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俳句徒然日記2007


2007年12月27日15:36

志なしと


  今年も押し詰まってしまった。
梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」は、なかなか面白かった。
インターネットになにがしかの可能性を感じている私は、氏がすすめる「けものみち」に共感を覚える。
だが、どうしても氏の「Web進化論」にはなじめない部分もある。
その違和感は何なのか。
起業一般にいえることだか、この時代、Web企業には失敗が多いということ。ITを標榜して起業して、3年以上続いている会社というのはどのくらいあるのだろう。実感として1割にみたないのではないか。
若者が起業して成功できる確率はどのくらいなのだろうか。
何をもって成功か、何をもって失敗か。
私の性格も梅田氏と同様「楽天的」だが、日本のように既得権益意識が強く、事業失敗が夜逃げや自己破産に近い選択しかないような日本で、青年たちに荒野の「けものみち」を目指すことをどこまで責任をもって勧められるのだろうか。
年をとると心配性になったり、老婆心が出てきてしまうが、中高年はいうに及ばす、ITとは無縁の生活をしている若者たちもたくさんいるはずだ。彼らには将来は暗いのか。
院出が当たり前の高学歴、英語がしゃべれるのは当たり前、オープン系のソースコードを読めることも必須、自分の能力を企業のIT技術や事業に結びつけてその有用性を表現できる人、そんな人がそんなにいるのだろうか。
なんだか、憂鬱。

志なしとほんに思えて年の暮
疲れ寝て起きて寝られぬ年の暮

ああ、首筋がうずく。憂鬱。

2007年12月17日13:40

からからと

この土日、また走った。
首のしこりは相変わらず続いていて、膝もときどき痛む。
関節に効くという薬を飲みだした。この種の薬は飲み続けないと利かないという。 だが、幸いにもすぐに利いたような気がした。
走り出した。
今日は身体も快調だ。健康だよと言っている。
いつもの中距離コース(私の中距離は5Km程度)からちょつと別コースに入った。以前は山林を崩して宅地造成中だったが、そのまま数年ほっておかれていたように思う。
なんと、こんな駅から数キロ離れた奥地にも、マッチ箱のような小さな家がいっぱい立ち並んでいる。ところどころに残っていた雑木林もつぶされてしまうのは時間の問題だろう。
何か、切ないような。人は、自然から切り離されたマッチ箱の中でどんな生活を営むのだろうか。
切らずに残されたナラの木が、風に吹かれて枯れ葉を撒き散らしていた。

丘を越え谷間も埋める家並かな
緑のない横浜の丘を走るかなしさ
走りきて家並みジャングル冬木立
からからと心に風の舞う日かな

2007年12月04日22:50

冬の月

走ってきて、ふと見上げると、山茶花の葉の間から月が見えた。
12月朝8時、なぜ今、こんなところに月が見えるのだろう。

物思いながら走って、自分に言い聞かせる。
「精神で生きている」

走りきて見上げた山茶花曙の月
迷いきてふり切ったこころや冬の月

 

2007年11月30日15:02

俳句ってなんだろう 吉本さん

俳句ってなんだろう。
芭蕉の俳句や紀行文はいいなぁと思って、芭蕉の世界にしたってきた。芭蕉ワールドとでも言おうか。
ある友人と話をしていて、吉本隆明が芭蕉の奥の細道について悪口を言っていたよといわれた。「食」の対談の文庫本だというので、早速買って、その部分だけをひろって読んでみた。
芭蕉の「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり。・・・」の書き出しが、気に食わないというのだ。大げさにかっこつけてる、というのだ。
芭蕉の頃の旅は必ず目的をもった旅で、「そぞろ神のものにつきて心を狂わせ、道祖神の招きにあいて」出かけるような旅ではなかったはずだ。芭蕉の旅は、西行の後を追うとか地方の弟子や門人との句会に出るとかの目的の他、このような紀行文を書きたいがための旅ではなかったか、と吉本はいうのだ。

この手の紀行文は、俳文になったり、漢文調になったり、どうしても美文調にになる。それはそれで悪いことではない。芭蕉の時代にあっては、そうなる必然もあっただろうし、それでもなお時代を超えて現代でも「奥の細道」を楽しむことができる。

吉本隆明は、「奥の細道」をかっこつけた俳文のような「紀行文を書きたいがための旅」なのではないかという。この言い方にはぐさっときてしまうものがある。
芭蕉の俳文や俳句は、読む人を楽しませよう、自分も楽しもう、というところがどうしても出てしまう。そのような紀行文をものにしたい、そのための旅をしたい、という思いは当然あっただろう。
それはそれで悪くはないと思うのだが、吉本隆明は、芭蕉の表現意識のありようを問題にしてしまう。
ひとりの表現者として、いい俳文やいい紀行文やいい句を作りたいという芭蕉の下心は、いかがなものかというのだろう。
「月日は百代の過客にして、・・・」などとかっこつけた紀行文などあるものか、という。 しかしこれでは、芭蕉の文のかっこよさにほれぼれとしていた私としては、身の置きどころがない。困った。
芭蕉は、まぎれもなく江戸時代前期の俳諧師であって、思想家ではない。たしかに表現者ではあったが、時代の制約も大きい。

俳句はどうやって作ったらよいのだろうか。
なぜ俳句かといわれても。面白そうだからではいけないのだろうか。いいなあと素朴によろこんでいてはいけないのだろうか。

 

2007年11月25日12:21

走ることに何の意味が

連休3日間、連続してジュッグるという快挙を成し遂げた。というほどえらいものではないが。
25日は朝メシが済んでテレビを見ながらゴロゴロして、うたた寝。
外は小春日和の青空。
本当は、ジョッギングの予定なのだが、身体がうじうじいっている。
なんやかやと理屈をつけてズルズルしたいのだが、何も理屈がない。 仕方ないので、支度をして外に出た。
身体をほぐし、走る心構えを身体に言い聞かす。
だが、身体はあまりやる気がなさそう。
おもむろに走り出した。
身体もだんだんその気になってきた。
走り出したらいつもより調子がいい。
なんだ、やればできるじゃないか。

