校に入る頃には治っていたようだ。

懐かしや顔ぶつぶつの藁葺きの家
梅雨時や顔ぶつぶつ忘れるが勝ち

 

6月23日

 

優先席の我が女房妊婦さんに席譲る


梅雨時やうちの嫁さん掃除ずき
梅雨明けや尿意を問えば有りと言う、問わねばなしか情けなや。

プリズムで、右目の見える位置を25度左にかつやや上に移す
遠くを見るとき左目より右目の方がよく見える。正常な左目の方を見えるようにする。歪んで見える右目の視力をやや弱くする。

視界は揺れ疱疹は疼きそれでも雨のウォーキング
足弱が己が身なげきつウォーキング
それにても嘆きが絶えぬ文月かな


7月20日

スイカ買うて満ち足りて歩く帰り道

夏の日や我がメガネいくらか良くなりや
夕立や久しく聞いた蝉の声
アロハシャツくすんだバラが似合わない
ここ痛いあそこが痛いと言いつつ夏ウォーキング
スイカ買うて満ち足りて歩く帰り道

 

7月31日

久しぶりのジャズ祭り

夏の日のハモニカ踊るジャズまつり
退職して身にし染みてうれしジャズまつり
タバコ買いについでにキャンデイー買って帰る
夏草や我がもの顔の昼下がり

8月9日

 

長崎原爆の日

長崎原爆の日のトレッキング。箱根の小涌谷から浅間山、城山を経て箱根湯本へ。長い疲れた。
平日に夏山登るうれしさよ
左足の膝が痛くなって情けなや
健気にも劣化に負けるな古希72
吃音やゾーンに入れば忘れられる
吃音や忘れられれば忘れられる

 

8月14日15日

向こうは佐渡よ


両津港の灯台

佐渡島にて


帰省中お風呂に響く蝉の声
8/15悔いて悲しき日本人
軍隊崩壊ガダルカナルにインパール
軍人が政治をする愚かしさ
神風と向き合えない日本人
8/15悲しき天皇この国民

8月18日
赤とんぼ昔の空のありどころ(蕪村の凧のもじり)
しおからの低く飛ぶ見たり秋の風
ひぐらしや思えば遠き城腰
ウォーキング休む周りは蝉時雨

 

8月23日

ピロリなし胃炎少々問題なし


大腸検査あり消化の良いもの少々で
我が女房食べたいものを食べたいだけ
息子から誕生日祝いの白帽子

白帽子だけが光って走る人
ぼけるまで元気に歩こう72歳

人は皆、アリさんのようなものだからモクモク元気に。

 

8月26日

風船葛

本買うてなんとなく嬉しい夏の夕


愛孫よりもらいし鳳仙花枯れてしまいぬ
夏の日や孫からもらいし鳳仙花絶滅す
夏の日や咲いては消える風船葛
なぜ今プーチン大ロシア主義の亡霊
落蝉や我路上に朽ん炎天下

8月27日
ペレストロイカのゴルビー逝く91歳
ペレストロイカ立て直し、グラスノスチ情報公開、独立するもしないも自由
社会主義の解体者か自由と民主主義と平和の構築者か
ラッパ口もの言いたげな鳳仙花
夏の夕べただ歩く人となりて思うことなし
昨日を訪ね明日を訪ねて夏の雨
お年玉隠れて渡すおばあちゃん

久地のおばあちゃんありがとう

 

9月6日


紅き日に我が影踏んでウォーキング

台風日本海へ西丹沢山歩き


平日に山歩き楽しむ身分かな
緑の田朝日しっとり門出かな
夏おわり岩に砕ける滝飛沫

安倍国葬森友加計桜に統一教会

プーチンの核爆弾にやられたらアメリカは仇をとってくれるかしら。

趣味問わばバイクに俳句ウォーキング
差異問わば別れになるから同じだよと
何者かになれると思っていた小学生
何者かになりたき思いがただの人
紅き日に我が影踏んでウォーキング

 

9月11日

マゼラン世界一周500年光と影


秋夕べのり面薮刈る男たち
アスファルト落蝉は土に戻れない


9月16日
退職祝い働き生きたり47年
47年の運と健康に感無量
寂しさにモンキー125注文せり


9月21日
彼岸花じいさん婆さん満員バス
あっちに行こうかこっちに行こうか彼岸花
あっちに行ってもこっちに行っても彼岸花
宇宙から連れて来られた彼岸花
彼岸花つるんで一緒に彼岸まで

 

9月27日

一に体力二に気力、三に知力を振り絞れ


情けなやこの歳で訴訟沙汰
負けないぞ
体力と知力気力を振り絞れ

 

