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俳句徒然日記2018


2018年1月13日

今そこにある不安は何


今の生活がそれなりに拾足したものであり、それなりに幸せを感じてはいるのだから、まぁ、それでとりあえずは良しとしなくてはいけないのではないか。それにしても今の若者は何を考えているのだか。

 

2018年1月28日

やがて哀しき盆栽かな

盆栽や面白くてやがて悲しき小宇宙

太い幹、なめらかな曲線。
バランスのよい枝ぶりが大切だそうだ。
文人盆栽というのもある。
自然の造形を愛すること。人間も自然の一部なのだから。
花の周りのもう一つのコスモス、生きている世界。
厳しい風雪に耐えて生き残った形。
枯淡の美しさ。 美しい自然の凝縮。
自分だけのいとほしい世界。

 

2018年2月3日〜6日

山陽山陰 雪旅行


空は冬空、晴れのち曇り。
姫路城、なにか期待外れ。

明日から希望はあれど大寒波
なるほどのこれがその姫路城

街中のからっぽの姫路城


肥前焼の郷・伊部(いんべ)


伊部は低い山に囲まれた盆地。
田んぼの下に粘土層があり、その粘土が備前焼の元だという。備前の渋くて繊細でやさしい感じの徳利をひとつ買ってきた。

里山に雪降り来たりて米子道
中国山地ゆごう温泉山の中

美作は宮本武蔵の生誕地

 


出雲大社のしめ縄


雪の美保神社の参道

晴の出雲に雪美保関

夕暮れや雪降り積もりて美保関
白い道吹雪く県道美保の関
風流が至りて雪の美保神社
出雲大国主の長男や美保恵比寿さん
宮寂びて1300年の愉楽かな
無垢の木や古代の匂い美保神社


美保神社の本殿
なんといっても、雪の美保神社が最高だった。吹き抜けの古代的な神殿と降り積む雪の白黒マッチが、なにかシュールな神的情景を演出していた。
鯛を抱えたえびすさんとのゆかりが深く、古来、漁師からは海上安全・大漁の神さんとして信仰されているという。

青石畳みと美保関灯台は降雪深く断念。

 


白兎海岸

風流も打ち重なりぬ白兎かな

この風景、なぜかなつかしいような。冬の荒海、日本海。
ここは因幡の白兎のふるさと。近くのドライブインの裏山に白兎神社があり、石の兎さんがたくさん出迎えてくれた。

雪の降り積もった歩道橋にスニーカーで上り、ようやく写真を撮った。この冬の日本海の写真は気に入っている。ここの浜辺に白兎がいたら、確かに物語のひとつも出てきそうだ。

 

風流や吹雪逆巻く神鍋の湯
吹雪き湯につかって歌う手袋の歌

手袋の歌ではなくおふくろの歌だったかもしれない。



鳥取砂丘雪見楽しむ雪だるま
雪の鳥取砂丘もまたおつなものでした。人間たちの代わりに、雪だるまたちが並んで雪の砂丘をいつまでも眺めていました。

城之崎や渋くて遠き昔かな
きのさき温泉と読む。

京都とはいえども遠き天橋立
なるほどや雪散り敷く天の橋立

冬の天の橋立はすばらしいものでした。なぜか「いく野の道の遠ければ」のフレーズが出てきて頭から離れない。
大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立(百人一首 小式部内侍)
この歌を何度も口ずさみながら、まどろみの中へ。

小式部内侍は「こしきぶのないし」という。母はあの和泉式部。母子ともに浮名を流して一世を風靡したらしい。

2018年2月14日

男の寿命82歳、私の命あと14年。


68歳あと14年の寿命かな
哀しみや孫に聞かせたわが寿命

そんなことを遊びに来た孫に言わなくてもと思うのだが、死んでこの世にいなくなるということの意味がわからなかったようだ。自分も本当はわからないのだが。この生きている時間がいとおしくてつい。