昨夜聞いた、ひととようの「ハナミズキ」が耳から離れない。
9.11への追悼歌だとか。
「君と好きな人が100年続きますように」
なぜか、しっとりとした心情になって、哀しいような、切ないような、うれしいような。そして、やさしい気持ちになれるような気がしてくる。
「僕の我慢がいつか実を結びますように」
泣かせる。

私の仕事には、人を感動させ、人を動かすだけの力があるのか。
私の俳句には力がない。人の心を揺り動かす力がない。
なぜなのか。

もうよそう。
なにも考えず、ただ走ろう。
走ることに何の意味がある。
明日が開けるような気がするから。

2007年11月20日13:43

二重ラセン

「生物と無生物のあいだ」という福岡伸一先生の本を読んだ。
それによると生物と無生物を分けるものは、「自己複製」するかどうかにあるようだ。
人間には100兆個の細胞があり、3000億個?だったかの遺伝子DNAがあるとのこと。単位が大きすぎて、うろ覚えなので、この数字は間違っていると思う。
それはともかく、この遺伝子のDNAの構造が二重ラセンなのだという。それはわかっていたのだが、二重ラセンにどういう意味があるのか、だから何なのか、さっぱりわからなかった。
それが、この二重ラセンというのは、自己複製するためのもっとも原初的なメカニズムなのだという。
2つのひものような遺伝子が反発しあいながら絡まっている姿が二重ラセンで、一方が破損したり消失したりした場合に他方が自己を複製して破損を補填する仕掛けなのだという。
すばらしい。
この自己複製のメカニズムを持つかどうかが生物と無生物を分けることになる。DNAは4つの塩基から構成されていて、それらはほとんど鉱物のようなものでそれが化学反応をおこすような形で自己複製する。
人間の細胞は1年くらいで、すべて古いものから新しいものに入れ替わる。人間とは、「自己複製する流れ」だという。
なにか、「いく川の流れは絶えずして、しかももとの水のあらず」という諸行無常、万物流転をおもってしまう。日本人の感性ともぴったりと当てはまる。
やはり人間というのは本質的に流れるものなのだなあと思う。ということは、人間が存在している目的は、生物学的には完全に「自己複数」するとこいうことにあるといえるようだ。何か、盛りのついた犬や猫のようにも思えるが、本質的なところではそれほど違いはないということなのだろう。
このシンプルさに思い至って、がっかりやら安心やら。

人間なんて ララッラァーララララァーラ

でも犬や猫のようなものなら、なぜ悩む必要があるのだろう。
犬や猫も悩んでいるのだろうが。

なにゆえに煩悩の凡夫はいきいそぐ
またしても飛んで火にいる二重ラセン
我が頭なぜに欠損補填に見捨てられ

2007年11月17日19:09

晩秋の南アルプス林道

自然にわが身をさらすのが好きだ。
単に、放浪癖ともいえそうだ。
久しぶりで、長距離バイク走をしてきた。
家のものに、「旅に出てくる」といったら、鼻で笑われた。
富士五胡を経由して、本栖湖から下部・身延のほうに抜け、さらに早川町から南アルプス林道に入って、南アルプス登山口である広河原を経由し、夜叉神峠を越えて甲府市のほうに出るというコースだ。
若いときにオプロードバイクで2回経験している。
久しぶりのバイク旅で心うきうき。なのに出発は9時を過ぎてしまった。若いときは、7時には出ていた。

あせって、道志道から富士山を経由し、お昼過ぎに早川町に着いた。
やはりバイクはいい、おいらのバイクは速いし、らくちん。MBWがおやじバイクといわれる所以がわかる。だが、若い人には似合わない。それぞれの年代向けのバイクがある。

南アルプス林道は快適そのもの。
紅葉の中を想いっきり走り抜けてきた。

広河原への道は11月から冬季閉鎖ということで、残念ながら途中で行き止まり。やむなく奈良田から丸山林道に入る。
期待していた以上の林道、ところどころに未舗装が残る眺めのよい開けた林道で、ここでも秋を満喫できた。
おにぎりを食べながら眺めた晩秋の南アルプスのすばらしかったこと。作句も忘れて、おにぎりにかぶりついてしまった。

ということで、今日の駄句

侘びわびて走るバイクに初時雨
晩紅や南アルプス彼岸のなか
年の暮れ我が身を削って生きてゆけ

2007年11月14日13:11

おしっこが出ない

ここのところ、私は暗い。
前を向いて、突っ走っているものがなくなると、暗くなる。
私の性格は明るい方だと思うが、立ち止まると振り返ってしまい、暗くなる。
吉本隆明先生が、人間は「生まれ、生活し、老いて、死んでいく」という存在の逃れようのない過程を見ないようにしている、というようなことを言っていた。
「生物と無生物のあいだ」という新書に、「生命とは、自己複製するもの」、「DNAの二重ラセンは、自己複製を担保する」というようなことが書いてあった。ああ、生物。
ここのところ、おしっこの出が悪い。したいという気はあるが、あまり出ない。老いたか。
人間という生物は「生まれ、生活し、子を産み育て、老いて、死んでいく」ものだ。それでよいではないか。
こんなことを思いながら、暗くなったり、明るくなったりしている、今日この頃。

最近の駄作

オロナミンCラッバ飲みして電車に乗る女子
公衆トイレおしっこが出ないじいさんと私

2007年11月06日00:00

悲しき俳句

ああうれしい帰り電車の飴玉ひとつ
陽だまりに少年の日の想いかがやけり
コップ底私の悲しき入れ歯かな 
ああ私のああ私の悲しき俳句

ものごとをよーく見ること。見えないものが見えてくるまで、感じられない心が何かを感じるまで。
写生の心。
乾坤の変は風雅の糧。
正しい唯物論者。
メガネを透明にして、心を透明にして、よーく見る。
しかし、待てども何にも見えてこない。何も感じられない。
うまく詠おうと、かっこつけてるんじゃないか。
表現は、ちょっとかっこつけたくらいでないと、面白くない。
でも、日常の言葉で、素直に詠んでみようか。

