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俳句徒然日記2016


2016年秋

生きづらさ


速い安い美味い。
吉野家の牛丼伝説、そんなこともあった30年前の新橋駅前。速い・安い・美味いは、もはや伝説なのか。吉野家の牛丼の味の変遷は残念。わが社は「スピード・高品質・高価格」、この線をねらうか。だが、品質がわからない。一定水準に達していれば、必要以上の品質はいらないのが現実。高価格で高品質の製品を提案するのは、大企業にしかできない戦略か。「そこそこの品質をリーズナブルに」かつ「オリジナリティ」を発揮して。やはり商売は難しい。

ムースヘッドのスープを飲むと、ムースが身体の中に入り、ムースが人間になり、人間がムースになる。その土地と一体になる。(星野道夫)

もう歳なのだから、 自分の身体と心のコントロールを。
自制心、忍耐、持続する志。

4人道ずれに死ぬと天国にいけるとISは言う。天国に行きたいなら4人殺せと言う。憎悪の手前勝手な理不尽さ。イスラム社会はなぜここまで病んでしまうのか。

私の取り柄。普段から失敗が多いので、失敗を恐れない。だから、物事に果敢に取り組む。それと生来の楽天性。

生きづらい人間は革命家になるしかない、という。
格差と貧困の間で、社会に居場所がない、お金もない、何者にもなれない、しょぼい自分。( 雨宮処凛 見沢知廉)
若者の生きづらさは、大人の責任だ。こんな社会を作ってきた大人の責任は重い。

仕事とは見透せないからおもしろい
年の瀬や苦労を楽しむ歳もがな
見通せぬ仕事に耐えて年の暮れ
人の世は行ったら帰る生きて帰る
今年もなんとか生き延びたか。

 

2016年8月


仙丈ケ岳から甲斐駒ヶ岳を見る

荒野を一人旅する者達よ


荒野というとパタゴニア、アラスカか。そんな荒野を青年が一人旅をする。そんな青年たちが気にかかる。青年はいつの時代も世界のどこでも荒野をめざす。

久しぶり山登り。
登りきなふりさけみれば甲斐駒ヶ岳
夏の日に幾山川越え千丈岳

善と正義と
Liberalism
Libertarianism
Communitarianism

八月のがんばる人にアジサイの花
曇天やがんばる人に紫陽花の道

頑張る君に幸あれ。

旅、生きて戻れぬ死出の旅。
あじさいの枯れゆく様の悲しさは
66歳まだ見つからぬ我が俳句

捨てて捨てて無になって、世界を逍遥す。この世は生きるにあたいするか。ひとつの精神が逍遥し、自問す。
ゆう君とひなの笑みがあるかぎり、この世は生きるに値する

認知症の母と私と嫁と
親子して嫁にいびられ泣き寝入り
えっ。
ひまわりや背高く伸びて天まで届け
夏草や枯れて芽が出ることもある
野のすみれ我が身浄く心すみれ

これやこのなんでもない生きている風景
あじさいや枯れにしのちに秋の風
台風過ぎて吹き出る汗にトマト汁

子より親が大事
親より子が大事

斎藤由貴47歳 人生はラララ ラララ ララ
明るく気立ての良い羽田美智子

侘び寂びとのさばりけらし芭蕉さん
振り向けばいつの頃より侘び寂びし

ジイジャンを上下揃えて青白日

治部 楽しかったぞ(大谷刑部)

大事なものから捨て、最期はどうでもいいものといっしょに命を捨てる。
捨てる生き方、望まない生き方。そんな生き方ができるのか。

この世をともに旅する者達よ
荒野を一人旅する者達よ
出逢うことのないそれぞれの人生

2016年2-7月
夏休み あといく日やら 仕事おさめ
春の陽や 菜の花摘みに 草の道

春雨や よもぎをのばす 草の道 (芭蕉)
シンプルだがよく見れば味がある句。

2016年6月11日



ノアザミや街に朽つとも

ここまで生きて悲しくもなし街あざみ
ノアザミや街に朽ちて夏が来ぬ
ノアザミや街に朽つともカンラカラ

カッコイイと思う。

ザリガニ池今日も糸たらすおじいさんたち

言葉を拾い集める。
言葉を解体する。
人と世界の出会いの一瞬をつかまえる。
1つの言葉で世界を捉え、世界を変える。
世界の諸相を表現する。

^_^死と破壊の女神カーリー
再生と創造の女神カーリー
インド人は不思議だ。

なんでこの幕臣海舟忠臣の道
継之助俊才自惚れ破滅道

八十里腰抜け武士の通る道 河合継之助

国家論より65歳の紫陽花かな
自由と共通の価値と。

伊藤若冲
学を好まず、字を能くせず、凡百の技芸、一も為す所無く、唯だのみ是好み
大店の主人 妻帯せず 酒も飲まず 町年寄
生きとしいけるもの皆尊し。

横浜や気づけば大船 もうろくじじい
精神に詩をもたないことは寂しいか。
Poemとは何か

2016年5月28日

帷子川にて

帷子川でこんなに太った私たち 恋嘆き

ザルガニ池めだかに糸垂る翁かな
亀石やさしみ定食なくなりぬシラス丼
春雨に笠着た姿や富士の峰

今年また春過ぎ行かん桜散る
いざ出でん桜吹雪のその中を

ガムシャラにヘラヘラボーと生きようか

 

2016年5月15日

軽井沢にて


今日はめでたい 平祐・瑛子の結婚式 5月15日
はれの日や新緑やさしい軽井沢
愚息平祐に
新緑香る軽井沢
平祐や若葉のごとくさわやかに
人生のもゆる思いを春風に

2016年2月

ポストモダン文学

虚構性や観念性の対極にあるようなリアリズム。
「文章からは装飾的な要素がことごとく削り取られ、切り詰められた最小限の表現で展開する。」
ポストモダン文学?

流浪者神話
---- 幾分の卑下と多分の親しみ
共同体からの離脱から始まる物語。
自己の内部へ、存在の根源へ

今年の梅見
東風吹かば誰に届けん大輪梅
春風やまた幾年の田毎の月
今年また踏み迷うわれに梅の花
春風に飯食うわれと梅の花
梅の香やなつかしさ遠くなりにけり

紅梅やあと幾年の宴かな

 

2016年1月9日

孫が来る

孫が来るいそいそ横浜改札口
おおみそか定めなき世の定めかな (西鶴)
さすが西鶴。
初詣年に一度の契りかな
なんなのか白黒兎が夢の中

春風や堤(つつみ)長うして家遠し (蕪村)
藪入りや夢はあずきの煮えるうち (蕪村)
郷愁、母、小鳥、小家、狂女、行春、春夜、春雨、行人、月天心、鶯 絵師蕪村の詩心、ノスタルジー(郷愁?)
芭蕉蕪村と風雅におぼれた年初め
日曜日心遊ばせ冬の旅
春小川水面に揺れる青い空
春の日に森の匂いや杉の花
栗林なんに驚く四十がら
六十六この世はかくも美しき
週末はいちころころり早寝かな

俳諧や芭蕉蕪村のつめのあか

そは反逆の風景こころにいざ出でん
営業や逆心抱いて歌舞伎町

   
photo by miura 2016.12 mail:   
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