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芭蕉の俳諧(2)


14.芭蕉は自分の著作を出版したか
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 芭蕉は生涯、句集にしても俳文にしても芭蕉自身が出板したものはほとんどない。唯一、俳諧師として世に出るための初期の「貝おほひ」くらいか。主著「おくのほそ道」でさえ芭蕉は出板する意志があったのかどうか、多くは門人が芭蕉の了解を得て、または死後に出板している。
 「芭蕉雑記」(芥川龍之介)を読んでいたら、その最初に面白い一文を見つけた。
「曲翠(きよくすゐ)問(とふ)、発句(ほつく)を取りあつめ、集作ると云へる、此道の執心なるべきや。翁(をう)曰(いはく)、これ卑しき心より我わが上手(じやうず)なるを知られんと我を忘れたる名聞より出いづる事也。」
 芥川が引いたこの一文の出所がどこなのか探してみたが、見つけることができなかった。芥川はどこから見つけてきたのだろう。しかし、内容は芭蕉ならさもありなんといった感じ。
 句集などを出すというのは、「卑しき心」から出たことで、「我わが上手なるを知られん名聞」からより出ていることだろう、と芭蕉はいう。「我俳諧撰集の心なし」。芭蕉自身としてはその気はないのだという。
 芥川はさらに次のような話をどこかから引いてきている。
「集とは其風体(ふうたい)の句々をえらび、我風体と云ふことを知らするまで也。我俳諧撰集の心なし。しかしながら貞徳(ていとく)以来其人々の風体ありて、宗因(そういん)まで俳諧を唱(となへ)来れり。然(しかれ)ども我云いふ所ところの俳諧は其俳諧にはことなりと云ふことにて、荷兮野水(かけいやすゐ)等に後見(うしろみ)して『冬の日』『春の日』『あら野』等あり。」
 先輩の宗因、貞徳まで俳諧集を出板しているが、弟子の荷兮、野水(かけい、やすゐ)等の『冬の日』『春の日』『あら野』等は、それらとは異なっていて自分も序文などを書いたりして後見している、と芭蕉はいっている。これではどう異なっているのかはわからない。
 芥川は次のようにいう。句を集めて集をを作るというのは「卑しき心より我わが上手なるを知られんと我を忘れたる名聞より出いづる事」と芭蕉は言う。又芭蕉はかう云つてゐる。――「我俳諧撰集の心なし。」芭蕉の説に従へば、七部集の監修をしたのは名聞を離れた仕業である。芥川は、芭蕉には「名聞を離れた仕業」以外の何か別の理由があったのではないかという。
 芭蕉以後は簡素の中に寂びを尊んだ。 「俳諧なども生涯の道の草にしてめんどうなものなり」とは芭蕉の弟子の惟然(ゐねん)に語つた言葉である。その他俳諧を軽んじた口吻(こうふん)は時々門人に洩らしたらしい。これは人生を大夢と信じた世捨人の芭蕉には寧(むしろ)当然の言葉である。しかしその「生涯の道の草」に芭蕉ほど真剣になった人は滅多めったにいない。いや、芭蕉の気の入れかたを見れば、「生涯の道の草」などと称したのはポーズではないかと思ふ位である。

 では、私はなぜこんな文を書いているのか。そもそもこんなサイトをなぜ立ち上げているのか。やはり考えてしまう。
 私の場合、興味があって芭蕉についてあれこれ調べているうちに面白くなって、ついつい入り込んでしまった。最初は自分のためのメモ帳だったものが、自分ひとりでこの感動を楽しむのはもったいないような気がして、公開することにした。写真俳句を専売にしようかと考えていたのだが、森村誠一氏が先きに本を出版していた。私のものとは比べるべくもない。で、どうなったか。見ての通りである。

 

15.「一念一動」の俳句

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「野ざらし紀行」の「野ざらし紀行絵巻」の跋に次の文がある。
此の一巻は必ず紀行の式にもあらず。ただ山橋野店(さんきょうやてん)の風景、一念一動をしるすのみ。・・・他見恥づべきものなり。

芭蕉散翁書
たび寝して我句をしれや秋の風

 「野ざらし紀行」は芭蕉41歳の時の作品である。37歳からの深川隠棲と言われる時代から5年、芭蕉は迷いを吹っ切るかのように旅にでる。芭蕉は「野ざらし紀行」で多くの秀句を残した。列挙すると。
  野ざらしを心に風のしむ身哉
  猿を聞く人捨子に秋の風いかに
 道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり
 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり
 手にとらば消えん涙ぞあつき秋の霜
 砧打つて我に聞せよや坊が妻
 露とく/\心みに浮世すゝがばや
 秋風や藪も畠も不破の関
 死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮
 明ぼのやしら魚しろきこと一寸
 狂句木枯の身は竹斎に似たる哉
 海くれて鴨のこえほのかに白し
 春なれや名もなき山の朝霞
 山路来て何やらゆかしすみれ草
 辛崎の松は花より朧(おぼろ)にて
 命二つの中に生きたる桜哉
 いざともに穂麦喰らはん草枕
 白げしに羽もぐ蝶の形見哉
 夏衣いまだ虱(しらみ)をとりつくさず

 どの句も令和の時代になっても秀句として評価されるような句ばかりだと思う。何がよい句なのかは人により評価の基準は異なるが、自然の景物に触れた時の芭蕉の心を震わせた思いが言葉として表現されている、その芭蕉の思いに多くの人が共感するからだろう。自分の思いや主観性の濃い句を嫌う向きもあるが、自然そのものも、主観性も、主観性を通しての自然も、ともに句の対象となるものとしては同等、優劣の差はないのではないか。
  「ただ山橋野店の風景、一念一動をしるすのみ」として、「たび寝して我句をしれや秋の風」という芭蕉の句が効いている。「山橋野店」というのがよくわからないが、「芭蕉俳文集」(堀切実編注 岩波文庫)によると、杜甫の詩の「野店山橋」や「或るは山館野亭の夜の泊、或るは海辺水流の幽なる砌(みぎり)にいたるごとに、目にたつ所々、心とまるふしぶしを書き置て」などを参考にした表現のようだ。
 芭蕉は、旅をして、自然の四季に触れ、「一念一動」する心の思いを句にする。そして自然の中で裸の自分の立ち位置を想い、自分自身を知りなさい、といっている。自身の未熟さや愚劣さを悟りなさいといっているのかも知れない。「我句をしれ」という表現が怖い。

 
 
  by miura 2020.4
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