9月29日

ボランティアはつらい

赤い羽根青い羽根緑の羽根、募金の現場の人にバイト代は出るか無給ボランチアか。バイト代を支給すると募金額が減るという調査もあるそうだ。バイト代を貰うと動機が不純になる?
テストの得点が良かったり宿題をしたり本を読んだりしたらご褒美というのが良い、のだという。

国分功一郎「暇と退屈の倫理学」
1 贅沢を取り戻すこと、楽しむための訓練をすること
2 動物になることについて思考すること
1と2は繋がっているということ

10月3日

奥州秋旅

田沢湖の湯面に揺れる紅葉かな
白樺や湯船に揺れる田沢湖の湯

広い温泉に一人おりて
天井の水滴落ちて湯殿に響けり
秋夕べ薄に映える露天かな

10月4日

奥入瀬渓流


白神山地・青池

八幡平雨の紅葉や大池巡り
八幡平温泉紅葉の山歩き

まだはやき紅葉の奥入瀬歩きかな
紅葉なき奥入瀬渓谷紅葉狩リ
十和田湖や緑紅葉を暮れにけり

田沢湖や龍になったたつ子姫
片道3時間栗駒2時間の強行かな
栗駒山ルートに迷いて紅葉狩り

秋田駒ヶ岳

アメリカ日本の製造業が衰退したのは、中国がものづくり、製造業で伸長したから?
民主主義はポピュリズムとナショナリズムに弱い?
強権的な政治経済の国の方が民主的な国よりも経済成長のピッチが速い。
リベラルな人は小賢しい、だから労働者に嫌われる。

 

10月7日

栗駒山 の熱い足湯を楽しむ。

東北三大祭りに行きたいな。(仙台七夕祭り、秋田竿灯祭り、弘前ネブタ祭り) 山形花笠祭りを入れて四大祭り。岩手さんさ祭りは?
国宝五城(彦根城、犬山城、松本城、姫路城、松江城)はだいたい行った。

8日
"君のほっぺは赤きりんご、君の瞳は澄んだ十和田湖、んだんだ。"

秋田駒ヶ岳晴れるか降るか定めなし

 

10月20日

モンキー125が来る

445,000円振り込み、希望ヶ丘ホンダ販売
ちょっと乗っただけで、アクセルの遊びが大きくなった。クラッチのつながりが遠すぎる。
ガソリンのメーターの表示が満タンなのに星1つ。
まあ、そんなものでしょう。
大人のおもちゃにいちおう満足。


11月13日

麦わら帽子は揺れるマリーゴールド

そんな印象的な歌があった。ウォーキングの途中でマリーゴールドの畑に出合った。オレンジと黄色のグラデーションの波になぜか感動してしまった。感性の解放が進んでいるからかしらん。
youtube であいみょんの歌を聞いた。なるほど。
女房が言うには、マリーゴールドなんて仏壇の花よ、という。興覚めなことを言う。

 

11月22日


白丸ダムの散策路より



写真クリックで拡大

終活や秋の夕べがふさわしい


衰退する日本という表現がふさわしい状況が続いている。民主主義的な政治、発展する経済、低調な文化、分断される社会。戦後レジュームとしての自民党政治の末期症状だろう。日本的ポピュリズムを体現する自民党政治の源泉、強さも弱さもそこにある。旧統一、勝共連合との癒着で馬脚を晒した。
価値観の多様化、若者の保守化、歴史意識、価値意識の希薄化。掛け声やってる感の対策なし少子化問題。
この逼塞状況をどうすれば打開できるか。何が足りないのか。何を求めるのか。誰が担うのか。

これで死ねるかバカヤロー

奥多摩散策(白丸ダム)
左の写真は白丸ダムの散策路から。ダムの湖面に映る紅葉と青空、この世のものとは思えない、不思議な美しさを堪能した。魚が通る道があるダムとしてその道の人には有名らしい。古里駅から奥多摩駅まで歩く。

奥多摩の白丸ダム湖が、この日異常に神秘的で美しかった。
写真の下方に青空、真ん中には湖面に映った紅葉、上には紅葉の林の三重の組み合わせがそれとは直ぐにはわからずらえもいわれぬ不思議な景色。

10月22日

アイスランドのAD_Videoより。あまりにすばらしくて。

アイスランドの氷河湖

 

夢の中で格闘していた事


個人の自由と平等の精神を尊重し、社会的な博愛と連帯の精神を涵養する。
幸福追求の権利を尊重する。
多様な生き方、考え方を尊重する。
そのため表現の自由を価値とする。他の人の自由を侵害しない限り。