まだまだ、修行がたりない。
たかだか17文字、されど17文字。

くび筋の調子がおかしくなってから、足首まで重くなって、気分も憂鬱になって、なにもかもがどうもうまくいかない。
なんとかしなくっちゃ。

2007年10月28日18:04

サルトル 青春の暮れ残り

その昔、私はサルトルにぞっこんだった。
そんな人種は自分も含めて、死滅してしまったろうと思っていてた。 そうだろうなと思う。
だが、(ポスト)構造主義は、本当にサルトルを超えていたのか。なぜ、サルトルはレビュー・ストロースに敗れたのか。今でもよくわからない。サルトルに何が起きたのか。何か、深い痛みを伴ってうずくものがある。
フランスで「サルトルの世紀」がきっかけになったせいか、サルトルの再評価が始まっているという。20世紀は、思想面においては間違いなく?サルトルの世紀といってもよかったのではないか。
私のうちの青春の暮れ残りが、そううづく。
だがサルトルで21世紀はやっていけるのだろうか。
年甲斐もなく?サルトルを読み直してみようと思う。

芭蕉は、江戸前期の人だが、彼の風狂の精神は、為政者には問題にならない。侘びの世界に閉じこもる遁世者は、まっ、あってもなくても、あまり問題にならないということだろう。
芭蕉の現世に対する否定性は、隠遁生活に閉じて侘びの俳諧にいる限りは問題とならないが、それが行動に移されると、危ない契機を内に秘めることになるのではないか。

「昨日に自分に飽く」芭蕉の内なる否定性、破壊性。そして創造性。それを考えてみようと思う。

2007年10月21日08:32

サルトルの世紀

「サルトルの世紀」という翻訳本がある。
書評を読み、動かされるものがあった。
かって、私の青春のかなりの部分をそれとの格闘についやした、その日の思い出がよみがえってきた。
いまさら、サルトルの時代ではないだろう。カミューを読んでは生き方さえ変えた私だがが、サルトルでは生きていけない。
だが、20世紀は彼の世紀であったかもしれない、という想いはある。
「実存は本質に先行する」。この意味がなかなか理解できなかった。本質とは何なのか、宗教体験の希薄な人生には、人間を規定する本質の意味がわからない。
人間が存在することに何の意味があるのか、人生には意味があるのか。サルトルは、先行する意味などないという。意味があるとすればそれは行動によって意義付けをおこなうしかない。だが、どのような方向に向けて行動するのか、何を実現するために行動するのか、未だに答えを得られたという想いはない。
行動することに意味がある。ただそのことのみを考えて、実存からの跳躍を考えてきた。これではすぐ限界にきてしまう。実存が行動するときの原理は何か。
「サルトルの世紀」を読んでみようと思う。

2007年10月14日22:05

切れやすい老人

切れやすい老人をテーマにした「暴走老人」という本を読んだ。
まっ、老人が切れやすいのは今に始まったことではない。テレビなんかでも、よくおじいさんがちゃぶ台をひっくり返すシーンが出ている。
何歳からが老人になるのかはわからないが、いい年をしたおじいさんは一般的には人間的にも成熟し、道にも迷わず、穏やかな印象で、その人が切れるのにはよくよくの訳があるのだろう。
でもどうやら、老人どうでもよい些細なことで切れやすいらしい。
時代の進み方が早すぎるのが、切れやすに拍車をかけているらしい。
携帯やインターネットの普及などで加速化する時代、でも情報格差をもろに受けやすいのが老人。核家族化し、一人暮らしなどで孤立する老人、そしてマニュアル化された笑顔などの商品化された感情。これらの変化に老人はついていけない。それがいらだちとなって爆発するのだという。
まぁ、そういうことなのでしょう。
これから、団塊の世代が老境に入っていく。こいつらはかなりうるさいと思う。心に、何がしかの挫折の傷痕を抱えている。それがいつ疼き出すかわからない。
老人が青年のようになり、
青年が老人のようになる、そんな予感もある。

2007年10月09日10:09

なぐさめかねつ

急行を1台遅らせて、次の特急で座ってきた。
今日はなぜか座り心地がとてもよかった。
隣の女性とかすかに膝が擦れ合う緊張感のなかで、読んでいた本を閉じて、まどろんでしまった。

なぜか、次の歌にとらわれて、
わが心 なぐさめかねつ更科や 姥捨て山に照る月をみて(古今和歌集)

姥捨て山にかかる月を眺めながら、心地よくまどろみに身をまかせるのだった。
まぁ、そんな日もあるか。

2007年10月02日16:27

軟弱者

若い頃、長距離でないかぎり、通勤で電車に座ろうなどとは考えたこともなかった。
横浜駅では1台遅らせても座れないため、始発の桜木町の駅まで戻ってさこで始発急行に座って通勤している人もいた。
ああはなりたくないものだと思っていた。

ここのところ体調がよくない。できれば座って通勤したい。
横浜駅で最後尾車両の位置に並んで、電車に乗り込むが、座れる確率は1/3以下。若い女性や学生さんと張り合えば1/2くらいまで確率をあげることができるだろう。
確実に座るためには、急行・特急を1本遅らせればよい。
そんなみっともないことはできないと思っていた。
それなのに、いつもより10分早く家を出ると、ちょうど1本遅らせていつもの急行に座って乗れることを発見してしまった。

ああ、私はこんなにも軟弱者になってしまったのか。
だからもう、軟弱の老若男女をさげすむ優越感を味わうことができないのか。

軟弱や競えば負けるこの電車

 

2007年09月27日10:23

姥捨の月(2)

