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俳句徒然日記2017
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12月31日
住吉の浜から雪の両津港と金北山を望む |
ふるさと佐渡へ
今年は郷里の佐渡で年を越すことにした。認知症のおふくろが心配だからだ。今日は1か月ぶりの青空だという。嫌がるおふくろを散歩に連れ出す。
母とみたあと幾年の金北山
あの匂いあの日の山川田に畑
哀しさやバカ息子に老いた母
どうしても、生きる原理をもう一度。
「はじまりのレーニン」(中沢新一)から、現代日本を生きる原理を学ぶ。だが、三位一体はこじつけ的な観念論ではないのか。残念ながら、やはりちょっと古い感じ。出直そう。
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12月29日 |
故郷や積もりて遠き昔かな
遅き日の積もりて遠きむかし哉 蕪村
大川周明は「大東亜戦争」などの考え方やイスラム文化への理解では面白い人だとは思うのだが、「日本二千六百年史」は何だろうね。時代の限界なのか哀しき日本教。
経済成長第一主義とグローバル経済主義が、日本や世界の生活者にもたらしている大弊害。格差・差別・貧困の構造化。
誰の為の政治、何のための経済活動。政治や経済を人間の生き方の初心に戻すべきでは。生活者のよりよい生活や幸せのために、もっと知恵と工夫を。
老いた母のそばで、ディープラーニングの本を読むが、字面を追うだけで頭に入らない。
家の前の柿の木に、残っている柿を突っつきに小鳥がやってくる。それをなぜかおふくろが、鳥に食べられるといって怒り、追い払おうとする。哀しい。
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11月20日 |
逝くものはかくのごときか
我が若き日の友、金井哲夫11月19日逝く。69歳。
和ちゃんをなぐさめに。
何か積年の肩の荷がおりたような。友よ安らかに眠れ。
若き日の総括ならず68の冬
世にふるもあと幾年の桜かな
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の割れても末に会わんとぞ思ふ
おおらかに天性楽天わが取り柄
死ぬまで面白いこと探しまわろう
26日
木枯らしの杉の実散らすはげあたま
枯葉舞い集めて流す帷子川(冬の川)
悲しさは停めてた腰骨肉の下
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10月15日 |
タバコ吸う快楽が忘れられない。タバコが身体に良くないことを理屈でも身体も分かっているのに、人はどうしてこうもしょうもないのか。自分の内に毒のようなものを取り込もうとする本姓があるのかも。
家内が参加している合唱団の発表会を見に行った。今年は眠くならなかった。歌がよかったのかもしれない。
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10月12日 |
枯れ枝にカラスが
カラカラと落ち葉踏み分け秋行きぬ
枯れ枝にカラスが一羽とまりけり
青空に枯葉残りぬ三四舞い
今日のジョギングは快調だった。この調子なら10キロメートル走り続けられると思った。タバコをやめたことが肺と心臓に良かったのだろう。何よりも足の不調が少なかった。やはり、煙草は身体に悪い。実感。それでもやめられないのはなぜ。
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10月1日
増冨鉱泉にて |
それがどうした
あれやこれそれがいったいどうしたか
人生はもうどうでも良いか秋の風
2日
革ジャケを着れば肩切る秋の風
まだ逝けぬやらねば残る借金かな
英語などたかがツールとうそぶく秋
真善美豊快の欲望エロスかな
10月3日
毎年、秋は増冨鉱泉のこのコース。一人でコーヒーをすすりながら日本の秋を楽しむ。木賊峠(とくさとうげ)、乙女高原を経て山梨市に抜ける。あとは中央高速・東名で、秋の夕暮れを楽しみながら横浜に帰ってくる。
金はなくとも紅葉の錦増富の山
捨てたものではない68歳バイク乗り
紅葉山人には言えぬ一人ひそか
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2017年9月9日
塔ノ岳山頂 |
9時ヤビツ峠出発、13時45分塔ノ岳到着
8時前に秦野駅発ヤビツ峠行のバスに乗る。到着するまで1時間立ちっぱなし。着いた時には、もう疲れていた。ひさびさの塔ノ岳だが、朝から調子が悪い。コースタイムから大幅に遅れて塔ノ岳山頂へ。