羊たちは寝入りているかアイスランド
荒野にて枯れ草食む羊と馬
冬近し枯れ野にたたずむ三頭の馬


未来の教育、個人の特性に合わせた教材、進度と性格に合わせて教材を構成する。
事物の具体的な形にのせて心の歌を表出する。
リズムにのせて美しく。季題と575の形を踏まえて。
輝けり枯れ尾花

夢の中で、まりものようなものを探し集めていた。それを集めて大きく育てると何かよいことがあるそうな。
人はいさまりも集めて生きていく

 

11月23日

脱成長コミュニズム

これは最悪の表現か。

スマホばかり見てると馬鹿になるこれ本当
食って寝てそれでいいのかホモサピエンス
生きるって辛いなって顔して優君は

 

12月2日

長き影枯葉踏んでウォーキング

長き影枯葉踏んでウォーキング


歯が抜けて黄斑上膜患ってなを生きてあり。
彼を知らず我まだしらず冬来たり
寒風や励まし励まし我を励まし
冬の日にモンキー乗ってウォーキング

冬の日によるべなき落葉を楽しめり

 

12月14日と15日

鳴門大橋


祖谷の葛橋と私の足元
道後温泉の裏口?工事中のため入ったのは椿の湯。

冬烈風白波立つ見ゆ鳴門橋


駅裏の徳島城山子らの声

掛橋や命に絡む蔦葛(芭蕉)
鉄線に蔦葛はう祖谷の架け橋

道後温泉椿の湯に入った。湯舟に浸かって静かに目を閉じていた。入口の引き戸のあたりで、タイルに何かがぶつかったような鈍い音がした。見ると常連さんらしいおじいさんが横になって倒れていた。湯船から出ておじいさんに声をかけた。事務所の人か救急車を呼びましょうか、と声をかけだかおじいさんは「よけいなことをするな」といった感じで、何もしなくていいという。何か変と思って周りを見渡すが、湯船の人たちは関心なさそうで動きそうもない。しかたないのでそのまま湯舟に戻った。10分くらいたっただろうか、時々気になって見ていたおじいさんが少しずつ動きだした。湯船に入ってくるのを見ながら、私は静に湯舟を出た。不思議な時間だった。

湯の前で逝きそうな人あり道後の湯
年の暮れさらさらポロリの道後の湯
予讃線海にちかしい下灘駅


下灘駅のホームより。

2022年12月27日

消えてしまったメモ帳


形態でテキスト入力をしていたら、なぜか大切なメモ帳が消えてしまった。どういうことだ。
調べてみたら12月2日の分までパソコンに送っていた。12月3日から26日までの分が消えてしまったと言うことになる。困った。

最近作った句を思い出して、
カラカラと枯れ草枯れ野歩みゆく
死ぬまでは元気に生きよう我を励まし
年の暮れ励まし励まし我を励まし

メモを無くしたら、思い出せないような句は、やはりどうでもよいような句だった。

2022年12月29日

鉄塔よサイの角のごとく一人立て


悲しからずや畑に残りし白菜の葉

侘びにしたりし年の暮れ

侘びしたり雨降りしたりて枯れ野かな
年の暮れ要なき人にも孫来たり
門松を建てる人あり年迎え
年の暮れ5月に退職した無用之介

この年はただのサラリーマンから、ただのじいさんになる。いろいろ感慨有り。
鉄塔よサイの角のごとく一人立て
悲しからずや畑に残りし白菜の葉


どうする73歳。孫を甘やかしすぎないでと言いながら、自分を1番甘やかしていることに気づく。

養老孟氏が言うには、人生でやりたいことをやるためには、そうでないたくさんの仕事をしなければならない。それらを必死に片付けているうちにへ、自分の本当にやりたかったことが見えてくる。
我が意を得たりかな。
でもその他のことをやっているうちに老いさらばえてしまいそうなのだが。

絶対的悲観主義は、究極の楽観主義である。(楠木建)
ちなみに私はほぼ絶対的楽観主義。物事の最悪を考えるから楽観主義なのだ。

12月31日

三浦少年バイクに乗る

年の暮れかっこいいねと言われたモンキー125
両眼の焦点合わずにほうけた年の瀬


私のかわいいモンキーちゃん。そんな感じの大人のおもちゃに近い。パワーはないが頑張って走ろうとする姿勢が健気でかわいい。唯一の無念は私の右目が正視に堪えないこと。それを左目が補っているが、往年の性能は発揮できない。残念。乗ろうとしていたら、おばちゃんからかっこいいバイクだね、と言われた。うれしいやら以外やら。

我と来て遊べやモンキー125

 

   
   

photo by miura 2022.

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