菜の花や身体よろこぶジョッギング
問うべきは違いか同じか人はいさ

 

2018年2月16日

折々の言葉 鷲田清一


「戦争に負け家庭に帰るとは 、生活が生産的であるとは、安楽への殺到、歴史の忘却、私的なものへの引きこもりか、はたまた個々人の存在の尊厳、国家ではなくコミュニティーへの確かな根付だったのか、はたまた?」

今時の若者は、自民党支持に防衛力強化、拝金、無希望、無気力、自己中心、引きこもリ、家庭中心、失敗を恐れる、この保守保身の若者の多さははどうしたことか。老人ほど異議申し立て、反骨、反体制。失なうものがないこと、自分に執著しないこと、自分と共同体のバランスを考えていること、薄い希望にも絶望しないこと。

2018年2月20日

株価の上がり下がりがそんなに大事なことなのか。実態経済が何もかわっていないのに。私は株はやらないし、ビットコインもやらない。
デフレは、日本経済の必然だという意見もある。少子高齢化で、世間はお金をもった老人が消費せず、お金のない若者は消費しようもない。国は、なぜもっと子育て支援に力を注がないのか。日本の将来を思うなら、女性が働きやすい環境や育児・教育環境の整備にもっと人とお金を投入すべきでは。口先だけの女性活躍社会。為政者には、将来の国民の為に投資するよりも、今の生活と経済が大事ということか。今さえよければ。持続可能な社会は遠い。

 

2018年3月3日



だから何事かを為せばよいのだとわかった。

うららかに梅咲き満ちてひな祭り
気がつけば梅楽しむ歳になりけり
あと幾年楽しませてや梅の花
好きなもの花ならつぼみ
海老ちらしあと幾とせの梅見かな

見つけたり老人は何をしても許される
世間ではあまり期待されていない老人
自然も悪くはないが人間の方が面白い
この世とはそう遠くなくおさらばバイバイ

だから何事かを為せばよいのだとわかった。人間、いくつになっても自分に問う、人生はいきるに値するか。人はじっとしてとどまっていると、生きることの無意味さに耐えられなくなって狂い死にしてしまう。だから、行動すればよいのだと思う。何事かを為せばよいのだと思う。それより他に人生なんて有りようもない。

見上げれば人生一睡澄んだ月
「人生一杯の酒一睡の夢」、上杉謙信がそういったとか。

2018年3月17日

親和性と新規性

人間が「いいなぁ」と思うこと、それは「親和性」と「新奇性」に関わっていると心理学者が言っている。伝統と革新。伝統を踏まえて新しみを求める。人間は普段馴染んでいるものに親和性を感じるが、それだけでは飽き足らない。どうしても新しいもの奇妙なものにひかれてしまう。なんて贅沢で我がままなのだろう。

なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂ヘ
(閑吟集)

人生無常、厭世観、現世欲望

 

2018年4月3日

死ぬまでは生きていよう山桜


富士の絵の銭湯のような花見かな
西陽さし輝く桜黄泉の国
散るまでは生きていよう山桜
死ぬまでは元気に生きよう山桜

花見は最低年三回はしたい。つぼみ・満開・散る桜。


2018年4月14日

「 そもそも、一期(いちご)の月影かたぶきて、餘算の山(よざんのやま)の端(は)に近し。たちまちに三途(さんず)の闇にむかはんとす。何のわざをか嘆(かこ)たんとする。佛の教へ給ふおもむきは、ことに触れて、執心なかれとなり。いま、草の庵を愛するも、閑寂(かんせき)に着するも、障(さは)りなるべし。いかが、要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさん。
 静かなる曉、この理(ことわり)を思ひつづけて、みづから心に問ひて曰く、「世をのがれて、山林に交わるは、心を修めて、道を行はんとなり。しかるを、汝、姿は聖人に似て、心は濁りに染(し)めり。住家(すみか)は、則ち、淨名居士(じょうみょうこじ)の跡を汚せりといへども、たもつところは、わづかに周梨槃特(しゅりはんどく)が行にだに及ばず。もし、これ貧賤(ひんせん)の報(むくひ)の、みづからなやますか、はたまた、妄心(もうしん)のいたりて狂せるか。」そのとき、心さらに答ふることなし。ただ、かたはらに舌根(ぜっこん)をやとひて、不請(ぶせい)の阿弥陀仏(あみだぶつ)、両三遍申してやみぬ。
 時に、建暦(けんりゃく)の二歳(ふたとし)、彌生の晦(つごもり)ころ、桑門(そうもん)の蓮胤(れんいん)、外山(とやま)の庵にして、これを記るす。」鴨長明「方丈記」