昔の俳人は、「雪月花」を愛でた。
電気がないのだからテレビも携帯もインターネットもない。当然、日の出とともに起き、日が沈めば寝た。夜は月でも見上げるしかすることがない。とりわけ秋の澄み渡った夜空の月をこよなく愛した。中秋の名月である。現代の暦の9月下旬の頃になる。
芭蕉は「さらしなの里、姨捨山(おばすてやま)の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹さわぎて・・・」と「更科紀行」で書いている。芭蕉の追っかけをやっている私としても信州・更科の八幡の里の、姨捨山に出る月を見なければならない、と心に決めていた。
9月22日の姨捨山の月は残念ながら写真のように「薄ぼんやり」だった。
姨捨の棚田では、よく句会が催されるらしい。しかし、出ない。私の句はなかなか出てこない。
興味のある方は、私の「更科紀行」をごらんください。
http://www.intweb.co.jp/basyou_sarashina/sarashina01.htm

更科や棚田の上におぼろ月
我が心薄ぼんやりと姥捨の月
田のあぜを駆け上がり見れば姥捨の月
なるほどのなぐさめかねて姥捨の月

 

2007年09月26日23:15

姥捨の月(1)

長野の姥捨は、「八幡の里」にある。千曲市八幡姥捨 という地名になっている。
なぜこんなに重なっているのかと思うくらい、ここにはいろんなものが揃っている。挙げてみると次のとおり。
(1)姥捨パーキングからの千曲川・川中島・善光寺平の眺めがよい
(2)JR篠ノ井線・姥捨駅のポームからの眺めが全国第二位
(3)芭蕉が「更科紀行」で、更科の里の中秋の名月を愛でている  従って、俳句のメッカ
(4)「姥捨伝説」が伝えられ、姥捨山がある(「大和物語」の姥捨としてでている)
(5)「棚田百選」で上位の人気がある
(6)「中秋の名月」の全国有数の観月地
(7)「田毎の月」の名所

2007年09月25日13:54



月はあれど

中秋の名月を更科の姥捨て山に見ようと、9月22日に信州・更科の里、八幡についた。
ETCがないため姥捨パーキングエリアから外にでることができず、更埴まで行って戻ってきた。姥捨パーキングエリアの下にJR篠ノ井線の姥捨駅があり、そこが姥捨山と棚田が一望できる場所として知る人ぞ知る名所となっている。
夕方になって東の空や南東の空に目をこらすが、月は見えない。松本から観月に来たグループが横にいて、「さっきは姥捨て山の上に月が見えた」といっていた。さっきは見えて今なぜ見えぬ。やや薄霞が出ているようなのと雲がやってきたりしているので、月をみつけだすことができない。駅から棚田の方に下りて月をさがすが、どうしても見つけられない。ここで月を見つけられなかったら、何のために横浜からやってきたかわからない。
とうとうあきらめて帰ろうとした。棚田の下まで降りてきてふっと棚田の向こうの姥捨山(冠着山)を見上げると、雲の間からかすかに月が見えた。やっと会えた。

 月はあれど薄ぼんやりの棚田のなか

気に入っている棚田の写真も添付しました。

2007年09月20日10:16

思い余って 

夏が過ぎて、なんとなく寂しい思いがする昼下がり。
いろんなものが過ぎてしまって、去年と同じように今年の夏も何もなかったかのように過ぎてしまった。

行く夏やこれでいいのか団塊おやじ
去年と同じ何もなかった夏が過ぎ
秋風や思い余ってジョッギング

2007年09月12日23:31

さすが晋作

いつの頃だったか、こんな句に衝撃をうけた。
「面白きこともなき世を面白く・・・」
これは高杉晋作の辞世の句だといわれているもの。
この後に、晋作が親しくしていた九州の尼さんが、
「生なすものは心なりけり」と続けた。
せっかく晋作が「面白きもなき世を・・」と面白い句をだしたのに、これでは常識的過ぎて、まるで道徳の教科書になってしまう。
革命第二世代(司馬遼太郎?)に、晋作は続いていかない。結核を病んでいた彼には、小倉城を落として人生が尽きてしまう運命にあった。

「面白きこともなき世を面白く生きて散らそう長州男子」

とでもいいたかったのではないか。(私のでっちあげ)
義のためには愛する長州がつぶれてもかまわない、という意識は預言者吉田松陰にもなかった。
さすが晋作。 革命者第一世代晋作。
これだから、いくつになっても晋作はやめられない。

2007年09月03日23:57

見果てぬ夢

日経ビジネスで、孫正義さんのソフトバンクを特集している。
ボーダーホンを傘下に収め「大人のソフトバンク」になる予定だったが、ここのところ青年のように「挑戦するソフトバンク」を標榜している、とあった。
売り上げ2兆円の企業のトップがこんなことをいっているのだから、ソフトバンクは強い。ソフトバンクは「ブロードバンド世界一」になりたいといってているのだ。すばらしい。
こんな人たちが、次の日本資本主義を担っていくのだろう。

こういう元気のいい人もいるのだ、私もがんばらなくちゃ。

五十路来て老いるからだに青年の志
孫青年見果てぬ夢やブロードバント

2007年09月02日18:52

我は走る人

土日に晴れれば、ジョッギング。
夏の間、体調が悪くごろごろしていたが、ようやく回復してきた。
なぜか、ただ走る人になりたくて、ジョッギングを続けている。

ああ爽快ジョッグル肩に秋の風

ひたすらにただひたすらに我走る

2007年09月01日23:57

出るおなか

最近、家内のつくる食事がまずくなったと思う。
マンネリ化して、つくりが全体に手抜きになり、いい加減になり、変な加工食品が多い、と思う。
「うまくない」というと、「あなたの味覚が変わったのでしょ」といって、逆切れする。

いまいち飯文句もいえず食う我は

まずい飯食べてもなぜか出るおなか

2007年08月29日10:04

蝉の死

ここ数日、コンクリートやアスファルトの上で死んでいる蝉が目についてしょうがない。
蝉の異常発生で蝉の死骸も多く見かけるということなのか、自然の中で居場所を奪われた蝉たちが路上にあふれだしてきたのか。
よくみれば、おなかを上でかすかに手足が動いている。