愛他主義者かmiuraは、
確かにそういう性向があるのは間違いない。
プルームテック18,000円出して買う馬鹿
まがい物 なんちゃってタバコ 禁煙タバコ
まやかしにまやかされて寂しい
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2017年9月3日
日和田山・巾着田にて |
ひぐらしのつれづれに
ひぐらしやまた過る夏に曼珠沙華
へぼなれど楽しくもあるか老い俳句
孫の写真見て楽しむや秋の暮れ
今年より毎水曜日は自宅研修日
水曜日病院通いで日が暮れる
ネギカモの我もまた通う脳神経外科
待ち待ちてなお待ち侘びて2・3分
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2017年8月15日
佐渡の両津湾と加茂湖
雲に隠れた金北山
北側の山肌は、冬の風が強く草木がほとんど育たない。 北風に身をかがめ地べたにへばりついた松の木や杉の木がよく見られる。
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ドンテン山金北山縦走
自分が生きていることを実感できればそれで良いではないか。そんな山歩きもある。郷里佐渡島、ドンデン〜金北山縦走。
思い出を晒して枯らして秋の風
稜線から日本海側を見下ろし眺めた。何かおかしい。あるばずのところに水平線がない。海の青と空の青が溶け合って境目がなくなっている。乾坤の変。
海の青空の青に溶けにけり
佐渡はやはりなんといってもわが故郷。なつかしい思い出の匂いが湧いてくる。
ありし日の脱穀の香や無花果の実
私の生家ではインターネットが使えない。WiFiがほとんど使えない。だから、庭先のカボチャを愛でる。
ウェブに思惟を忘れた羊たち
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2017年8月 |
世界七不思議の一つ
軍部独裁国家ならいざ知らず、ロシア、中国はなぜ悪の帝国の様に振る舞い、そう言われていまうのか。
北朝鮮、現代になぜ金王朝が存続できるのか。国家レベルの狂気が徘徊する。
北朝鮮神とあがめる核ミサイル
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2017年7月29日
富士山を背景に愛車BMW1200GS |
何かおかしいかな
伊豆スカイラインにて
伊豆の道命を削る速曲がり
BMや命を削る峠道
BMWだんだん遠くなりにけり
好きなことやりたいこと探しの伊豆スカイライ
何かおかしいかな、と思わないではないが。
人よりか優れたらんと思う気なし
仕事では勝ちたらんと思う気満々
赤アロハこころも湧きて水曜日
杉の木がまっすぐに伸びて青い空
鏡見て単なるおっさんと知られけり
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2017年7月26日 |
旅と死と、寂びと俳諧と
漂泊の吟遊詩人、「風狂の精神「漂泊の想い」「風雅の誠」
現実否定ではなく、現実肯定の精神か。
自分の好きなこと、こだわりを感じるもの、物事、出来事、風景、しっくりくる、憧れ、憧憬、どうしてもやっておきたいこと、そういったものにこだわりたい。そんな風に思うようになった今日このころ。
諸行無常、栄枯盛衰、無用の用の価値、人間の根源的な純粋さ、人為を離れて「天」(自然)につく、人間中心主義=ヒューマニズム?を離れ、四時に従う。
俳諧での寂びとは、特に、古いもの、老人などに共通する嗜好の特徴でもあるのだが。老いたり三浦。
寺田寅彦によれば、寂びとは古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさのことだという。具体的な例で挙げられるのは、コケの生えた石がある、という。
寂はより自然そのものの作用に重点がある一方で、西洋の骨董では歴史面に重点がおかれる。 「さび」とは「錆び」に通じ、物事が変質するという本義がある。
芭蕉の先達としての西行における漂泊もまた「死」を通した「真実」への道行であったことは疑いない。西行における「死」とは、仏教的無常観とその救済としての浄土思想のそれでもあるだろう。芭蕉も「死」を凝視して、己の俳諧の誠を追い求めた。先人はそうやって生きてきた。
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2017年7月20日 |
欲望の資本主義
欲望は生きる元気か梅雨明ける
捨てる生き方の限界? ギラつく欲望 乾いたこころ。