「不請(ぶせい)の阿弥陀仏(あみだぶつ)、両三遍申してやみぬ。」

夢かうつつか、こんなフレーズが繰り返し出てきて、苦しくて、起きてしまった。鴨長明「方丈記」のおしまい出てくることがわかった。どうにもならなくなって、阿弥陀仏を3回唱えて寝てしまった、といったところだろうか。時代はまったく違うが、この長明の気持ちわからなくはない。私の仕事もいよいよ行き詰ってきたようだ。

2018年4月20日

今日もまた意味なく元気春の風
心の中疲れた体を愛撫する
いやらしかっ
春風や大きなケヤキの木の下で

深川隠棲、芭蕉は何かに絶望していたのかもしれない。
俳諧の誠、寿貞と甥のこと、点者暮らし、種はいくらでもある。生きる気力が失せていたか。人間、そういうときもある。
かれ朶(えだ)に鳥のとまりけり秋の暮(芭蕉)
孤独な心象が何かを諦めた時に見た風景か。こんなことからも芭蕉は何かをつかむ。転んでもただでは起きない。

2018年5月20日

人間はもともと活動的・行動的にできている。だから行動を止めると狂ってしまう。そういうものなのだろうと思う。これは人類創生以来の本能のようなものだろう。
私の場合もまた、特に行き詰まったら、体を動かしていないと狂いそうになってしまう。何かを為せばよいのだろうと思う。

ジョギング森の匂いを懐かしむ
今日もまた世間に膾炙するいやらしさ


2018年5月21日

合理的で効率的、そして経済的

会社は、合理性、効率性、経済性が行動原理。 かつての吉野家の「うまい、早い、やすい」に対応している。競争社会で生き残るための原理なのだろう。
合理性の原理は何か。使用価値か交換価値か。理にかなっていること。では「理」とは何か。科学的客観性がすべてか。

社会はどうか。人が生きる時の原理はどうも違うようだ。
人生の意義は自分の中にはない
人は何のために生きるのか
自然はただそこにあるだけ。自然には意味がない。
盾と矛。道徳とは本来曖昧なものだったはず。矛盾があるから、イノベーションがあり、歴史がある、文明の進化がある。そこでしか生命は生き延びられない。(内田)
韓非は聖者や賢者が国を支配すべきなのか軍事的強者が支配すべきなのかを論じている。

2018年6月19日

アメリカの豊かさあかす一軒家

幾山河 消えてしまった思い出でに


70億人分の一の人生 そういうものでもないか。

6月25日。
カバン下げ三浦少年出勤す
朝ホトトギスあと10年の命かな


本当のことはあまり口にしない方が世の中うまくいく。
人類76億人それぞれの人生

動的平行、人の体は解体し生成される。細胞、脳細胞は生成される。なのにどうして、

動的平行なのに俺らは変わらない

システム設計書仕様書構成図3点セット

7月14日

じいさんやめろ真夏のジョギング
じいさん馬鹿か灼熱のジョギング


今年の夏は異常に熱い。この蒸し風呂の炎天下、ジョッギングするのは、途中でプッツン、われながら狂じみている。ている。そんなことをぶつぶついいながら。
7月26日
遠くを見てもよく見えないので近間を見ている
スタートがあれば必ずエンドがあるという自明