舗装路で死にゆく蝉の哀しさは

土砂降りの夜空見上げて皆既月食

地球の大気のせいで赤銅色にゆがんだ月食を、一人酒を飲みながら楽しむというひとつの風情が、また遠のいてしまった。

2007年08月23日13:50

座ると眠る

朝の通勤電車で珍しく座れた。
冷房の効いた電車で座れるのは、情けないことにうれしい。
文庫を1ページ読んだ。寝入ってしまったようだ。

気持ちよく座ると眠る夏電車
隣の女に小突かれて目覚めた中目黒
隣の女涼しい顔でしらんぷり

2007年08月10日10:27

いそいで帰る

名古屋で働いている娘が帰ってきた。
なぜか、うれしいおやじ。いそいそ帰宅。

可奈帰るいそいそ帰宅夕餉かな

2007年08月07日11:38

おやじの背中

フリータやニートの家庭の多くは、物分りのいい親だそうだ。
会社なんて所詮そんなもの、仕事が自分に合わなければ変わればいい、サラリーマンになってあくせく働くより自分の能力を生かせる仕事、オンリーワンの自分の個性や自分らしさを大切に、そのほうがいい。
そんなことをいう親の子はニートやフリータになるのだという。
親の、家庭や仕事に向かう姿勢が、直接に子どもに影響を与えているという。怖い話だ。
親が胸を張って自分の生き方を語り、誇りと情熱をもって仕事に取り組み、将来の夢と希望を熱く語る。そうあるべきなのかもしれない。

仕事に疲れてしまったおやじは、これから後期金融資本主義、怪しげな情報社会での労働過程に入っていこうとする自分の子どもたちに、どのような応援歌を送ればよいのだろうか。

私はダメおやじではないかと思うが、そうはなるまいと子どもたちは一生懸命生きようとしている。それでよいのではないかとも思う。
子は、いずれにしてもおやじの生き様や背中を見て育つ。

疲弊深いおやじ顔で笑って背中で泣いて

2007年08月06日23:46

やがてかなしい作句かな

1日1句をつくれば上達するよっと、どこかで読んだようなような気がして、はじめた俳句。
1週間に1句、10日に1句になり、やがて・・・

毎日1句10日で1句やがてかなしい作句かな

こんな句を作りちらしている私は。

電車に揺られて会社通いとぼやくサラリーマン。
お前の才能の貧しさを泣け。
感じなくなってしまった感性と心の貧しさを泣け。

2007年08月02日13:36

梅雨晴れて

人を募集しているがなかなか集まらない。
IT関連の職種では中途求職者1人に対して求人数は4倍だという。私のところの零細・3K仕事ではよい人が採れないのは明らか。給料水準を世間並みよりちょっとあげてみた。やはり集まらない。
途中転職者は次に何を望むのだろうか。仕事のやりがいか、高い給料か、残業少ない好労働環境か。私は彼らに何を提供してやれるのだろうか。ここのところ考え込むことが多い。
団塊世代の限界を感じつつも、やはり新しい事業へのチャレンジ精神がぜひとも必要だ。
ああ、為すに値するなにごともないように、為すに値しないなにごともない。(吉本)

梅雨晴れて蝉のいない夏バブル二期

2007年07月31日23:10

あなたのように

小田実さんが亡くなった。
私の青春がまたひとつ終わったような。
小田さんの言葉には若い頃、ずいぶん勇気付けられ励まされた。べ平連・良心的兵役拒否・阪神淡路地震被災者の救済・9条の会など、いくつになつても精力的に社会の問題に正面から取り組んだ人だった。こんな人はちょつといない。
かけがえのない人が、亡くなってしまった。
今日は酒をのもう。

過ぎてしまった時代 戦闘的平和主義者 逝く
雷雨の中 何でもみた人の 訃報をきく
あさがおが咲き あなたのように 生きたかった

2007年07月24日06:58

ブルーヘブンもうれしそう

久しぶりのすがすがしい朝。
今日にも、西日本・東海地方が梅雨明けか、という予想。
ブルーヘブンもうれしそう。

あさがおや 梅雨明け待ち顔 ブルーヘブン
ブルーヘブン 少年の心で 夏を待つ

2007年07月21日00:28

あさがほに 我は食くふ

いい色のアサガオが咲いた。

あさがほに 我は食くふ おとこ哉 芭蕉
私の好きな句のひとつ。
アサガオをさかなに、一人飯食う芭蕉。
一人で生きる男の哀愁が、私のうちの何かに触る。

こんな句もある。
雪の朝 ひとり干鮭を 噛み得たり 芭蕉
花にうき世 我酒白く 食黒し 芭蕉

芭蕉はけっこう、呑んだり食ったりしている自分を句にしている。40歳になったかならないかの芭蕉が、こんな句も詠んでいる。
人間くささがストレートに出ている芭蕉の句がすきだ。

2007年07月20日13:13

また暗くなってしまった

やはりそれではいけないと、近作を披露。

思い出は誰と語らん紫陽花の道
彼の人の俤(おもかげ)雨の紫陽花の花

6月の 精神(こころ)で歩む通勤の道
意味もなく生きてる怖さと恍惚と

ああ、また暗くなってしまった。

2007年07月19日21:07

やはりその程度の、私

なぜがあせっているときは、文書が書きづらい。
電車に乗っても句境にならない。
ようやく仕事も一段落。
いくらか心に余裕ができてきた。
だが、句がでない。私の心が風流心から遠ざかっていたから。ウェットでメノーな気分にならないと、心に抒情がわいてこない。
今朝、いい句が浮かんだ。心に刻んだと思った。
でも、思い出そうとして、出てこない。残念な私。
やはりその程度の、私なのです。