プロティスタンティズムの精神とはなにか。なにが欲望の資本主義的生産を支えたのか。こんな精神が現代に生きるはずがないではないか。次の時代の人を動かす原動力は飽くことを知らぬ欲望ではなく、人間が生きることの原理に根ざしたものではないか。人間が生きる原理とは何か、生きる意味とは何か。そんなものはないのではないか。
生きる意味問い続けて67年の無駄づかい
老人は先がないから後回し
子供より親が大事とうそぶいた
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2017年7月
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ヤモリとヘビの物語
いつものように二俣川からいずみ中央までのジョッギングをしていた。ふとプロックの塀を見たらトカゲがヘビに囲まれて縮み上がっていた。
トカゲはヘビにきっと呑み込まれるだろうと思った。呑み込まれる瞬間を見届けようと思った。
3分くらいにらめっこしていただろうか、いやヤモリが動かなくなっていた。ヘビがしっぽのあたりでヤモリを動かそうとしていた。ヤモリはされるがままに動いた。ほとんど死んでひからびたように、されるがままに動いた。ベビはしばらく不思議がっていたが、やがてそのまま、何ごともなかったかのように行ってしまった。
ヤモリはしばらく死んだ姿そのままでいたが、やがておもむろに動き出すと、何ごともなかったかのようにどこかへ行ってしまった。
そして、何ごともなかったかのように時間が過ぎっていった。
何か喪失したような、あれはいったい何だったのだろう。
不思議な気持ちのまま、またジョッギングを続けた。
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2017年7月2日 |
小池さん都議選大勝利。安倍ではないと言う消極的な選択。悲しい現実。これは大きく反自民と言えるのか。
梅雨明けず定期崩して夏季賞与
世の中はあんたが思ってるほどシンプルではないよ。 コスト計算もできないくせに交渉はできないよ。どうも仕事の先が見えてこない。
採算の取れない仕事なぜ続ける
何年たてば黒字化するかこの事業
ひとりする梅雨明け間近のジョギング
走り来り桜青葉に7月の風
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2017年6月25日
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野山駆けゆく探検隊
今の中学生の姿は、45年前と変わっていないのではないか。カバンの斜め肩掛け。この年になってもまだ、中学生のような恰好をしている。ボォートとしながら川の横のあぜ道を歩く三浦少年が見える。
白ワイシャツにグレーずぼん 中学生と同じかな
おもいでは野山駆けゆく探検隊
仏教的なものへの憧れと、自分は多分もたないだろうというあきらめと。要は捨て切れないのだ。なぜ捨てなければならないのか。欲望が強過ぎるのだろうか。
若い時から、いや小さい時から「落ち着きがない」と言われていた。気が散って落ち着きがないのが、私の生来的な持ち味か。どもる性癖と関係があるのか。生き急いでどこへ行く。
カラスが五羽悪巧みして梅雨明ける
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2017年6月21日
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居心地の悪さ
森友・加計でいろいろな問題が噴出している。なんともつまらない話なのだが。政治家が醜態をさらしている。
要は、安倍首相が直接ではないにしても内閣官房に話をして、国有地を8億も値引きしたり、獣医科設置条件を捻じ曲げて、補助金もおまけにつけ、至れり尽くせりの便宜を図ったということだろう。お友達の事業者に首相としての立場を利用して便宜を図ったということだ。中国共産党の党幹部の事業や韓国大統領の親族・お友達の事業への優遇策と同じ構図に思える。
気持ち悪く、居心地が悪い。公平公正、客観性、平等性、公開性の民主主義の原則が、それを表で装いながら裏で軽んじられ踏みにじられたと感ずるからだ。
言った言わないで、責任を官僚に押し付けるのは、もっとみっともない。前川さんの個人攻撃にいたっては、これが権力のやることかと、見ていても恥ずかしいし腹が立つ。山口とかいう首相のお友達の強姦事件を警察に圧力をかけてもみ消したという話もある。自分がやっていることが恥ずかしいと思わないほど、自分の権力行使に酔いしれ、麻痺してしまっているのだろうか。
誰のため、何のための政治なのか。議会政治での多数の横暴は、民主主義の危機だ。いや戦後世代そのものの危機だと思う。
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2017年6月10日