 

8月1日


将来への不安は若者のもの
死への不安は老人のもの


自由は絶対的な価値ではないという自明。
社会化された善と正義、自由は何を目指すのか。

焼却場の煙突が曲がって見えて幾年

眼の焦点が合わない。
固いものが噛めない。
頭が坊主。
記憶減退、意欲に乏しい。ここのところ愚痴が多い。
それでも前向きに前向き。

 

8月30日

走り寄るそれでも動ぜぬ夏烏


ニーニーやミンミングズグス夏が去る
古稀近しそれでもジョッギングありがとう

今年も夏が過ぎ去るか。
何もなかった夏。今年、秋にいいことがありそうな予感。

デレデレと仕事続けるの脳なし男
続ける仕事もない男に秋の風


道志道の渓流の橋上から。

世界は存在しない

ドイツ生まれの哲学者マルクス・ガブリエルは、「世界は存在しない」と、ギョッとするようなことを言う。すべて存在するものは「意味の場」に現象する。「意味の場」に現象するのでない「世界」は、意味がないので存在しないも同然だという。なるほど。しかし、意味がないものでも「意味がないもの」として存在はしているのではないか。
俳句が要求する意味の場は、人と世界とのもっと濃密な関係性を要求している。人が世界と関係するとき、大きく2つのスタンスをとる。現在の生活の維持と未来への跳躍である。俳句は維持と跳躍のあわいの夢想のようなものかも知れない。ガブリエルの「世界は存在しない」という言葉にそんな思いが。

 

9月8日

暗黒の宇宙と70億のホモサピエンス

何のために生きるのか。どうして死んでしまうのか。生まれ死ぬる人、何方より来たりて何方へか去る。宇宙の暗黒の永遠の沈黙の中で私と言う生命の一瞬の瞬き。そこには人と人とを区別するなにものもない。

9月 「あなたは良美ちゃんと結婚しないほうがいい。いやしてはいけない。
えっ・・
いや、私も好きになってしまいました。」

カルビ、ロース、ヒレ、タン、焼肉、ステーキ。


動物の死骸の肉を食っている人
コウロギか 頭の中で ちっちちっち


9月27日

 

懐かしや半分枯れた栗の葉


私が逝っても世界は何も変わらない


だから安心して逝こう

夢の中魅力的キャラのオンパレード
六十路経てああ古希までまっしぐら
金木犀香る秋風今日もあり


本庶 たすく 先生 癌の免疫療法
Curiosity 好奇心
Courage 勇気
Challenge 挑戦
Confidence 確信
Concentration 集中
Continuation 持続

 

10月21日

 

歴史的物語や意義を持たない改革などカオスしかもたらさない。

 

11月14日

金のためにのみ仕事をしているわけではないという人ほど、現実には金に執著する。金がないからである。悲しい現実。

ダークマター姿は見えねど確かな重力
重力不安定性ダークマターの揺らぎ


11月24日

ホモルーデンス

今日もまた役に立たないバイク旅
仕事も遊びか思えば哀しホモルーデンス
津久井湖や秋色映す蒼き湖面

12月16日

知識とは経験×感性だ


経験とは主観的な現象で、感覚と情動と思考と言う3つの構成要素からなる。
感性とは何か。それは自分の感覚と情動と思考に注意を払うことである。次にそれらの感覚と情動と思考が自分に影響を与えるのを許すことである。

いつの間に古希思えば遠くへ来たものだ。
ふり向けば古希ちりあくたの人生哉
かなしさはわが70年の意味稀少
人生70年ぼーっとしてここにあリ


幻想の自己同一性を越え自己解放の彼方へ

12月30日 テクノロジーの進歩が速い時代では、独裁的な中央集権的な形態よりも 分散型の形態の方がうまくいく。さて中国はロシアの失敗から何かを学ぶことができたか。

カラカラと枯葉踏む音霜踏む音
photo by miura 2018:
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