2007年06月20日13:38

「かるみ」の境地

芭蕉が「かるみ」をいいだしたのは、奥の細道から帰ってきてからだった。
生病老死の「おもい」人生に対して、軽く明るく微笑んで人生に接する態度であり、作句の心構えである。
これが現代人にはよくわからない。
人生50年の江戸前期にあって、芭蕉は46歳のときに旅に出た。人生80年の時代にあっては60歳くらいにあたるのだろうか。
旅に死すとも本望という心構えになっていただろう。
その旅で芭蕉は「かるみ」の境地を見出す。
花や月、吹き渡る風や馬に食われるむくげや清閑な山寺の蝉や一面の萩の原にこころを揺さぶられる。
しかし、私はなかなか芭蕉の境地にはなれない。
芭蕉は、俳諧師であった。侘びさびとかるみの境地を句にするのが仕事であった。句がうまく作れないときは酒を飲んで頭を抱えたこともあった。だが、芭蕉はプロの俳諧師であった。
いくつになっても仕事と生活に追われ、風流を解さず、駄句しかできない。
プロの芭蕉と素人の私では所詮比べるべくもないか。
「俳聖」芭蕉はやはり伊達ではない。

盆暗や芭蕉のつめあか煎じて飲め

2007年06月09日18:08

生活以外の何か

何のための仕事か、何のために事業をおこすのか。
給料のために働くとか、お金がほしくて事業を起こすとか、それは悲しいことだけど、この社会で人間として生活して生きていくための前提であり、本質的な欲求部分でもある。仕事は身すぎ世すぎのことといえるほどの才能はない。
芭蕉は「路糧」は追わず、というようなことをいっている。芭蕉は、生活は最低でも、生きる理由の何かを追い求めた。それは新しい俳句表現だった。
では私は、生活以外の何を求めるのか。
そんな風に考えるのは、病気かな。
楽しいことをやって生きて死んでいけば、それでいいじゃない。しょせん、そんなものでしかないのだから。
でも、この寂しさはなに。

 

2007年06月02日18:32

一人バイク旅

またに、自然に風にわが身をさらしたくてバイクに乗る。
一人バイクは気ままでいい。
以前に、社員のバイク好きとツーリングに行っていた。
仲間といっしょのバイクもいいものだ。
ふっと思い出す、光の場面。
ああ、彼もいなくなった。
私の部下だった彼は会社の都合でリストラされた。 退社してくれないかと話しを出したのは私だった。 私は、バイク仲間をリストラしたのだ。
会社の都合?
今思うとなんのためのリストラだったのか。
将来のある有意の青年の多くが去っていっていまった。
私も8年前に以前勤めていた会社を去った。
それから一人バイク旅が続いている。
だれかいっしょに走ってみませんか。
私の夢は、シルクロードを通ってローマにまで行くこと。
同行の志を求めます。

 

2007年05月12日19:42

行く川のながれは

子供たちが家をでたので、家内はリホームしたいという。
「草の庵」をよしとする私には、興味がない。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」
「竪横(たてよこ)の五尺にたらぬ草の庵 むすぶもくやし雨なかりせば」
古来からの遁世者の行き方をよしとする私には、生き方に反するとも思えるのだが、まぁ浮世の習いということもあるので、よしとした。
近頃、むしょうに旅に出たくなった。
「一所不在」の虫がうごめく。

2007年05月10日23:55

狂い歌

芭蕉の文につぎのようなものがある。
「月をわび、身をわび、己れのつたなきをわび、侘ぶとこたへんとすれど、問う人もなし。なおわびわびて、
詫びてすめ 月侘斎が 奈良茶歌」

そこで我が駄文
髪のなきを詫び、歯のなきを詫び、身を詫び、拙きを侘び、ど忘れの多きを詫び、なお侘び侘びて、
独り酒桜ふぶきの狂い歌
2日には田毎との月みんはかなき夢
老いた母やわらか若葉の田植え歌

 

2007年04月06日10:54

桜ひらひら

この季節になると口ずさむ曲がある。
「桜ひらひら 舞い降りて落ちて 
揺れる思いのたけを抱き寄せた 
春に君と誓いあの夢は
今もみえているよ」
この曲を初めてラジオで聴いて、いい年をして何故か胸がキュンとした。「いきものがかり」が歌っている。気に入った、とってもいい曲だ。
「いきものがかり」?
生き物がかっているってどういう意味?
「生き物係り」という意味で「うさぎ係り」や「ハムスター係り」と同じで、生き物の係りだったという話しを聞いて納得した。
家の中や桜の木の下で歌っていると、やはり高音が出ない。むちゅくちゃな音程で、あたりの迷惑も考えずに歌っているのは、狂じみて風流。
だが、高音で声が裏返りギミに歌うこの歌は、現代の狂句としかいいようがなく、ただただ中高年のおじさんの胸を締め付けるのであった。

桜舞い花侘斉が狂い歌

2007年04月04日23:21

侘びてすめ

「月をわび、身をわび、拙きをわびて、わぶとこたへんとすれど、問う人もなし。
なおわびわびて、
侘びてすめ 月侘斎が 奈良茶歌」(芭蕉)

呪文のようなこの歌が最初はよく分からなかった。ここのところこの歌の面白さが、ようやくわかるようになった、気がする。
詫びて澄むのは、我が心か月か。月を見て詫びる心にとってそれは同じこと。食べる物は奈良茶を炊き込んだご飯でわびしいが、それもまた風流。歌のひとつも出てきそうだ。
侘び、この意味が実感できるかどうかが分かれ目。
侘びとは、「寒酸悲寥の情趣をかみ締める」こと。

 