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はなしょうぶ
地域情報誌に載っていたので、四季の森公園のしょうぶ園にチャリンコでいった。
あやめ、しょうぶ、かきつばた。その違いは、分からない。昔から美人のたとえとされてきた。なるほど確かに。あやめとしょうぶは共に漢字は「菖蒲」と書く、かきつばたは杜若。なるほど日本古来の美意識。
紫の君が一番花菖蒲
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2017年6月3日
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開成町あじさい祭り
ことしは1週間来るのが早すぎたか。
喪失はまだ早かりし紫陽花の花
なんとなくそんな気がして
紫陽花や思い出ばかりは切なくて
年々、紫陽花の色が寂しくなっていくような気がする。
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2017年5月29日
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内なる野生は幻想か
大地に身を横たえ、内なる野生を感じたい。感性の解放?どこかで聞いたことがあるような。
抑制された内なる野生を解放したいという欲求。
仕事は、自己実現、欲望実現の場か、組織への馴致と飼いならしか。「労働」は生活のための強制、「仕事」はなにがしか自由な自己実現のための活動か。それにしても「自己実現」は戦後現代人の病か。私の内なる野生は「自己実現」とはいわない。実現したい自己など幻想である。
今年の夏は、北海道の旅と思い立ったが、認知症の母のもと、1週間はいっしょにいたい。親不孝息子はどちらを優先するのか。そういえば、父がなくなってから、夏のお盆は佐渡に決まっていた。
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2017年5月15日
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インターネットは空っぽの洞窟いやごみ溜め
大分以前にそんな本があった。読んだけれど印象がない。そうだろうなあと思っていたことがそのまま書いてあった。
ロシア・プーチンがインターネットの怪しげなサイトやSNSを使って、国際陰謀的な情報操作をしているというのは本当だろう。トランプがそれに乗って、ヒラリーの悪口をあることないこと垂れ流したのは事実だろう。どんな手段を使ってでも自己の意志を押し通そうとする。ニセ情報や偽事実を流してかく乱することは朝飯前。白を黒、黒を白と理屈をつけて強弁する安部首相の政治手法もそれに通じている。世界はどうしてこうも同じようなタイプの指導者をもってしまうのだろうか。国民のレベルに相応しい人たちなのだろうか。
インターネトは、民主主義的なツールのはずだが、ロシアは世論の情報操作に使い、中国は共産党の言うことに批判的な情報は遮断し、都合のよい情報だけを流すといった専制政治の道具としてインターネットを使っている。天皇制の幻想を信じたり、「国益」を盾にやたら「反日」を叫ぶ若者?権力者の犬に成り下がった媒体、地に落ちたジューナリスト。
インターネットはなぜ、こんなごみ溜めのようになってしまったのか。自由と民主主義と平和を愛する国民の手にインターネットを。社会的な弱者やマイノリティに発言の場を。
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2017年4月10日
大池公園、過ぎてしまった花見時
満開のソメイヨシノ
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みあげれば満開のソメイヨシノ
今年の桜は、遅咲きまばら咲き。おまけに冷たい雨。息子夫婦と花見の予定だったが、仕方ないので花を買ってきて自宅で花見酒のということにした。しかし自宅にて、
花見せんとや花屋3軒花なかりけり
翌日、花見に出かけたが、やはり冷たい雨。
花見して氷雨の中を帰りけん
花見の時期が終わっているのに、花も散り終えているのに、どうしても花見をしたくて、大池公園桜山へ。桜山は緑の若葉がきれてだったが、花はすでに散り終えていた。さらに奥に進んだ丘の隅っこに、今を盛りと満開の桜の木が数本あった。その木下に寝ころんで一人ワインと桜を楽しんだ。ああ最高の気分。
黄斑上膜症ボーとして今日もひとり花見酒
遅れし我をまだ楽しませるか遅ヨシノ
見上げればソメイヨシノに青い空
一本の桜日ノ本千年の愉楽かな
今年もまた、桜の季節が過ぎてしまった。