2007年04月01日18:01

三位一体

三位一体とは何か。
「父と子と精霊」のこと。三位にして一体ということ。
仏教にはこんなモデルはないが、キリスト教創生期からの問題らしい。
父とは、主であるキリスト、子とはその伝道者、体現者としてのイエス、精霊とは子が主の教えを実践するさいの不思議な助っ人のことらしい。
キリスト教はこのモデルを開発することで、今日の盛況?に至っているという。物事の運動体はこのように構成したほうが都合がよいことが多いという。
ある目的を達成するのに都合のよいモデルだというが、いまひとつヒンとこない。目的と、そこに到達しようとする人と、到達を支援する人や道具や環境のことなら、「三位一体」モデルなどとたいそうに言うまでもないように思うが。
ただ、みのシンプルなモデルが人類の考えた深い企みだとすれば、多神教の仏教はこのモデルをとっていないのはどうしてだろう。

2007年03月31日11:53

春うらら

最近の句を披露します。

家ぷららうつつの狂句春がすみ
うつつの携帯なんだかおかしいあほ社員
あな狂ほし一人遊びの通勤電車
ひとりだから時雨ていくか花がすみ 

失礼しました。

2007年03月28日10:31

遊びをせんとや 2

「遊びをせんとやうまれけむ、戯れせんとやうまれけむ」の歌はつくづくいいものだと思う。人生の意味ってこれだったのではないかと思う。西洋的なホモ・ルーデンスにかようものもあるか。
生まれ・老いて・病んで・死んでいく、という逃れようのない真実は、だからそんなこと考えても無駄なんだから、遊びなさい、ただ、黙って・無心に遊びなさい、とも言っているようだ。
いろいろな趣味も遊び、パチンコや麻雀やカードも遊びなら、野球やサッカーや水泳も遊びだし、夜の遊びもある。ではも仕事は遊びになるだろうか。
人は生活から離れたところで本当に遊べるのかもしれないが、生活を遊べたらいいと思う。仕事を遊べたら、いいと思う。
学生の頃、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という本があった。「遊び的人間」というのだろうか。文化はそこから生まれるのだとも。昔は、そんなバカなとおもっていたが、ひょっとすると真実なのかもしれない。

2007年03月24日09:23

遊びをせんとや

「遊びをせんとや生まれけむ,戯(たわぶ)れせんとや生(む)まれけん,遊ぶ子供の声聞けば,我が身さへこそ揺(ゆ)るがるれ」
庶民の歌謡集「梁塵秘抄」にある歌だそうだ。どこかでこの歌をみたら妙に気になってしょうがない。人生は「遊び」「戯れ」という生き方、何かひっかかる。人生に目的などありはしない。生きる意味などありはしない。そんなものは「遊び」「戯れ」だよ、といっている。
子供たちや動物が戯れ遊んでいるのを見ると、いいものだなあと思う。
それにしても、「遊び」「戯れ」という生き方に、投げやりのようにも見えながら、なにか本質的なものを感じる。人生に、目的や意義などを求めないで、ただ自分の人生を無心に遊べばよいのかもしれない。無心に遊ぶのは、もう無理なので意図的に遊ぶか。
それにしても、人生に目的や意義などないと直感的に感じていながら、どうしても意義や意味を求めてしまう性向は、存在意義なしには存在できないという病気なのだろうか。

 

2007年03月10日09:42

仕事をする目的は

いくつになっても生き悩む。
社員に、何のために働いているのかと問うて、恥ずかしそうに「給料のため」という。それだけでないことは分かっているが、給料のためとしか出てこない情けなさ。
企業に、何のために事業を起こしているのかと問うて「利潤の追求のため」とストレートにいう人は少ない。ホリエモンや村上さんに代表されるような人なら、企業が利潤を追求してどこが悪い、お金がほしいといってどこが悪い、と開きなおるかも知れない。あっ、そういう人なのね、哀しい人だねと思ってしまう。
個人が働く目的も企業が活動する目的も、基本的には同じだと思う。ともに「お金のため」というのではあまりにも哀しい。人が生きる目的を問うているのに、「食べること」「寝ること」などと答えているのと同じだ。目的が見えていないため、前提だけで居直っている。
最近、「あなたが仕事をする目的は何ですか」と問われた。「あなたの生きる目的は何ですか」と問われているのと同じだと思った。この年になってまだそんな話をしなければならないのかとうんざりしたが、嫌いではない。だがつい、「やりたいことが、実現したいことがあるんですよ」と見栄をはってしまった。実際には、事業戦略にもプランにもなっていない夢のような話、探している途中に近い話し。
そのとき同席していた別の人が、自分のプランを事業化して実際に動かしている人がいた。すばらしいと思った。私もはやくそうなりたいと思った。
私の仕事をしっかりやらなくては。
私の夢を実現するプランをもっとしっかり練らなくては。

2007年02月05日22:23

曇天のオリオン

2月の夜中の風が冷たい。だが、オリオン座はかっての輝きがない。かってというのは15年以上前か。
そういえば、ここのところ澄み切った冬の夜空をみていないように思う。振り返れば「地球温暖化」か。
寿命のあるうちに地球温暖化を肌で感じることはないと思っていたのに、どうも加速度化しているように思う。
温室効果の最大の原因は二酸化炭素の増加だという。車はハイブリットか電気がよいが、高い。電気バイクは非力過ぎる。やはり歩くにかぎるか。歩いて暮らせるうちはよいが、車がないと暮らせない人も多いだろう。

澄み渡れ曇天のオリオン我が心

2007年02月04日09:33

夢のあとさき

親の迷いが、子にうつる。
貧困から抜け出すための勉強だったが、子供は貧困を感じていないし、抜け出そうとも思っていない。
勉強し大学に入り、いい企業に入り、出世するという夢は、子供にはとても夢になりそうもない。だれもが大学に入る時代には、それは価値すら認めてもらえない。
世のため人のためにという生きる理由が、自分のことのほうが先でしょという、自己中にとって変わられている。
親の価値観は、豊かな時代に生まれた子供たちと共有しようなどということは、とてもありそうもない。
かって、自分を変え、社会を変えようとしていた若者たちは、いまどこにいるのだろうか。