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3月17日 |
ビジネスも悪くはないが
ビジネス悪くはないがなぜビジネス。
労働と仕事、何かが違う。
人は皆どこへ行くのか春嵐
人びとの幸せいずこ散る桜
持てる人は捨てられるが、持たない人は捨てられない。トランプは幸いかな、まだ捨てることができるから。
トランプよ金に汚れた顔がある
肩肘張って見栄に疲れた顔がある
昔から競争嫌い、勝つこと嫌い、ぼーっとしているのが好き、この性格本当は治らない。
資本主義はどうしても勝者と敗者、資本と労働の格差を広げてしまう。人はそんなんかたちでしか働けないのか。
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3月11日
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菜の花の
なの花の菜のちさき土曜の朝
老人の一人となりぬ梅の花
風邪ひいて気弱なふりしてだてマスク
春の朝老いが疼くか胸騒ぎ
春の朝寄る年波か胸騒ぎ
正味の人間的迫力だけで威圧する。
最近、朝4時になると目が覚めてしまう。
世の中の物の形が崩れていく中で私は何を思う。
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2月16日
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山茶花が散って
山茶花の老い舞い散る春一番
山茶花の老い花かくか春一番
無関心、無思考こそ罪。
少年の日、電車なんか見たことないっちゃ。
この歳で何のために働らくや
仕事が無くなったら何も残らない私
へぼ俳句にしがみつく情けなさ
さても残り人生どう生きるか
梅が終わると、あー桜の季節。
近頃は温暖化のせいか梅が終わるとすぐ桜が咲き始めるような気がする。世の中どうなってしまったんだろう。
67にして久々のジョギング、あーこの軽さ爽快感たまらない。
なの花の菜と戯れてあー67歳
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1月29日
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今年の梅は
餅くうてワインを飲んだ梅味かな
いかにせん、拭きても払えん煩悩を。
芭蕉の好句は十のうち1つだと言う 子規。 確かにその通りだとは思うのだが。まぁそんなもんでしょ、だからどうだっていうんですか。
梅に問う、生きるって何、俳句って何。
表現への思い、何もなし。ああ凡人。
ただ、無心に梅を楽しむことができたなら。
凡夫の哀しみ。それでよいではないか。
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1月22日 |
モディリアーニにお願い
不安はね、たった1本の丁寧な線で倒せるんだよ。(相澤いくえ)
なんか、こんな気分、わかるような気がする。
モジリアーニ一本の線でも表現者
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例えば漆。難しいから面白い、深いから面白い。
例えば文字書きからくり人形。泉の氷の上で左右前後の動きを制御する。それを自分で設計図を書き、全て手で作る。
求めて求めて求めて、
何もなくて立ち止まる冬枯れ山野
人はそうやって何かを生み出し、生きていく。
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1月17日 |
電車の席取り競争に負けてしまった。どうしても私は負けてしまう。若い人にはかなわない。
一本遅らせそれでも今日は負け戦さ
座れても席を譲るかお人よし
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1月13日
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ヨーロッパ人は、骸骨やそのオブジェを平気でかざっている。土葬のせいか、骸骨と親しいようだ。日本では、死人は火葬にするから、少しの骨と灰しか残らない。
次のようなフレーズをどこかで見たことがあるような。どこだったか。やはりヨーロッパの文化にちなんだものだと思う。
骸骨や今日の私は明日のあなた
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photo by miura
2017.6 mail:
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