豊かな時代で、自由と平等と民主主義と平和を享受している子供たちは、この時代をどう生き、どんな時代をつくろうとしているのか。この先の時代に、どんな夢を描いていくのだろうか。
そういえば、戦争を体験し九死に一生を得てきた親から、「お前はいい時代に生まれてきたのだよ」といわれながら、この時代のどこがいいんだ、とおもっていた子供の頃の自分がいた。
そして、馬車馬のように働いてきて、あれは何だったのだろうかと思う。

2007年01月18日13:39

ゆとり教育2

「ゆとり教育」の理想論は、きらいではない。人生全般、ゆとりをもって生きたいものだ。
国の政策としていったん「ゆとり」に動き出したものをあっさりと捨ててしまうのもいかがなものか、と思う。
「学力の向上」と「ゆとり教育」はやはり矛盾すると言わざるを得ない。現在、国民がどちらを選択するかは、聞くまでもない。たが、15年くらい前に「詰め込み教育」「受験競争」から「ゆとり教育」への舵切りを後押ししたのは文部省の一部と国会議員の一部とマスコミであり国民だった。
その反省を踏まえないと「ゆとり教育」批判により、また同じ寓を繰り返すことになってしまう。

子供たち全員が「ゆとり教育」を受けて学力が下がるなら、自分の子供だけが下がるのではないからまっいいか、他の子供が「ゆとり教育」で浮かれいるときに、自分の子供はしっかり勉強させ、しっかり学力をつけ、希望する学校に入り、希望する職業につく、というのも悪くはないかも。
しかし、国民には「ゆとり教育」を押しつけ、自分の子供は塾へ入れ、私学に進ませ、受験準備をさせる、というのはなんというえげつなさ。

2007年01月17日11:20

ゆとり教育3

 

ゆとり教育に対する批判が強い。
教育再生会議でも、ゆとり路線を修正して授業時間数を10%増やす案が出ているという。まっ、それもひとつの方向だろうと思う。
それに対して、文部科学省の元審議官の寺脇研氏は、「ゆとり教育そのものは間違っていない。もっと中長期の目で見てほしい。」というようなことをテレビのニュース番組でいっていた。
「ゆとり教育」、なんと甘美なことばなんでしょう。私もゆとりをもって働きたいし、子供にもゆとりのある教育を受けてもらいたいと思う。しかし、仕事の場でも給与でも「ゆとり」が夢なように、教育の場でも「ゆとり」は理想論なのではないか。
ゆとりのある仕事と生活、それがよいことは分かっていても、それを保証してくれる社会的な条件が揃わないととてもできない。
「ゆとり教育」をいうのであれば、精選された学習内容をどうやって子供たち全員に達成させるか、どのような授業案と教材と指導方法を使って授業をやり、その達成程度をどう評価するのか、落ちこぼれた子供にはどのようなフォローがあるのか、そういうことを担保する体制ができているのでなければならない。
それがないのにかけ声だけが「ゆとり」では、世間はついていけない。それが、公立離れ、私立志向となって表れている。税金を使った公立学校がこれでよい訳はない。
それにしても、親の学力志向は強い。学歴社会から学習社会へという時代の変化のなかで、学力志向は何を目指すのか。
親が子供に期待する「学力」とは何なのか。
通知表をよくする力なのか、難関校の入試を突破する力なのか、子供の将来の可能性を広げるための力なのか。
私は、公立校でよいから、生涯学習を継続していける子供であってほしいと思う。

2007年01月13日13:12

風狂の表現者

今年はどんな年になるのやら。
昨年は嵐山光三郎の「悪党芭蕉」がなかなか面白かった。芭蕉といえば「俳聖」、俳句の神様のようなイメージだが、この本では創造的俳諧師としての芭蕉のしたたかな生き方をあぶりだしている。芭蕉の門人は、才能はあるが性格的な欠陥があるだとか、犯罪者や男色など多彩だ。いわば、アーチィストのあつまりなのだから、それは致し方ない。ただ、そういう門人を束ねていった芭蕉の生き方、才能、人心掌握術は、並たいていのものではない。
芭蕉が切り開こうとしていた俳諧の境地は、今で言えばWeb2の新しい創造の世界を開示しようとしている新進エンジニアやクリエータのようなものか。
アップルのスティーブジョッブズ、グーグルの若き創始者2人やWeb2の時代を担うオープンソースのエンジニアたちは、Web2の世界の可能性を垣間見せてくれたが、芭蕉は言葉遊びの俳諧に、わびさびの芸術的表現の境地を開いた。かたや俳諧、かたやWebではあるが、時代は違っても彼らには共通の心意気を感ずる。
新しい表現を生み出そうとしていること、その生みの苦労を楽しんでいること、創造的であること、面白いものを見つけようとしていること、変人に近いこと、弟子や門人には一癖も二癖もある人たちが集まっていること。お金のために芸を売るのを嫌うこと、利益のために仕事をするのはかっこ悪いと思うこと、服装に頓着しないこと、新しい生き方=新しい表現者。
だが、生活不能者、性格破綻者、自己中、お金よりも喝采をもらいたい、門人・弟子・人々に囲まれ、すごい・面白い・変人・変態などと呼ばれて恍惚になること。

そのなかで、芭蕉は俳諧の新しい境地をひらいていった。

枯れ枝に 烏がとまりけり 秋の暮れ

これが芭蕉の新表現のはじめで、この表現に芭蕉は俳諧の新しい可能性を感じたのだという。
枯れ枝に烏が一羽とまっていて、何が面白しのか。だが、情景一味の写実に新しさがあり、季節の中の生活と情景の一局面にはっとする感動がある。風狂の表現者。
創造しようとする者は、実現しようとするものの明確なイメージを自分のうちに持っている。
反俗、風狂的な草庵生活や乞食姿での旅は、表現者のダンディズム。創造者の心意気。
江戸時代の前期、そんな芭蕉の生き様をかっこいいと思う。だが、それって「老人アイドルの芭蕉さん」ということではないのか。

photo by miura 2007.5 mail:お問い合わせ
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